とある猫の回想録10

「たぶん、俺はお前に恋をしていたんだな、レヴ……」

 冊子の閉じられる音がする。

 その音と共に聞こえてきた発言に、レヴは眼を見開いていた。自室のベッドから体を起こすと部屋の隅に置かれた書架がよく見える。そこに、自身の主が立っていた。

「ちょっと、勝手に人の私物に触るなって何度言ったら分かるんですか?」

 カットの持つ冊子を睨みつけ、レは鋭い声をはっする。そんなレヴを見つめながら、カットはアイスブルーの眼に苦笑を浮かべてみせた。

「ごめん。まさかお前の古い日記だとは思わなくて……」 

 冊子を書架に置き、カットはベッドへと近づいてくる。そんなカットからレヴは不機嫌そうに顔を逸らしていた。

 非番の日に部屋で昼寝をしていただけなのに、嫌なものを見られてしまった。そのせいで、とてつもなく居心地が悪い。

「フィナはお義母さんと辺境の紛争を止めに行ったまま戻らないし、大切な家族は俺よりお前の方がお気に入りみたいだしなぁ……」

「家族……」

 カットの言葉に違和感を覚え、レヴはベッドへと視線を走らせていた。かけていたシーツが不自然に盛り上げっていることに気がつき、レヴは苦笑を浮かべる。

 シーツをそっと捲ると、美しい白銀の髪がそのすきまから零れ落ちた。

「姫様……」

「うぅん……」

 ベッドに寝そべる少女の髪を、レヴは優しくなでてやる。少女は声を漏らしながら、体を横に動かした。

 うっすらと開けた眼はカットと同じアイスブルーをしている。白銀の長い髪からは、銀灰色の猫耳が顔を覗かせていた。

 少女の姿は、幼少期のカットを彷彿とさせる。

 それもそのはずだ。彼女は数年前、カットとフィナのあいだにでき娘なのだから。

 彼女の名はマリア・サンヘット・ハールファグル。ハールファグル第一王位継承者だ。

「俺に似てるとはいえ、猫耳までは遺伝しなくてよかったんだけどなぁ……」

 カットがベッドに腰かけ、少女の猫耳をなでてみせる。少女を愛しげに見つめながら、カットは寝息をたてる彼女に両手をのばしていた。

 その手をレヴが掴む。

「俺に恋をしていたってどういうことですか? 陛下……」

「レヴ……」

「聴こえてましたよ、ちゃんと……」

 眼を見開くカットの猫耳にレヴは囁く。そのままレヴは、猫耳を震わせる主を抱き寄せていた。

「おい……レ……」

 そっとカットの唇に指を充て、レヴは嗤ってみせる。そのまま彼は、カットの体をベッドに横たえていた。

「レヴ……」

「静かに……。姫様が起きてしまわれます……」

 話しかけると、カットは気まずそうに顔を逸らしてくる。そんなカットの猫耳をレヴは優しくなでていた。

「俺はあなたのものだ。この身もこの心すらも……。俺はあなたなしでは生きらえない。でも、ある日あなたも俺がいなくては生きられないことに気がついたんです……。だってあなたは、俺がいなくちゃ猫になる。それが分かったら、なぜか人の姿から猫に戻れるようになりました」

 そっとレヴは、主の白い頬に指を這わせていた。長い睫毛に覆われていたカットの眼が震える。そっとカットの猫耳に唇を寄せ、レヴは囁く。

「ねぇ、陛下……。これがどういう意味か分かります? あなたは俺から逃げられない。ずっと俺と一緒にいる運命なんです。そんなあなたが、俺に恋をしてるといった。あなたに恋をしている俺に……」

「レヴ……俺は……」

 困惑した様子でカットがレヴに顔を向けてくる。うっすらと潤んだ彼の眼を見て、レヴは眼を軽く見開いていた。

「あなたが俺の『恋人』になってくれたこともあった。ドラーケ様に襲われた翌年から、なぜかあなたは少女の姿で俺をフレイヤ祭に誘うようになって、俺の秘密の恋人になってくれた。年頃になったら、髪を切って女の子には2度とならなかった……。どうしてあなたが、そんなことを俺にしたのか、ずっと分からないんです。だから、教えてください……。教えないと、俺――」

 そっとカットの猫耳を啄む。

「レヴ……」

 甘い吐息がカットの唇からあがり、レヴの頬にかかる。涙に潤むカットの眼を見て、レヴは嘲笑を浮かべていた。

「今はフィナ様もあなたの側にはいない。また俺と秘密の恋人になりませんか、陛下……? 俺なら寂しいあなたを慰めてあげられる……。そうだ、髪もあのときみたいにのばして……」

「おとうさま……? レヴ……?」

 幼い少女の声がする。我に返りレヴは声の顔を向けていた。白銀の髪なびかせながら、マリアがゆっくりとベッドから起き上がろうとしている。

「姫様……」

「あの頃には、戻れないよ。分ってるだろ? レヴ……」

 唖然とするレヴにカットが声をかける。彼に視線を戻す。カットは顔に苦笑を浮かべレヴを見つめていた。

「陛下……」

 どこか悲しげなカットの眼を見て、レヴは胸を痛めていた。そっとレヴは起き上がり、カットから離れていく。だが、そんなレヴの腕をカットが掴んだ。

「陛下?」

「お返しだ。このクソ猫っ!」

 声を弾ませながら、カットはレヴの体を抱き寄せる。レヴをベッドに押し倒し、カットはレヴの体に馬乗りになっていた。

「それに猫になるのは俺じゃない。お前だよ、レヴ。命令だ。お前が俺の猫になれっ!」

 カットが顔を近づけてくる。顎を掬われ、レヴは彼から顔を逸らすことができなくなっていた。

「あ……あの、陛下……さっきのは冗談……」

「俺が欲しいんだろう? だったらくれてやるよ。食われるのはお前のほうだけどなっ」

 慌てるレヴに、カットは満面の笑みを返してみせる。その笑みを見てレヴの体には戦慄が走っていた。

 日記を読まれたお返しに、少しからかったつもりだった。だが、カットの逆鱗にふれるのには十分だったらしい。

 カットの眼が笑っていない。

 本気だ。自分の主人は、本気で自分を抱くつもりなのだ。

「ちょ、待って陛下っ!」

 カットは、慌てるレヴの頬に唇を落とす。

「ご馳走様、レヴ……」

 愉しげにアイスブルーの眼を歪めカットが嗤う。カットはレヴの頬を軽く舐め、レヴの体から降りていく。

「あ……へい……」

「子供の前で男なんて抱くわけないだろ? レヴ」 

 唖然とするレヴに言葉を投げ、カットは眼をこするマリアを抱き上げる。小さな娘を横抱きにすると、彼はベッドに寝そべったままのレヴに顔を向けてきた。

「しかも、相手がお前なんて冗談でも嫌だ。俺には可愛い妻も娘もいるんだ。お前と違ってなっ」

 自身の胸の中で眠るマリアの頭をなでながら、カットは意地の悪い笑みを浮かべてみせる。そこに幼い頃の可憐な面影は微塵もなかった。

「このクソ猫耳王……」

「それに、お前に何かあったらオルム叔父さんが心配する。ちゃんと手紙書いてるか? 俺のところに叔父さんがお前のことが心配だって、ちょくちょく手紙寄越してるぞ……」

 がばりと体を起こしたレヴに、カットは鋭い言葉を投げかける。その言葉に、レヴは肩を震わせていた。

「義父は関係ないでしょ……」

「俺に振られたとき、父上に慰められてたお前が言うか、それ……。オルム叔父さんのことが恋しくなって、しばらく猫の姿のまま父上から離れなかったくせして。まさか父上にお前を盗られる日が来るなんて思わなかったよ」

「俺だって、好きで猫の姿のままティーゲル様といたわけじゃありませんっ」

 顔が熱くなるのが分かる。急に恥ずかしくなって、レヴはカットから顔を逸らしていた。

 カットがフィナと両想いになったとき、レヴは自分の中にあるカットへの思いに気がついた。

 だが、フィナを愛するカットと一緒になることは出来ない。カットに思いを伝え、レヴは自身の気持ちと決別したつもりだったが、現実は甘くなかった。

 カットとフィナが両想いになってから、レヴは人間の姿になることができなくなっていたのだ。自身を振ったカットと前のように接することも出来ず、レヴは猫の姿のままティーゲルの側にいるしかなかった。

「俺だって、好きでお前を振ったわけじゃない……」

 小さなカットの声が、耳朶に轟く。レヴは驚いて顔をあげていた。

「言っただろう? お前が橇で俺を攫おうとしたとき、そのまま攫われても良かったって。あのときに戻れたたらどんなにいいだろうって、俺もずっと思ってた。フィナに再開するまでは……」

 カットが屈みこみ、レヴの耳元に口を近づける。主人の吐息が耳をくすぐり、レヴは思わず身を固くしていた。

「お前のことが好きだった……」

 囁くカットの言葉に、心臓が跳ねあがりそうになる。レヴは大きく眼を見開き、離れていくカットをみつめることしかできない。対するカットは、すました笑みを浮かべてみせる。

「これで満足か? ちゃんと話したぞ。しかも、娘の前で……」

 笑うカットの頬がかすかに赤い。レヴは思わず立ちあがり、カットに抱きついていた。

「レヴ……マリアが起きる……」

 困惑する主人の言うことを無視して、レヴはカットを強く抱き寄せる。

「俺は今でも好きですよ……。こんな気持ちさっさと捨てなきゃいけないのに……」

 じわりと眼が潤むのを感じながらも、レヴは苦笑していた。とっくの昔にケリをつけたはずの感情は、いまだに自分を苦しめる。

 それほどまでにレヴはカットが愛おしい。

 ふと胸元に違和感を覚え、レヴはカットを放していた。小さな2つの手がぎゅっとレヴの服を掴んでいる。

「レヴ、いたいの……?」

 カットの胸に抱かれたマリアが、心配そうにアイスブルーの眼をレヴに向けていた。

「姫さま……」

「ないてる。レヴ、いたいの……」

 マリアの言葉を受け、レヴは頬に手をあてる。しめった感触が指先に広がって思わず苦笑が顔に滲んでいた。

「はい、とっても痛いです。陛下のせいで……」

「おとうさま、レヴをいじめないで……」

 そっとマリアをなで、レヴは静かに告げる。マリアは形の良い眉を顰め、カットを睨みつけた。そんな娘にカットは困ったような笑みを浮かべてみせる。

「マリア、お父さんはレヴを虐めてなんていないよ。レヴはお父さんの大切な……」

 カットの言葉が途切れる。悲しげに眼を伏せ、カットは腕の中のマリアをなでてみせた。

「レヴは、俺にとってなんなんだろうな……。でも、レヴはとっても大切なんだ。とっても……」

「じゃあ、マリアがレヴをとったらおこる……。レヴね、マリアをおよめさんにするんだって……。レヴがいったの」

「はっ?」

 悲しげだったカットの顔が一瞬にして不機嫌なものとなる。カットは顔をあげ、ぎっとレヴを睨みつけてきた。

「あの……陛下。それは、この前の結婚式ゴッコのときに冗談で……」

「冗談でも、言っていいことと悪いことがあるよな、レヴっ!」

 カットはレヴの言葉を遮り、満面の笑みを浮かべてみせる。

「マリア、立てるかな」

「うん……」

「よーしいい子だ」

 そっとマリアを床に下ろし、カットはベッドに座るレヴに詰め寄っていた。

「で、どこのクソ猫が俺の娘を嫁に欲しいだって!?」

「痛いっ! 痛い! 陛下やめてっ!!」

 レヴの頭をカットは力いっぱい手で掴んでみせる。頭蓋骨が軋む音が耳朶に響き、レヴは思わず叫び声をあげていた。

「おとうさま、だめ……」

 そんなカットの足にマリアがしがみつく。彼女は顔をあげカットをきっと睨みつけてみせた。

「レヴはマリアのおよめさんになるの……。だからいじめちゃ、め!」

「レヴがお嫁さん?」

「うん、ネコさんのレヴに、いっぱいおはなつけて、およめさんにしたの。そしたらレヴが、次はマリアをおよめさんいするばんだよって、にんげんになって、まりあにおはなをたくさんくれたの……。だからレヴ、いじめちゃ、め……」

 悲しげに眼を潤ませ、マリアはカットの足に抱きついてくる。

「本当に、冗談だったんだな」

 レヴの頭から手を放し、カットは苦笑を浮かべてみせた。

「あのね、いくらあなたの娘だからってこんな小さい子供……」

「レヴ、マリアのこときらい……?」

 弱々しい声がレヴにかけられる。レヴはその声を受けてマリアを見つめていた。

 大きなアイスブルーの眼を歪め、マリアが悲しそうにレヴを見つめている。その顔が幼い頃のカットにどこか似ていて、レヴは軽く眼を剥いていた。

 マリアは美しい姫になるだろう。カットの面差しを受け継ぐこの国の主として。

 カットはいつか自分を残し死んでしまう。そのときレヴは新たな主を探す必要があるのだ。もし、彼女が新たなる猫の王になったとき、自分は彼女を王として愛することができるのだろうか。

 カットの面影を宿したこの少女を、自分は――

「姫様は、俺を愛してくれますか?」

 自分の中にわだかまる疑問を、レヴはマリアに問いかけていた。マリアはきょとんと不思議そうに眼をしばたたかせレヴを見つめる。

「うん、レヴ、だいすき!!」

 満面の笑みを浮かべ、マリアはレヴに答えてみせる。カットの足から離れ、マリアはレヴに跳びついていた。

「姫様っ!」

「レヴ、マリアのおよめさんになってくれる……?」

「逆ですよ、それ……」

「ぎゃく?」

 こくりと首を傾げるマリアに、レヴは優しく微笑んでいた。

「俺と結婚してくれますか? 俺のマリア様」

 そっとマリアの手を取り、レヴは彼女の手の甲に口づけをしてみせる。マリアは不思議そうに眼をしばたたかせるばかりだ。

「これは誓いのキス。あなたが、俺のものになるという誓約の証です」

「レヴのもの?」

「俺とずっと一緒にいてくださいってことです」

「うん、レヴといる!」

 苦笑するレヴにマリアは満面の笑みを浮かべてみせる。レヴはマリアを抱き寄せ、彼女を自分の膝の上に乗せた。

 彼女の頭に顔を埋めてみせる。柔らかな銀髪の感触が心地よく、レヴは眼を細めていた。

「レヴ……」

 カットの声がする。顔をあげると、不安げに眼をゆらす主人の姿が眼に飛び込んできた。マリアの小さな体を抱き寄せ、レヴはカットに微笑んでみせる。

「俺は、この先もあなたを忘れられない。だから、せめてあなたが死んでも、あなたの面影を残す人を守ってもいいですか? ずっと、あなたを追いかけてもいいですか?」

 マリアを抱き寄せ、レヴはカットに告げる。カットは静かに眼を伏せ、レヴへと近づいた。彼はそっと屈みこみ、レヴの額に唇を落とす。額に広がる冷たい感触にレヴは眼を見開いていた。

「勝手に殺すな……」

 不機嫌そうなカットの声が耳朶に轟く。カットはレヴの肩を抱き寄せ、言葉を続けた。

「追いかける必要なんてない。俺は、ずっとここにいるだろう。いつだって、お前の隣に……。だから、お前もずっと俺のモノでいろ」

「はい。ずっと、お側にいます……」

 カットが縋るよう眼を向けてくる。美しく煌めくアイスブルーの眼を見つめながら、レヴは静かに笑っていた。

 耳元で聞こえた、狼の遠吠えを思い出す。

 あの人はまだ、孤独なままなのだろうか。

 だからこそあの狼は、自分と同じ存在であるレヴを欲した。

 でも、その思いに応えることは出来ない。

 これからもずっと――。

 レヴにとっての主は、カット・ノルジャン・ハールファブルただ1人なのだから。

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王様の耳は、猫の耳!!(番外編終わりました) 猫目 青 @namakemono

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