茜色の帰り道

杠葉結夜

茜色の帰り道

 まだ明るい、黄昏色の空に夕焼け小焼けのメロディが鳴り響いた。


「うわ、もう五時。リィ、両毛線って次何分だっけ? 帰りに奢るって言ったけど間に合うかな」

 他愛もない話をしながらゆったりと歩いていた君は、その音色にわずかに眉をひそめて私の顔を覗き込む。

「十三分。だけどその次でも大丈夫だよ?」

 君と話している時間がもっと続いて欲しいから。その言葉をそっと飲み込んで、私はマンホールにピントが合いかけた視線をあげた。

「次、って……この時間はもう、一時間に二本あるっけ?」

「うん、五十二分に。そっちさえ良ければ、そこのクレープ屋久しぶりに行きたいなぁ」

 口元を緩めて隣をそっと見上げると、わざとらしく唇を尖らせた君の顔が目に映る。

「えー、高い」

「ですよねー」

 予想通りの答えだ。視線を君から外し、数十メートル先に見える駅へと移した。そして、冗談だしコンビニでいいよ、と続けようとした矢先、君がためらいがちに口を開いた。

「えーっと……あとで半額返してくれればいいよ? 全額奢りは後がきついけど、うちもクレープ食べたくなってきた」

 思わず顔を上げた。ぶつかった視線は温かくて、その言葉が冗談ではないとすぐにわかった。

「やった。返すの明日でもいい? というか東武は時間大丈夫なの?」

「もちろん。うちは帰る時間元から気にしてないからだいじ! ってことで、そうと決まれば早速行こ!」

「わ、わっ」

 くい、と君に腕を引っ張られる形で私は走り出す。

 それと同時に鼓膜を揺らした秋風で、彼女のセーラーカラーがふわりと膨れ上がった。



 私は季節限定のアップルシナモンクレープ、君はしょっぱいものが食べたいと言ってピザクレープを頼み、他に誰もいない店内の椅子に並んで腰掛ける。

「テス勉、そっちは順調?」

「まあまあかな。いつも通り数学はちょっと詰まってるけど。リィこそどうなん? 授業中たまに寝てるよね?」

「あはは……。地理があんま大丈夫じゃないや」

「地理ねぇ……確かにまっちゃんの声は眠くなるよね」

 私は起きてたし、プリント貸そうか? と僅かに口角をあげて微笑む君。いつもその優しさに甘えてしまうのだ。それは、今日も。

「是非お願いします」

「はーい」

 深々と頭を下げた私にいつもの調子で答える君の甘く低い声は、耳に優しく響く。

「リィにはいつも数学教えて貰ってばかりだからね、こういうところで返さないと。今日のこれもその一環だけど」

「はーい、お話中悪いけど先にアップルシナモンどうぞ」

 最後だけわずかに被り気味にかけられたお兄さんの声に、私は立ち上がった。ありがとうございます、と言いながら受け取る。ふわり、甘いシナモンの香りが鼻をくすぐった。

「あ、美味しそう。ねえリィ、りんご出て来たら一口ちょうだい?」

 無邪気な笑顔を向けてくる君に、私はつい「しょっぱいもの食べたいんじゃなかったの」と苦笑いを浮かべてしまう。

「別にいいじゃん。私のも一口あげるからさ」

「あ、じゃあ、ありがたくもらいます」

「よし、交渉成立。先食べてていいよ」

 座りなよ、と先程までいた椅子を軽く叩かれ、私は素直に頷いた。東京だとクレープの食べ歩きの店とかが結構あるみたいだけど、正直私は立ったままだとすごく食べづらい。

「ピザはあと3分くらい待っててねー、チーズ溶けないから」

 クレープの紙を剥く私をただ眺める君に、カウンター越しの声が届いた。君は立ち上がってカウンターに近づいていく。

 ちょっとした時間に話しかけてくれたり、そっとサービスをしてくれたり。そんな小さな気配りをしてくれる店。お兄さんの人柄もあって、私たちは月に一度くらいはこの店を訪れている。

「はーい。ねえお兄さん、来月の限定って何?」

「かぼちゃ。ハロウィンだからねー、どんなアレンジにするかはまだ悩み中」

「わ、楽しみ。中間終わったら絶対来ます」

「ありがとう。なんかアイデアある?」

 そうですねー、と二人の話が盛り上がるのを聞きながら、私はまだ少し暖かいクレープをそっとかじった。生クリームの控えめな甘さとシナモンの香りが広がる。美味しい。食べ進めるうちに、しゃく、と爽やかな音が口の中で鳴った。

「あ、りんご出たよ」

「ナイスタイミング! って、わあ!」

 ちょうど出来たらしいクレープを持ってくるりと振り返った君は、ドアの外を見て目を見開いた。

「綺麗な夕焼け!」

 その声に私も慌てて振り向く。いつの間にか窓の外は鮮やかなオレンジ色に彩られていた。

「え、わ、いつの間に」

「久しぶりじゃない? こんなにいい色なの」

「そうだね。こんなに綺麗なら明日も晴れるよね」

「だね。よかった」

 満面の笑みで顔を見合わせた私たちは、お互いにクレープを差し出した。


 茜色に染められた、ありふれた帰り道。

 私たちはゆっくりと、その道を歩いていく。

 いつもと変わらないテンポで。

 今日も、明日も。


 遠くから夕闇が迫り始めた空には、一番星が瞬いていた。

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茜色の帰り道 杠葉結夜 @y-Yuzliha24

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