恵 三十と一夜の短篇第6回

白川津 中々

第1話

 砂浜には二人だけ。私と、恵。二人だけが、そこに存在している。

 恵が産まれたのは六年前。私もあの人も幸せの絶頂であった。世界が私達を祝福してくれている。そう思っていた。


「脳に異常がみられます」


 医者の言葉は冷たく重かった。私には背負えきれぬほどに……


 成長するにつれ、恵は手がつけられなくなっていった。喚き、騒ぎ、暴れる。手に負えず私は泣く事しかできなかった。そんな様子を見てあの人は「別れよう」と冷淡に言ってのけどこかに消えてしまった。私には、恵しか残されていなかった。


 二人の思い出が消えていく。二人の愛が消えていく。辛く、悲しい。私は正気を失っていた。変わらず暴れ続ける恵。湧き上がる憎悪。

 お前さえ、お前さえ産まれてこなければ!


 気がつけば包丁で刺していた。何度も何度も刺していた。鮮血。温かい血液。ズブズブと肉に入っていく感触は形容し難い。


「おかーさん…………」


 血塗れになりながら、恵はそう呟いてぐたりとなっていた。周りは我が子の血と中身。我に帰り泣き叫ぶも、私の絶叫だけがそこには響く。私は、一人。ワタシハ、ヒトリ……





「おとなしくしていて、今日はおりこうさんですね」


 赤い水着をまとった恵をバッグに入れて私は海に来た。広く大きな水の塊は、こんな私でも受け入れてくれると思った。




 砂浜には二人だけ。私と、恵。二人だけがそこに存在している。

 一歩。一歩。前を見て、砂を踏みしめ、水に浸かっていく。私は、私達はゆっくりと進み、眼下に広がる水平線を目指していく。


「おかーさん…………」


 波風の音に混じって恵の声が聞こえてくる。


 もう少しで会えるからね。待っていてね。

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恵 三十と一夜の短篇第6回 白川津 中々 @taka1212384

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