第13話 溢れ出る妻感。

 7月7日午後1時58分。

 俺はTOHOシネマズのロビーにいた。今日は木曜日だが、これから映画を見る。

 山中アカリと。


 山中さんからLINEが来たのは昨日の夕方だった。

 俺は台所にいた。晩飯用の野菜炒めを作っていて、鶏胸肉を細めに刻んでいるところだった。

 サンがやって来た。

「ちょっとあんた」

 近所のおばちゃんかよ。

「女の子からLINE来てるよ」と言って俺のスクリーンにメッセージを出した。


 あかり:あした、映画館いかない?


 平日に大手を振ってスカスカの映画館に行けるのは、大学生の特権だ。学生料金だし。

 しかし、山中さんとは、これまで映画を一緒に見に行ったり、ということはないので、俺は驚いた。

「ほう…、映画ねえ」

「どうするの? 行くの?」サンは俺の脇腹をつつく。

「いや、待て。そう急くなよ」

「映画、映画ー」

「別に、お前と行くわけじゃないぞ」

「わかってるわよ、そんなの。さすがに空気読むわよ」

「いや、空気とかじゃないから」

「照れるなよー。私は、ご主人様が女の子から声がかかるようになって、嬉しいのさ」

「そんなんじゃないだろ。単純に、なんかヒマだったんじゃねえの?」

「わかんないよ、そんなの。とにかく返信しようよ。乙女を待たせちゃいかんよ」

 サンに半ばせっつかれる形で、俺は返事をした。もちろん、行く方向で。何度かやりとりした結果、山中さんも木曜は授業が3限に終わるとわかったので、大学最寄りのシネコンで待ち合わせることした。


 実は、小生、女性と二人で映画に行くのは初である。

 朝、鏡に向かって着替える俺を見てサンは言った。

「うーむ、馬子にも衣装だね」

 こいつ、オッサンみたいな言い回しをするな。設計者アーキテクトの趣味なんだろうな。

 ちゃんとした格好の方がいいだろうと思い、俺は白いポロシャツに青いチノパンを履いた。

「はは、頑張っていってきたまえー」

 といってサンは俺の右腕に腕時計をはめた。大学に行き始めてから、外出時はもっぱらこいつが携帯代わりだ。サンは別に外に出たがるわけでもなく、出たがらないわけでもない。

「いってらっしゃーい」溢れ出る妻感。


 時計の数字が2時に切り替わる瞬間、山中さんは到着した。

「すごい。時間ぴったりだ」

「はは。別にすごくないよ。アプリのおかげだよ」

 そうかもしれない、と俺は思った。確かに、この世界の地図アプリは、元の世界より精度がいい。持ち主の移動スピードを正確にトラックしているし、車の交通量や通行人の多寡、信号の反転頻度といった情報を合わせて、かなり緻密に分析されている。だから、2時に着こうと思うと、本当に2時についてしまうのだ。


 大学から歩いて来たであろう山中さんは、少し上気していた。

 白いTシャツに、淡い水色のフレアスカート。肩の少し上まで伸びた髪は、内側にゆるくカーブしている。

 あれ、何か少し、可愛くなった?

「何見てるの?」

「いやあ、な、何でもないよ」

「映画さ、これかこれがいいと思うんだよね」と言って山中さんが指差したのは、恋愛映画とSF映画だった。

「あ、俺はどっちでもいいよ」まあ正直何でもいい。

「えー? そこは決めてほしいな」

 えっと…、といいながら、俺は必死にネット上のレビューを見比べていた。恋愛映画は、公開間もないこともあって、レビュー自体が少なかった。ただし、総じて評判は上々だ。もちろん、公開当初に行くのは監督やキャストのファンが多いだろうから、それをそのまま当てにしていいかはわからない。

 一方SF映画は、公開5週目ながら興行成績は上位をキープしており人気。しかし、評価は賛否相半ばするようだ。斬新な設定に「2016年必見の1本!!」と太鼓判を押すレビュワーもいるし、「最初の説明が冗長、その後も設定に入り込めなかった」「難解で言いたいことが不明」とマイナス評価も目立つ。


 画面上に、「過去の映画嗜好履歴をサイトに共有しますか?」と表示が出る。目線を動かして「はい」を選ぶと、しばらくして計算結果が表示された。


 君のいた夏。 嗜好関数合致度 60%

        高評価者群 あまり近くない

        低評価者群 近くない

        推薦度 B+


 タイム・オブ・シンギュラリティ 嗜好関数合致度 77%

                 高評価者群 近い

                 低評価者群 あまり近くない

                 推薦度 B+++


 どうも俺個人としてはSF映画の方が好みのようだ。俺の嗜好が、|タイム・オブ・シンギュラリティ(ToS)に高評価をつけた人たちに近いってことなので、まあ、まず満足が得られるだろう。


「こっちのToS、評判いいみたいだよ?」俺は山中さんに向き直った。

「あ、そう…? そっか。でも、この君夏の宮野なつき、可愛くない?」


 あれ?

 これはもしや、君夏を見たいのか?


 俺は、俺自身の嗜好については数値化できているが、山中さんのものについてはわからない。もちろん、情報を共有シェアしてもらうことはできるが…、嗜好関数をシェアするのは、結構アレだ。なんというか、一般的にはカップルがやることだ。


 しかし、まあ。

 考えてみればSF映画を見て、その設定を理解できなかったりしたら恥ずかしい。山中さんだけ理解したりしたら、それこそ面目ない感じだ。いや、まあ、別に女友達に対して見えを張る必要はないけれど、自分から率先してSFを見ておいて「わかんない、てへ」ってのはちょっと言いづらいかも。


 という脳内協議の結果、俺は折れることとした。


「あ、あー、君夏も結構評判いいね…」

「でしょ? サエコも見て、感動したって言ってて見たかったの」

 サエコって誰だよ。

 まあ、いいや。


 俺たちは君夏のチケットを2枚買って、上映時間まで30分ほど待つ事となった。

「人、少ないね」館内には、俺らのほか、客は4、5人だ。平日にしても随分とまばらである。

「そうだね。まあ、映画館はちょっと斜陽だからね」

「え? そうなの?」

「産業構造概論でやったじゃん? あ、中城くんサボってたんだな?」いたずらっぽく山中さんは言う。

後頭葉映写技術ニューロダイレクトヴィジョンが出来てから、みんな配信で、自宅に見るようになっちゃったからね。技術の進歩って残酷だよね」

 あ、そうなの? 映画も、あのサンの魔法みたいなやつで見られちゃうの?

「ニューロなら、3Dにだって簡単にできちゃうしね。映画館に来る人は、結構な数寄者なんだよ。だから、よかった。中城くん映画館派で」

 派、っていうか、なんていうか、その。

「でもやっぱり、私はスクリーンで見るのが好き。スクリーンに映るものを、みんなで一緒に見るのが楽しいの。そう思わない?」

 そうだね。

 俺は曖昧に同意を返した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺の愛するスマホがメタモルフォーゼして、女の子として世界の真理らしきものを語りはじめた とかふな @tokafuna

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ