くそったれ東京

ボンゴレ☆ビガンゴ

くそったれ東京

 千年の都。 京都。


 平安京から江戸時代まで、日本という国を形成してきた歴史・文化の中心地である。


 国内外から訪れる観光客は年間5000万人を超える。

 日本人の大多数は中学ないし高校の修学旅行で訪れるし、アメリカの雑誌のアンケートでも人気観光都市ランキングで二年連続一位を獲得しており、外国人観光客もこぞって訪れる、名実ともに日本を代表する観光地でもある。


 京都には伝統的な美しい仏閣、四季の移ろい、そういった日本の美しさが、全て揃っていて、まさに日本の「美」を凝縮した空間と言って間違いない。


 ……だが、私は京都に行ったことがない。そんな事を言うとまるで非国民の様に罵倒される……なんて事はないけど、かなり驚かれる。


 中学の修学旅行は長野県に農業体験。高校の修学旅行は長野県にスキー旅行。

 運が悪かったと言えばそれまでだが、社会人になった今でも京都へ行く機会というのが一度もなかった。

 日本人の休みの少なさは外国にも知れ渡っていると思う。私も例外ではなく、休みなど月に五日から六日だ。

 有給などなかなか取れない中で、京都にまで旅行などいけるだろうか。否、いけない。本当に日本はくそったれな国なのだ。


 それでも、私も日本人であるから京都の美しさは知っている。

 日本人には馴染みの深い「そうだ、京都、行こう」というキャッチコピーのCMは、毎年の様にテレビから流れ、四季折々の美しい映像が最新技術で映し出されている。

 だから行った事もない街なのに、私はその美しさは知っているのだ。


 三島由紀夫は「金閣寺」の中で、美の象徴として金閣を描いた。

 主人公の少年は憧れの女性に対し「金閣の様に美しい女性だ」という少々滑稽な思いまで抱く。

 だが、そこまで病的ではないが、日本人の心の中には、金閣を含む仏閣が点在し雪景色や鮮やかな紅葉で彩られる京都という街はがいつも「日本の美」として君臨している。


 東京の片隅に住む私から見ても、京都という街、京都という発音の響き、京都という単語、それら自体が「日本の美」を集約したかのように煌めきを放っているように思える。


 だが、もう一度言うが、私は京都に行ったことがない。

 私が住むのは東京の片隅だ。

 第二次世界大戦でアメリカに焼かれた街、東京だ。

 戦後、ウジ虫の様に湧いて出た灰色のビルの群れと、眠らぬネオンの輝きを隠れ蓑に、汚職に塗れた街、東京だ。

 町中に電信柱の木が植えられ、空には電線が有刺鉄線の様に張り巡らされ、逃げ場をなくしたサラリーマンが満員電車に押し込められ家畜の様に暗い溜息をつく、そんな色の無い街、東京だ。


 見渡せば、なんでも揃う街、東京。

 だからこそ、なんにもない空っぽの街、東京。


 それなのに、それなのに、私はいつもこの街を愛おしく感じる。

 この街には京都の様な美しさは無い。歴史も無い。風光明媚な景色を感じる場所も無い。

 だが、この街にも『美』は溢れている。

 それは京都に無い『美』ではない。

 この街にしか無い『美』でもない。

 ここにあるのは日本中どこにでもある、でも日本にしかない固有の『美』だ。


 仕事帰りの疲れた身体を引きずり歩く夕暮れ時、私はふと感じることがある。


 茜に染まる西の空に寝ぐらを求めてカラスが飛んでいく。

 狭い家々がぎゅうぎゅう詰めにされた路地裏から醤油や味噌の匂いが立ち上り、夕食の時を告げている。

 キャッチボールすら出来ないような小さな公園に集まり、膝を寄せ合いテレビゲームをする子ども達の笑顔が弾けている。

 遥か昔の流行歌を口ずさみながら歩く老人が手押し車を曲がった背で押している。

 隠れる様に狭いアパートに垢抜けない大学生が眠たげな目をこすりながら入っていく。

 5時を知らせる鐘の音。子ども達に帰宅時間を告げるあのメロディー。

 毛繕いする野良猫ののんびりした顔。

 リヤカーを引く豆腐売りのあの笛の音が聞こえる。

 ネギの飛び出した買い物袋をカゴに乗せた自転車の主婦が家路を急ぐ。

 どこかで錆びた自転車のブレーキ音がする。


 無意識に紡ぎ出されるのは掛け替えのない日常という名のオーケストラ。


 本当の日本がここにあるのだ。


 歴史の上に築き上げられた確固たる美しさ。

 ピカピカに磨き上げられた人工の美しさ。

 どちらも日本の素晴らしい技術が生み出す美の姿だ。

 だが、ありふれた生活に塗れたこの汚い町にも、日本の美は確かに宿っている。


 特別じゃない街。でも私にとってかけがえのない街。

 日本中にいる「私」にとってかけがえのない美。


 四季に彩られる植物や景色の美しさ。

 春は桜、梅雨は紫陽花。夏は向日葵、秋は金木犀、冬は椿。そして、春の訪れと共に梅が咲き再び桜が咲く。

 特別じゃない。どこにだって同じ様に季節が巡る。

 それこそ狭い島国、日本の姿なのだ。


 時に愛し、時に憎み、時に逃げ出したくなる。

 くそったれな街。東京。


 私の街。私の物語が紡がれる街。

 くそったれな街、東京。



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