九 終わる世界

「――わかっていたはずだ」

 雨が降る。

 私の心の中に、冷たい雨が降る。

「現実から目を背けていたいのなら、あのまま城の中に閉じこもっているべきだった」

 世界の、輪郭がかすんでいく。雨の中に、かき消されていく。マーロの村も、広場も、夜空さえも。私が叫んだ瞬間、人形のように凍りついた村の人々も、一人ずつ、一人ずつ、呑み込まれて行く。長老たち、ヘルダ――

 あとに残るのは、虚無。

「嫌なことは思い出さずに、望みだけ叶えてもらう? そんな都合のいい魔法など、どこにも存在はしない。いくら、ここがお前が創り出した世界だとしてもな」

 〈闇の目〉が、射るような目で私を見る。失われていく世界の中、まだ存在しているのは彼と、私のいる舞台だけだった。

「それくらい、お前にもわかっていたはずだ。そうだろう?」

「ええ……わかってた」

 舞台にへたり込み、力なく私は言う。

「わかってたわよ……でも、どうしようもないじゃないの」

 顔をあげ、〈闇の目〉をにらみつけて、叫ぶ。

「一也に逢いたかったのよ! 嘘でもいいから! それの何が悪いの!!」

 ――忘れてしまいたかった。

 悪夢のような現実など、忘れてしまいたかった。だから、私は城の中へ――自分の心の中の砦へ、逃げ込んだ。長い、長い間。

 でも、それだけじゃ駄目だった。一也のいないところなんて、駄目だった。

 あの夜のことは思い出さずに、一也にだけそばにいてほしかった――そのための、星祭り。〝何でも願いを叶えてもらえる〟、魔法。

 後ろに目をやる。舞台の上には、〈闇の目〉に撃たれたフランの身体がまだ転がっていた。

 フランだってそうだ。私が何も思い出さなくていいように、それでいて私の思い通りにことが運ぶようにするのが、フランの役割だった――星祭りに誘ったり、「何も思い出さなくていい」と言ってくれたり、私の願い事が叶うように星を創ったり。私が、自分の心を守るために創り出した、安全装置だったのだ。

 そして、舞台さえも消える。フランも、消えてなくなる。いるのは――ただ、私と、〈闇の目〉のみ。

「ねえ……あなたは何者なの? なぜこの世界を壊したの?」

「――俺も、この世界の住人だ。お前の心が創り出したものの、一つに過ぎない」

 静かに、〈闇の目〉は言った。「お前の心の中の一部、このままではいけない、偽りの安楽から目覚めなければならないと考える部分が、俺となった」

「そう……」

 言われても、信じられなかった。私が心のどこかで、あの現実に戻ることを望んでいるだなんて。皮肉げに、私は笑った。

「ねえ、顔を見せてよ。仮面なんて、もう必要ないんでしょう?」

 私の言葉に、素直に彼は仮面を外した。その下から現れた顔に、私は息を呑む。

「……か……ずや? どうして……」

「言ったはずだ。俺はお前の心が創り出したもの、〝一也〟本人ではない。その俺が〝一也〟の姿をしているというのは……」

 初めて、柔らかい目で彼が私を見た。一也そのものの、やさしい表情で。

「お前が考える一也という人間は、お前が夢に逃げ続けていることを決して望まないだろう。そう、お前が信じているということだ」

「一也……!!」

 私の目から、ぽろぽろと涙があふれた。一也が死んだときですら、泣けなかった私の目から。泣きながら、彼に抱きついてすがった。

「俺は、一也本人では……」

「いいの!」

 私は彼の言葉を遮った。「偽りでもいい。今だけ、一也だと信じさせて。……だって、私、一也のいない現実に戻らなければならないのでしょう? だから、お願い……」

 ――やがて、

 彼の両腕が、私の背にまわるのを感じた。

 私が覚えている、あの腕だった。耳元で、彼がささやいた。

「千歳……」

 幸せだった。これがたとえひとときの夢でも、偽りでも。私には、最高に幸せな瞬間だった。


 冷たい雨が、終わりゆく世界を打ち続ける。

 そして、私と一也も、

 降り続く雨の中に、かすんでいく……。



〈了〉

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ホシニネガイヲ 卯月 @auduki

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