音の波を生む

 音楽を始めた理由は何だったのだろうかと回顧すれば、おそらくは幼いころに聞いた音楽が理由だった。なぜ『おそらく』なのかというと、動機の中に『女にモテたい』というのがあるのは否めないのである。中学生男子としてごく当たり前の衝動だった。

 今はもう引退しているバンドだが、当時の衝撃は何とも言えない物だった。当時の風刺ともいえる歌詞と、派手なギターやドラム。そういった普通ではない何かに惹かれ、そしてそれが凄いロックだという情熱が植え付けられた。

 高校になってからその情熱は加速し、同じ情熱を持つ仲間を探してバンドを組む。楽器を買う金もなく学校のクラブで練習したあの頃。技術なんて当然なく、ただ我武者羅に楽器を兼ね出ていた毎日。文化祭の出し物の為に夜遅くまで残り、先生に怒られた日々。

 バイトをして初めて自分の楽器を買ったときは、一つの達成感があった。自分の初めての相棒ともいえる楽器は、手入れの仕方も知らなかったゆえに寿命は短かった。それでも一緒に過ごした日々は、今でも思い出せる。

 仲間もいろいろ変わった。学校卒業と共に別れた者もいれば、続けた者もいる。新たに参入した者もいれば、喧嘩別れした者もいる。結婚した者もいる。挫折した者もいる。今では連絡がつかない者もいる。呼べばすぐに会える者もいる。

 そんな音楽生活ももう二十年になるのだろう。初めて音楽をやりたいと思ってから、今まで。

 プロになれたわけじゃない。音楽が本業なわけじゃない。本業を別に持ち、音楽が趣味なそんな音楽生活。それでも楽器を離せないのは、当時の気持ちが残っているから……というわけでもない。もっと単純な理由だ。


 音楽が好きだからだ。


 五月の青天の下、機材を運びながら今更ながらに手が震えていつ自分に気づく。

 高槻ジャズストリート。この日のために練習を重ねてきた、いわば本番。

 何度繰り返しても、本番前の緊張には慣れない。ここで失敗したら練習が無駄になる、という思いがいつまでたっても抜けない。

 仲間には『気楽にいこうぜ。死ぬわけじゃないし』と緊張をほぐすようなことを言いながら、自分自身が緊張がほぐれていないという体たらく。情けないったらありゃしない。

 深呼吸をして、定位置につく。手のひらには触り慣れた楽器の感覚。

 緊張が最高潮に達する。自分に注目する人たちの視線と、期待の熱気。跳ね上がる心臓と、震える手。


「スリー・ツー・ワン・ゼロ!」


 だがそれも、楽器を奏で始めればすべて消える。

 自分から、仲間から生まれる音の波が場を包み込む。その波に乗り、熱狂する観客達。

 音楽が好きなのは自分だけじゃない。仲間も、そしてここにいる観客達もそうなのだ。この場全てが一つの音の海となり、一緒に音楽を楽しむ空間となる。

 緊張も手の震えも、全てこの波が攫って行った。あとは四分二十八秒をこの熱気のままに駆け抜けよう。


 そして熱気は、この高槻の町いたるところで生まれている。

 この日、高槻は音の海に包まれていた。

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音楽の海の中で どくどく @dokudoku

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