大団円?

第1景 番頭さんブッ返り


 京都柳馬場押小路虎石町西の帯屋に、創業以来最大の危機が迫っていた。

 屋根が吹き飛んで中が丸見えになった店内に、正午の太陽を背にした信楽焼の狸が、巨大な影を落としている。

 カオステラーに憑かれたコウスケ爺さんであった。

 真っ赤な顔で目を怒らせて、店の中にきちんと正座した番頭を怒鳴りつけた。

「さあ、覚悟せえバアさん、ちゃっかり大店の後添のちぞいに入り込んで、お家乗っ取りにオノレの息子使おてからに恥を知らんかい!」

 店の主人は出かけているのか隠れているのか、最初から姿を見せない。

 その母親もまた、同様であった。

 番頭は、物静かに、しかし臆面もなく答えた。

「はて、大奥さまは去年亡くならはりましたが」

 巨大なコウスケ狸は頭から怒鳴りつける。

「そんなはずがあるかい! お半とかいう宿屋の娘が主に岡惚れして手紙まで」

 それを、きっぱりとした言葉が遮った。

「ええ加減なこと言わはって、困りますがな、店の看板に傷がつきますよってからに」

 そこはコウスケも裸一貫から立ち上がった商売人である。

 番頭の言い分も理解できたようで、穏やかな声で腰を下ろした。

「さいか、ほなちょっと」

「店に座らんといとくれやす、ただでさえ天井飛んでますのや」

 止める番頭の声は不満げだった。

 その愛想のない物言いに、老人はちょっとイラついたようで急にふてくされた。「わかってるがな、いちいちやかましいなホンマに……」

 嘲笑と共に無茶を言い出す。

「ちょうどええわ、長兵衛はんとお絹はん上から探させてもらうで」

 その瞬間、番頭は満面を朱に染めた。

 畳の上にまっすぐ、開き直ったかのように仁王立ちする。

「おい、そこのド狸、こっちが下手に出とんのええことに好き勝手さらしおってからにええ加減にさらせよ、アホ、ボケ、カス、ラッパ、ヒョットコ」

 番頭は流暢に啖呵を切った。

 それはまるで「ブッ返り」と呼ばれる豹変を見せた歌舞伎役者のようであった。

 だが、最後の一言にはコウスケ爺さんも面倒くさそうにツッコんだ。

「信楽焼の狸やがな」

 番頭も負けじと罵り返した。

「自分で分かっとんのやないかい」

「いや、分からんことがあるのや」

 老人の尋ね方は、打って変わって穏やかになった。

 番頭は拍子抜けしたのか、罵る声にもさっきのような勢いはない。

「お前の分からんことがこっちに分かるワケあるかい」

「せやなあ」

 信楽焼の狸が力の抜けた返事をする。 


第2景 ロキの大復活


 そこへロキが歩み出た。

 巨大化したコウスケ爺さんを見上げて、胸を張る。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥と申します」

 その堂々たる様子に、老人は頷いた。

「言われてみればその通りや」

 レイナが宿敵を背後から冷ややかに称賛した。

「たまにはまともなことを言うのね」

 ロキはむすっとして振り向くや、言い返した。

「私はいつもまともです」

 番頭も居住まいを正し、きちんと正座して巨大な狸を見上げた。

「で、爺さんの分からんことっちゅうのは何や」

「ワシ、信楽焼の狸やねん」

 狸が自分を狸だと言うのだから、これほど確かなことはない。

 番頭も一言で言い切った。

「そや」

 巨大な狸と化したコウスケ爺さんは、そこで尋ねる。

「したら、さっきまでここで番頭はんと話してたワシはどこへ行た」

 番頭は呆れかえった。

「知らんがな、お半長や、言うたら爺さん、こないなってしもうたんやがな」

 信楽焼の狸は怪訝そうに顔をしかめる。

「人が狸になるかいな」

 そこでロキが声を張り上げた。

「そうです、あなたは悪い夢を見ているのです」

 タオが歯を剥いて、小声で凄んだ。

「けしかけんな」

 もちろん、そんなことで怯むロキではない。

 はたと気付いたらしいコウスケ爺さんの顔をにやにや笑って見つめている。

 爺さんは、ロキの説明に納得できたようだった。

「そうか、これは夢なんやな」

 巨大な狸の姿でたったか走りだそうとするのを、番頭は止める。

「おい、爺さん、どこ行くのや」

 いささか興奮気味に、コウスケ爺さんは答えた。

「これから知恩院て、屋根の上から左甚五郎の忘れ傘取ってくんねん」

 知恩院の落成時、建築に携わった伝説の大工が、傘をうっかり屋根の上に置き忘れてきたのだという。


第3景 明かされる真実


 完璧なものは魔が差すという喩えであるが、そんなものがエクスたちに理解できるわけがない。

 爺さんの勢いに押されたエクスが、おろおろとなだめた。

「そこまで大きくないから、お爺さん」

「いや、夢やさかいなんぼでも大きゅう」

 コウスケ爺さんは、完全に舞い上がっていた。

 エクスの気弱な制止などまともに聞いてはいない。

 とうとう、番頭さんも慌て始めた。

「ああ、やめとくなはれ向こう三軒両隣、えらい迷惑や」

 信楽焼の狸の身体は、細い小路を完全に塞いでいる。

 その向かいと隣には、店と民家が瓦屋根を連ねている。

 だが、コウスケ爺さんは気にも留めていなかった。

「何、夢や夢、今のうちに」

 着流しのロキが、それを調子よく持ち上げる。

「そう、夢から醒めたらまた、長兵衛さんとお絹さんを探しましょう」

「お前は」

 その首根っこを掴もうと、タオが手を伸ばした。

 ロキは軽やかにくるりと回って、紙一重の差でかわす。

 それに合いの手を入れるように、信楽焼の狸はポンと掌を打ち合わせた。

「おお、そうや、忘れるとこやった……」

 半泣きの番頭さんが、いらいらと尋ねる。

「今度は何ですかいな」 

 相手が困り果てていようと何だろうと、爺さんはお構いなしである。

「いや、これが夢やとすると、長兵衛はんとお半は……」

 はるか上から見下ろす2つのギョロ目を、はったと番頭さんは睨み据えた。

「最初からおりまへんがな」

 信楽焼の狸はきょとんとする。

「すると、番頭はんも?」

 番頭さんは、深いため息をついた。

「勝手に夢にせんといてくれやす」

 その時だった。

 三味線の音が、遠くから聞こえてきた。

「あれ、長兵衛さん」

「お半や、こうなってしまったからには……許せ、お絹」

 長兵衛とお半の道行きを語るのは、三味線を弾きながら現れたシェインだった。

 楽器と鬼娘の取り合わせについて行けないエクスは、ぽかんとしながら尋ねた。

「何で?」

 シェインは、そんなことなんでもないという風に、あっさりと答える。

「お師匠さんに習ったのです」

 タオは、胸を張って義妹を自慢した。

「覚えが早いって喜んでたぜ」

 野太い声が、怪訝そうにつぶやいた。

「何や、これは」

 信楽焼の狸に見下ろされても、番頭さんは動じる気配がない。

 悠々と座ったまま、事の顛末にケリをつけた。

「あの二人、とっくの昔に心中してしまいました」


第4景 爺さん大暴走


「ウソをつくなあああ!」

 喚き散らすコウスケ爺さんは、京の都を破壊せんばかりの勢いで歩き出す。

「そんなわけあるかああああ!」 

 破れ笠をかぶった、巨大な狸が吼えた。

 太鼓腹にフンドシ一丁、大福帳を片手に、もう一方の手には大徳利。

 ゆっくりと、最初の一歩を踏み出す。

 向かいの店が、その丸まっちい足に押しのけられて傾いだ。

「ワシはなあ、ワシはなあ、世間様にご恩返しがしとおて、喧嘩の仲直り手伝おてるだけやないか、何があかんねん!」

 レイナは精一杯の大声で訴えた。

「お爺さんは悪くありません!」

 怒りを鎮めるための呼びかけを、ロキは真逆の意味でフォローする。

「その通りです、これは夢、存分になさってください」

 間髪を入れず、タオが雄たけびを上げて大剣を薙ぎ払った。

「ロキ! 諦めたんじゃなかったのか!」

 優雅な着流しの男が、唸る刃を身体を反らして鼻先でかわす。

 吹き抜ける大剣を目の前に眺めながらしれっと答えた。 

「私は物語のせいで不幸になる人を見たくないだけです」

 そのやりとりの傍らでコウスケ爺さんは熱く吼える。

「どこじゃあ、長兵衛はんにお絹はん、お半さんも出てきなはれ!」

「どこにもおりまへんがな!」

 帯屋の番頭は必死で止めるが、雄叫びは止まなかった。

「ワシが八方丸う収めたる!」

 もはや、何者の声も耳に入ってはいない。

 帯屋のお家乗っ取りに、主人に仕掛けられた不倫疑惑の罠。

 コウスケ爺さん、一世一代の大イベントである。

 これを解かずしてなるものかという気迫が、信楽焼の狸の全身からオーラとなって燃え上がった。

 さらに一歩を踏み出そうと片足を上げる。

 瓦屋根が揺れ、柱がきしむ音がした。

 信楽焼の狸と化したコウスケ爺さんの巨体で傾いでいた、向かいの店だった。

 番頭さんが、気を失って倒れる。

 正義のための、最初の犠牲がひとり……。


第5景 シェインの祈り


 だが、いたいけな少女の幼い声が、巨大な足を止めた。

「お爺さん!」

 三味線を手にしたシェインが、笠の陰になった顔を見上げていた。

 狸のギョロ目が、きょとんと見開かれた。

「お嬢ちゃん?」

「シェインは、シェインは汽車、楽しかったのです」

 その言葉は、説得になっていなかった。

 全く脈絡がない。 

 その上、眼には涙がじんわりと滲んでいるようでもある。

 普段の冷静沈着さからは考えられない支離滅裂さだった。

 だが、コウスケ爺さんはぴくりとも動く様子がない。

 そこで、レイナも畳みかけた。

「月夜の夜船も素敵でした」

 これも全く関係ない。

 エクスが横から囁いた。

「寝てたくせに」

「白河夜船というでしょう?」

 どこで覚えたのか、日本語の喩えをさらりと使ってみせる。

 この辺りは、お姫様の余裕というべきか。

 一方の、カオステラーの導き手は邪魔者の出現に焦っていた。

「コウスケさん、さあ、お半さんと長兵衛さんが待っています!」

「まだ言うか!」

 再びタオが大剣を振り上げる。

「おお、それやそれや、忘れとった」

 再び信楽焼の狸が巨大な足を持ち上げる。

 向かいの店の屋根瓦が数枚、地面に落ちて割れた。

 もはや、ロキを相手にしている場合ではない。

 タオが大剣を担いで、もう一本の太い足めがけて突進した。

「悪いが爺さん、ここは……」

「タオ兄!」

 ポニーテールの小柄な鬼娘が絶叫した。

「よせ、タオ!」

 エクスの制止は届かなかった。

「やめなさい!」

 レイナが命じてたところで、そもそも聞く男ではなかった。

 タオの大剣が横薙ぎに、砂塵を巻き起こす。

 その前に、ロキが立ちはだかった。

「おっと、人が傷つくのは見たくないって言ったでしょう?」

 大剣は、構うことなく振り抜かれた。

 だが、ロキの手はタオの喉を掴んでいた。

「お返しです」

 タオの手から、大剣が落ちる。

 ロキの高笑いが響く中、鬼娘が絶叫した。

「シェインのお願いなのです、お爺さん!」


第6景 明治10年のモーツァルト


 その祈りが届いたのかどうか。

 コウスケ爺さんは、ゆっくりと足を下ろしてつぶやいた。

「待て」

 ロキが怪訝そうな顔で、信楽焼の狸を見上げた。

 その隙を突いて、もがくタオが喉を掴む手から脱して地面に転がる。

 見下ろす金色の目を、シェインもエクスもレイナも呆然と見上げていた。

 その眉間に、困ったような皺が寄る。

「これが夢なら、本物はどないなことになるんや?」

「え……?」

 じっと見つめられたロキは、答えに詰まった。

 その隙に、エクスが動いた。

 再び「空白の書」に挟まれた「導きの栞」に、ワイルドの紋章が浮かび上がる。

「悪いね、モーツァルト」

 囁くと共に、どこからか、ピアノの音が流れてきた。

 巨大なコウスケ爺さんの足が止まる。

「これは……」

 どこから取り出したのか、黒薔薇の花を片手にエクスが答える。

「Pianoの音です」

「ピアーノウ?」

 仕事一筋に生きてきたコウスケ爺さんは、聞いたことがあるかどうか。

 それは、モーツァルトの「未完のレクイエム」だった。

 やがて、ヨーロッパの旋律に和する日本の楽器の音が聞こえてきた。

 シェインが三味線で伴奏し始めたのだ。

 昼日中に足下から湧き上がる闇の中、金色の目がうっとりと閉じられる。

「お嬢ちゃん、上手いなあ……大きゅうなったらさぞかしええ娘さんに……」

 小路に転がったまま、和洋の旋律に聞きほれる信楽焼の狸を見上げるタオが自慢した。

「そりゃあ、俺の妹だからな」

 徳利に口をつけた大狸が、陽炎にも似た熱い息をほうっとついた。

 どうやら、本当に酒が入っていたらしい。

 しみじみと、兄貴分に説教を垂れた。

「ええ婿さん見つけたりや」

「それは……その」

 答えに窮したタオにちらと視線を送られたシェインが、三味線を弾きながらそっぽを向く。

 何となく気まずい二人に助け舟を出すように、レイナがコウスケ爺さんに語り掛けた。

「こんなふうに、時代って変わっていくんですね」

「変わったなあ……」

 爺さんの口調は、何やら哀しげでもある。

 ロキが慌てて割って入った。

「コウスケさん、お半と長兵衛さんは……」

 巨大な狸が大きなあぎとを開いて威嚇する。

「うるさい、今、ええ話してんねん」

 さっきまでの敵は、味方となった。

 タオが大剣を拾い上げる。

 ロキは肩をすくめた。

「やれやれ、ヴィランはなし、コウスケさんはこの通り……」

 2つの刃が続けざまに閃いた時、そこに人影はもうなかった。

 負け惜しみのぼやきを残して……。

「もう付き合ってられません」

 男たちのささやかな暗闘など知らぬげに、ピアノの旋律に乗せた三味線の伴奏は続く。

 レイナが、ひとつの時代を生きた先人を前に、敬意のこもった眼差しで語り掛けた。 

「そんな時代の変わり目の中で、コウスケさんは一生懸命生きていらした」

 闇の中で光っていた目が、次第に光を失っていく。

 だが、その声は自信に満ちていた。

「大変だったぞ、明治のご一新は」


第7景 大団円?


 片手に大剣を担いだタオが、もう片手を口元にあてて呼びかけた。

「男だぜ、爺さん」

 三味線を器用に弾く鬼娘も、淡々とした声で甘えてみせた。

「シェインは、お爺さん、大好きなのです」

 掲げた薔薇の花越しに、エクスも闇の中の老人を眺める。

「僕も、年を取るなら、こんなふうになりたい」

 3人の声を背負うように、レイナは一歩前に進み出た。

「息子さんもお嫁さんもお孫さんも、みんな、コウスケさんが大好きなんです」

 会ってもいない相手のことであっても、そこはレイナだ。

 もとは一国のお姫様である。

 まるで一家と旧知の仲であったかのように聞こえる。

 闇の中に消えたコウスケ爺さんは、照れ臭そうにごまかした。

「何言うてんねん、ケツの穴がこそばゆうなるやないか」

 レイナは微笑んで、大きく手を広げた。

 それはまるで、幕末から明治までを仕事一筋に駆け抜けてきた老人の思いを、すべて受け止めようとでもするかのようであった。

「もう、意地を張らなくたっていいじゃありませんか」

 しばしの沈黙があった。

 それは考え込んでもいるかのようであり、遠い昔に思いを馳せているかのようでもあった。

 タオは、大剣を背中に戻した。

 三味線を奏でながら、シェインは鎮魂の闇の中を無言で見つめている。

 エクスが黒薔薇の花を高々と投げ上げると、花びらが一陣の風に舞い散った。

 未完のレクイエムが、最高潮を迎える。

 やがて、闇の中からコウスケ爺さんの声がした。

「そやなあ、死んでしもうたもんはしゃあないなあ……」

 そこにはもう、最前までの気負いはなかった。

「長兵衛はんもお半さんも、気の毒したなあ……」

 ピアノの音が、風に吹き散らされたように遠ざかっていく。

 それは200年以上も昔に、終わりを奏でることのないままで残された旋律であった。

 いつしか、その音はシェインが奏でる三味線に引き継がれていた。

 その譜に乗せるかのように、レイナが手にした本の一節を詠唱する。

 「魔法の王国」……。

 かつてレイナの治めていた国が、その中に収まっているのだという。

 開かれたページから、無数の蝶が飛び立った。

 悲劇であれ、喜劇であれ、物語の出来事をあるべき結末へと導く「妖精」たちである。

 まばゆく光る羽と羽とが交差する間で、地面から噴き上がる闇が次第に薄れていった。

 日の少し傾いた昼下がりの小路が戻ってくる。

 そこには、でっぷりと肥えた男がひとり倒れていた。

 赤ら顔の、頑固だが憎めない老人。

 コウスケ爺さんは元の姿で、大いびきをかいていた。

 三味線を弾きながら、シェインがすぐそばに歩み寄った。

「お爺さん、お爺さん、起きてくださいなのです」

 閉じた瞼がびくびく動いたかと思うと、さっきの信楽焼の狸のような目がギョロリと見開かれた。

 手足を伸ばして大きなあくびをするや、頭やら尻やらをぼりぼり掻きながら起き上がる。

「あれ、ワシ、ここで何を……?」

 レイナとエクスは顔を見合わせた。

 もちろん、知らない顔をするわけにもいかない。

 だが、教えたら教えたでひと悶着起きるだろう。

 爺さんはタオをじっと見た。

「おお、若いの、またうたのお」

「あ、ああ……」

 タオはこめかみ辺りを掻きながら空を仰いだ、

 曇りのない、抜けるような青空である。

 爺さんは爺さんで、辺りを見渡した。

「ここはどこじゃ、確か……」

 いつの間にか目を覚ましていた番頭さんが、諦めきったように静かな口調で答えた。

「京都市柳馬場やなぎのばば押小路おしのこうじ虎石町とらいしちょう西、帯屋の前でおます」

 そこでコウスケ爺さんは、再び目を怒らせて跳ね起きた。

「それや思い出した、おい帯屋、この店に長兵衛いう主がお半とかいう娘と……」

 肩を張って番頭に詰め寄るのを止めようと、タオとエクスが背後から駆け寄る。

 だが、追うものと追われるものの足は、可憐な声と共に止まっていた。

「待ってなのです」

 シェインだった。

 コウスケ爺さんに、静かに歩み寄る。 

 エクスとタオが道を空けたのは、邪魔をするまいとしたのか、あるいは幼い娘とはいえ、鬼の発する無言の気迫に圧されたのか。

 目をぱちくりさせる爺さんの目の前で、シェインは淡々と事実だけを告げた。

「長兵衛さんとお半さんは亡くなったのです。手を取り合って」

 明治10年の、京の都の一隅。

 江戸の昔の風情がどこやら残っている瓦屋根の家々に挟まれた小路に、時代の変わり目を生きたひとりの男が立ち尽くした。

 しばしの沈黙が、辺りを支配する。

 だが突然、男は絶叫した。

「しまったあああああ!」

 番頭さんが店に駆け込んだ。

 吹き飛んだはずの屋根は、何事もなかったように店の上にかぶさっている。

 エクスとタオは身構えた。

 レイナは息を呑んで事の成り行きを見守っている。

 シェインだけが、動ずることなくコウスケ爺さんを見つめていた。

 好々爺は、悔しげに嘆く。

「やっぱり汽車で来るんだった」

 ぽかんと口をあけたままの「調律の巫女」一行。

 日も暮れないうちから、どこかでカラスが間の抜けた声で鳴いた。


 おあとがよろしいようで。

(完)

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動乱のコウスケ 兵藤晴佳 @hyoudo

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