オンリーユー・フォトジェニック

乙島紅

オンリーユー・フォトジェニック


「なんで真夏なのにニット帽なのよ、暑苦しいなぁ。隣を歩く私の身にもなってよね」


 今朝になって突然俺に呼び出されたユイは、苛立ちに顔を歪めながらそう言った。ぶすっとしていても、目鼻立ちくっきりした顔はやっぱり綺麗だ。俺は首にかけていた一眼レフを構えてシャッターを押した。


——パシャッ。


「あ! ちょっと!」

「いいだろこれ。貯金はたいて買ったんだ」

「写真の趣味なんてあったっけ」

「形から入るタイプなんだよ。大丈夫、撮りたい絵はちゃんと頭の中にあるからさ、今日は一日モデルになってくれよ」


 そう言うと、ユイは目を見開いた。


「えぇっ!? 早く言ってよ、それならちゃんと化粧してきたのに!」


 ユイは幼稚園の頃からの幼馴染で、元恋人。


 半年前の冬、中学卒業前に思い切って告白した。当時のユイはスクールカーストの頂点で半ば玉砕覚悟だったのだが、なんと幼い頃の俺が「しょうらいはユイとケッコンする!」と宣言したのをずっと覚えていたらしく、あっさりOK。


 だがつい先月、俺から振る形で破局を迎えた。理由は、付き合ってみたらなんか違った……ということにしている。


「で、どこ行くんだっけ?」

「まずはサンシャインの水族館」


 すると、彼女の目の中に光が灯った。


「いいじゃん! 私ペンギンとか好きだよ」


 一気に機嫌が良くなる彼女。俺はこっそりとシャッターを切る。まぁその後すぐに彼女の笑顔は崩れることになるのだが。




「ぎゃああああ! なにこれやだよ、こんなの触りたくないって!」


 彼女は周囲の目を気にせず悲鳴を上げる。期間限定の『変な生き物展』。水槽の中の奇妙な海洋生物と触れ合える、素敵な企画だ。


「ほら早く! 美少女がナマコつかみ取り、この構図を撮りたかったんだよ!」

「発想がキモい!」


 水槽の前でたじろぐユイ。しかし後ろに並ぶ幼い女の子に「お姉ちゃん、早くー」と急かされ意を決したようだ。顔にまで鳥肌を浮かべながら、勢いよく水槽に手を突っ込む。パシャリ。その顔はとても美少女とは思えないくらい引きつっていた。堪えきれずに吹き出すと、彼女はナマコを掴みながら顔を真っ赤にして睨んできた。


「さて、次は……」

「え、まだ全部回ってないじゃん」

「俺には時間がないんだよ。ユイが遅刻してきたせいでな」

「う……分かった、どこに行くの?」



 その後は彼女が苦手なホラー映画を見たり、本屋で肌色の多い同人誌コーナーを回ったり。俺のワガママに付き合い続けた彼女の顔はげっそりと疲弊していた。



「ほんっとサイテー! まともな写真ひとつも撮ってないし、一体何がしたい……」


 彼女は急に言い澱んで、いきなり腕を絡ませてきた。柔らかくて弾力のある感触。これは胸なのか、二の腕なのか。いやどっちだって良い。夏のおかげで布の隔たりがないことに俺は全力で感謝しつつも、冷静を装って「何?」と聞いてみた。


 彼女の視線は横断歩道の先、同じ年頃のおめかしした女子二人に向けられる。確かユイのクラスメートだ。信号が青になり彼女達とすれ違う瞬間、ユイはすっと下を向いた。


「話しかけないの?」

「無理、絶対無理! ラシーヌのパンケーキ食べに行くって言ってたの断ったのよ……彼氏とデートだからって」


 彼女は少し顔を赤らめながら深いため息を吐く。


「それに、あんたといる時は部屋着で歩いてるようなものだし」

「あはは、池袋で部屋着はないだろ」


 ユイはふと立ち止まる。そして確かめるように俺の腕をなぞった。なんだよ、誘ってんのかって冗談を返そうと思ったけど、彼女の瞳には不安げな色が浮かんでいた。




「タツミさ……こんなに腕細かったっけ?」




 腕から伝わって来る体温が心地良い。全身悪い腫瘍に侵された身体に染み渡っていくかように。


「余命宣告受けたんだ……あと一ヶ月って」


 ユイはその場に崩れ落ちた。たくさんの人がお互いに無関心にすれ違うせわしない大都会の中で、この場所だけが色を失い時間が止まったかのようだった。零れ落ちる涙で彼女の長い睫毛まつげが濡れる。ああくそ、こんなところで泣かせるつもりはなかったのに。


「ごめん、驚かせたよな。俺もびびったんだよ。どうしよう、まだ何もできてないのにって……かといって残り一ヶ月でこの世に爪痕残せるような才能もない。だから馬鹿な頭使って考えてみたんだ、何ができるかって。……そしたら一つだけあった」


 俺は一眼レフのプレビュー画面をユイに見せる。少しでも写真の心得がある人間に見せたらきっと怒られるだろう。だって被写体の良いところにまるでピントが合っていない。彼女が人に見せたくないような表情ばかり撮ったのだ。


「なにこの写真……超ブッサイク……」

「そうだね。だけど、俺はこういう顔してる時のユイの方が好きだよ」


 トン、と彼女の頭が俺の胸の中に落ちてきた。


「馬鹿、タツミの嘘つき……! こんなの、全然嬉しくないよ……」

「ユイ。俺の他にも君が素のままで居られる人を見つけるんだ。もう俺は隣にはいてやれないから」

「う……ああ……」


 化粧をしてなくて結果オーライじゃないか。もう鼻水も涙もよく分からないぐしゃぐしゃの顔で、声がかすれるのも気にせずに子どものように泣く。君が素顔で居られる人が現れることを望みつつも、こんなに無様に泣き叫ぶのは一度きりであってほしい……そう思うのは、余計なお世話なんだろうか。






——数ヶ月後。


 繁華街から少し離れた雑居ビルの一階で、小さな写真展が開かれていた。無名ゆえに客はまばらで、展示よりも受付の黒いワンピースを着た少女を気にする者の方が多いくらいだ。そんな中、一人の男が写真の前で感嘆の声を漏らしていた。男は少し興奮気味に、受付の少女に尋ねる。


「あの、この写真の女の子ってどんな子なんすか? 俺、これでもプロなんすけど、どれもすっごく良い表情だなと思って」

「あ、それ私です」

「ええっ! 全然印象違うね」


 男が驚くと、少女は穏やかにくすりと微笑んだ。




「だって……大好きな人と一緒にいる時の顔は特別ですから」




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