俺は勇者だった。

遠野蜜柑

俺は勇者だった。

 俺は勇者だった。


 いつからそうだったのかはわからない。生まれてきた時からそうだったのかもしれないし、生まれてしばらく経ってからそうなったのかもしれない。


 とにかく、物心ついた頃には俺は俺が勇者であることを知っていた。誰かに教えられたわけでもなく、俺はその事実を知っていた。


 紛れもなく俺は勇者だった。


 誰が何と言おうとも、誰のための勇者であるのかわからずとも。


 俺は天を見上げて立ち上がり、虚空に手を伸ばす。


「…………」


 かざして握りしめた手の平の中には何も掴まれてはいなかった。





「お、鏑木かぶらぎ。やる気あるなぁ。それなら教科書の続きを読んでくれるかい?」


 俺の行動を起立し、挙手したのだと勘違いした初老の社会科教師は俺を当ててきた。


 現在俺がいるのは三限目の授業中の教室。中の上程度の私立高校の校舎内。


 俺の視線の先にあるのは青々と広がる晴天ではなく、薄汚れた校舎の天井だった。伸ばした手を引っ込めて開け閉めするが、やはりそこには何もない。


「俺は勇者だ……」


 照明によって目がちかちかしていた。空を阻む偽りの光は俺の視界さえも虚像に彩ろうとする。


「うむ。勇者でもいいから続きを読んでくれるかな」


 教師は特に取り乱す様子もなく、落ち着いた調子で俺を諭すように再度指示を飛ばしてきた。さすがはベテラン教師。


 理解の及ばない生徒への対応策を自分なりにきちんと身に着けているようだった。


 教室内の同級生たちは見飽きたお馴染みの光景とばかりに生暖かい視線を見せていた。中には侮蔑の意思も若干見え隠れするが、それはほんの一部だ。


 どうにも俺の勇者発言は持ち芸かギャグの一種だと認識されているようなのであった。


 真実なのに。困ったものである。


 ……このように俺が勇者であることは世間一般には認知されていない。というか誰も信じていない。


 俺はいつも声高々に喧伝しているわけだが、まともに聞き入れられたことはなかった。まあ、俺はまだ勇者らしいことを何かしたわけではないから現状は仕方ないと割り切っている。


 いずれ皆にも俺の言葉が本当だったとわかるときがくるだろう。事実とは巡り合わせによっていずれ白日の下に晒されるのがこの世の理だ。


 焦ることはない。


 俺は立ったままの状態から教科書を持ち上げてページを睨んだ。勇者たる俺はどんな困難からも目を背けず、臆さず突き進む。


 たとえその先にわかりきった苦しい未来が待ち受けていようとも。


 額に汗を滲ませながら、重い口を開く。



「……先生、続きとはどこからでしょうか」


 ベテラン教諭は呆れた顔を見せ、教室の同級生たちはくすくすと失笑を漏らした。



 勇者である俺は宇宙船地球号日本国における一般的な男子高校生でもあった。


 今のところは、な。





研磨けんまくん、さっきのあれはないよ~」


 ころころと愛くるしい笑顔を見せながらお隣さんの幼馴染み、小山内結羽おさないゆいはは愉快気にそう言った。


「お前みたいなのを中二病っていうんだぜ? 知ってるか?」


 女子バスケ部に所属する体育会系少女、中越純夏なかごしすみかは俺を揶揄した言葉を吐く。


 現在は放課後。


 夕日の差し込む帰り道。俺は帰宅方向が同じ面子の二人と連なって歩いていた。


 彼女らとは家が近く、何だかんだとフィーリングが合うためこうして揃って下校することが度々あった。


 ふわふわした髪質の茶髪の幼馴染みと赤みがかった髪色のミディアムヘアを乱雑に後ろで纏めたヘアースタイルのスポーツ少女。


 一見すると両手に花の光景だが、生憎そんなことはない。この三人の付き合いはそれなりに長いがこれまで恋バナのこの字も出る気配はなかった。


 そもそも俺に必要なのは恋人よりも勇者のパーティに相応しい頼りがいのある戦士たちだしな。


「中二病なら知ってるぞ。自分の前世は魔王だったとかそういうありもしない妄想を脳内で組み立て、まさしくそのように振る舞うイタイ精神疾患だろう」


 そういう虚言を語るやつらがいるせいで俺の言葉の信憑性が下がっているのである。まことに迷惑極まりない連中だ。


「……お前、自分で言っていてつっこみたくならないのか?」


 純夏は信じられない生命体を見たと言わんばかりの顔をした。こいつは己の思考が前提で間違っていることに気が付いていないらしいな。


 やれやれ、しょうがないやつだ。


「俺が勇者なのは事実だからそいつらとは関係ないだろ」


「だからぁ! その発言が中二病なんだよッ!」


 俺が優しい口調で正してやると純夏は激昂した。まったく、女は矛盾点に事実を提示して論理的に指摘するとすぐ感情的になるから困る……。


「ちくしょう……こんなやつにワンオンワンでストレート負けしたなんて……」


 もともと純夏は結羽の友人で、勇者であることを隠さずに公言する俺を気の触れたやつとして毛嫌いしていた。


 女子にしてはそれなりの長身を持つ中越純夏は中学でも高校でも、一年生から即レギュラーを取れるくらいにすぐれたバスケットボールプレイヤーだった。


 そんな彼女は中学時代、俺と結羽が親しいことを気に入らず、自分の得意分野のバスケットボールで勝負を挑んできたのである。


 結果は彼女が言ったように俺のストレート勝ち。


 彼女に一度もゴールを許さずに圧勝した。納得のいかなかったらしい純夏はそれから何度がリベンジを申し込んできた。それもすべて俺の勝利だったが。


 そうやって幾度も挑まれ、返り討ちにしてを繰り返しているうちに俺たちはいつしか気が置けない仲になっていた。正面からぶつかり合って最初から遠慮がなかったおかげか、実にストレスフリーな関係性が奇跡的に構築できていたのであった。


「俺はそう簡単には負けん」


「こんな変人なのに勉強も運動も優等生とか許せない……」


 純夏はぐぬぬと唸った。


 ふっ、勇者である俺は一対一の決闘でそうそう敗北を喫したりはしないのだ。


 スポーツはなんだってレギュラークラスにはできるし、勉強だって今日はちょっとヘマをしたがテストではそこそこ上位をキープしている。


「研磨くんは勇者様だもんね~」


「そうだ。俺は勇者なのだ」


 結羽の称賛に俺はたいへん気をよくした。小山内結羽は俺が勇者だということを肯定してくれている数少ない人物であった。


 どういう理由があって信じてくれたのかはわからないが、真実を見抜ける器量を持っている彼女はなかなかの慧眼の持ち主だと評価できる。


「勇者様なら、わたしのこともちゃんと助けてね?」


「任せておけ」


 幼馴染みの要求に俺は胸を反らして答えた。なんならお前のための勇者になってやってもいいところまであるぜ。


「こいつにそんな甲斐性ねーよ」


 純夏が茶化すが気にしない。俺は勇者で最強だから。甲斐性だってあるのだ。そりゃもう抜群にな!


「お前も、もう少し物事を正確に見定める審美眼を養うことができたら俺の右腕にしてやってもいいんだが」


「誰がお前の右腕になんかなるか!」


 脛を蹴ろうとしてきた純夏の足を俺は最小限の動きで躱して格の違いを見せつける。


「まだまだ鍛錬が足りないな」


 そして蹴りの反動で生まれた純夏の隙を突いて頭をぽんぽんと叩いてやった。


「ぐぬぬぬ……」


 ふはは、真っ赤になって悔しそうな顔をしておる。


 俺は非常に満たされた気分になった。





 俺たちは寄り道をして近所の公園で駄弁っていた。


「そういえば小さい頃はここで二人でよく遊んでたよねぇ」


 ふと過去を懐かしむように結羽が園内を見渡して言った。


「そうだな。あれは小学校に上がる前くらいだったか」


 小学校に進級してからは互いに交友関係が拡がったり、周囲の目を気にしたりで二人きりになって何かをするということはあまりなくなった。


 だからといって疎遠になったわけでないのは今の関係を見ればわかるだろう。


「その当時からこいつは勇者馬鹿だったのか?」


 純夏がどうせそうに決まっていると言いたげな顔で訊いてきた。


「どうだったかなぁ。そうだったかなぁ」


 結羽は首を捻って思い出をほじくり返そうとしている。


「うむ、どうだったか」


 俺も同じく曖昧ではっきりと断定はできない。不思議と自覚を持った時のことについては記憶が曖昧なのだ。


「へぇ、俺は生まれた時から勇者だったんだーって言わないんだ?」


「それは言わない。俺は確実性のないことは言わない主義だ」


 でも今は間違いなく俺は勇者だ。それは自信を持って言える。


「……それツッコみ待ちなの?」


 純夏は胡散臭そうな目つきで俺を見ながらそう言った。こいつの言っていることは時々わけがわからんな。





「しかし、なんだ。俺は勇者であるが、この世の中ではちっとも俺を求める声が聞こえてこない」


「そりゃあまあ、そうだろうね」


 何を当たり前のことをと純夏が横やりを入れてくる。


「あの夕陽が俺を勇者が必要な世界へ連れて行ってくれないものか……」


「うんうん。いつかその時がきっと来るよ」


 結羽はいつだって俺の本質を見抜いた的確な合いの手を入れてくれる。やはり見込みのあるやつだな、俺の幼馴染みは。


「そういうところが中二病なんだよなぁ」


 対称的に純夏のやつは呆れているようだった。そういうところが駄目なんだよ。結羽を見習え。





「ねえ、お兄ちゃんたちは勇者様なの?」


 俺たちがごく日常的な会話を交わしていると、いつの間にやらフードを目深に被ったローブの子供が傍に来て佇んでいた。


 おさげ髪が見え隠れしていることから少女なのだろう。一体何の仮装だろうか。今は春でハロウィンの時期ではないはずだが。


 疑問を持っているのは俺だけのようで、


「わたしは違うよー」


 結羽はお気楽に返事をした。純夏はわざわざ答える必要はないと判断したのか、少女を見て微笑ましそうに笑うだけたっだ。


「勇者様なら、魔王を倒してくれる?」


 少女は俺の制服の裾を引っ張りながら訊ねてきた。その声音はまさしく勇者に救いを求めるものだった。俺の琴線にビビッときた。


「ああ、もちろんだ」


 俺はしっかりとした口調で答えた。それが勇者である俺を求める声に対する真摯な対応というものだ。


「なら、お願いするわ」


「なに?」


 少女が指を鳴らすと俺の足元に光の円が発生し始めた。


「こいつは一体……」


 足元の円には俺の読めない謎の文字が散りばめられていた。さながらそいつは魔方陣のようだった。光は徐々に俺の全身を包んでいく。


「すごいなこれは! なぁ! ……結羽?」


 俺は興奮気味に幼馴染みに話しかける。


 さぞ驚いているだろうと思いきや、結羽はいつもの締まりのない抜けた表情ではなく理知的な顔つきで俺を見つめていた。


 彼女の前髪に留められた銀色のヘアピンがキラリと輝く。フードの少女の姿はどこにもいなくなっていた。


「お前、何を知っているんだ?」


 気心の知れた幼馴染みの豹変にさしもの俺も驚きを禁じ得ない。


「この場所で待ってるから。すべてを思い出したら、またここで会いましょう」


「思い出す……だと?」


「わたしを助けてくれるんでしょう?」


「だから何を――」


「はああああああああああああっ? 飲み込まれるうぅぅぅぅぅぅ!」


 うるさい喚き声で俺の言葉は封殺された。


 見れば隣にいた純夏の足元にも同じような魔方陣が出現していた。あーあ、しっかり否定しないから……。


「なんであたしまでぇぇぇ!」


「お前も今日から勇者だな」


 俺は彼女の肩を優しく叩いて慰めてやった。


「そんなのなりたくなぁぁ――」


 俺たちは光に吸い込まれ、この世界から姿を消した。





 目を開けると、大理石の壁に赤い絨毯という中世の匂いがぷんぷんとするただっ広い部屋の中心に佇んでいた。


 目の前には王冠とティアラをつけた男女二人が立っていた。


「おお、救世主様じゃ! 救世主様の御来迎じゃ!」


「お父様、救世主様ですわ! それが二人も!」


 壮年の恰幅のいい男性と俺たちと同年代くらいの少女の二名は手を取り合って歓喜の表情を見せている。


 男性は王冠をつけているし王様的な立場の人間だろう。マントとかもつけていて威厳ある格好をしようと心がけているのがわかる。


 少女は男性を父と呼んでいたことからお姫様だろう。品の良いデザインのドレスを身に纏っているブロンドの美少女だった。


 これはやはり異世界に召喚されたということなのだろうか。


 俺が求めた勇者の必要な世界にとうとう来てしまったわけか。


「ね、ねえ。あたしたちどこに来ちゃったわけ……」


 純夏がしおらしくなって不安げに俺の腕にしがみついてくる。


 まあ、こいつは勇者じゃないからな。


 いきなりよくわからん場所に連れてこられれば心細くもなるだろう。部屋の壁際には鎧を着て武装をした兵士たちがぞろっと揃っているし。


「私はこのエドランドル王国の国王です。一方的に呼び立てて申し訳ない。ですが、そなたたちを救世主様とお見受けしてお願いしたいことがございます」


 国王と名乗った男は膝を着いて俺たちに頭を下げた。立場のある人間が頭を垂れるというのは相当の覚悟を持っての決断なのだろう。


 現に隣の少女も後方にいる兵士たちも驚いた顔をしている。


「あなたの覚悟と思いは伝わった」


 俺は目の前の気概ある国王の熱意に感銘を覚えた。


「おお、それでは……!」


 顔を上げた国王の顔が期待感に溢れて綻びかける。


「だが、俺は勇者だ。救世主を求めているのなら他を当たってくれ」

「ええっ! そんな!」


 そんな残念そうな顔をされても、どうにもならんことに変わりはないのだ。期待に応えられず申し訳がない。


 お呼びでないようなので帰還準備を願い出ようとすると、純夏がくいくいっと袖を引っ張って耳元に口を寄せてきた。


「……おい、どっちだっていいじゃないか。あの人たちも困惑してるだろ」


 そして俺だけに聞こえる小さな声で囁いてくる。あまりに至近距離のため息が当たってこそばゆかった。はて、彼女はこんなにパーソナルスペースの迫ったスキンシップを取ってくる人物だったろうか?


「……どっちでもよくはない。これは非常に重要なことだ。勇者と救世主ではまったく意味合いが異なる」


 俺も彼女に合わせて内緒話のようにひそひそと言葉を返した。


「どう違うんだ?」


「……そんな些末なことはどうでもいいだろ」


「お前も実はわかってないだろ」


「…………」


 俺は黙った。別に純夏のいうようにわかっていないからではない。


 言葉にたとえることができない概念がそこにあるからだ。口に出して並べれば陳腐に聞こえてしまう高尚な差異だからだ。言い訳ではない。断じて違う。


「とにかく俺は救世主ではなく勇者だ。そちらが求めているのはどうやら救世主のようなので、俺は需要に見合わない。勇者でもいいのなら話は別だがな」


 最終確認も込めて俺が国王に視線を向けると彼ははっと我に返ったような顔になる。


「あの、こちらとしては我が王国を救ってく頂けるなら救世主様に限ってはおりませんので……」


「そうか。なら、俺はあなたがたの救いの声に応える勇者になろう。以後、俺を呼ぶ際には勇者という表現を使うように」


「は、はい。かしこまりました」


 ずり落ちたマントを直しながら国王は言った。


 お姫様はすでに当初にあった喜びの表情は失せており、うんざりした目で俺を見ていた。そんなに救世主が欲しかったのか……。


 だが、勇者は救世主のパチモノではないのだぞ?


 そのあたりを理解していないが故の態度だと俺は解釈した。


「ところでお二人の名前を聞かせて頂いてもよろしいですかな」


 国王に問われ、俺たちは名乗った。


「俺は鏑木研磨。勇者だ」


「あたしは中越純夏。パワーフォワードです」


「……ぱわふぉ?」


「……おい、何でバスケのポジションを言ってるんだよ。あちらさんも戸惑ってるじゃないか」


 余計な一文を付け足した純夏を肘で小突く。これは意趣返しも込めていた。やられっぱなしは癪だからな。


「だってあんたが名前の他に付け加えてるから。あたしもなんか入れなきゃって……」


「なら、勇者二号ですとでも言っておけばよかろう」


「二号はなんかイヤ」


 二号は嫌らしい。





 俺たちはそれから歓迎の宴を開かれ、たらふく飯を御馳走になってしまった。


 ちょうどこちらの世界も夕飯時だったらしいが、勇者歓迎のために大慌てで豪勢なものを拵えたようだ。


 その席で国王と姫様から俺たちが何を求められて呼び出されたのかを聞いた。顔を出さない女王は以前、魔族の瘴気にあてられて床に伏せっているのだという。


 許せんな、魔族。


 王様の話をざっくり纏めると、この国は異空間にある魔界からやって来た魔族たちに領土の一部を奪われてしまい、彼らの脅威に怯える毎日を過ごしているのだとか。


 戦いは長く続いており、百年近い年月が経っても未だ終わる気配を見せていない。


 常に戦時下にある状態は国力を低下させる。


 徐々に消耗していく国の過程を見て、国王は伝承にあった救世主召喚の儀式を行うことを決めた。


 成功すれば儲けものくらいの賭けだったらしいが、無事に俺たちが現れたらしい。


 俺は勇者だけどな。


「魔王はここから遠く離れた北の地に居城を構えております。勇者様方にはこの諸悪の根源である魔王を討伐して頂きたいのです」


 どうやら勇者だけが使える武器があるらしく、俺たちはそいつをもらって討伐の旅に出ることになった。


 今日はもう遅いということなので武器を見せてもらうのは明日にしてもらったが。





 二人同時に出現し、そこそこに砕けた会話をする仲の良さから俺たちは夫婦かそれに準ずる関係だと思われたようだった。


 特に何の断りもなく、当然のように相部屋に通された。まあ、これからの方針で話したいこともあるしむしろ好都合か。


 俺は特に異議を申し立てたりはしなかった。騒ぐかと思いきや純夏もすんなりと受け入れていた。


 こちらに来てから彼女が牙を抜かれたように大人しいが、はたして本人なのか? 俺は頭の中ではそんな別の疑惑が生まれていた。


「研磨ってすごかったんだな」


 一応、二つ用意されていたベッドの片方に横たわりつつ純夏が口を開いた。


「何がだ? 俺は勇者だからすごいのは当たり前だが」


「いきなり知らない世界に連れてこられるなんて超常現象を体験してるのに、まったく動じてない。あたしは正直、不安でいっぱいだったからお前が堂々としててすごい頼もしいかったよ。見直したよ。研磨と一緒でほんとよかった」


 ニカッと屈託のない笑みを浮かべて彼女は言うのだった。ふむ、ここへ来てからの殊勝な態度はそういう気持ちからくるものだったか。


「まあ、そもそも俺がいなきゃお前はここには来ていないがな」


 本物の勇者は俺だけだし。こいつはおまけで勘違いして連れてこられただけだ。


「確かに! よく考えたら全部お前のせいだ!」


 ガバっと起き上がり、今気付いたと目を瞬かせた。


「はぁ、結羽のやつも心配してるだろうなぁ」


 そして一転。深く息を吐きながら純夏は肩を落とす。


「結羽か……」


 俺は顎に手を当てて思考に耽る。


「あいつ、少し様子がおかしかったよな」


 あの間際、結羽が見せた表情は俺の脳髄の奥を揺り動かす何かがあった。


 忘却の彼方に置いてきた記憶を刺激されたような、そういう郷愁感があった。


 あのフードの少女も気にかかる。いきなり現れていきなり消えて。そして俺たちをこちらの世界に連れてきた謎の存在。


 俺を勇者だと知っていたのもそこに拍車をかける。


 単純に滲み出る俺の勇者としての覇気を感じ取っただけかもしれないが。


「……うーん、ごめん。ちょっと余裕なくて覚えてないんだけど」


 純夏はポリポリと頭を掻いて申し訳なさそうに言った。確かにこいつは転移前は相当にパニックになっていた。


 あれではロクに周囲を見れていないだろう。役に立たんやつだ。





「……す……ですっ……大変です!」

「……うん?」


 真夜中、何者かの焦りに満ちた声で揺さぶられ俺は眠りの世界から引き戻された。


「大変です救世主殿!」


 目を開けると鎧を着たおっさん騎士の顔があった。誰だこいつは……。


「俺は勇者だ!」


 とりあえず寝ぼけながらも絶対に譲れない一点だけを反射的に俺は叫んでいた。


「あ、申し訳ございません……」


 おっさんは身を小さくして恐縮そうにそう言った。……そうだった。俺は異世界で勇者としての役割を果たしに来たのだった。


 隣で眠る純夏はメイドさんの呼びかけにも動じることなく熟睡を継続していた。


 お前、本当に不安になってたのか?





 謁見の間に俺たちは集められていた。


「大変なのじゃ! 魔王軍の兵士が攻め込んできたのじゃ!」


 国王は飛び起きてきたのが丸わかりの格好のままだった。お姫様も寝間着姿にブランケットを纏っただけの姿で表情を曇らせている。


 なるほどな。敵の襲撃か。それは確かに一大事だ。


「うーん……むにゃむにゃ……」

「…………」


 純夏は緊張感なく目を擦って欠伸をしていた。そういえばこいつ、低血圧で寝起きが悪いんだったな。


 結羽が以前話していたのを思い出した。この状況でも同じようにいられるのは大した胆力だと思うが。


「こうなっては仕方ない。勇者様方、今すぐに神機のもとに案内いたします」


「神機?」


 それが俺たちだけに扱えるという武器の名称らしかった。





 俺たちは国王の案内で城の地下に来ていた。移動中に外から聞こえる爆発音や悲鳴などが事態の切迫度合を感じさせた。


 一刻も早く武器とやらを手に取って敵を打ち倒さなくては。


「これが我が王国に伝わる救世……勇者様だけが扱える聖なる武器です。お納めください」


「すげえなぁ……」


「まさかこんなものがなぁ」


 俺たちは目の前にある代物に圧倒され、単調な感想しか口から出てこなかった。王国に伝わる伝説の武器は巨大な戦闘用ロボットの形をしていた。





「あたし、こんなロボットなんか操縦できないよ?」


 純夏が弱音をぽろっと吐いた。俺だって実際にやったことはない。車ですら運転したことはないのだ。


 だが、ここでできないなどと言って引くのは勇者に非ず。


「できる! お前も勇者ならできるようになる! 何となく方法がわかるようになる!」


「ええ……」


 コックピットは偶然にも複座式であった。


 これまで幾多の騎士たちが起動に失敗したというそれは俺たちが乗り込んでレバーを握った途端、いとも容易く動き出した。


「そんなのわかるわけ……わかったあぁぁぁぁぁぁあっ!」


 適当にガチャガチャやっている間にわかったらしい。それは何より。


 俺も不思議と操作方法が頭に浮かんできた。


 脳内にマニュアルがダウンロードされてくる感覚だった。選ばれた者が乗るとそうなる仕掛けになっていたらしい。すごいぜ。


「それなら行くぞ!」

「しょ、しょうがねえなあ!」


 台詞こそ渋々だったが、純夏は結構ノリノリだった。そういう雰囲気が伝わってきた。


 やっぱり彼女には勇者の素質があるのかもしれない。心持ち次第では俺と肩を並べる勇者になれるかもな。ちなみに座席は俺が後ろだった。





『フハハハッ。我が名は魔王軍四天王の一人、ディオハーン!』


 機体に搭乗して地上に上がり、魔王軍の一兵卒共を蹴散らしているとロボットと同程度の大きさ、約二十~三十メートルはありそうなオーガっぽい姿をした化け物が現れて名乗りを上げてきた。


『お主らは救世主だな? 名を名乗れ!』


「…………」


『……ふん、無視か。此度の救世主は礼を弁えぬ無礼者のようだな! 一瞬で蹴散らしてくれる!』


 俺たちは何も答えなかったが、無視をしていたわけではない。この白銀の装甲の機械兵器には拡声器に相当する機能がついていなかったのだ。


 なので返事をしようと思ったら一度機体から降りて声が届く距離まで近づかねばならない。挨拶のためにそんな危険は冒せないので彼にはすまないが無礼を選択させてもらった。


『ウオォォォォぉぉッ!』


 オーガのディオハーンは拳を振り上げて突進してきた。どすどすと走る度、街の建物が潰れ、振動でさらに連鎖して倒壊現象が起こる。


 これは早々にケリをつけないと勝利しても取り返しのつかない爪痕が残ってしまうな。


「顔面に一発叩き込んで潰すぞ」

「はいよ!」


 体育会系だけあって純夏の返事はハキハキとしていた。





『フッ……なかなかやるな、寡黙な救世主よ。だが吾輩は四天王最弱……。魔王様に辿り着く前に残りの三人が貴様を倒すことだろう』


 ディオハーンとの戦いは熾烈を極めた。一瞬で終わらせるつもりが激しい殴り合いの拮抗した勝負になってしまった。


 おかげで街は三分の一が滅茶苦茶になり、俺たちの搭乗していたロボットは片腕が取れたり脚が曲がったりボディが大きな損壊を受けたりしていた。


『最後に……主らの名を聞かせてはもらえぬだろうか……』

『…………』

『フゥ……冷酷な救世主だ……』


 ディオハーンは息絶えた。


 いや、別に無視したわけではなくてな? 伝える手段がなかっただけで。


 余計なことを訊いてきやがって。


 勝利したのに複雑な空気がコックピット内に満ちてしまったではないか。


「勝ったな……」

「うん、勝ったね……」


 暗かった空から、朝陽が顔を見せ始めていた。俺が勇者として誰かを救った初めての朝だった。





 俺たちは冒険の旅に出かけることになった。魔王の住む城を目指して。徒歩で。


 ロボットはどうしたのだ? となるだろう。あれは壊れた。


 ディオハーンとの戦いの後、損壊した足パーツがぐしゃりと折れ曲がり、歩けなくなったので修理を願い出たところ現在の王国の技術ではそんな作業はできないと言われてしまった。


 何年も起動した実績がなかったため、整備士という人材が育成されていなかったのだ。ロボットはただの鉄くずになった。


 これでは俺たちはただの人だ。魔王なんぞ倒せない。


「よし、魔法とかを覚えよう」

「ええー無理だってば」


 純夏は弱音を吐いたが、俺は頑張ればできると言い張って城から魔法使いを見繕ってもらい、その人物に教えを請うた。


 そんな数日で習得はできないと魔法使いは呆れていたが、俺たちは大体一週間ほどでその魔法使いを上回る最上級魔法までをマスターした。


 魔法使いは俺たちの成長ぶりに下を巻き、最後は弟子にしてくれと土下座をした。魔王を倒しに行くから無理だと断ったけどな。


 ふふん、これが勇者だ。参ったか。





 自前の実力を身に着けた俺たちは旅をした。


 道中で魔王軍に支配されている村を解放したり、四天王と戦ったりした。



「オレ様の名は四天王の一人、ウラディミール! 尋常に勝負だ!」


 ウラディミールは腕がカマキリみたいなドラゴンだった。近距離戦が得意そうだったので遠距離から届く雷魔法と氷魔法で撃退した。



「オホホ、わたくしは四天王の紅一点。ベルゼバーブ! 挽き肉にしてくれるわ!」


 ベルゼバーブは擬人化されたハエみたいな女だった。彼女はとある村を支配拠点にして村人を生贄として差し出させていた卑劣な敵だった。


 ベルゼバーブは純夏が炎系の魔法で焼き払って倒した。



 俺たちはどうやら最強だった。この世界の人々が長年苦しめられてきた魔族を赤子の手を捻るように駆逐していった。


 最初のロボットでの苦戦はなんだったのかと言わんばかりである。




 やがて俺たちは魔王城に辿り着く。


 城の門前で最後の四天王である、年端もいかない少年のような見た目をしたクレイグというやつと対峙した。クレイグは俺が精霊魔法で塵も残らぬほどに消し飛ばした。


 見た目は子どもでも実年齢は数百歳というから遠慮はしなかった。


 しかも攫ってきた人間をいたぶって遊ぶのが趣味だと公言してきたからな余計に気合いを込めてやった。


 悪を容赦なく滅するのが勇者の務めなのだ。




 魔王城を駆け上がり、城内の兵士を倒しながら魔王の元へと向かう。


「これでこの長い旅も終わるな」


「そうだね。苦しい戦いになると思ったけど、大変だったのは野宿で虫に刺されるのが不愉快なことくらいだったなぁ」


「川の水にあたった時はどうなることかと思ったがな。幸いにも大した敵が現れなかったからどうにかなったが」


 最終決戦なのに締まりのない会話を俺たちはしていた。それくらい俺たちは最強の勇者だった。純夏もなかなか、勇者ぶりが上がってきたと思う。


「魔王、覚悟しろ!」


 純夏が王の間の扉を勢いよく開けた。うんうん、こういう台詞回しがさらっと出てくるあたりに成長が窺える。


「え……?」


 だが、次の瞬間彼女は固まった。俺も目を見張った。


 それは魔王の姿が俺たちのよく知る人物とそっくりだったからだ。


「おお、そなたらが儂を殺してくれる救世主たちか……」


 王座に腰掛けていた魔王は俺たちと同年代くらいに見える少女だった。肌の色は緑青色と人間離れしていたが。


「結羽……?」


 いや違う。彼女は違う。そう、今はまだ……。


「儂はどうあがいても死ねないのじゃ。そこで儂は様々な世界に分身をばら撒いて儂を殺せる者をこの世界に呼ぼうとした。そしてようやく現れたのがお主らじゃ……」


 魔王の隣にはフードの少女がいた。それは俺たちをこの世界に送ったあの公園の少女と同じだった。


「さあ、こい救世主よ。儂を殺せ!」


 俺は魔王の心臓を最大級の魔法で討ち抜いた。魔王がつけていた銀色の髪飾りが外れて宙を舞う。


 俺は自分が誰に勇者だと教えられたのかを思い出していた。


 そうだ。そうだったんだよ。


「……もしも生まれ変わったなら、隣の家に住む少年に言ってやれ。お前は勇者になる存在だとな。そう言えばそいつはお前のための勇者になってくれるはずさ」


「ありがとうよ」


 魔王は笑顔で消えて行った。フードの少女もいつの間にかいなくなっていた。


 崩壊していく魔王城に残ったのは二人の勇者と魔王の髪飾りだけだった。





「おかえりなさい」


 次に目を覚ますと俺たちは公園に舞い戻っていた、


「あ、あれ? 夢だったのか? 白昼夢ってやつか?」


 ベンチにはフードの少女とぐっすり眠った結羽がいた。


「このわたしは助かって幸せみたいだよ。助けてくれてありがとね」


 フードの少女は消えた。消える間際に見せた彼女の口元は綻んでいるように見えた。


 喜んでくれた。感謝してくれた。そう思っていいのだろうか。


「俺は勇者だ。勇者だった……」


 俺は過去形でそう言った。『この』俺の勇者としての役割は終わった。


 俺は彼女のための勇者だったのだから。


 約束を果たした今、『この』俺はもう勇者ではない。


 だけどきっとまた、別の世界にいる次の俺が彼女を救うために立ち向かうのだろう。



 俺は夕焼けが眩しい橙色の空に手を伸ばした。俺の手の中には銀色の髪留めが確かに握り締められていた。

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俺は勇者だった。 遠野蜜柑 @th_orange

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