追懐の街 ~君がいた街~

長束直弥

Town of reminiscence

君がいた街/The town where you were

 見慣れた風景が車窓に映る。

 あの時の私は、まだ僕であった。


 愛媛県の東端に位置する紙の街――。


 この街を離れてもう数十年――昔と変わらぬ駅舎が私を迎える。


 ホームに降り、渡り通路への階段を上る。

 改札口を抜け、駅前広場に立つ。

 目の前の通りは、海沿いの城山公園へと続く。


 駅前通りの商店街に足を踏み入れる――。


 ――たしかこの辺に楽器屋があったはずなのだが?


 朧気な記憶の断片が私の脳裏に語りかける。

 少しだけ歩いた所に、その店は現存していた。


 生まれて初めてレコードを買ったのが、この店。

 懐かしきターンテーブルの上で、そのレコードが回り始める。

 アコースティックギターがコードを刻み、ブルースハープが時を口遊む。


 ボブ・ディランの「風に吹かれて」――。


 頭の中で流れるその旋律と歌詞は、私の歩武とともにゆっくりと過去へと向かって行く。

 違和感のある現実と、朧気ない追懐ついかいの映像。


 駅前通りと栄町通りの交差点――。


 ――クリニック? ここは……、慥か映画館だったはずなのだが。


 過去と現実が混沌として入り混じり、私は何となく曖昧さと懐かしさが残っている風景に戸惑う。


 覚束無い記憶だけをたよりに、閑散とした通りの角を左に折れ、栄町に入る。

 栄町商店街――その名のとおり、この街で一番賑わっていた商店街だ。

 しかし、活気に満ちあふれ賑わっていたあの頃の喧噪は、今は無い。


 もう少し歩けば、私の卒業した小学校が見える――。


 ――はずだったが、その期待もはずれた。

 この辺りは大きく変わり果てていた。


 子供の頃の想い出を残す小学校の運動場は、今はもう何処にも無い。

 様々なビルと洒落た店とで埋め尽くされ、当時の様相は何処にも残っていない。


 その残映と地形を頼りに、なだらかな坂道を上る。

 坂の上には、予讃線の踏切。

 その踏切の中央に立つ。


 目の前に広がる景色が、あの頃の風景へと重なって現れる。

 言葉にならない言葉が、感情の高ぶりを導く。


 そこからは下りに変わる。


 坂道を下るほどにその風景は、私の記憶を中学時代へといざなう。

 

 私はいつのまにか僕になっていた。


 この道は、通学路――。 


 目の前の景色が、懐かしい想い出に溶け込んでセピア色に変わる。


 高等学校の手前の交差点を右に折れた先に、君と初めて出会った橋がある。


 金生橋きんせいばし――。

 

 僕の街と、君の街とを繋ぐ小さな橋。


 この橋の上で君と初めて出会った。

 中学一年生の冬休みだ。


 あれは慥か、正月のことだった。

 父親の言いつけで、隣町まで買い物に出かけることとなった。

 その途中の橋の上でのことだ。


 僕が漕ぐ自転車の前方から、一台の自転車がやってきた。


 すれ違うときに、その相手と目と目が逢った。


 その瞬間、胸の鼓動が耳許でも大きく脈打つ。


 僕は思わず自転車を止めて、振り返った。


 視線の先には、同じように自転車を止めて僕を見詰める君がいた。

 

 ふたりのメトロノームが同期して、一定の律動を刻みだす。


 僕と君との思い出は、ここから始まった――。


      *


 名前も知らぬあの時の君を、校舎の中に見つけた――。


 まさか同じ学校に通っているとは思ってもいなかった。

 あの時は、橋の向こうは学区が違うと思っていたから……。


 サッカー部の僕と、テニス部の君。

 生徒会では僕が委員長で、君は委員。

 僕が下校するときも、不思議と君とよく出交でくわすようになった。

 なぜだか、出会うことが増えていく。

  

 中学二年になって、貼り出されたクラス替えに、君の名前を探す。

 君と僕とは、一番離れたクラスだった。


 図書館で借りた本の貸し出しカードの中に、君の名前を見つける。

 それから、僕は図書館に通い始めた。

 借りた本には、いつも君の名があった。

 僕は本の世界で君を見ていた。


 ある日、中学一年のときに同じクラスだった女の子に、僕と交際したいと言っている人がいると、呼び出された。

 

 「僕には好きな人がいるから」と言って断ろうと、彼女の後をついて行った。


 そこに、君がいた――。


 ――えっ、まさか……?


 お互いに「好き」と口に出したわけでもなく、この瞬間からふたりの交際が始まった。

 

 手を繋いだこともない純粋な交際。

 ただ近くにいられるだけ、君の笑顔を見つけるだけで満足だった日々。

 そのおかげで、勉強にも運動にも力を注げられた。

 そんな中学二年生の、一年間だけの淡い想い出。

 

 クラブ活動を終え、二人だけで会話をしていた教室。

 その時、何処からか現れた女性教師に注意された。

 どうして注意されたのかもわからぬまま、その日を終えた。


 翌日、担任教師に職員室に呼び出され、「進学を控えたこの大事なときに二人の交際は認められない」と、彼女の両親が言っていると告げられた。


 その日から、彼女自身も僕のことを避けているように感じた。


 中学二年生も終わりを告げようとする季節の中――。


 校舎裏で何とか話すことができた君の口から、「高校に合格してからのお付き合いにしましょう」との言葉が涙と一緒に零れた。


 そんなころ、僕は父親から「仕事の都合で、この街を離れることになった」と告げられた。

 終業式のほんの数日前のことだった。


 終業式が終わって個々に進路指導を行っている最中に、父親から担任教師に連絡が入った。

 ほとんどの生徒が帰った後のことだった。


      *


 小雨の降る旅立ちの日の夕暮れ、別れを告げるために、君の家のすぐ近くまで行った。

 そこで、楽しそうな家族の笑い声が家の外まで聞こえてきた。

 僕は、心の中で「・・・・」と呟いて、その場を離れた。

 その夜、僕と家族を乗せた夜行列車は、静かにこの街を離れていった。


 ――あらから、どのくらい経ったのだろう?


 故郷の街を歩く。

 数十年ぶりに訪れたこの街。


 君がいた街――追懐の街。


 君に偶然出会えたならば……、ふと、そんな思いが私の脳裏を掠めた。


 追懐の街を彷徨い続け、知らず知らずのうちに私は、視線の先に君の姿を探していた。


 その時、私の後ろで一抹の風が吹いた――。


 どんなに季節が変わっても、どんなに眠れぬ夜を数えても、私の中の僕は、君に「さよなら」と呟いている。


 今でも君はまだ、この街にいるのだろうか?

 

 私は今、何処にいるのだろうか?


 その答えは今も、風に吹かれて――。



          <了>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

追懐の街 ~君がいた街~ 長束直弥 @nagatsuka708

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ