序章 『賢者と少年 後編』

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しかしそれから3年が経ち、好奇心旺盛な年頃となった少年にとって三人に誓った制約はとても耐え難いものになっていました。

塔の中にある主だった書物は読み尽くしてしまい、魔法以外の数多くの知識を得た結果、外界への知的好奇心を抑えられなくなってきたのです。


賢者の塔は外界から存在を視認できなくても、塔から外界を視認することができます。

深い森に覆われた山奥にそびえ立つ塔から見える麓の村で、時折開かれる結婚式や祝祭など、

人が大勢集って楽しく賑わう催しに少年はとても憧れていました。

物心ついて以来、賢者たち以外の人間とは話したことも触れ合ったこともありません。

塔の外へ出るといっても魔法が及ぶ敷地内の庭や川辺まで。

それとなく外へ出たいと申し出ても、三人とも険しい顔で首を横に振るばかりです。


そして一つ季節を跨いだある秋の日。

麓の村では朝からずっと豊穣際が行われ、塔にもかすかに人々の賑わいが響いてくる夜更け前。

村の様子が気になって眠れない少年はついに我慢できなくなり、こっそりと塔を抜け出してしまいました。

塔には少年が勝手に外へ出ないよう幾重にも結界が張り巡らせてありましたが、魔法が全く効かない上に誰よりも塔の構造に詳しくなっていた少年にとって、突破することは造作もありませんでした。


20分ほど経って、部屋へ様子を伺いに来た賢者の一人がもぬけの殻なのに気づいても後の祭りでした。


慌てた三人はすぐに地平線の彼方まで届くほど強力な『探索サーチ』の魔法を発動しましたが、案の定少年を認識するには至りません。

三人はただちに大勢の使い魔を引き連れて、自ら少年の捜索へ乗り出しました。


その頃少年は、以前見たことがある地図の記憶を頼りに、川辺に沿って麓の村を目指していました。

持ち出したロウソクの火で足元を照らしながら、はやる気持ちを抑えきれず駆け足で山を下る少年。



その時でした。

少年はぬかるんだ崖で足を滑らせ、川へ転落してしまったのです。


浅瀬で水浴びをした経験しか無い少年が泳ぎなど身につけているはずもなく、溺れながら大声を上げることも出来ず、どんどんと下流へ流されていきました。


「…く、苦し…っ…!」


何かに捕まろうと必死にもがきましたが、激しい川の流れがそれを許しません。

しばらくすると腕を動かす体力すら失ってしまいました。

冷たい水の中で育ての親である賢者たちの優しい笑顔を瞼の奥に浮かべながら、少年の意識は遠く暗い闇の中へと薄れていきました。


「…母さまたち…ごめん……なさ……―――――――」




そんな少年の窮地を知る由もない、賢者たちは猛烈な不安に苛まれていました。

魔法ではない、口では説明できない言い知れぬ予感。

そして、その悪い予感は的中していたのです。


「ラクヤーーーーーー!!! どこだーーーーー!!!返事をしてくれーーーーーー!!!!」


ラクヤ…。

賢者たちが少年に授けた『幸運・幸福』という意味を持つ名前です。

闇の帳が落ちた深い森にその名が響き渡りますが、願いとは裏腹に、返ってくるのは鳥の鳴き声と木々のざわめきだけでした――――。






結局その夜、賢者たちは少年を見つけることが出来ませんでした。

川辺に残された少年の足跡から川に転落して流された可能性が高いと見た三人は、自らの素性を明かし麓の村人全員を問い質しましたが、誰一人として少年を目にした者は居ませんでした。

その後、近隣の村々の人出を借りて大規模な山狩りも行いましたが、新たな手がかりは何一つ掴めませんでした。



…愛して止まなかった我が子が突然消えてしまった心痛は、三人を絶望の淵へと叩き落としました。


少年の部屋で泣き暮れる者。


魂が抜けたように無気力になる者。


ずっと断っていた酒に溺れる者。


時には言い争いも起きました。



そんな重苦しく淀んだ空気が賢者の塔を包み込んで数日が経ったある日。

いつ少年が帰ってきてもいいようにと、〈生〉を司る賢者が少年の部屋の掃除を始めたその時でした。

枕元に1本の髪の毛を見つけたのです。


賢者はハッとしました。


以前、成長して抜け落ちた少年の乳歯へ試しに再生魔法を施してみた結果、

少年自身に施した時と同様に魔法が通じず、右目が光り輝くことが判明したのです。

無知蒙昧スペルフリー』はそれ程までに強固な魔法だったのです。


賢者はその事を思い出し、髪の毛をぎゅっと握りしめると魔力の限りを尽くして再生魔法を施しました。

素体再生リザレクション

外界では多くの国で禁呪に指定されているほどの大魔法です。


…けれど、少年の髪の毛は何も反応を示しませんでした。

賢者は思わず手を震わせて言いました。


「あの子はまだ生きてるっ!!」


部屋を飛び出すと、急いで他の二人にも報告しました。

窓際で無気力に空を眺めていた賢者も、酒に溺れ虚ろだった賢者も、一瞬で目の色を変えました。


少年が生きている。


その事実だけで三人の心がどれだけ救われたことか。

そして決意しました。

少年を探しに旅へ出ることを。


何年掛かってもいい。

本当に生きているなら、もう一度、ひと目会うだけで構わない。


三人はその日の内に旅支度を済ませ、翌朝には慣れ親しんだ賢者の塔を後にしました。

旅の目的は少年を探し出すことに加え、『無知蒙昧』の解除法を見つけ出すことも重要な位置づけにされました。


〈生〉を司る賢者が少年を探しに西へ。〈死〉を司る賢者が東へ。

〈知〉を司る賢者が南にある魔術研究都市へ。



願わくばまた四人で、あの楽しく平穏だった日々を取り戻せるように…。


その想いを胸に、賢者たちの旅が始まったのです―――――――――

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