3、≪少年と心臓・犬と魔法使い≫おまけ
歌声が聞こえる。
母達の歌声だ。
優しい、物語を語り聞かせる声。
祖母達の声だ。
エルトが育てられたのは、山深く、人里離れた場所にひっそりとある、とある集落だった。そこにはエルト以外の男というと、かつては色男だったと思われるやせ細った老人が、たった一人だけだった。
エルトは、たくさんの母と、たくさんの姉妹と、たくさんの祖母。それから、大勢の叔母と暮らしていた。ともかく、エルトにとって世界とは、ほとんどが優しい女性という存在だけで作られているものだと、そう思ってしまうような閉鎖的な村だった。
閉鎖的、と知ったのも、この老人がこっそりと教えてくれたからだ。
母も、姉も、祖母も、妹も、叔母も、エルトが老人と話すことを好まなかった。何かしら理由をつけては、彼を老人と引き離した。
老人が言うところによれば、この村の女というおんなは魔力を持ち、外の世界が男女半々で生きている中から、男たちを引き抜くだけ引き抜いてくるのだそうだ。そして自分たちの子供……この場合は娘を、自分たちに宿すために、外の世界の男を使うのだという。
老人はかつて男としての機能を失い、ここへ連れてこられたはいいものの、今日の今日まで彼女たちの装飾品として扱われてきたのだそうだ。装飾品、という言葉はその通りで、祖母たちはエルトと遊ぶのも好んだが、この老人としての気品や麗しさを湛えた存在と、ともに歩くのも好んだ。
この時だけは、祖母たちはエルトを邪険にした。
それはきっと、老人が男という性別だったせいだろう。
そして、祖母たちにとって老人は、永劫の夫だったのだ。
「エルト、あなたは、夢だけを追い求めていればいいのよ」
蜜のように甘い声で、母たちの中でも最も美しい者は、いつも囁いてきた。黒檀のように黒い髪を、腰より下へ、くるぶしより先へと、長く伸ばした美しい母であった。
しかしその通り、どっぷりと、女たちの作り出す甘く優しい世界に浸って生きてきた。エルトは、少なくとも、そうして生きてきた。
今日という日が来るまでは。
「ダンデリオン、もう、行こう」
エルトの声に顔を上げたのは、栗毛の犬だ。犬というには少し大きいが、オオカミというには優しい風貌をしている。その関節は人間と犬の中間で、器用に荷物を鞄へと詰めた後、静かにエルトの傍にやってきた。
「いいのか。別れは」
「……死体に別れを告げるのは、葬式だけだよ」
「彼女らに葬式は必要ねぇってことか?」
粗雑に笑う犬……ダンデリオンに、エルトは苦笑する。
「もし、もしあの人の話が本当なら、僕は今まで何もかもを、このひとたちに奪われていたことになる」
異変が起きたのは、昨日のことだった。
始まりは、一人の妹。目を閉じ、人形のように動かなくなった彼女に、女たちはおびえて逃げ惑った。
そうして、ただの1日のうちに、五十人は居たエルトの周りの女たちは皆、死んだ。
残されたエルトと老人。老人は、ようやく話せるとばかりに、エルトに女たちの秘密を告げた。
「彼女らは、皆、魔女だ。お前はとても上質で、このうえない、子供を産むための装置にされる予定だった。そのために、君の心臓は今、宝石になっている。君は心臓を抜き取られ、人としての時を止められてしまった。君は永劫、そのままだ。エルト、可愛そうな、いいや、幸運な、違うな。……知らされることのなかった少年よ、君の母たちは、祖母たちは、姉妹は、叔母は、君を間違いなく愛しそして……正しく道具として、大切にしていたよ」
それだけを、ようやくしゃべり切り。
老人は死んだ。エルトが看取り、ダンデリオンが穴を掘り、老人は土深く埋められた。
「あの人の話によると、僕の心臓はもう、どうにもならないんだろうね」
「さてな。ただ、その心臓の宝石とやらは、どうにかできるかもしれねぇし」
「そうだね」
エルトは、旅に出ることを決めた。旅の友は、このダンデリオンだ。夢うつつの中、ずっと抱きしめていた犬の人形は、魔女たちの死と引き換えのように、この狼の様な犬となっていたのだ。
「魔法使いが、本当にいるなんて」
「だって魔女が、本当にいるだろう?」
「その通りだな」
いこう。
エルトは、言う。
「魔法使いに、僕の心臓を、止めてもらおう」
少年はそして、歩き始めたのだった。
絵のための短編集 六角 @takuan10
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