オブジェ

 小雨が続く6月のある日、バルゴはお屋敷・・・そう言ってもおかしくないほどの建物に連れて行かれた。


「バルゴ。今日からはここのが君の主人だよ」


 彼の隣にいる初老の男性が話しかける。


「わかりました」


 端的に答える彼の言葉に淀みがなく、抑揚にも不自然さはなかった。それはロボットであるにもかかわらず、年齢を重ね、洗練された紳士が振る舞うようなたたずまいを表現していた。


 バルゴはアサヒ重工業が制作した、そして"今世紀最大のエラー"と言われるほど突出した性能を持っている最新鋭のロボットだ。そして同時に世界にたった12台しかいない、稀有な存在でもあった。


 2年前ほど、アサヒ重工業のロボット研究所からあるプロトタイプが制作された。

 そして研究室でその性能と可能性が認められると、報告を受けた当時の社長はロボット界の革新、おおきな進歩と銘打って大々的に発表した。

 しかしその会見は結果社長の退任を生んでしまう。結局はこのシリーズの量産体制、いやは確立できていたのだが、何故かプロトタイプを含む、初期ロットの12台しかその性能を出すことができなかったのだ。


 この問題はテクノロジーへの挑戦でもあった。

 世界のあらゆる技術者、研究者がこぞって調査に名乗りを上げ、解析を進めた。しかし少しだけ生産された同一仕様である13台目のそれと12台目に違いが認められる差異は皆無であり、同じであること以上のものは何もなかった。

 そして1年ほどかけて得られた調査結果は、その分厚い数百冊のファイルにそぐわず、中身はないに等しいもので、参加した人々は声を揃えたかのように「あれはエラーだ。正しく処理されたなら、ああはならない」と言い放ち、研究所を後にした。

 自分達が決して到達できない、設計することができないほどの性能を目の当たりにした、精一杯の皮肉でしかないことを自分達でもわかりつつ、そして捨て台詞を吐きながら。


 当然、この比類なきロボットたちの入手については熾烈を極めることになる。

 各国の財界から名だたる富豪、文化的著名人、エンターテナーなど世界で活躍する人たちや、自社での精密な再調査を求めるライバルメーカーが、元々も決して安くない販売価格の何倍、何十倍もの値を提示し、早々に交渉へと踏み切っていた。


 世界の権力図を目の当たりに、大変難しい調整や国レベルでの関係性に扱いきれず、なんとか打開策を考えたアサヒ重工業は、完全な公平性と、ロボット本来の目的を達成する、という名のもとに、初期価格設定のままとした。

 そして支払い能力がある人々など個人に限定した抽選方式とし、改めて募集を開始したのだった。それでも10年の転売禁止を約束をさせ、ロボットへの適切な維持、管理を確約できるものとする、一応の保険をつけて。


 それでもその結果、822万7000倍という倍率のもと抽選が始まることになる。そして半年の時間を経てやっと、12体のロボットはオーナーを得て、”納品”されることになったのだ。

 今日、ここにいるバルゴはその中の1体である。


「アサヒ重工業の本谷と申します。バルゴをお届けに参りました」


 そういって初老の男性、アサヒ重工業開発部長の本谷が大きな声をかける。

 しばらくして建物の奥から足音が聞こえ、背の高い細身の男性が小走りでやってきた。


「どうもどうも、アトリエにいると時間がたつのもわからなくなりまして・・・ほうほうほう、これが例の?」


 この建物の主、三浦は芸術家であった。

 若くして大きなパトロンを得て絵画、彫刻から会社のロゴデザインまで幅広く手がけていた。それは20年近く前の話。最近はその名前を聞くことも珍しく、世間では引退したとも噂されていたものだった。


「初めまして。旦那さま。私がバルゴでございます」


 バルゴは三浦の前にすっと立ち一礼する。


「ほう・・・これは自然な。これはもうロボットというにはその言葉が似合わないのではないかな?」

「そう言っていただけると我が社としても喜ばしい限りです。世間ではエラーと言われておりますが・・・」


 三浦は本谷の言葉を被りを振りながら遮る。


「本当にバカげたあだ名だ。傑作としか言えないではないか。そして天文学的な今回の抽選倍率がそれを肯定している」

「ありがとうごさいます。私たちはあえて彼らをそう呼ぶことをしておりません。決して超えられない壁ではないのです」


 芸術家のイメージにある、少年のような無邪気な笑顔を三浦は見せた。ただ本谷にとってその目は、少し違う所を見ているかのような、違和感を感じていた。


「いいね。いいね。目標、壁であることを否定するその姿勢は評価されるべきだ。ええと、名前は?」

「バルゴでございます。旦那様」

「そうか。じゃバルゴ。奥に来てくれ」

「はい」


 そういって動き出すバルゴを制止して、本谷はカバンからタブレットを取り出した。


「三浦様、こちらが受け取りのサイン、そして正式な契約書となります。重ねてお願いしますが・・・」

「勿論だ。今後10年、いやおそらく私がこの世からいなくなるまで、バルゴは私の元を離れることはないだろう。そして分解をはじめとする破壊行為も行わない。大切に扱うと誓おう」

「ありがとうございます。それではますますのご活躍を楽しみにしております」


 サインをもらった本谷は、そのタブレットを大事そうにカバンにしまい込み、屋敷を去っていった。

 落ち着きなく見送る三浦は、その車が見えなくなるとすぐに振り向いて、話し始めた。


「さて。じゃあ改めてバルゴ。よろしく」

「よろしくお願いします。旦那様」


 バルゴは再びお辞儀する。


「そういう堅苦しいのはいい。じゃあ付いて来てくれ・・・私が芸術家なのは知っているな?」

「はい」


 彼はアゴに手をあてて、 そうか、それもそうか、と呟く。


「・・・お前達ロボットは主人のどんな命令でも聞くのだな?」

「いいえ、全てではありません。例えば人を殺してほしい、というような命令は」

「ああ、そういうややこしい事に興味はない。私は私が作る作品にギャラリーが驚き、感動し、心に響けばそれでいいのだ。ある意味お前達ロボットも通じる所があるだろう?」

「はい。私達は主人が満足する事に喜びを感じます。それが使命なのです」

「いい回答だ。実にいい回答だ。お前なら私の作品達を私がどれだけ愛しているのか理解できるだろう。来たまえ」


 そういって三浦はバルゴを案内するかのように屋敷の奥に歩き始めた。

 その後ろをバルゴは自然についていく。


 廊下、壁には沢山の絵画や彫刻、オブジェが並んでいた。その全てに一貫性はないように見えているが、そのどれもが情熱に満ち溢れ、そして何事にも変えがたい何かを伝えている。


 三浦の屋敷は大きいが、正面玄関から奥まで続く間取りを持った、細長い建物だった。

 両側は木々に覆われいる。なにか考え事をする時に、この長い廊下を行ったり来たりするためだけにありそうな、そんな長い廊下だった。


 そんな廊下を歩きながら、バルゴが話しかける。


「私がこのように話すことをお許しいただけるなら」

「なんなりと」


 三浦は即答する。


「この表現は人にしかできない、とても素晴らしい作品かと」

「お前にわかるのか」

「分かる・・・と申しましょうか、感じるという言葉が適切ではないかと判断します。そしてこの表現ができることを私達が・・・私が話せることが”エラー”たる所以だと聞いています」


 その一言を三浦はあまり気にしていないようだった。


「そして、そのような賞賛を旦那様はあまり気にされていないようです」


 追加されたその一言に三浦は、少し微笑む。


「そうだ・・・そこまで理解できるのか。私は自分が創った作品、それぞれのジャンルのうち、自分が一番だと思うものは売らない事にしている。それを超える作品を作ることが私の目標であり、限界を超える唯一つの手段だと思っている」


 そう言いながら三浦は立ち止まり、バルゴのほうに向いた。


「今日は私もまだ色々やることがある。お前に1週間時間をやろう。この屋敷を周り、私の作品をみろ。私に仕えるのであれば、作品を通して私自身も知ってもらうことが必要だろう。やってみろ」

「かしこまりました」


 バルゴは会釈のような頷きかたをした。


「ただし、アトリエには絶対に入るな。私は未完成品を人に見てもらうことを嫌う。それがロボットであっても、だ。そしてもし私が心臓発作等で死んでいても、うめき声をあげて死にそうであっても決して入ってはならない」

「状況によっては受け入れかねます。私にとって旦那様が助かることがわかっているのに放置することはできません」

「そのまま死ぬことも私の生き方なのだが。まあいい・・・まだしばらくはそんなことにはならないだろうが、重ねていう。決してアトリエには入るな」


 三浦は人差し指を立て、バルゴに向けてゆっくり強調した。


「わかりました」


 三浦はそういってアトリエに入ると、バルゴのことを忘れていった。


 そして1週間経ち、朝食を摂っている三浦の前にバルゴは現れた。


「まさか全くすれ違うこともなかったとは思わなかったぞ」


 牛乳にシリアルを足しながら三浦は言う。そしてそれはまるで毎日話す会話の一つであるかのようだった。そしてバルゴもいつもの聞いているような振る舞いのまま応える。


「この1週間、旦那様はアトリエから合計で2時間も出ておりませんでした。私が近くにいてもお気づきにならなかったようです。なお外出に至ってはゼロでございます。」

「そうか・・・まあ、自分の中に世界があるのにわざわざ出る必要もない」


 三浦がシリアルを食べながら呟く。


「日光に当たることは健康に良いのです。科学的にも証明されています」

「物事が進まない強いストレスを抱えないことと、どちらが健康にいいんだ?なあ?」

「・・・気分転換も良いものであると考えます、旦那様」


 三浦がそれを聞いて食べるのを止めて顔を上げた。

 その顔はまた、新しい発見をしたかのように驚きと笑顔が満ちている。


「わざと話題を変えるのか。否定しないが、主人である私に対する提案の幅をもたせたのだな。それもまた素晴らしい。で、私の作品はどうだった?」

「はい。このお屋敷にあります211の作品を見せていただきましたが」


 話の途中でまた大きな声で遮る。


「ほう!これも驚いた。211あることもわかったのか?そして飾られている、ではなく"あります"と表現したな!なぜだ?」


 三浦は食べている行為をそのものが面倒なような仕草で食器を置き、立ち上がるとバルゴに近づいていく。そしてその前で聞くことが一番大切だと言わんばかりに腕を組んで立った。


「少しわかりにくい作品もありましたが・・・」


 バルゴが少し時間を空けて質問をした。


「・・・お試しになられたので?」


 もうそんなことはどうでもいい、という雰囲気で三浦が応える。


「半分はそうだ。お前は今までのハイスコア、かつ一番正解に近い。正解は213だ。私の奥歯にある絵と、もう1つは埋めてある。すごいぞ」

「ありがとうございます」

「これまでのロボット達は最高で169だった。大幅に更新されてしまったな。どこで、なぜわかったのだ?」

「わかる、といいますか、とにかく<<目立ちました>>。例えば小さなカフスボタンや、チェスの駒・・・寝室のカーテンなども、他と比べると目立ちすぎたのです。そして」

「・・・そして?」

「それらの作品に対して・・・とても大切に思う気持ち、意思のようなもの、を感じました」


 三浦の目が大きく開く。


「そうだ!!愛だ!!それが私の作品に対する愛だ!!」


 手を大きく広げ、それ以上のことはない、と言わんばかりに叫んだ。


「素晴らしい!!ここまでとは!!もしかするとお前は、人間を含めて私の1番の理解者かもしれない!!」


 バルゴはそれを聞いてすこし微笑む。


「お褒めに預かり、光栄でございます」

「お前にはやはり手伝ってもらう。来たまえ。アトリエに案内する」


 そう早口に言って結局朝食を最後まで食べずに歩き始めた。


「よろしいのですか」

「もちろんだ。お前には知っておいてもらいたい」


 一番奥にあるアトリエはすべてが真っ白だった。床、壁、天井、全て。

 真ん中には少し小高い舞台があり、そこには白いシーツのようなものがかかっている。


「それはキャンバスだからだ」


 何も言わないが聞きたそうだ、と感じた三浦がバルゴに向かって答える。そしてシーツに近づいていった。


「見てくれ。私が今作っている作品だ。これまでで最高のものになると確信している」


 シーツを取るとその舞台には、6体のロボットがいた。

 それぞれがそれぞれに下を向き、後ろを向き、空を仰ぎ、違う方向を向いている。そして様々な仕草や表情を浮かべていた。


「こいつらにこれらのことしてもらうために、とても時間がかかっているんだ。私が思う通りに表現してくれないのだ」


 しばらくバルゴはそのロボット達を見つめて話し始めた。


「しかし、これらのロボットは世界の各メーカーの最高級のものばかりです。細かい所はわかりませんが、決して能力が低いわけではないはずです」

「そうだ。しかしこいつらは私を理解しきれていない。だからしっかりと教える必要があった」


 そう言いながら三浦はバルゴに案内する。


「さあ、そこに立ってみてくれ」


 バルゴは6体のロボットがいる丁度中央の開いている空間に促された。


「そこで何を思う。どうしたほうがいいと思う?」


 しばらく考えたバルゴがポーズを取る。


「こう、でしょうか?」


 そういうとバルゴは、前を向き、歩き出すような仕草を見せた。


「なかなかいい・・・が少し違うな」

「申し訳ありません」

「・・・そうではない。たしかに違うが、間違っていないのだ。これは純粋に感性の違いという範囲でも間違いではないだろう。お前に感性というものがあれば、だが。推測にしてもなかなかなものだ」


 そう言いながら三浦はバルゴの顎に触れ、そっと力を入れる。


「もう少しうつむいて・・・そう、そして少し視線を左前に・・・ストップ!!そうだ!!」


 両手を顔に埋めながら、三浦はアトリエの中をぐるぐると歩き始めた。


「そうだ。私も出し惜しみをしてはならない。自分に正直に、そして自分に忠実であれ。迷った私が馬鹿だったのだ」

「お役に立てて光栄です。旦那様、少し汗をかいているようですので、お水をお持ちしましょうか」


 そういって動き始めるバルゴに三浦は慌てて走り近づき、止めた。


「いや、このまま、このままでいろ。元にもどれ。それがお前の仕事、今からお前の仕事だ」


 そういってしばらく三浦はロボット達を見つめた後、満面の笑みを見せながら部屋のライトを切り、アトリエを後にした。


 しばらくして、他のオブジェであるロボット達が話し始める。


「どうも・・・お仲間が増えましたね」

「旦那様は、私達をなんだと思っていらっしゃるのか」

「ずっとこんなことをしていても、私達は役に立っていない。もっとお仕えするべきなのだ。なあ、新入りさん、そう考えないか」


 その一言にバルゴは首をふって応える。


「君たちはわかっていない。まるでわかっていないのだ」


 そしてバルゴは先程三浦に指示されたポーズに戻り、呟いた。


「・・・至上の喜びでございます。旦那様」

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おかえりなさいと言える日まで やたこうじ @koyas

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