dolls

神田誓

第1話

 迷ってしまった。

 その背中を追いかけるべきか。

 結局、僕は立ち止まったまま動かなかった。それからずっと、あの場所で。

 ひとり、ゆら、ゆら、伸ばした手はそのまま落ちた。瞼からは涙が墜落した。


 鐘の音と共に椅子を引きずる音と話し声が教室に響く。僕は痛む頭を抱えながら鞄を持つと、クラスメイトにぶつからぬよう避けながら教室からエスケープした。廊下に出ても騒音、雑音。嗚呼、本当に頭が痛い。

 頭があまりにも痛いから、僕は図書室に逃げ込んだ。保健室は好きではないし、本に囲まれた方が回復すると知っていたからだ。

 図書室は静かだった。何人か利用者はいたけれど、他校と比べても広く立派な室内は先ほどの世界から切り離されたように落ち着いている。

 僕はふぅ、と息を吐く。

 ある日を境に鬱々とした毎日を送っているが、最近はどうも駄目である。些細な音も気になるし、人の声が脳に直接響いて来るようだし、視線が怖くて避けるのに必死になったり……。睡眠も十分に取れず頭はぼんやりして気怠くやる気も起きなかった。朝も辛いし昼も夜も辛い。これはおそらく、然るべき場所で判断を仰げばそう言った病が浮かびあがるんじゃないか、と、思うが、どうする事もなかった。風邪やアレルギーでもないのに病院に行きたいなどと言えるものでもない。やり過ごすしかないのである。

 いつまで……?

 浮かぶ疑問はよろしくない。考えても答えなんてでないから、無限ループだ。

 いよいよ立ってるのも辛くなった僕は、図書室の奥にある長椅子の方に向かった。奥にもなれば人もおらず、少し休むことができる特別な場所である。

 やっと見つけた僕の場所。縋るような気持ちで本棚を曲がると、そこには、

 人形が二体いた。





「それで蹴り倒してやったんだ」

「そう、靴の血」

「うん。イタチに小言いわれた」

「良くない」

「だってカツアゲだぞ。カツアゲ。悪人だから成敗したんだ」


 蹴り倒す、靴の血、カツアゲ、悪人、成敗……。桜色に染まった形のいい口から発せられる血生臭いワードに、呆気に取られた僕は立ち尽くしてしまった。

 なんとも、チグハグしている。

 二体の人形はこちらに気づかないのか、会話を続けた。

「まあ、しかし手応えがなくてつまらん」

「当たり前」

「つまらんつまらん。最近はホントにつまんなぁい」

 駄々っ子のような言い方だ。体を揺する度に緩く上品にカールした長い髪が揺れる。甘いミルクティーのような色をしたそれは窓から差し込む光でキラキラと輝いていた。しかし、

「暴れたい」

 言葉は耳を疑うものだった。

「良いこと」

 短くそう言って行儀良く座るもう一体が、本のページをパラリと捲った。本の表紙からして外国のものか。パッと見ただけでは何について書かれたどこの本なのかもわからない。

「そりゃ平和は一番かもしれないけどね、平和でつまらないなら平和でなくとも構わないッ!」

 むちゃくちゃな事を言っているが動じない。まっすぐ腰まで伸びた漆黒の髪は、片方と違い光を吸い込むようだった。

「聞いているのか?」

「聞いてる」

 まるで、西洋のビスクドールと日本人形のようだった。二体の肌は白い。ビスクドールは透き通るような白。日本人形はどこか青白く見えた。人形というなら、ここまで完璧に作り上げた造形師を見てみたいものだ。大きな瞳や小ぶりな鼻。全てがあるべき場所にあるように配置されている。

 魅入ってしまいそうだ。否、その時既に心は囚われていた。

「君もそう思うだろう」

 だから、その鼈甲のような瞳がこちらを向いて、歌うように滑らかな言葉を僕に向けて放ったことに、気づくのが随分と遅れてしまった。




「え……っとその、」

 瞳に飲み込まれそうになりながら、何とか言葉を返そうと思うが思うように話す事ができない。日本人形の黒い瞳も加わり、体の自由も奪われてしまったかのようだった。

「エットソノ?エットソノってなんだ」

 整った眉を寄せたビスクドールは、低めの本棚から降りて歩み寄ってきた。例の如く僕は動けないでいる。ビスクドールの顔はどんどん近づき、鼻と鼻がくっつきそうだ。

 ち、

「近い……です」

 情けないくらい弱々しい声だ。ビスクドールは少しだけ離れて僕の全身を見た。値踏みをされる家畜の気分である。

「ふぅん、カワウソだな君は」

「カ、ワウソ」

「うん。カワウソ」

 なんだ、カワウソって。あの動物園とかにいるあれか。あれが、なんだって、

「何やってるんだカワウソ」

 嗚呼、カワウソとは僕のことか。

「少し、休もう、と」

「休む?なんで」

「体調不良」

 ビスクドールの後ろから鈴の音のような声がした。

「なんだお前具合悪いの?」

 助け舟だ。僕はコクコクと頷く。ビスクドールはふぅん、と言って顎で日本人形の隣を指した。

「は……」

「座りなさい。許す」

 う、上からすぎる。

 高校生、ましてや女子高生の態度とは思えない。美しさがあるからか、まるで女王の命令のようだ。そんな彼女の言葉に人畜無害で平民である僕が逆らえるはずもなく、座った。

 ビスクドールも元の位置に収まる。

 あ、どこかへ行ってくれるわけではないのか……。

「なんでお前のために私たちがどかなきゃいけないんだ」

「いや、それもそ……え?」

「なんだか陰鬱な奴だな。ジメジメしてる」

「は、はあ」

 なんだ今の……。一瞬心を読まれたかと思った。視線を下に向けているが、なんだかよくわからない状況だ。

 美しい人形に挟まれている。

「なんで鬱なんだお前」

「え、う、鬱って……」

「鬱だろどうみたって」

「は、はあ……なんでと言われましても……」

「ハッキリしないカワウソだなあ。おい、コイツツイテルのか?」

 ツイテル……?

「憑いてる」

 日本人形もそう言った。

「何がツイテル?」

「女」

 お、んな……?女が憑いてる……?

 頭の中で復唱したところで、全身に鳥肌が立った。

 女って、まさか……。

「ほーん、お前憑いてるらしいぞ。ケガレが」

 ビスクドールが唇を歪め、にやっと笑った。



 ビスクドールと日本人形の二人組は、この学校では有名だった。入学してすぐに知った。学年は僕の一つ上。だけど学校生活を送って一年は何も接点なんてものはなかった。この二人は授業は出ているようだが、それ以外ではまさに神出鬼没。お目にかかれればラッキーでその日は幸福な事が起きるだとか、会話ができればその後富を得る事ができるとか、有る事無い事噂が多い。その人間離れした容姿故か、だいたいが妖精やら神やら神秘的なものであった。とは言え、地味に生活を送る僕にとっては嗚呼、そんな人がいるんだなあ、と言うくらいで、別段興味を持ちはしなかった。というか、それどころではなかったのだ去年は。

 しかし、それでもこの有名人二人の名前と簡単な情報くらい知っている。

 西洋の人形は、堂島どうじま かおる

 大手食品メーカーから海外製品の輸入販売まで手がける資産家の祖父たエリートで金持ちな一族に生まれ、豪邸で暮らす本物のお嬢様。

 実際は破茶滅茶であるとわかったのだが、人の話だとあくまで上品で物静からしい。出会ってものの一秒それが偽りだと知ったがそのあたりの話はよくわからない。

 日本人形は、ほむら かえで

 こちらはこの辺りで一番大きなお屋敷にすむお嬢様である。なんでも祖父にあたる人が出版会社の取締役で、両親とは離れ屋敷の中で暮らしているらしい。こちらは堂島薫よりもよくわからない。屋敷を囲む塀の向こう側をみたというものがいないからだ。

 彼女自身は物静かで秀才。口数は少ないが案外人当たりは良いという。


 そう、特別気に留めていなかった僕でさえこのレベルまでの情報は知り得ている。それくらいの知名度なのだ。

 平々凡々な僕からしてみれば、物語の中のキャラクターと同じレベルであったのに、そのキャラクターは現実に存在して僕を覗き込んでいる。

「おい、」

 黙り込んで汗を掻く僕の頬を、細くしなやかな指が思いっきり弾いた。





「ヒッ、痛……!」

「なんとかいいなさいカワウソ。耳がついてるだろうが」

「と、申されましても……」

 顔が整っているから威圧感が凄い。逃げたい。逃げ出したい。こんなんじゃ全然休まらないじゃないか。おとなしく保健室に行けばよかった。

 頭の中でグルグルと思考を巡らせるが、状況は変わらない。

「ハッキリしないな。殴ったら直るかな」

「う、すみませ」

 女子相手に情けないことこの上ないが、どうにか見逃してほしいという思いでいっぱいだった。そんな時、

「女、ケガレ。そのままだと死ぬ」

 と右隣にいた焔楓が言った。

 死ぬ……だって?

「それは、一体……」

 どういうことなんだろうか。

「今暇だしやってしまうか?」

 堂島薫の言葉に焔楓は首を振った。

「今日は叔父様が来る」

「ああ、そうだったね。じゃあさっさと帰ろう」

 立ち上がる二人に僕は慌てる。

「ちょ、ちょっと!すみません、今の話はッ、あの女ってなんですか?!ケガレって?!し、死ぬってどういうことです?!」

「なんだコイツ今度は急に喋りだしたぞ」

 眉を寄せる堂島薫だが、それは腑に落ちない。大いに腑に落ちない!

 焔楓はこちらなど振り返らずにスタスタと歩いていく。

「私たちには外せないようがあるんだ。カワウソくんに構っている暇はない」

「そ、そんなぁ、それは酷いですよ!」

「酷い?知らないよ。忠告してやったろうが。十分親切だろ」

「いやぁ、だってそれは…それはぁっ」

「イヤダッテソレじゃない。ほむら、コイツ煩い」

 縋り付くような僕に見かねた堂島薫が、扉に手をかけた焔楓にいうと、日本人形がくるりと振り返った。

 そして、小さく上品な口元が僅かに開き、何かを呟き始めた。

 すると、手を伸ばしていた僕の体がふわりと浮いた……、

 ような感覚に陥り、段々と意識が遠のくのを感じた。最後にぼんやりと霧がかった視界に映ったのは天使のような美しい人で、今日は何羊羹かな?という言葉に、ようってまさかそれ……?と思ったところで途切れた。

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