残波
戸城 樹
残波
「コー兄、はやく!」
荒岩にへばりついた貝を引剥していた僕の耳に、結の声が響く。ああ、そうか。コイツはこんな声をしていたのだっけ。
朝、坂下のお爺が「もってけ」と言って手渡してくれた干豆をぼそぼそと齧りながら、千恵子先生の診察が終わるのを、僕は待っていた。その間にぼんやりと、益体もない過去の思い出を手繰っていた。まさかあの結が…
「康介くん、お疲れ様。結ちゃん返すよー」
凪のような、いつもの穏やかな声で千恵子先生が僕を呼ぶ。その脇からおずおずと、千恵子が現れた。
「経過は順調。また来週来てね」
「はい。ありがとうございます」
「しっかしねぇ…あの洟垂れ二人が、結婚して子供産みよるなんてねぇ…うふふ」
「先生!そん話はもうええが!」
「はいはい。じゃ、お大事にねー」
診療所のドアを開けると、昼下がりの日差しが目を刺す。歩き出すと、どちらからともなく汗ばむ手を繋ぐ。と、結がぽつ、と言った。
「子供ん頃さ」
「ん?」
「急に手ぇ繋がんようになったやろ? あれ、なんで?」
先程の記憶を思い返す。あれは、何時の事だったのだろう?
岩ばかりの磯をひょこひょこ歩き、呼ぶ声の元に歩いて行く。学校指定の紺色の水着を着た結は、辿り着いた僕に「はい」と何かを手渡した。それが何だったのか、全く思い出せない。僕は「何か」が載せられた結の手の指先を見ていた。細く長い指。その先を彩る桜貝のような爪。僕はその時、初めて「見惚れる」ということを体験していた。
「知らん。子供やっけ、覚えとらん」
覚えている。弟みたいな結。男の子みたいな結を、初めて「美しいもの」として見た瞬間を。
「邪なガキじゃったのぅ」
「え?」
「なんでんなか」
変わっていない。驚く程に、結の中身はあの頃のままだ。
「なぁ、子供ん頃磯遊びしよった時、お前なにか僕にくれたよな? なんやっけ?」
「あー! そんなんまだ覚えよったと! 恥ずかしい……」
「はずかしい?」
「アイオライト。石にはな、石言葉ってあるんよ。花言葉みたいな」
「へぇ。で、そのアイオライトの石言葉ってなんなん?」
「そんなん、いわれへん!」
真っ赤になってむくれた結が、きゅっ、と僕の手を握り、言った。
「叶ったから、ええねん」
残波 戸城 樹 @OZZY-ZOW
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます