信楽焼のカオステラー

第1景 悪の巨魁の自信喪失


 エクスとレイナが柳馬場押小路虎石町西にたどりついたとき、真っ先に目についたのは、店の前でガックリと膝をつくロキだった。

「勝手になさい、私はもう知りません」

 店の中からは、コウスケ爺さんの喚き散らす声が聞こえる。

「このコウスケの眼は節穴やないで、長右衛門さん!」

 エクスはロキに詰め寄った。

「一体何が……」

 ロキは立ち上がることもできず、片手でようやくエクスを制した。

「おっと、私は何もしていませんよ」

 レイナは、店の中から聞こえるやり取りに耳を澄まして答えた。

「そうでしょうね」

 コウスケ爺さんの怒鳴り声に応対しているのは、店員の中でかなり偉い人だろう。

 声の落ち着きが違った。

「うちの主は太兵衛でございます」

 爺さんは自信たっぷりに問いただす。

「お隠しあるな。こっちは全部お見通しや」

 胸を張って、店の中で大声を上げる。

「お絹さん! あんたはよおできたお内儀や! 出て来なはれ!」

 正義が100%自分にあると信じて疑わない老人の圧力にも、店員は動じなかった。

「手前のおかみはハナと申します」

「えらい番頭はんや、主の恥をここまで……では、お半さんのところへ」

 コウスケ爺さんはひとりで感動して、ひとりで話を大きくしていた。

 ロキは、深いため息をつく。

「私は、このいざこざを防ごうとしたのです」

 にわかには信じがたいという顔で、エクスは聞き返した。

「お前が?」

 ロキはむっとして言い返す。

「勘違いしてもらっては困ります。私は物語に生きる人々を苦しめたいわけではありません」

 それを聞いて、エクスは軽蔑交じりの怒りを言葉に乗せた。

「お前がコウスケ爺さんをそそのかしたんだろ?」

「たぶん、逆」

 それをたしなめたレイナに、ロキは賛辞を贈って弁解を始めた。

「お姫様はよくお分かりだ。私はこれが浄瑠璃の台本であることを道すがら説いて聞かせたのです」


第2景 燃える! 大阪のお爺さん


 店の中からは長い押し問答が続いている。

「少々お待ちを……」

 コウスケ爺さんの無理難題を、中にいる番頭さんが必至でなだめて抑えようとしているのは声で分かる。

 だが、それを聞くご老人ではなかった。

「待つも待たんもあるかいな、ここは柳馬場押小路虎石町西やろ」

「さいでございます」

 下手したてに下手に出て、何とかお引き取り願おうとするいじましい努力に、ロキがつぶやいた。

「番頭さんも気の毒に……」

 正義の勢いに乗ったコウスケ爺さんの尋問はしつこく続く。

「主は帯屋長右衛門」

「太兵衛でございます」

 番頭さんの声は淡々と訂正する。

 爺さんは食い下がった。

「お内儀はお絹」

「お花でございますが」

 声がいささか低く沈んだのは、頂点に達した怒りを歯ぎしりしてこらえているからだろう。

 よせばいいのに、コウスケ爺さんは押しの一手を緩めることはない。

「主は旅籠の娘、お半に慕われ」

「人聞きの悪い……ん?」

 一度交わされたであろうやり取りを繰り返す不毛さにうんざりしたのか、番頭さんは怒りを抑えてうめき声を上げたが、はたと気づいたことがあるようだった。

 だが、コウスケ爺さんはそれに気づいた様子がない。

「どうじゃ、心当たりがあろう」


 得意げな声を聞きながら、ロキは力なく語り始めた。

「この人には、何を言ってもムダでした。そもそも、心の中に物語がないのですから」

 エクスが問い返した。

「物語が、ない?」

「幼いころから貧しさを噛みしめてきた彼は、仕事で財を成すことしか考えていなかった」

 レイナは、ロキの言わんとすることを察したようだった。

「物語を生みだす、心のゆとりがなかったのね」

 宿敵同士が、お互いに理解し合っている。

 話題についていけないエクスは、ひとりで取り残された。

 囁き声でレイナに尋ねる。

「……どういうこと?」

 レイナは仲間外れのひがみを感じたのか、悪戯っぽく微笑んだ。

「物語っていうのはね、本当のことから目をそらさないと生まれないの」

「本当のこと?」

 エクスは少し戸惑った。

「それから目を背けちゃいけないっていうんなら分かるけど」

「それがエクスのいいところなんだけど」

 レイナは、急に静まり返った帯屋を見つめた。

「あのお爺さんは違うの。いい人だけど」

 ロキが皮肉っぽく笑った。

「珍しく意見が合いましたね」

 レイナも笑顔で応じる。

「じゃあ、ここで手を引いてくれないかしら」


第3景 ロキの往生際


「冗談じゃありません!」

 帯屋を背に立ち上がったロキは高らかに叫んだ。

 店から丁稚がちょこまか出て来る。

 路地の向こうから、和装や洋装の人影……。

 それらがヴィィランとなって、エクスとレイナを包囲した。

 カオステラーの導き手は、いつになくムキになっていた。

「せめてあなた方には、ここで消えてもらわないと」

 レイナは苦笑した。

「コウスケ爺さんを思い通りにできないのが、よっぽどお気に召さなかったのね」

 ロキは冷静を装いながらも、口元を歪めた。

「お察しください、これでも私は自分の仕事に誇りを持っているんです」

 エクスは背負った堪忍袋の緒に手をかける。

「そういうの、八つ当たりって言うんだよ」

 幸い、狭い小路を通る者はない。

 だが、その曲がり角の向こうには、行き来する人影が見えた。

 剣を抜くのを見られたら、最初のいざこざの二の舞になる。

 だが、京都駅前で読んだファントムを再び招く余裕はない。

 「導きの栞」を「空白の書」に挟めば、その隙にヴィラン達は襲いかかってくるだろう。

 唯一、武器となるのはレイナの杖だが、あまりあてにはできなかった。

 むしろ、エクスが彼女をどうやって守るかが問題である。 

 ロキが面白くもなさそうに、淡々とエクスに答えた。

「図星です、情けない話」

 ヴィランたちはロキの合図を待っている。 

 鋭い爪を剥き出しにして。

 あるいは、杖や短い刃物を手に。

 中には、和服洋服構わず、懐に手を入れて……。

 そこには、拳銃が潜んでいる恐れもある。

 今にも飛びかかってきそうなヴィランたちを見渡しながら、レイナは強がった。

「私、あなたのそういうところ、嫌いじゃないです」

 ロキは一瞬だけ目をしばたたかせたが、やがて手を高々と挙げた。

「そう言っていただいて光栄です、お姫様!」

 ヴィラン達が金切り声を上げた。

 文明開化花盛りとはいえ、舗装にはいまだ遠い小路が土埃を立てる。

 一斉に、緑色の矮人たちが襲いかかる。

 エクスが、目を怒らせて絶叫した。

 レイナをかばって地面を蹴ると、ヴィランが2体、3体と斬り捨てられる。

 だが、とても間に合いはしない。

 レイナの真後ろ、手斧を持った丁稚姿のヴィランが迫った。

 エクスを、洋装の紳士が拳銃で狙っている。

 このままなら、次の瞬間には、どちらも絶命する。

 このままなら……。


第4景 旧約聖書の巨人と信楽焼


 その時だった。

「今よ!」

 レイナが叫ぶと、ひとりの男の絶叫が辺りにこだました。

「蛮勇神話あああああ!」

 そろそろ昼近い太陽を遮って、大きな身体が降ってきた。 

 着地の瞬間、バランスを崩して倒れる。

 どうやら帯屋の屋根から飛び降りたらしいが、あまり身は軽くないようだ。

 それでも、叩きつけられる手斧ごとヴィランは吹き飛ぶ。

 轟音と共に拳銃が連続で火を噴いたが、弾丸はことごとく跳ね返された。

「当たりゃしねえぞおおおお!」

 エクスが安堵と喜びの入り混じった声で、咆哮する仲間の名を呼んだ。

「タオ!」

 仁王立ちする逞しい身体は、ゆらめくオーラに包まれている。

 それは「導きの栞」によって出現した、旧約聖書の巨人ゴリアテの力だった。

「待たせたな、お嬢」

「慣れない軽業なんかするもんじゃないわ」

 一行のリーダーの座を争う者同士が互いに不敵に笑った。

「いつ気づいた?」

「屋根瓦を踏む足音でバレバレでした」

 それを聞きながら、ロキは額に青筋を立ててタオとレイナを睨みつけていた。

 エクスがつぶやく。

「ま、気付かなかったのは僕も同じさ。気にすることないよ、ロキ」

 その手には、「導きの栞」の挟まれた「空白の書」が光を放っている。

「それは……」

 全て、レイナがタオの存在に気づいて仕掛けた狂言だったということである。

 悔し気なロキの呻きに答えるかのように、エクスは陽気に叫んだ。

「一緒に踊ろうぜ、アリババ!」

 一陣の風と共に砂塵が舞う。

 中天に昇りつめた太陽が、蜃気楼に揺れるアラビアの風雲児の姿を照らし出す。

オープン・セサミ開け、ゴマ!」

 ヴィランの群れに向かって突進するエクス。

 振るう拳が嵐となって、カオステラーの手先を次々に屠り去った。


 店先の乱闘騒ぎも耳に入らないくらい、帯屋の番頭は真剣に考え込んでいた。

 コウスケ爺さんはコウスケ爺さんで、いい加減なことを言うとただでは置かんぞという姿勢で、店の玄関に座り込んでいる。

 絶体絶命の危機に知恵を絞っていた番頭は、ようやくある一言に気づいた。

「お半長?」

 コウスケ爺さんが、得たりとばかりに吼える。

「おお、白状したか!」

 その瞬間を、ロキは聞き逃さなかった。

 手下がエクスの拳で粉砕されているのも構わず、店の中へ駆け込んで、怒りと正義の興奮に我を失った老人をけしかけた。

「そうです、コウスケさん、ここがその帯屋です!」

「ロキ!」

 レイナの制止は間に合わなかった。

 間に合ったとしても、ロキが応じるはずもない。

 次の瞬間、店の屋根が吹き飛んだ。

 最後のヴィランを粉砕したエクスは、それを見上げる。

 大きな影が差した。

 とっさに、タオがレイナをかばって空を見上げる。

 真昼の太陽を遮って、立ちはだかる巨大なもの。

 店を壊された番頭さんも、いや、これを仕組んだはずのロキも、そこに現れたものを唖然として見つめるしかない。

 それは、巨大な信楽焼の狸。

 カオステラーに捕らわれたコウスケ爺さんの姿だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る