第2話

「てんま、オイ、天間てんま

 名前を呼ばれ、肩を揺さぶられる。僕はゆっくりと目を開けた。

「起きたか。もう下校時間だぞ。こんなところで眠ったりして」

「さくらば……」

 そこにいたのは僕のクラスのクラス委員である桜庭さくらば涼太りょうただった。真面目で顔も良いし、誰にでも気さくに話すリーダーのような人物で、こうして僕にすら声をかけてくる。あまり話したことはないが、塞ぎ込んで半ば対人恐怖症の気がある僕にとって対等に話せる数少ないクラスメイトだ。

「ぼんやりしてるなぁ、具合が悪いのか?保健室の先生を呼ぼうか」

「いや、大丈夫だよ。ありがとう」

 本気で心配してもらってなんだか申し訳なくなる。僕は姿勢を正して目をこすった。

「今日も授業が終わった後、顔色が悪かったから。無理するなよ」

 気づいてたのか。さすが委員長。

「体調は大丈夫……」

 そう言いかけて、違和感に気づいた。少しだけ肩が軽く感じる。頭もスッキリして、痛みもない。固まっている僕をみて桜庭は首を傾げた。

「天間?……とりあえず図書室閉めるみたいだから出よう」

「ああ、そうだね」

 鞄を持って立ち上がると、パラリと膝の上から何かが落ちた。見るとそれはカードのようで、拾い上げると二つ折りになっている。質感のいい紙。そこには桜の花が描かれていた。不思議に思い開いてみると、

【春ノ雨。御用あれば此方まで。XXX-XXXX-XXXX】

 春ノ雨……?なんなんだろう、これ。電話番号も載っているが、どこに繋がるんだ?

 じっと見ていると、桜庭が覗き込んできた。

「こッ!コレッ!!!これって!」

 見た途端大声をあげる桜庭に驚いてカードを落としそうになる。

「え、何?どうしたの?」

 明らかに様子がおかしい。興奮しているようだった。

「本当にあったんだ、春ノ雨」

「……知ってるの?これ」

「知ってるも何も、会ったんじゃないのか?ドールズに」

「ドールズって、堂島先輩と焔先輩だよね。会ったよ、さっきまで一緒だった」

 そういうと今度は絶句する。目を見開いているけど、そんなに驚くものか。そんなリアクションをするキャラだと思っていなかったからちょっと怖い。

「天間、この後時間ある?」

「この後? いや……予定は特にないけど」

「ちょっと付き合ってくれないか?」

 桜庭は怖い顔をしながらそう言って、答えを聞かずに歩き出した。何がなんだかわからないが、拒否できる雰囲気ではない……。普段なら体調不良を理由に断ったかもしれないが、今は調子が良い。僕は桜庭の後を追って図書室を後にした。


 学校を出ると、桜庭は商店街に向かった。付き合うのはいいが、喫茶店にでも行くんだろうか……。あいにく今日は持ち合わせがないんだけど。それを伝えようとするが、桜庭は早足でどんどん進むためタイミングが掴めない。夕飯の買い物のためか商店街は人が多く避けて付いていくので精一杯だった。

「さ、桜庭!」

 早足でなんとか追いついて声をかけると、桜庭はやっと振り返った。

「あ、すまない。体調悪いのに……」

「いや、大丈夫だけど。それより、僕、今日お金を持ってなくて」

 桜庭と並んで歩きながら言う。

「それは気にしなくていいよ」

 奢ってくれるということだろうか。それは悪い。今日は涼しいし、公園でもいいくらいなんだ。

 提案する間もなく、道は商店街から外れた。一気に薄暗くなる雰囲気に不安になっていると、桜庭はピタリと止まる。

「さ、桜庭?」

「大丈夫。裏から回るのは面倒だからいつもそうしてるんだ」

「え?裏から回るって……」

 慣れた調子で扉に手をかける桜庭をみて唖然とする。

 その扉の上には看板が出ていた。

『スナック ミヤ』

 開いたドアの向こうから、女性の声がした。

「おかえり、リョウタ」

「ただいま。友達がいるんだけど、いいよね」

「友達ィ?なんだよ、それならそうと言ってくれりゃいいのに……まあまあ、お上がりなさいよ」

「天間、あがって」

 あがって、って。

 心臓がバクバクする。展開についていけないが、突っ立っているわけにもいかない。僕はおずおずと中へ入っていった。


 中は案外明るいし思っていたよりスペースがあった。二人掛けのテーブルが二組。後はカウンターに五つ席がある。壁は明るいクリーム色で、開閉できる窓の他にはめ殺しのガラスがあり、ステンドグラスがはまっていた。木目調が落ち着いている。スナックというイメージより喫茶店に近い印象だった。

 店内を眺めぼんやりしていると、声がかかる。

「天間、何してるんだ」

「あ……いや、」

 答えられずにもじもじしていると、カウンターから声をした。

「アンタ、まさかウチのこと何にも話さずいきなり連れてきたんじゃないだろうね」

「あ、そういえば話してなかった」

「馬鹿だねえ、高校生は普通こういうのに馴染みがないんだから、びっくりするでしょうが、まったくもう」

 そこでカウンターの中の女性は僕の方を向いた。

「ごめんね、この子基本的にはできるんだけど、変なとこ抜けてんのよ」

 はあ、と言いながら視線を逸らした。

 女性は派手目のメイクをしていたがどこか品のある綺麗な顔をしていて、これもまたイメージが少し違うのだが、ギラついてない、ネイビーの服を着ていた。まあ何故目を逸らしたかというと、その服の胸元がざっくり開いていたからなんだが、逸らすのもまた恥ずかしいと気づき視点を桜庭に向けた。

「でもね、母さん、天間は別に悪く思うようなやつじゃないし、平気だと思ったんだ」

「あんたねぇ、そういう問題じゃ…」

 え?今なんといった?

「さ、桜庭、母さんって」

 誰のことだ?まさかこの女性が?見た目は完全に二十代だ。

「母さんだよ、俺の」

「お、お姉さんかと思った」

 率直に思ったことを口に出すと、カウンターから物凄い笑い声が聞こえた。

「お姉さんっ!お姉さんって、アタシはもう三十五だよ。この子は十八の時の子だから」

「はあ、そうなんですか」

「アンタ良い子連れてきたねえ。こりゃ将来望めるわ」

「天間は良いやつだよ。それより、俺は天間と話があるんだ。二階は散らかってるからここでいい?」

「そりゃ構わないよ。アンタ、なんか飲むかい?」

「だいたいのものはあるよ」

 確かにそうだろう。カウンターの後ろには酒瓶がずらっと並んでいるし、冷蔵庫も立派なものがある。

「じゃあ、紅茶を」

「あいよ。ミルクとかレモンとかいる?」

「じゃあミルクを」

 桜庭のお母さんはテキパキと二人分の飲み物を準備し、奥のテーブルに座る僕らの前に置いた。

「アタシは仕込みも終わったし一度二階に行くよ。あと三時間もしたら客が来るから、それまではゆっくりすればいいさ」

 そう言って傍にある扉を開けて上がってしまった。

 一度シーンと静まり返り、僕は落ち着かないままミルクとガムシロップをアイスティーに入れた。


「早速なんだけどさ」

 桜庭はレモンの浮かんだ紅茶をかき混ぜながら話し出した。

「あのカード、もう一度見せてよ」

 僕はポケットから二つ折りのカードを出し渡した。丁寧に受け取り顔を近づけてよく見ている。

「まあ、本物なんだろうなあ」

「ねぇ、さっきから何を言ってるの?このカードの事知ってるの?」

「知ってるよ、春ノ雨の噂知らないのか?ドールズのさ」

「堂島薫先輩と焔楓先輩の噂っていうならいくつか知ってるけど、春ノ雨なんてしらない」

「そうか」

 僕の反応に、どこか自慢げに口元に笑みが浮かぶ。

「ドールズはさ、あの見た目じゃないか。それでいろんな噂があるだろ?晴れて欲しい時は焔先輩に向かって手を合わせればいいとか、堂島先輩は暴漢を払う魔法を使うとか、屋上で天界と通信してるとか……」

 中には聞いたことがないものが混じっていたけど、それだけ噂の数が多いということだろう。あと堂島先輩の暴漢を払う魔法について僕は嫌な予感しかしない。

「その噂の中に、春ノ雨ってのがあるんだ」

「それがいったいなんだっていうのさ」

「まあちゃんと話すから慌てるな。春ノ雨はどうやら咒屋らしいんだ」

「まじない?って、御呪いってこと?」

「同じだな。しかし数ある噂の中で正直これが一番オカルトちっくなものなんだ」

 今までのも十分オカルトだと思うんだけど。そう言おうと思ったが、目の前の顔は怖いくらい真面目だった。

「悪魔を祓うんだ」

「悪魔……だって?」

 そこであの言葉を思い出した。

(憑いているらしいぞ。ケガレが……)

 あの人形のような先輩たちが言っていたのはそのとこだったのか?

「まさか……」

「出来過ぎだからさ、あんな美しい人形みたいな完璧な先輩方が悪魔を祓う咒師だなんて。まるでライトノベルみたいでさすがにないと思ってたんだ。どうせ誰かの空想や妄想が噂になったんだろうとね。冷静になれば他の噂だって根も葉もないおとぎ話のようなものだし」

 そのあたりの感覚はあったのか。盲目的に信じているわけではなくて安心した。

「でも春ノ雨の存在はちょっと違和感があったんだよな。元々噂はあったんだが、最近になって隣クラスの女子が突然言い出したそうなんだ。春ノ雨、とか、お祓い、とか。言いふらすわけではなく、友達に話したのが俺の耳にまで入ってきてね。まあ直接聞いたわけではないからただの噂の域をでなかったんだが……」

 なるほど。その春ノ雨の存在を証明するものを、僕が持っていたということなんだな。

「で、心当たりが何かあるんじゃないかと思って誘ったんだよ」

「はあ……話はわかったけど、僕にはよくわからないよ」

「でも先輩方と話したのは事実なんだろ?」

「それはそうだけど」

 どんな想像をしているか知らないが、あまり愉快な時間ではなかった。

「三年の同じクラスの人だってあの二人とまともに話せないんだぞ」

 授業が終わるとふらりと消えて神出鬼没……だったっけ。

「なんの話をして、このカードをもらったんだ?」

「なんの話……って」

 女、ケガレ、そのままだと、死ぬーー。

 俯く僕をみた桜庭はハッと我に返ったようで、腰を浮かせ僕の肩に触れた。

「ごめん、問いただしてしまった。聞いてはいけないことだったのか」

 顔をあげると、さっきまでの様子と打って変わり不安げな顔をしていた。キリリとした形の良い眉がハの字に垂れ下がっている。

 思わず笑ってしまった僕は、大丈夫と言って彼を座らせた。

「短い時間だったからね、大したこと話してないんだ。図書館で休もうと思ってあの場所に行ったら、その先輩たちがたまたまいて、絡まれたんだよ。それで、咒屋に関係しているかはわからないけど、僕に何かが憑いている。って言って帰ってしまった」

「え……それだけ、か?」

「うん」

 他にはそれが女だということも言っていた。そして、このままでは死ぬ、とも。

 でもそんなことまで桜庭にいうこともないだろう。俯いただけであの慌てようだと、そんなこと言ったらパニックになりそうな雰囲気だし。

「だからカードも桜庭に会ってから気づいたんだ。多分あの二人のどちらかが置いたんだろうけど、置いたところみてないからはっきりはわからない」

「そうなのか……」

 桜庭はガッカリしたようではなかったが、何か考え込んでしまった。

「何かが憑いている。そして咒屋のカード……関係はあるんだろうけどな」

「多分ね」

「憑いてるってさ、どういうことなんだろうな」

 それは僕にだって皆目検討がつかない。

 だけど女というワードで、なんとなく嫌な予感だけがつきまとっていた。

「別に体調が悪いわけじゃないんだろ?」

「今は全然平気だよ。でもこのところずっと悪いから……」

「うーん。なんなんだろうなあ。何もないなら放っておいてもいいんだろうけど、その電話番号……」

 テーブルの上に置かれたカードを開くと、電話番号がある。

「一応、携帯に入れて置いた方がいいかもな」

「うん、そうするよ」

 その場で入力して、カードはしまった。

 桜庭はあんなに食いついていたのに、この話は終わり、と言わんばかりに全く関係ない話題を振ってきた。

 それに答えているうちに、あっという間に時間が経つ。友達とこんなに会話をするなんて最近ずっとしていなかったからか、相手が桜庭だったからか、とても楽しい時間だった。


 二時間くらい過ぎたところで、僕はスナックを出る事にした。腰を上げたところで丁度降りてきた桜庭のお母さんに「またいつでもおいで」と言われ、なんだかむず痒い気持ちになりながらもお礼をした。出先まで桜庭がついてくる。外はすっかり暗くなっていた。

「今日はごめんな、無理やり誘っちゃってさ」

「無理やりだなんて、凄く楽しかったよ」

 そう本心を告げると、桜庭は照れたように頬をかいた。

「あのな、天間、確かに俺はドールズのオタクみたいなところがあるんだけど」

 自覚していたんだ。中々ドールズとかいう名称を使っている人はみたことがなかったから気になっていたけど。

 桜庭は僕の目をまっすぐ見る。

「そんなことより、天間とこうやってはなしてみたかったんだ」

「え……」

「俺、学校では真面目にしてるけど、こういうちょっと変わった家庭でさ、小学生の頃ちょっとしたいじめにあってからあまり人と関わるのが得意じゃなくて」

「でも、桜庭はクラス委員でみんなから慕われてるじゃないか」

 僕には到底真似できないことをたくさんやって、それも簡単そうに……。桜庭は黙ってしまった。もしかして簡単ではなかったのかもしれない。きっと桜庭は桜庭なりに努力して、学校で今の居場所を作ったんだ。

「友達が、いないんだ。クラスメイトはどうしたってただのクラスメイトなんだよ」

「うん」

 それは、わかる気がする。僕だってグループ活動には支障はないけど、友達なんて言える人はいないんだ。余りものがそれなりにいるからなんとかなっているだけ。

「だからさ、天間。俺と、友達になってくれないか?」

 高校生にもなってこんなに改まって言うのはどうかと思うけど、そう言い顔を伏せる桜庭は、僕の知っている堂々としたクラス委員の姿とは遠く離れていた。

 友達なんて名称に何の意味があるかは正直わからないけど、関係を言葉にしないと不安になる気持ちはわかる。友達というものがどう言うものをいうのか、さっきまで楽しく話していた僕からしてみれば、とっくに桜庭は友達だったんだけど……。

 不安気な桜庭が安心できるのであれば、答えは一つだった。

「桜庭、僕も君と友達になりたい」

 こんなセリフを言うことになるとは。なかなか恥ずかしいじゃないか。

「て、天間!ありがとう!」

 だけど大げさなくらい喜んだ桜庭に抱きしめられながら、気持ちは軽く、今までの憂鬱感など本当に忘れるほどだった。

 裏路地とはいえ外だから!と体を離すと、桜庭は照れくさそうに笑って携帯を出した。

「連絡先、交換しよう」

「もちろん」

 アドレス交換をしてアドレス帳を見ると、そこには春ノ雨の名前があった。

 結局なんだかはわからないままだけれど、今はそんなことどうでもいい。

 明日から休み時間は暇しなくて済むかもしれないな、そう思いながら商店街を抜けた。






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dolls 神田誓 @kandasei

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