本編 『女騎士と本屋さん 第1話』
…本当に唐突だが、俺は今、半裸の美少女に睨まれながら刃物を向けられている。
けっしてそういう極めて奇特な性癖の要望に応えてくれる娼館に入ったわけではない。
「手を上げろ!声を出すな!少しでも魔法を使う素振りを見せたら命は無いっ!」
そう言って俺の首筋にあてがわれる短剣の切っ先。
完全に目が本気だ。
一見すると目鼻立ちも整っており、華奢な身体で肌も綺麗な、まるでどこかの貴族令嬢のような美少女だが、彼女からは明らかに剣術を嗜んでいる物腰が伺える。
俺は、この先にあるミリヤ王国の王都を目指して旅をしていただけの平民だ。
日が高くなり、一息入れようと小高い丘の上に見えた廃屋に足を踏み入れた矢先の出来事だった。
何が起きたのか全く理解できない俺は、首を縦に小刻みに振りながら彼女の命令に従うしか無かった。
せめて今の状況を把握させてほしいが、こちらはろくに武芸の素養も無い。
何かしゃべったら2秒後には首が床に落ちてそうで訊くに訊けない。
「卑劣なキノン兵め!ミリヤ王国騎士の誇りに懸けて貴様らの手に落とされなどしないぞっ!」
その威嚇からは俺に対する敵意と共に、若干怯えた表情も読み取れた。
おそらく彼女自身が誰かから追われている身なのだろう。
そして今、彼女は自分をミリヤ王国の騎士だと名乗り、俺のことをキノン兵と言った。
国境を隔てて対立関係にあるミリヤ王国とキノン皇国。
それを聞いて多少話が見えてきた。
「貴様、妙な格好をしているな…」
そう言って片手で剣を構えたまま、彼女は俺の服装と所持品を検めはじめた。
拙い小さな手でかなりくすぐったいところまで弄られているが、唇を噛んで必死に笑いを堪える。
ひとしきり物色した結果、彼女の表情は明らかに怪訝の色が濃くなった。
一般的な旅道具と、いくつかの書物。そしてあくまで護身用の短剣1本。
そこに魔法で戦闘を行えるような兵装が無いことに気付いたのだろう。
「…話を聞いてくれ…」
小声で素早くつぶやくと、再び剣を持つ手にぐっと力を込めて鋭く睨みつけてきた。
「話せ。その代わり、少しでも魔法の詠唱と取れる言葉を発したら首を斬り落とす。」
なお危機的状況ではあるが、ようやく解決の糸口は見えてきた。
「俺はタバトからミリヤの王都へ向かっている旅の者だ。勘違いしてるようだが俺はキノン兵なんかじゃない。剣を収めてくれっ。」
「王都へ、だと?なぜタバトから王都へ行くのにこんな遠回りをしている?」
「つい最近、王都へ通じる街道の近くの城砦がキノンに落とされたらしい。だから安全のためにこっちを迂回したんだ。
その情報は国境の関所で聞いた話だ。護衛を雇って街道を進む方が遥かに近道だが、単独ならこっちから行けと言われた。」
「…王都へは何の用だ。」
「俺は商人だ。本を作って売る仕事を生業にしてる。タバトで得た資金を元に、今度はミリアで商売をしようとやって来た。
さっきあんたが俺の持ち物を漁った時、何冊も本を持っていただろう。それが証拠だ。」
「………………」
少女は沈黙し、俺の嘘を見抜こうと貫くような眼光でじっと睨んでくる。
もちろん嘘など何一つ言っていないので、こっちも視線を逸らさない。
彼女の表情は険しいままだが、剣に込めていた力は若干緩めてくれたようにも見える。
「最後に一つ、質問がある。貴様、私のことを知っているか?」
いきなり予想外の問いを投げかけられたが、今はその意味を斟酌するより正直に答えるしかない。
「あんたみたいな美少女の騎士様だ、もしかしたらこの国じゃ有名人なのかもしれない。
けど大変申し訳ないが、俺はこの国に来るのは初めてだから顔も姿も今まで一切見たことが無いっ。」
「び、美しょ…!?……くっ!」
なぜか再び剣に力が込められた気がした。
もう勘弁してくれ。
「話すことは話したし、これ以上見せるものも無い!あと何をすれば信じてもらえる!?
ここから立ち去れというなら立ち去るし、ミリヤの王都まで同行しろと言うなら素直に従う!
だからいい加減剣を収めてくれっ!」
「まだだ!…ま、まだいくつか不明な点がっ」
「人間いつか死ぬならあんたみたいな美少女の手に掛けられて死にたいと思わなくもないが、身に覚えの無い疑いで殺されちゃ堪ったもんじゃない!」
俺はついに大声を張り上げた。
「………………」
敵意に満ちていた表情が、一転して軽蔑の色に満ちてきた。
たしかに初対面の少女に力説することではなかったが、生殺与奪の権利を握られた相手に取り繕っても仕方がない。
「はぁっーー…」
大きな溜め息をついて、ようやく彼女は短剣を引いてくれた。
「もういい。貴様がキノン兵でない事は信じよう。」
剣を鞘に納める音が響いた瞬間、不覚にも腰が抜けてしまった。
僅かな時間とはいえ、自分の命を他者に握られるというのは決して気分の良いものじゃない。
というか危うく小便漏らすとこだったんだからな。
覚えてろこの野郎。
「旅の者ならば、今すぐ立ち去れ。じきにこの近辺で戦闘が起きる。ここに居ては命の保証は出来ない。」
人を剣で脅すだけ脅しておいて、無茶を言ってくれる。
けど俺にもいくつか確かめないといけないことがある。
「そうさせてもらうが、その前に少し訊きたい。あんたはどうやらキノン兵に追われてるようだが、そりゃどういう事だ?
ここは王都から遠いとはいえ、れっきとしたミリヤの領土内のはずだ。見たところ、外に馬も居なかった。仲間の騎士はどうした?」
そう。
ここはあくまでミリヤ王国の領土内だ。
それなのに、ミリヤの騎士がキノン兵に命を狙われている。しかも単独で、だ。
何か不測の事態が起こったとしか思えない。
もしキノン軍が国境を越えて侵攻してきたのなら、この近辺どころか地域一帯が戦地と化すかもしれない。
そうなれば旅どころの話じゃなくなるからな。
「…それは……」
彼女は言いづらそうに口篭った。
何か言えない理由があるのか、それともまだ素性を信用されていないのか。
「なら、あんたがここに留まっている理由はなんだ?
キノン兵に狙われてるなら助けを呼びに行くか、どこかの村で馬を調達するべきだろう。」
「………………」
その問いにも彼女は口を開かなかったが、こっちの答えは彼女の視線の先にあった。
「あんた、怪我してるのか?」
剣を向けられている時は気が付かなかったが、右足首に血で滲んだ包帯が巻いてあり、さらに傷口の周りが変色している。
「毒か。解毒薬ならいくつか持ってる、ちょっと足を見せてくれ。このままだと腐って落ちるぞ。」
ほとんど下着に近い格好だったのは、傷の手当てをしていたからか。
理不尽に殺されかけた相手だが、怪我をした少女をほったらかしにするのも寝覚めが悪い。
「き、貴様に手当てを受ける義理など…っ」
「平民の施しが気に障るなら、次にいつかミリヤの王都で会った時に治療費をふんだくってやるから安心しろ。」
「くぅっ…」
本当に気位の高い騎士様だ。傷口に塩でも摺り込んでやろうか。
「……すまない。」
よほど傷が堪えていたのか、さっきまでの厳しい表情とは打って変わって弱々しい顔を軽く背けながらでスッと右足を差し出してきた。
なるほど、可愛らしいところもあるじゃないか。
そしてこの脚。やはり騎士としては若干細身だが、ほどよく肉のついた健康的な脚だ。
ここでもし「踏まれてみたい。」などと冗談を言ったら、飛んでくるのは左足の蹴りか、それとも短剣の刃か。
「貴様、名前は?」
「ウェインだ。あんたは?」
「私は…シィネだ。」
一瞬言いよどんだのは何だったのだろう?
「…本当に知らないんだな。」
「なにか言ったか?」
「いや、なんでもない。」
本と魔法と眼鏡の物語(サーガ) 大神小神 @ogamikogami
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