38

 右下には、〝フェルディナンド・イッヒゲルト〟のサインがあり、悠太の零した涙で滲んだ。

「やっぱり…………父さんだったんだ……!!」

 悠太は手紙を握りしめ、声を殺す。

 しかし、憚らず泣く者がいた。

「ぶぇええええええっ!! でるびごおじざぁあああああああああああああん~っ!!」

 リノンである。

 輝彦と悠太の母である美沙とも面識があるだけに、その悲しみを理解できたのだ。

 リノンが盛大に涙と鼻水を垂らすので、悠太の頭頂部はぐしょぐしょになった。

 おかげで悠太は哀傷に浸ることもできない。

 見かねたアメリーが、リノンの顔と悠太の頭をハンカチで拭い、ヴァレンティーネが「拝見してもよろしいですか?」と聞いてくるので、悠太は皺を伸ばして手紙を渡した。

 それから手紙は、その場にいた全員が目を通すこととなった。

 ジョルジョアンナを除き、皆、戸惑いを隠せない様子である。

「別の世界からやって来たというのは、本当だったのか…………」

 アメリーが皆の気持ちを代弁する。

「え? アメリーさんって、ジョル婆から僕のこと、聞いてたんじゃないんですか?」

「いや、ソフィとの会話で初めて聞いたが……」

「そうなんですかっ?」

「ワシと陛下を除けば、フェルディナンドの手紙にあったとおり、お前さんの素性は『夜明けの月』の幹部しか知らん……ま、その幹部も今となっては誰もおらんがのう……」

 補足したジョルジョアンナが仲間の死を悼んでか、一瞬俯いたが、すぐに悠太に向き直り、頭を下げた。

「どうであれ、ワシがお前さんを騙したことには変わらん……すまん、ユータ」

「……頭を上げてくださいよ、ジョル婆」

「いや、ワシはどんな罰でも受けるつもりじゃ。お前さんの気が晴れるなら、いくらでも打ってくれてかまわん!」

「そ、そんなことできませんよ!」

「それではワシの気が収まらん! さぁ、煮るなり焼くなり好きにしておくれ!」

「嫌ですってばっ!」

 悠太はジョルジョアンナの顔を覗き込むようにして続ける。

「確かに最初から教えてくれれば、僕も猫の手をもっと上手に使いこなせたかもしれません。救えた命だって、たくさんあったと思います……でも……」

 全ては過ぎたことだ。神威をもってしても、時間を巻き戻すことなど不可能である。

「……とにかく、ジョル婆は悪くないんですから、頭を上げてくださいよ。ね?」

「……うぅ……ユータ……」

 悠太が笑ってみせると、ジョルジョアンナはその場に跪くように崩れ、目元を覆った。

 しんみりとなった雰囲気をコーデリカが壊しにかかった。

「ところで、ユータちゃんはこれからどうするんです? やはり元の世界に帰りますの?」

「…………それは――」

「ゆーくん、帰っちゃうのっ!?」

「私の弟であることが、そんなに嫌なのかっ!?」

 悠太の返答を待てないリノンとアメリーが、捨てられた子犬のような顔を向けてくる。

 すると、ヴァレンティーネが、悠太の手を取る。

「わたくしはユータ殿の行くところであれば、どこへでも参りますわ!」

「なっ!? 貴様っ!! 汚いぞっ!?」

「そもそもヴァレンティーネちゃんには『アレキサンドライト』があるでしょっ!? そんなホイホイとゆーくんに付いて行っちゃっていいのかなっ!?」

 ルバチアのことがあるため、ホイホイと悠太に付いて行けないアメリーとリノンが、ヴァレンティーネをキッと睨む。

「リリアーノン陛下の言うとおりですわね。ヴァレンティーネ、あなたはいずれ『アレキサンドライト』を背負って立つ身ですのよ?」

「お母様……」

 その使命を忘れるな、とコーデリカに言い含められたヴァレンティーネがしゅんとなり、悠太の手を離すと、リノンとアメリーが「うんうん」と肯く。

「ですから、代わりにわたくしがユータちゃんに付いて行くことにいたしましょう!」

「お母様っ!?」

 漁夫の利を狙う実母に、ヴァレンティーネが衝撃を受ける。

「それはルバチア女王として、絶対に認められないよっ!!」

「私も陛下に賛同いたします! おそらく、またユータに『あ~ん』とかするつもりですぞ、この年増はっ!」

「誰が年増ですってっ!?」

 権力を笠に着たリノンに同意するアメリーの一言が、コーデリカを心底怒らせた。

 四人は互いに睨み合い、火花を散らし始める。

 と、そこでコーデリカの向かいのソファでグースカ眠っていたチッカが目を覚まし、誰もいない壁を四つん這いで睨み始めた。

「チッカ、どうしたの……っ?」

 悠太が尋ねた途端、壁が光った。 

「わっ!? まぶしっ!?」

「な、何事ですのっ!?」

 リノンとヴァレンティーネが声を上げ、全員が目元覆うが、次第に光は収束する。

 そして壁に青白く光る五芒星が浮かび、一人の人物が姿を現す。

 それは、栗色のショートカットに眼鏡をかけ、見覚えのある制服に身を包む少女であった。

「今井さんっ!?」

 今井さんこと今井綾乃いまいあやのは、悠太がヨハンと出会った日の昼休みに、コッペパンをくれたクラスメイトである。

「迎えに来たわ、天野君」

「迎えに来た……!? って、どういうことうわっ!?」

 リノンの拘束から解かれた悠太は、五芒星から飛び出した何かに突き飛ばされた。

「悠太ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

「ふががっ!? ふがっ!! ぷはぁっ!! って、母さんっ!?」

 押し倒される形となった悠太は、例のごとく息が出来なくなったが、どうにか頭を動かして、抱きついてくる人物――リクルートスーツの上から白衣を羽織る母・美沙みさを見て驚愕した。

「うわーんっ! 悠太ぁ~! 無事でよかった~っ!」

「ちょ、母さん!」

 号泣し始める美沙に悠太が慌てる。

 しかし、美沙は悠太を離さない。涙と鼻水を擦りつけるようにして力を込める。

「あんた、勝手にいなくなっちゃうんだもんっ! もう、私を一人にしないでよ~っ!」

「わかった! わかったからっ! 落ち着いてよ、母さんっ!?」

「何でそんなに邪険にするのよ! 母さんのこと嫌いなの?」

「そ、そういうことじゃなくて……ほら、みんな見てるし……」

 悠太が振り返ると、皆、揃ってぽかーんとしていた。

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