第6話

 長崎を離れる朝、朝食後の紅茶を最後まで楽しんでいた晴治の元へ、世にも美しい双子の姉妹がやってきた。

「市長さんにもご相談して、この屋敷は手放すことにしました」

「亜里栖さんも、それで納得されているんですか?」

「ええ。二人で決めました」

 亜里栖はそう言ってどこか悲しそうにも清々しくも見える笑みを浮かべた。

「私たち二人で暮らすには元々広すぎましたし……この家にいる限り、私たちは、いつでももう一つの世界に迷い込んでしまいそうな気がして……少し、怖いんです」

「そうですか……。大切な思い出もおありでしょう。こんな素晴らしいお屋敷に泊めて頂いて、僕も甥も素晴らしい経験ができました。残念な気もしますが、お二人で決めたのなら、それが一番でしょう」

「ありがとうございます。屋敷は、できれば美術館や展示施設にして頂ければと思っています。うちの家系は、皆、物を集めるのが好きだったようですから」

 真利亜は言いながら亜里栖と顔を見合わせ悪戯をした子どものような顔で笑った。

 天は二人のそんな笑顔を初めて見た気がした。

「それはいいですね。建物も勿論ですが、調度品も素晴らしいものばかりでしたからね。文化財としては申し分ないでしょう」

 恐れ入ります、とそっくりな声が同時に笑った。

 迎えの車が来ると、真利亜と亜里栖は矢崎とともに二人を見送りに屋敷の外に出た。

「先生には、何とお礼を申し上げればいいのか……」

 真利亜の言葉に、晴治は首を横に振る。

「僕はただ本当のことをお二人にお伝えしただけです。これから始まるのが、貴方方の本当の世界です。たくさんの愛と幸せが、お二人と矢崎さんに訪れるように祈っています」

 ありがとうございますと三人は深々と頭を下げ、車が見えなくなるまで手を振り続けた。


 「いつから、気付いてたの?」

 飛行機の中で、天はお土産として貰ったシナモンクッキーを幸せそうに頬張る叔父の横顔を見た。

 「何にです?」

 「何に、っていうか、全部。全部だよ。何もかも」

 今さら何を言うんだと、天は苛立ちを覚え叔父の手から紙袋を取り上げた。叔父は名残惜しげに取り上げられた袋を見、自分の指を舐めた。

 「僕は一度でも会ったことのある人は忘れません。だから、あの夜、庭で会ったのが亜里栖さんではないとすぐにわかりました」

 気付いてたのに黙ってたなんてずるい、批難を込めた眼差しで天は叔父を見つめる。晴治は意に介した様子もなく、ポンという音を立てておしぼりを開け手を拭いた。

 「天くんを騙そうとか、他意があったわけじゃないんです。ただ」

 「ただ?」

 「人様の家庭の事情に興味本位で立ち入らないようにと、天くんのお母様にいつもきつく言われているもので」

 そんな約束守ったことないくせに。

 この叔父には、理屈でもへ理屈でも勝てないことは知っている。叔父が暴走しないように押し留めるのが、自分にできる唯一の親孝行かも知れないと天はたまに思う。

 「亜里栖さんは、いろいろ嘘をついていましたから、それが気になったと言えば気になりましたけど」

 「嘘?」

 ええ、と晴治は紙コップに入った紅茶をすすりながら少しだけ顔を顰めた。

 「どうしたの?」

 「毎日高いお茶を頂いていたせいですね。もう今までと同じものは飲めません」

 残念そうにため息をついた晴治の紙コップを天は取り上げた。

 「嘘というか、秘密というか。まずは、真利亜さんの存在を隠していたこと、それから、家族の写真は部屋に飾ってあると言ってましたが、そんな物どこにもありませんでした。それだけでも何か、家族に対して、対外的な意味で秘密があり、嘘が必要な人なんだろうと思いましたね」

 「へぇ」

 やっぱり天才と変人は紙一重なんだなと改めて天は思った。そして物言いたげな眼差しを手元の紙袋に注ぐ叔父にため息をつき、

 「全部食べちゃダメだよ」

 そう言って紙袋を返してやった。変人は嬉しそうに頷いて紙袋に手を入れた。

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アリスの世界、別れのワルツ 西條寺 サイ @SaibySai

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