【1-2】 猥談教室
「それでよお、隣のクラスの赤定って女、本当に街で援交してるらしいぜ」
「マジかよ。確かにビッチみてえな
男たちは、赤裸々な話題を教室の隅で語り合う。佐野優は、確かに自分は高校生であり性欲だって人並みにある方だとは思うけれど、それにしても、親しくもない第三者のプライバシーを話題に持ち出し、辱めるような行為には腹が立った。
それでも自分は、結局彼らのそんな振る舞いに見て見ぬ振りをせざるをえなかったのだ。何故ならば、それが自分の生き方だからだ。
人並みに他人に腹を立てるし嫌悪もするが、それを表に出すことはしない。それを遺憾に思いはするが、所詮はそれ止まりなのだ。
口に出さずとも良いことは、極力口にしないに限る。それが今までの人生で、僕が学んだ処世術だ。世渡りに、波乱万丈は必要無い。自分は、今日というこの日を、差し支え無しに飄々と生き抜いていければそれで良いのだ。
徹底して第三者に居座り続け、安全な場所から他人の横暴に物を言うのは、なんて快適で、なんて居心地が良いものなのだろうと、寝たフリをしながらに佐野は思った。
「おい佐野おーっ!ちょっとこっち来い!」
不意に後ろから自分を呼ぶ声がする。
何事かと思い顔を上げると、そこには等々力冬馬が立っていた。
等々力はこのクラスのリーダー的存在で、クラス全体を取り巻いている。他の生徒からの信頼も厚いようだ。しかし、彼に嫌われてしまった生徒は悲惨の一言だ。次の日から誰も口を利いてくれないし、等々力を主とする徹底的なイジメが始まる。
そして、自分はそんな彼に嫌われている人間の一人だ。
「な……なんですか等々力さん」
「お前、長屋ちゃんの携帯を盗んだだろう。お前が盗んだって言ってる奴がいるんだよ。高校生にもなって女子をイジメて、お前は一体何が楽しいんだ」
「えっ、ちょっ……ちょっと待ってよ。僕はそんなもの盗んでない」
いきなりなんだというのだ。まったく身に覚えがない。
僕が必死の弁解をする中、等々力の取り巻き共が僕に向かって喚き散らす。
「どうせ机の中とかに入ってんだろ!俺たち朝見たんだよ!お前が長屋ちゃんの携帯盗って、ポケットにしまうところをな!」
「……!」
やられた。こいつら、僕の机に長屋の携帯を仕込みやがった。
僕を徹底的に悪者に仕立て上げ、アンチ佐野の盤石を築こうという肚だ。
取り巻きの男子の中央では、長屋がわざとらしく泣いている。クラス全体の視線が僕に集まる。遠方からはキモいだの死ねだのといった女子からの罵詈雑言が僕を襲った。
「そ……そんなこと言ったって、僕は知らないんだ。長屋ちゃん、これは何かの間違いだ。僕は、そんなことをする人間じゃあない」
「気安く話しかけてんじゃねえよ佐野お!いいから!とっとと机の中を調べさせろって言ってんだよ!」
「……」
これはもう無理だ。僕は仕込まれた携帯を取り出し、こいつらの前に提出するしかない。そして予定調和のような制裁を一通り受け、卒業まで静かにひっそりと暮らすしかない。
数の力というものは、本当に恐ろしいものなのだ。それがどれだけ正当な行為であれ、クラス一丸となってそれを否定すれば、それは無尽蔵に残虐な行いになりうる。こいつらにとって、等々力は一種の宗教のようなものなのだ。
自分たちは悪を裁いている、善い行いをしているって肚なら、自分が正義だって肚なら、人はどこどこまでも残忍になれるのだから。
そういう意味では、数は人を盲目にする。何が間違っていて何が正しいのかを、こいつらは自分で決定しない。すべてを大衆に委ねる。もっと言うなら、こいつらは善悪の判断を、頭数のみでしか、成していないということだ。
おぞましい。リテラシーの欠片も無い。
吐き気がする。
「……分かったよ。分かった。分かったから……」
僕は死んだ魚のような目で、無気力に自分の机をあさる。
果たして、中からは案の定ストラップを大量に付けた長屋の携帯が発見された。
「……」
「おい佐野。こいつの落とし前は、一体どうやって付けてくれるんだ。ああ?」
等々力がそう言った瞬間だった。教室のドアが、勢いよくガラリと開いた。
全員の視線がドアに集まる。そこには、涼しげな顔の新田由利が立っていた。
「新田さん……」
「一体何の騒ぎかと思って来てみたら……おい等々力、お前、調子乗って落とし前とか言ってんじゃねえぞ馬鹿野郎」
「うっ……に、新田は関係無いだろ」
等々力は、自分より一回り小柄な、しかも女である新田由利に手も足も出なかった。当然といえば当然だ。彼女には、それだけの力があった。
「関係無い……ね。それなら佐野と長屋も無関係だ。佐野は長屋の携帯なんて悪趣味なものを盗んでいないし、動機も無い」
「なんでそんなことが言い切れる。現に、こうして佐野の机から長屋の携帯が……」
等々力の言い分を一切聞こうとせず、新田由利は続ける。
「口の利き方には気をつけろよ等々力。学校どころか、この街にさえ居られなくなるまでとことん追い込みかけちまうぞ」
「クッ……」
等々力の顔から脂汗が滴り落ちる。クラス全員は一言も言葉を発することができず、ただただその場に立ち尽くしていた。
「まあ私の友達を苛めた落とし前は、取り敢えずリーダー格のお前にだけ取らせればいいかなあ。おいそこのお前」
新田由利は近くにいた男子生徒に声をかける。
「お前、今からそこにある2Lペットボトルの中身、全部飲み干せ」
「えっ……ええ?む、無理ですよ、そんな一気になんて……それにこれ炭酸じゃないですか」
「できるできないじゃねえんだ。黙ってやりゃあいいんだよタコ。それとも何か、私に気の利いた講釈でも垂れようってんじゃあないだろうな」
「すっ……スンマセン!一気飲みしますっ!」
男子生徒は顔を恐怖で引きつらせながら、中身の炭酸水をゴクゴクとグロテスクな音と共に胃に流し込む。
ペットボトルの半分もいかない辺りだろうか。早々にギブアップした男子生徒は、炭酸水を豪快に吐き出した。中には朝飯の残りも含まれていたようで、炭酸水だかゲロだかよく分からない液体は、宙を舞い女子生徒の鞄に掛かった。
「ちょっ!汚いでしょ!拭いてよあなた!」
鞄に嘔吐された女子生徒は、泣きそうな声で男子生徒に詰め寄る。しかし、そんな一光景も、新田由利は許さなかった。
「十七にもなってピイピイうるせえんだよ。残りはお前が飲め。ゲロが付いてるとか関節キスとか、くだらねえこと言いやがったらブッ殺すぞ」
「うあ……ああああ……」
嘔吐物の浮かんだ茶色い炭酸水を、女子生徒はまた、泣きながら胃に流し込んでいく。そして、5分ほど時間をかけ、ようやくペットボトルは空になった。
その5分間、教室内に一切の言葉は無かった。
「はあっ……はあっ……」
「よーし、よく飲み干した。さあ等々力、お前の出番だ」
「え……」
新田由利は、空の2Lペットボトルを等々力に渡す。
「今日の放課後までに、そいつをお前の精液でいっぱいにしろ。言っておくがお前に拒否権は無いぜ。一切の交渉もしない」
「はあ!?ちょ、お前何言ってやがる。そんなことできるわけ……」
その瞬間だった。新田由利は唐突にジャックナイフを取り出した。それをそのまま、等々力の頬にめり込ませる。
「グアッ……アアアアアアアアッ!」
「ギャーギャーうるせえなあ。男がこの程度で騒いでんじゃねえよ。いいか。絶対だぞ。今日の放課後がリミットだ。1秒でも過ぎたら、分かってんだろうな。お前はその若さで、沖縄の売春小屋に売られることになる。不眠不休で、死ぬまで性病持ちのババアの相手をするんだぞ。それでもいいなら無理強いはしない。今日の放課後まで、せいぜい余生を噛み締めるがいい」
「ああっ……あああああっ…ああああああああああああああっ……あっ……ああああああああああああああああああああああああああ………」
等々力は嗚咽のような、悲鳴のような、何とも形容し難い声を漏らす。
そして狂ったようにズボンを下げ、クラス全員の前で自慰行為を始めた。泣きながら、何度も何度も射精を繰り返した。
等々力の自慰は先生が入ってきてからも延々と続いた。指導教諭に取り押さえられ、連行される際も、決して自慰をやめなかった。
翌日、当然ながら等々力は学校に来なかった。
等々力の机には、白濁液の入ったペットボトルがちょこんと置かれていた。白濁液は5分の1ほどしか溜まっていなかった。
そしてその後も、決して等々力が登校してくることはなかった。
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