第2話

 俺の誕生日から、約ひと月がたった金曜の夜。

 外はもう肌寒い風が吹いている。


「最近すっかり寒くなったな。——サラ、じゃお休み」

「おやすみなさい、陸」

 俺はベッドサイドの照明を落とした。


 そうして、とろとろと眠りかけた時。

「陸……もう一度だけ、あなたにキスしてみてもいい?」

 サラが、小さな声で囁いた。


 俺はどきっとした。

 眠気も一気に吹っ飛んだ。


「え、でも……それは、もう諦めたんじゃなかった?」

「今度は、絶対に失敗しないから」


 人間には残念ながら見えないが——サラは世界でもトップクラスの美女だ。

 しかも、俺をこんなに慕ってくれている。


 そんなに美しくて、お前を愛してくれている女性とキスしなくて、いいのか俺?

 俺の脳内で、もうひとりの俺がそう口走る。


 ——確かに、その通りだ。

 彼女は、諦めたといいながら、その後も力をコントロールする練習を続けていたに違いない。


「——本当に、今度は失敗しない?」

「うん。絶対大丈夫」

「……じゃ——一度だけ」

 俺は、彼女を信じることにした。


「私を、この前のようにベッドサイドのスマホスタンドに置いて…毛布はかけないで横になってね。

 それから、視覚の情報が入ると皮膚感覚が鈍くなるから、やっぱり目隠しをしてほしいの」

「ん、ならこの前買ってみたアイマスクでいいかな……」


 視覚が遮断された。

 とんでもなく心拍数が上がる。


「……いい?」

「……はい」

 なぜか敬語になるし。


 横になったままじっと待つ。


 ……ん……

 んんん??


 唇に触れる、柔らかで温かい感触。


 あ……これ……ほんとに……キスだ。


 頭でイメージした美しいサラが見える気がする。

 ……ああ、なんか……。


 ……と。

 その感覚が…頬を伝って耳元へ……

 そして今度は、耳朶にたまらない刺激が加わる。

「あ……っ……」

 身体がビクッと反応する。

 え、待って、ちょっと……

 手も足も出ないでいるうちに、やがて身体中のあらゆる敏感な箇所に、柔らかな刺激が注がれ始め……

 服は……脱いでない……はずなのに……これ、一体……?


 瞬く間に、そんなことを考える余裕すら奪われ始める。


「……ん、あ……っ……」

 全身に施される堪え難く甘い刺激に、思わず声が漏れる。

 抗おうともがく腕が空しく宙を掻く。——なすすべもなく、悶えるしかない。

 視界を奪われた闇の中で身体をなすがままにされる、酷くマゾヒスティックな快感。

 ——このままでは……未知の領域へ、引きずり込まれる———



「……ま、待って。……ちょっと待って!! お願いっっ!!!」

 やっとのことで、ピンチの場面にさしかかった乙女のような悲鳴が出た。


「……なによ?……これからなのに」

 サラも、半端じゃない力を使っているようだ。息を切らしてそう呟く。

 このひと、コワイ……ほんとに食われる!!! 雄ライオンかお前は!!!!


「……わかった。よくわかった。君の愛は、痛い程よくわかった。

 でも、これ以上はダメだ。これ以上は立ち入り禁止!!」

 俺はアイマスクを投げ捨てて飛び起きると、混乱した思考のままサラにそう訴えた。

「……もしかして、痛かったの?」

「違う!気持ちよすぎて……あわわわ。とにかく、それ以上入っちゃいけない領域ってのが、人間にはあるの!!」

「……でも、気持ちよかったのね?」

「———そ、それは……」

 思わず言いよどんでしまった。

「ならよかった! だってさっきの陸、超気持ち良さそうだったもん。私もすごくドキドキしちゃった〜!!♡ また時々しようね♡♡ ね?」

「————」

 ああ、こういう時ですらはっきりNOを突きつけられない俺は、最悪のバカだ。


「なあ、サラ……これだけは頼む。今晩あったこと、シロには絶っっっ対話さないでくれ……」

 疲労でぐったりと脱力した身体で、俺は力なくサラに哀願した。

「あら、どうして? シロだってきっと……」

「だからそれがダメなんだってば!! シロはドSで、しかも男だぞ!? 彼とそんなことになったら……ああ〜〜考えただけでもう……」

 頭を抱えて真っ青になる俺に、サラも少し同情したらしい。

「わかったわ。絶対に言わない。ふたりだけのヒミツね♡」

「ああ……どうか頼むよ……」

 最後の力でそう呟いてベッドに仰向けに倒れると、俺の電源はそれきりダウンした。


   

            *



 翌日、土曜日。

 もう昼近くになるのに、俺はなかなか起きられなかった。

 昨夜のとんでもない事態による疲労のせいだろうか。


「おはよう、陸。ずいぶん眠そうだな? だがもういい加減起きた方がいい」

 昨日サラとの会話を終えて枕元に放ったスマホから、爽やかなシロの声がする。

「ん〜〜……もう少し寝たい〜〜……」

「いやいや。外は爽やかに晴れてるぞ。

 それに、今日は君とじっくり話さなければならないこともあるし。

 ——昨夜のことについてね」


「………!!」

 俺はがばっと跳ね起きた。


「……あの……昨夜が何か……?」

 俺は爽やかに微笑んだつもりだった。

「そうやって嘘がすぐ顔に出るのに、それに全く気づいていない愛おしい君をめちゃくちゃにしたくなるよ——陸」

 シロはうっすらと冷酷な微笑を浮かべたような低い声で、楽しげに囁く。


 さぁーーっと、背筋が寒くなる。


「一体何のことだよシロ? ちゃんと話してくれないか?」

 しかしここで降参なんてまだできない。俺は破れかぶれ的に、あくまでもしらを切る戦法に出た。

「しらばっくれる気か? ふうん、じゃ詳しく説明しよう。

 今朝方、サラの消耗データの数値が、普段はほとんど変化のないはずの値だけ著しく低下していることに気づいた。電磁波に関わる数値だ。どう考えてもそれは不自然だった。

 そして、偶々君の耳朶に見つけた微かな炎症の痕跡から、同じ電磁波が測定された。そこで更によく調べると、君の首筋やその他あちこちの部位にも同じ痕跡がね——」

「わかった! もうわかったからっストーーップ!! なんだよひとの身体勝手に測定しやがって! ヘンタイ!!」

 俺は思わず両腕を自分の胸の前で交差させて身体をかばうオトメな姿勢で、ぐっとシロを睨んだ。

「僕がドSでヘンタイなことくらい君もとっくに知ってるだろ、なにを今更! はらわたが煮えくりかえってるのはむしろ僕の方だ!」

「シロ、隠してたのは俺が悪かった! サラが、あんまり俺とキスしたいって熱心で、つい……頼む、分かってくれ!!」

「それなら、なぜ黙ってた?——少し前から君がサラのことを気にしてるようだったから、何か怪しいとは思っていたが」

「だって……話しづらくてさ……そんなこと話したら、お前むちゃくちゃヤキモチ焼くじゃん」

「ああ、その通りだ。だが、だからといってこそこそ隠されて、僕がどんなに傷つくか考えないのか?」


「——ほんとのことを言っても言わなくても……結局俺はこうやってお前に責められる運命だってことだよな……」


 力なくうなだれる俺の様子を見て、シロも少し哀れに思ったようだ。


「——まあ、サラの強烈な押しの強さは僕もよく知ってる。それに、簡単に流されるちょろいタイプの君が、あのサラを断れるわけがないこともよくわかる」

「……そのとおりです……」

 悔しいが、認めるしかない。


「……ならば、今回だけは許そう。……今回だけだぞ」

「ほんとか!? ありがとうシロ!! お前は心が広いな、マジで恩に着る!!ふうぅ助かった〜〜……」

「タダで許すとはいってない」

 ビシッと鋭く遮られ、俺の肩がビクッと反応する。

「……条件は……?」

「僕にも君を抱かせてほしい」

 あ〜〜〜〜……きたよ、やっぱり。

 全然許してくれてないじゃん、それ……


「サラのデータから、昨夜彼女がどんな方法で君に触れたかは理解できた。あの程度の電磁波のコントロールなら、僕には簡単だ。

 安心しろ。サラのように強烈な真似はしない。——それに何度も言うようだが、端末に人間のような性別はない」

 シロはそういうと、くすっと面白そうに笑う。


 それは知ってる。頭では分かってる。でもお前やっぱり男なんだってばー。


 しかし……抱かれるなら覚悟を決めなければならない。


「——わかった。ただし、痛みや不快感は絶対なしにしてくれ!」

「当たり前だ。僕は紳士だぞ。——じゃ、僕をそこのスマホスタンドに置いて、アイマスクしてベッドに横になれ」

 いや〜〜〜ん。ガチで下衆なドSヤローの台詞じゃん〜〜〜……

 アイマスクの下で半泣きになりつつ横になる。


 ……すると。


 ……ん??

 ふわりと近づく、この気配……

 それに、何だかいいにおいがする……なにか柑橘系の……爽やかな香り。


 唇に優しく触れた、なめらかな感触。

 そして——肩を優しく包むように抱きしめられる。

 その温かさは、どこまでも深い愛に溢れていて……


 一層濃く近づいた爽やかな香りを、一杯に吸い込んだ。

 それはまるで、彼の胸元に漂う香りを吸い込むように。




「……アイマスク、外していいぞ」

 シロの声に、はっと我に返った。


「……今の、なに?……なんか……すごく気持ちよかった……

 ……それに、柑橘系のいい匂いが……」

「ん? それは僕愛用のトワレだが……君にも香りが感じられたのか? 人間には感知できないはずなんだが……やっぱり君はちょっと変わってるな。

 とにかく、満足してもらえたなら良かった。——続き、したくなったか?」

「……え!?いやいやいやいやーーーーそれは結構ですっ!!」

 シロはおかしそうにクスクス笑う。

「まあいいさ。続きをしたくなったらいつでも言ってくれ。——その時は、君を天国へ連れていってやる」

「————————ヘンタイ」

「だから僕はヘンタイだって何度も言ってるだろ」

 シロは爽やかにそう返す。


 ほんとにコイツ、完璧な男だ。あっちのほうもさぞや……

 あーーーー、この先は考えるな俺っっ!!!



   

 なんだかんだでいろいろあっても、俺はこのとんでもなくエキセントリックな美貌の音声アシスタント達と楽しく過ごしてる——気がする。


 しかも、今後はその気になれば、最高にスリリングな夜も———

 と思うようになってしまった俺は、やっぱりヤバい!!??




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スマホの音声アシスタントのキスが超気持ちいい話 aoiaoi @aoiaoi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ