【1-3】 新田由利
等々力事件が起こってから、既に2週間もの日数が経過していた。
等々力が消えた教室内は静寂に包まれた。休み時間も口を開く生徒はほとんどおらず、まるで毎日が通夜か何かのようだった。
逆に僕に接してくる生徒は激増した。全員が敬語で、僕の機嫌を伺う。しかしそこには一片の心地よさも無かった。まるで全員が人でないかのような、生き物でないかのような、簡単に言うなら皆一様に感情が無かった。
これも全て、新田由利の仕業である。
新田由利は恐ろしい。新田由利は、関東地区圏で最も力強いとされる指定暴力団、拳神連合会長の令嬢である。
親父の血を完全に受け継いでおり、自分の持つ後ろ盾をフル活用する。そんな彼女の言動は、中身は空っぽであれ、大多数の生徒を突き動かす迫力を、言うなら圧力を孕んでいた。
「おい佐野」
「……何だい新田さん」
「少し寄り道をしていかないか」
新田さんはそう言うと、僕の隣へ寄り添い腕を絡めた。
「……僕みたいな、我が身可愛さに友人の後ろ盾を頼る人間のクズを相手にすると新田さん、君も同様クズになってしまうよ。僕は1人で生きていきたい。僕は、教室の人間のように生に無頓着にはなりたくないんだ。僕は、たとえクズであれ、高い志を持ったクズになりたいんだよ」
「あまり生意気なことを言うなよ佐野。1人で生きて行くことなんて、君には無理だ。君には私という後ろ盾が必要なんだよ」
「……」
「君には、確か両親はいないらしいけど、中学生の妹さんがいるそうだね」
「……」
「君1人の力で養っていけるのかい」
「何が言いたい」
「高校を卒業したら、君は私の婿養子になるんだ。すごいぞ。ほとんどの組員ごぼう抜きの大出世だ。一生不自由ない暮らしをさせてやるよ」
頬を赤めながら、それでも高圧的に、新田由利は僕に言った。
「新田さん。僕には、1つだけ夢があるんだ。幼少期からずっと抱いてきた、傍目から見ればなんてことないけど、僕からすれば大きな夢が」
「夢なんて生活に余裕のある人間が見るものだぜ」
「……いつか結婚して、そしてそのとき、自分の力だけで奥さんを幸せにする。僕がどれだけ負い目になろうと、奥さんや、自分の子供の幸せだけを願って生きて行く。それが僕の夢なんだ。頼られる人間になりたい。君に養ってもらうなんてことは、僕の夢に最も反する行いなんだよ、新田さん」
「私の情けを、お前は無下にする気かい」
「新田さん、それは情けとは言わない。人はそれをエゴと呼ぶんだよ」
「……殺すぞ佐野。お前は、いつから私にそんな口を利けるようになったんだ」
「友人ならば、もう少し対等な物言いをさせてほしいものだけど」
今頃になって、なぜこうも新田由利に対し強く言えているのかわからない。クラスで居場所が無くなり、切羽詰まってヤケになっているだけなのだろうか。
「佐野。お前は後悔する。明日、いや今日の夕方には、お前は泣いて私に許しを請うんだ。きっとそうなる」
「……」
そう言い残すと、新田由利はツカツカとどこかへ行ってしまった。
「うっ……」
急激に気分が悪くなった。吐きそうだ。
「おえっ……」
床に僕の胃液がポタポタと垂れた。異様な不安が、僕の胸中を支配する。
「僕にこんなことをしている暇はない。早く……早く家に帰らないと」
妹の待つ家、たった一人の肉親が待つ家に、僕は半泣きで向かうのだった。
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