39

「……そう、そんなことが……」

 ソファに座る美沙が、互いの事情を知り、沈痛な表情で俯いた。

 美沙はフェルディナンド輝彦と会うことが叶わなかったのだ。歯痒くてたまらないだろう。

「悠太……」

 俯いたままの美沙が呼ぶ。

「何? 母さん」

「……どのがあんたのお嫁さんになってくれるの?」

「はぁっ!? 何、言ってんのっ!?」

「だって、みんな、そのつもりみたいよ?」

 ほら、と美沙が顔を上げて、周囲を見る。

 ジョルジョアンナを除く全員が、自分を選べ、と血走った眼で凝視してくる。

「いや、そんな……」

「誰なの? 早くしないと次元門ゲートが閉じちゃうわよ?」

「選ばなくていいわ、天野くん。私と一緒に帰りましょう……ここはとても危険だわ」

 ニヤニヤする美沙を余所に、綾乃が眼鏡を人差し指で押し上げながらリノン達を一瞥する。

 実はこの二人、輝彦と同じ『世界防魔機構』の人間であった。

 美沙は、輝彦も在籍していた開発研究部長を務める幹部で、綾乃は戦闘部隊に所属している。

 その実力を買われた綾乃は、これまで悠太を陰ながら護衛していた。

 幹部の息子となれば当然であるが、同級生の女子が自分のボディーガードをしていた事実に、悠太はめっぽう驚いた。

 その綾乃だが、悠太がヨハンと出会った日、たまたま部隊会議に出席していたため、悠太の護衛をすることができなかった。代わりの者を寄越そうにも、急な会議であったため、見つからず、一日くらい、と気を緩めたのが仇となった。

 悠太がいなくなったことを最初に知ったのは美沙だった。家に帰り着いた途端、警察から連絡が来たのだ。

 美沙はすぐに警察署へ行き、事情を聞き、遺留品である悠太の制服と鞄を受け取った。

 そして制服からヨハンの残り香を検知し、悠太が異世界に連れ去られたことを知った。

 形ばかりの捜索依頼を出した後、美沙は綾乃とともに悠太を捜しに行く決意をする。

 しかし、許可が下りなかった。

 『世界防魔機構』は専守防衛を原則とし、異世界等への干渉を禁じていたのだ。

 それでも我が子を思う美沙は、最高責任者へ「世界防魔機構のことを世間にバラす」とほぼ脅す形で許可を得た。

 そして輝彦が開発に失敗した位相空間発生装置を異世界へ渡航できるように改良させた。

 それから三十三回ほど別の異世界へ飛び、ようやく辿り着いたのであった。

「……でも、そうね……全ては私の油断が招いたこと……」  

 思い直した綾乃は、刀を脇に置くようにして、悠太に対し土下座する。

「ちょ、ちょっと、今井さんっ! やめてよ、そんな大げさだよ!」

 悠太は焦ったが気付いていない。綾乃がしれっと三つ指をついていることを。

「いいえ、今回のことを強く反省したわ。これからはより近くで天野君を守らないと」

 それはリノン達に対する宣戦布告であったが、当の悠太は持ち前の鈍さから、やはり気付けない。

「さあ、早く帰りましょう」

 綾乃が立ち上がり、悠太の手を取る。

 途端にリノン達から鋭い視線を浴びるが、綾乃はどこ吹く風である。

「でも、この姿じゃ……」

 悠太は猫耳と尻尾を気にした。

「それは問題ないわよ」

 美沙が悠太の猫耳を摘み、引っ張り上げる。

「うひゃっ!?」

「我慢しなさい。男の子でしょ?」

 くすぐったくて悠太は声を上げるが、美沙は構わずさらに引っ張った。

 すると、すぽんと猫耳が抜け、黒く美しい毛並みのヨハンが姿を現わす。

「「「「「「「取れたっ!?」」」」」」」

 ヴェルバリタ側の全員が、尻尾までも消えた悠太を見て声を揃えた。

「よっと」

 美沙はヨハンを抱え直す。

「みゃぁ! みゃぁ!」

 しかしヨハンは、嫌がるように悠太へ前足を伸ばした。

 あんなにも悩んでいたことが、こんなにもあっさりと解決し、悠太は唖然とする。

 その悠太を美沙がまんじりと見つめる。

「………………うーん」

 何か納得のいかない様子の美沙が、ヨハンを悠太の頭の上に乗せた。

 するとヨハンの姿が消え、再び悠太に猫耳と尻尾が生える。

「ちょっ!? なんで戻すのっ!?」

「この子が『悠太の中がいい』って言うもんだから……うん、やっぱりコッチの方がいいわ」

「そうだよ! ゆーくんには、猫耳と尻尾がないとね!」

「ああ! 全くもって、陛下のおっしゃるとおりだ!」

「わたくしも異論はありませんわ!」

 リノン達が同意すると、コーデリカとナターシャ、ジョルジョアンナまでもが首肯した。

 ものすごいアウェイ感に、悠太はシュンとなった。

「そんな落ち込まないの。いざとなったら薬か高次元力で、他の人から見えなくすることだってできるんだから。で、どうするの? 誰を選ぶの?」

 美沙がさらにニヤニヤする。

「いや、だから――」

「ゆーくんっ!」

 どうしてそういう話の流れになっているのか、と反論しようとした悠太の手を、リノンが綾乃を押しのけながら掴んだ。

「『ずっと傍にいるから一緒になろう』って、玉座の間でプロポーズしてくれたよねっ?」

「へっ!? 僕、そんなこと言ってないよっ!?」

 正しくは〝傍にいることは出来るから一緒に行こう〟であるが、リノンの脳内では、大いに都合良く変換されていた。

「言ったよっ! だから、ゆーくんは責任を取って、わたしのお婿さんになるのっ!」

「いやいや、ユータと一緒になるのは私でしょう?」

「アメリー、あなたはユータ殿の姉になりたいのではなくて? 姉弟で婚姻など、出来るわけないでしょうっ?」

「それは血が繋がっている者の話だろう? 私とユータは血縁者ではない!」

「ほえ? アメリーちゃんって、ゆーくんと本当の姉弟になりたかったんじゃないの?」

「それは違いますぞ! 姉は姉でも、姉さん女房になりたいのです!」

 最早、〝姉〟とつけば何でもいいらしいアメリーが、鼻息荒げに言い切った。

「無茶苦茶ですわっ!?」

「そうだよっ!! アメリーちゃんは、ゆーくんとくっついちゃダメ!」

「お言葉ですが、ユータは貴族ではないので、陛下ともご一緒にはなれません」

「それを言うなら、騎士であるあなたもでしょうっ? その点、平民であるわたくしは何の問題もありませんわ!」

「そうですわね。ならば当然、わたくしも大丈夫ですわよね」

 ヴァレンティーネが勝ち誇ると、コーデリカも口元の手を添えてニヤリとする。

「お母様っ!?」

「あら? 何か不満でもあるんですの? わたくしだって、もう一花くらい咲かせても……」

「フン、年増はお呼びじゃないな」

「年増言うな! この小娘がっ!?」

「あの……でしたら間をとって、わたくしがユータ様と……」

 おずおずと挙手するナターシャへ「ダメっ!!」とリノン達の声が揃う。

「チッカ、ユータ、お似合い」

 見た目的に近いチッカが、ふふん、と得意げにぺったんこな胸を反らすと、綾乃が鼻で笑う。

「あなた達がどれだけ言い寄っても無駄よ。天野君と結ばれるのは、ずっと見守ってきた私以外にはありえないわ」

「ちょ、ちょっと、待ってよ、みんなっ!」

 揉めに揉める一同を、悠太が両手をバタバタさせて割り込む。 

「……あのさ……ひょっとしてだけど……みんな、僕のことが好きなの……?」

 彼女達は揃って、何を今更? といった体で首肯した。

「ほえっ!?」

 絶対にそんなはずはないとタカをくくっていた悠太が、リノンみたいな声を上げる。

「もう~、ゆーくんってば、わたしのこと真似したくなるほど好きなの~?」

「え? いや、今のは別に真似したわけじゃ……」

「うふふ、照れなくてもいいんだってば~!」

「陛下、ユータは照れてなどおりません。むしろ困っております。やはりここは私がユータと一緒になって、陛下をお支えしていくべきかと……」

「いいえ! ユータ殿はわたくしの伴侶となり、わたくしとともに『アレキサンドライト』を切り盛りしていくのですわっ!」

「はいはい、そこまで~!」

 でへでへし始めるリノンにムカッときた様子のアメリーとヴァレンティーネが張り合ったところで、美沙が両手を鳴らした。

「で、あんた、結局どうするのよ?」

「ぼ、僕は……」

 言い淀む悠太に女性陣の目が集まる。

「あのとき……首輪に絞め殺されそうになったとき、願ったんだ……りっちゃん達を救えるなら元の世界に帰れなくてもいいって……だけど、母さん達が迎えにきてくれた……正直、迷ってるんだ……だから、誰かを選ぶとか、そういうのは、ちょっと考えられないかな……」

 それは悠太の率直な思いであった。

 ゆえにリノン達は顔を曇らせた。

「……しょうがないわね。綾乃ちゃん、プランEでいくわ」

「正気ですかっ?」

「ええ」

 驚く綾乃に美沙は平然と頷いた。

「母さん、そのプランEって何?」

「悠太が『世界防魔機構』の大使として、ヴェルバリタに残るってことよ」

「えぇええっ!? なんでっ!?」

「そんな答えでみんなが納得するわけないでしょ? もっと女の子の気持ちを勉強しなさい」

 美沙の言葉にリノン達が力強く頷く。

「でも、次元門だって、もうすぐ閉まっちゃうんでしょ?」

「閉まっちゃったら開ければいいだけのことよ。座標はしっかり覚えちゃったし~」

 美沙は、してやったとばかりに舌を出した。

 悠太は、彼女にからかわれたことを理解し、がっくりとうなだれた。

「あ、でも高校は行くのよ。できれば大学も」

「それって、こっちに住みながら向こうの学校へ通えってこと?」

「そうよ。だから綾乃ちゃんも、こっちに残って悠太に付いてあげて」

「そういうことでしたら異論はありません。謹んで拝命します」

 ビシっと綺麗な姿勢で敬礼してみせる綾乃。

 リノン達は気に入らないとばかりに綾乃を睨み付ける。

「じゃが、そうなるとお前さん方の上役が黙っておらんのでは?」

 そこで、ずっと沈黙していたジョルジョアンナがもっともな質問をする。

「ご心配なく。こういった事態も想定して、上に許可をもらいましたから」

 美沙はにこやかに返して続ける。

「今は無理かも知れませんが、いずれは共に手を取り合えるように話をすすめていくつもりです……私達も、いつまでも受け身では、時代に取り残されてしまいますからね」

 この『世界防魔機構』の大転換は、そう遠くない未来に実現することになる。

「じゃあ、向こうの世界のお父さんとお母さんに会えるってことっ!?」

「確約はできないけど、そうなるように努力するわ」

 驚愕するリノンに美沙は頷く。

「……もう一度、会えるんだ……!!」

 喜びに打ち震えるリノンの肩を悠太がぽんと叩く。

「よかったね! りっちゃん」

「うん……うんっ!」

 感極まったリノンは悠太を抱きしめた。

 そして泣きながらも、猫耳と尻尾をモフモフし始める。

「あひゃっ!? ど、どさくさに紛れて触らないでよっ!?」

「どさくさじゃないよ! これはヴェルバリタを救ったゆーくんへのご褒美だよ」

「今の僕には拷問だよぅっ!?」

「んもぅ~、ケチケチしないでモフモフさせてよ~!」

「だ、だめっ、ひゃぅっ!?」

 嫌がる悠太に構わず、リノンはさらに悠太をモフモフする。

 あたかも自らが悠太に相応しいことを悠太本人に刷り込んでいるようだ。

 ゆえに皆が黙っていない。

「陛下っ!! 陛下にはルバチア復興という大事な使命がございますっ!! ユータは私めが責任を面倒をみますゆえ、どうかご専念くださいっ!!」

「アメリーこそ新生ルバチア王立魔導騎士団長に就任したばかりで多忙の身でしょう? ユータ殿にはわたくしがついていますので、安心して職務を全うしなさいな!」

「いいえ、それは認められませんわね。ヴァレンティーネ、あなたには今日付けで『アレキサンドライト』のギルドマスターになっていただきますわ。ユータちゃんはわたくしに任せて、ミルドフォードへお戻りなさい」

「ヴァレンティーネ様がミルドフォードにお帰りになるのでしたら、わたくしめは、お暇をいただきたいと思います。これからはユータ様のおそばに……」

「メイド、いらない! チッカ、いる! 強い子、産むっ!!」

「無理ね。あなたと天野くんは〝種〟そのものが違うもの。この中で一番天野くんに相応しいのは、やはり私しかいないわ」

「いや、見たところ、このコは人の子を宿すことが出来るみたいよ……まぁ、私としては、元気で可愛い孫を産んでくれるんなら、誰が悠太と一緒になっても構わないんだけどね」

 皆、〝私が私が〟状態で悠太を囲みつつモフモフする。

 しかも美沙の一言で、俄然テンションが跳ね上がってしまう。

 おかげで幾つもの手が無遠慮に触れ、その度に痺れるほどのくすぐったさを味わう悠太はたまったものではない。高次元力で輪の中から抜け出すと、窓を開けてその縁に手足をかけた。

「あ、ゆーくん、逃げちゃダメっ!!」

 呼び止めるリノンを筆頭に女性陣が詰め寄る。

 だが、その手に捕まる前に悠太は外へと飛び下り、着地と同時に駆け出す。

 そして振り返り、言ってやった。

「もうっ! モフモフしないでっ!!」

 

 こうして黒猫の少年と、彼を取り巻く者達の物語は幕を閉じる。

 しかし、彼らの忙しなくも満ち足りた日々は、これから始まるのであった。

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モフモフしないでっ!! 吉高来良 @raira_yoshitaka

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