ネリリしたり、ハララしたり

佐々宝砂

ネリリしたり、ハララしたり

火星の人類学者は、毎日毎日「お断り」ばかり繰り返している。「珈琲に砂糖は?」「いりません、ブラックです」「クリームは?」「いりません、ブラックだと言ったでしょ」というたぐいの「お断り」だ。甘いのが嫌いな人間にとって珈琲の砂糖は難行苦行のもとでしかないのだが、甘味好きにこのしんどさはわからないだろう。もちろん逆もまた真だけれども。


人付き合いが苦手で挨拶すらめんどくさがるような火星の人類学者にとって、人間関係の九割は重荷以外のナニモノでもない。もっとも火星の人類学者ですら孤独を感じることはあって、火星の人類学者を人間的たらしめている残る一割の人間関係がふと途切れるとき、火星の人類学者はとても鬱々になって、ネリリしたりハララしたりしたいなと思う。


火星の人類学者は、どんなに鬱になってもリストカットしたり人を憎んだりはしない。そんなことするだけの愛憎の激しさをもちあわせていない。その手のことが根本的にわからないのだ。わからないなあ、人間として私にはやはり欠陥があるのかしらと思うと、火星の人類学者はよけいに鬱々として、またネリリしたりハララしたりしたいなと思う。


でも、ネリリしたりハララしたりって、いったいなんだろ?


谷川俊太郎の「二十億光年の孤独」にそんな言葉があったかしらと思って、火星の人類学者は自分の記憶を探る。「ネリリ」や「ハララ」じゃなくて他の言葉でもいいのだ。たとえば「くわあとる」する、って言い方、これはフレドリック・ブラウンの短編。それとも空を"kwim"する? これもブラウン、『火星人ゴーホーム』。要するに、意味の通る言葉でなくて、でもなんとなく「言葉」みたいな気がするものならなんでもいい。地上にある言葉でなくて、ものすごく違和を感じるここではないどこかの言葉みたいに感じられたら、それがいちばんいい。すごくいい。


つまりそれがしたいんだな、と火星の人類学者はぼんやり考える。自分自身をも含めて、地上の匂いがするものすべてが鬱陶しい。中島みゆきは嘘つきだ。地上に星なんかあるものか。地上にあるのはナマモノばかりだ。嫌いというほどではないし、憎んでなんかいないし、嫉妬もしないけど、面倒くさいしうざったい。でもほうっておく。みたくないものは、放っておく。


火星の人類学者は空を見上げる。そこに自分が属しているのだと信じていたい空を見上げる。自分は火星にいるのだと信じたくて見上げる。でも火星の人類学者は地球にいて、火星の人類学者は本当は人間で、火星の人類学者が観察しなくちゃいけないのは本当は空じゃなくて人間なのだ。


わかってる。わかってるけどわからないよ。あのひとはなぜ悲しむの。あのひとはなぜ怒るの。あのひとたちはなぜ。なぜ。ネリリしたい、ハララしたい、でもケンカしたくない、愛したくない、セックスしたくない、そんなのみんな面倒くさい。そんなのと関係なくネリリしたい、ハララしたい、誰か、この声をきいていますか? ごくごく薄い人間味のごくごく薄い愛憎をふりしぼりふりしぼり嘆きながら、火星の人類学者は今夜も遠ざかりつつある火星を見上げる。


存在しない記憶、やったこともない行動、みたこともない故郷のきいたこともない言語に、どうしようもなく、懐かしさを感じながら。どうしようもなく、ほんとうに、どうしようもなく。



***



「あのひとたちのやることはさっぱりわからない」と嘆いたら、「あのひとたちは愛憎が激しいんだろう」、と言われた。そりゃまあ、そうだろう、その通りだと納得する。さらに「さいきんあっちがわにいきたいのよ」と嘆いたら「きみは狂信者にはなれるが狂人にはなれないのであきらめなさい(w」と笑われてしまった。これはちょいと納得いかない。納得いかないが、そうかもしれない。愛憎が激しくない火星の人類学者は、狂人になれないのかもしれない。


しかし火星の人類学者だって昔からこう冷血だったわけではない。好きなものがあったし、好きな場所も、好きな音楽も、好きな人もいた。真っ赤になるくらい怒ったこともあったし、頭が痛くなるほど泣いたりもした。「好きだ」と言われて目の前真っ白ということもあった。考えてみたら、火星の人類学者は今もそんなに冷血ではない。火星の人類学者は実にいろんなものが好きだ。虫が好きだ。星が好きだ。蜘蛛が好きだ。魚が好きだ。猫が好きだ。SFが好きだ。血みどろB級映画が好きだ。草が好きだ。石が好きだ。コンパスと雲形定規が好きだ。「珈琲」と書いた時の字面が好きだ。だけど火星の人類学者は人間が得意でない。得意でないが人間関係は必要なものだと思っている。


火星の人類学者はきっぱりと好き嫌いで動く人間だ。嫌いなこと苦手なことはなるべくやりたくない。どうしても必要だと思われるなら人付き合いもするし現実には大変に愛想のいい人間だが、ネット上でまで愛想の安売りができるかこんちくしょうと思うのだった。


詩の定義づけなんかつまんないからどうでもいい。ちょいと前のベストセラー小説の話もどうでもいい。芥川賞をとった二人の少女の話もどうでもいい。火星の人類学者はいま誰の背中も蹴りたくないし、身体に穴をあける話も読みたくはない。火星の人類学者は人間にほぼ無関係なものを読みたい、人間界とほぼ無関係なものを書きたいと思っている。いま火星の人類学者に必要なのはそういうものだし、火星の人類学者はそういうものが好きだ。


自分に必要なものが何か見極めたい。火星の人類学者はここんとこ三年ばかり、自分ではなく人類に何が必要かそればっかり考えてずいぶん消耗してしまった。そろそろ自分のためだけに星を見よう、自分の大好きなもののために生きよう、と火星の人類学者はこころに誓ってみる。もともと、生きるのは、自分のためなんだから。誰でもない、自分のためのはずなんだから。



***



火星の人類学者は人類学者なので、今夜も地道に人類を観察しなくてはならないのだが気力が湧かない。やる気でないなあと思っているところに昔なじみの親友(先月結婚したばかり)から電話がかかってきて、しつこく夫のことを愚痴りまくられる。なんと慰めたらいいかわからないので「まあそれでもまえよりよくなったじゃん」とかなんとかお茶を濁してみる。


火星の人類学者は、それでも自分の友人には非常に親切だ。返せないような借金を抱えた男と結婚したがったこの友人のために、火星の人類学者はそれこそ東奔西走した。二人の親戚衆を説得し、こまごました借金を整理し、弁護士を紹介し、返せないんだからしかたないでしょうということで男を破産させた。さらに、結婚の立会人二人すら見つけられないこの恋人たちのために、自ら立会人となりもう一人の立会人をどうにか見つけてきてサインさせた。


つまりこの友人を結婚させたのは火星の人類学者なのだが、その火星の人類学者に向かって彼女は「とんでもない男と結婚してしまった、私の理想と全く違う」と愚痴りまくるのである。しかし離婚したら、彼女は目がとろけるほど涙を流し鬱になり、言葉激しく「私は死ぬ、自殺する、自殺しないとしてもストレスで心臓が悪くなって死ぬ」と火星の人類学者を脅すだろう。彼女は結婚前にもそうやって火星の人類学者を脅したのだった。


火星の人類学者は観察の結果を反芻し、冷徹に計算してみる。彼女が離婚した場合と、このまま結婚生活を継続した場合、どちらが自分に対する被害を最小限にできるか? 「現時点では結婚生活の継続が望ましい」と答をはじき出し、火星の人類学者は彼女に言う、「でも結婚してる方がいいじゃないの、離婚すると、また実家に戻らなくちゃならないよ」。彼女はおとなしく「うん、そうだね」と言う。彼女は自分自身の両親とおそろしく折り合いが悪いのだ。だからこそ結婚を急いだのだと、そのくらいのことは火星の人類学者にも理解できる。理解できないのは、誰かとそれほどまでに「折り合いが悪く」なれるという感情の激しさだ。


火星の人類学者は自分の両親と仲がいい。いや仲がいいというよりも、両親に憎しみを抱けるほどの理由を火星の人類学者は持たないのだ。ちゃんと喰わせてくれたし、学校にも行かせてくれた。虐待されたこともない。きちんと愛してもらったと思う。だのに火星の人類学者は火星の人類学者になってしまった、それで火星の人類学者は両親にすまないなあと思う。すまないなあと思いながら両親とつきあうから、折り合いが悪くなろうはずはない。火星の人類学者の家族は、近所でも評判の仲の良さを誇っている。


仲がよいとは必ずしも愛し合っているということではない、と火星の人類学者は考える。でもケンカしないし認め合っているし一緒に遊ぶし、それでいいじゃないか、何か不都合があるのだろうか、いやなんにもない。顔をあわせるたびののしりあい、そこらじゅうにとばっちりだの迷惑だのをかける例の彼女の家族に比べたら、ずーっといい。しかし彼女の家族は、なにかにつけ「私はおまえが可愛い」「私は両親が大切だ」と口にする。火星の人類学者にはそれがまた不思議だ。


人間とはわけのわからんイキモノだと火星の人類学者は思う。しかし、火星の人類学者もまた人間なのであって、火星の人類学者はそれを自覚している。



***



実は火星の人類学者は片思いをしている。もう何年かしている。火星の人類学者は結婚して十年で、適度に不倫する相手もあって、その手のことには別に不自由していないし不自由したこともかつてないのだが、それとは全く別な次元で片思いをしている。片思いをしたくて片思いをしている。片思いが両思いになっては困るので、必死になって片思いにしている。恋愛は片思いがいちばんいいやと火星の人類学者は考える。両思いになったら、会話しなくちゃならないし、デートしなくちゃならないし、そうだなにより会わなくちゃいけないじゃないの、めんどくさくてそんなことできない。


そんなわけで、火星の人類学者は、片思いの相手と一度たりとも会わないままひっそりと片思いしていてそれでまあだいたいは満足なのだが、あまりにも相手が無口で会話してくれない日々が続くと、ときどき、どうしようもなく鬱々になって、ネリリしたい、ハララしたいと思う。


火星の人類学者は、おおむね、その片思いの相手のことを、あるひとつの情報の集積と見なしている。火星の人類学者はその情報そのものと交接したいのだが、うまくいかない。うまくいかないのも当たり前で、相手は「あるひとつの情報の集積」である前にひとりの人間なのだった。火星の人類学者はそれを知っているのだが認めたくなくて、しょっちゅう相手が人間であることを忘れてしまう。


相手にはいい迷惑だ。そう思うので、火星の人類学者は好きな相手には話しかけない。


火星の人類学者が話しかけるのはまわりにいる有象無象だ。その有象無象はいろんなタイプの人間で、いろんなことをしゃべったりいろんなことをしたり泣いたり怒ったり笑ったり愛したり憎んだりしている。火星の人類学者は一生懸命それを観察する。でも、火星の人類学者は、今夜はもう疲れてしまって人類の観察ができない。できなくなっているけれど、今夜の火星の人類学者は恋しいしさみしい。愛してほしいのではなくて、なにかしゃべりかけてほしいのではなくて、でも恋しいしさみしい。


ネリリしたい、ハララしたい、あなたと、でも、あなたっていったい誰だったのだろうと、火星の人類学者は自問する。名前はわかってる、実在の人物だってことも知ってる、でも。ネリリしたい、ハララしたい、


ああ、わかった。火星の人類学者はやっと微笑む。あなたは「    」だね。一緒にネリリしよう、ハララしよう、



私はあなたを「くわあとる」してる。

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ネリリしたり、ハララしたり 佐々宝砂 @pakiene

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