哲学コント~「走れメロス」編

鵜川 龍史

哲学コント~「走れメロス」編

〈登場人物〉

メロス:カント主義者

老爺:フランス社会主義者

王(ディオニス):論理実証主義者

セリヌンティウス:行動経済学者

妹:功利主義者

花婿:ロマン主義者

山賊:哲学史家


【第一幕】

メ:なんだ、この町の様子は……。おい、そこの爺さん、一体何があった。

老:王様は個人の生命を脅かします。

メ:すまないが、分かる言葉で話してくれ。

老:王様が人を殺すということです。王様は異民族の生存を認めません。肌の色、髪の色、目の色――色の違う人間は何を考えているか分からないと言って、殺すのです。

メ:おどろいた。国王は民族主義者か。

老:いいえ、民族主義者ではございませぬ。言葉を、信ずることができぬ、というのです。このごろは、我々同じ民族の者をも殺しています。今日は六人殺されました。

メ:呆れた王だ。自らの死を自ら招くとは。

老:どういうことです。

メ:人は、自分がなにか行動しようとするとき、それが普遍的な法となって、万人が同じ行動をとってもよい場合にかぎって、その行動をとってもよいのだ。

老:つまり、王様は自分が人を殺す以上、自分自身を殺す法を否定することができないと。

メ:その通り。そして、王のことは誰にも罰することができない。だから、おれが裁く!(空条承太郎風に)

老:それでは、あなた自身も……。

メ:人を「始末」しようとするって事は、逆に「始末」されるかもしれないという危険を、常に『覚悟して来ている人』ってことだ。(ジョルノ・ジョバァーナ風に)

老:おお。なんと気高い!

メ:では行ってまいる。(舞台袖に引っ込む)

老:どうか、ご無事で。(メロスの方に向かって手を合わせる)


【第二幕】

(メロス、捕まって、王の前に引っ立てられる)

王:この短刀で何をするつもりであったか。言え!

メ:市を暴君の手から救う、妹の結婚式にも出る。「両方」やらなくっちゃあならないのが「兄」のつらいところだな。覚悟はいいか? 俺はできてる。(ブローノ・ブチャラティ風に)

王:おまえがか? 仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの孤独がわからぬ。

メ:言うな! 人の言葉を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑って居られる。

王:疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたち哲学者だ。人の言葉は、あてにならない。哲学の問題は、もともと言語から生じる問題に過ぎない。語っては、ならぬ。わしだって、真理を望んでいるのだが。

メ:なんの為の真理だ。自分の地位を守る為か。言葉を信じることなく人を殺して、何が真理だ。

王:だまれ、下賤の者。口では、どんな清らかな事でも言える。わしの言葉とて例外ではない。梯子を登り終えた後に、その梯子を投げ捨てなければならないように、言葉はいつか捨てねばならないものなのだ。おまえだって、いまに、磔になってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ。

メ:私の語る覚悟は、あらゆる学問の根底に位置する普遍学としての哲学を再構築した上に、概念化されているものだ。だから、市を暴君の手から救うし、妹の結婚式にも出る。

王:さっきから、何を言っている。妹の結婚式だと?

メ:ああ。私に情をかけたそうな王に免じて、処刑までに三日間の日限をもらってやろう。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来る。

王:ばかな。とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。

メ:代わりに、この市にいるセリヌンティウスという石工を、人質として置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺せばいい。私が親友のために命をなげうつのをいとわないように、親友も私のために命をなげうつことをためらわないだろう。

王:それがお前の言う「君の意志の格律が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」というやつか。(舞台袖に向かって)おい、そのセリヌンティウスという石工をこれへ。

(セリヌンティウス、来る)

セ:話は聞いたよ、メロス。(溜め息)まったく、君という男は……。なあ、「囚人のジレンマ」という話を知っているか。

メ:ありがとう、親友よ。君の恩は一生忘れない。

セ:君が約束を守るなら、その一生はあと三日しかないことになっているし、その間に恩を忘れられちゃ非常に困ったことになるのだが……。それはそれとして、お前は人の話を聞け。

メ:なんだ。「主人」がどうした?

セ:「囚人のジレンマ」だ。

メ:ああ、それそれ。

セ:(溜め息)まあ、いい。こんな話だ。ちゃんと聞いてろよ。

メ:当り前じゃないか!

セ:(深い溜め息)二人組の罪人が別々の独房に収監された。そして、一方の囚人に、担当官がこういう取引を持ち掛けた。「黙秘を続ければ一年の刑期で済むかもしれない。だが、お前が相棒より先に自白すれば、相棒を十年の刑期にする代わりに、お前のことは釈放してやろう。ただ、今、お前の相棒にも同じ話をしている。こうしている間にも、相棒がお前を売って、釈放されてしまうかもしれないな」

メ:ああ。二人ともが黙秘を続ければ、二人とも一年の刑期で済む、というだけの話だろう。

王:興味深い話だな、セリヌンティウスとやら。さて、メロスよ。お前は果たしてその状況で、友を売らずに一年の刑期を勝ち取ることができるかな。友がお前を売らないという確証のないままに。

メ:何が言いたい。

王:三日目には日没までに帰って来い。ただし、おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。そいつの命と引き換えに無罪放免だ。

セ:いや、そういうつもりで言ったわけじゃ……。なあ、メロス、分かっているよな、この手の話の結末は。

メ:あ、ああ。もちろん、分かっているとも。(セリヌンティウスと視線を合わせようとしない)

セ:おい、メロス。メロス!

(メロス、ダッシュで舞台袖へ)


【第三幕】

(メロス、故郷の村へ。妹と婿が神妙な面持ちで向かい合っているところに、メロスが入ってくる)

メ:おお、我が妹よ、今すぐにお前の結婚式を挙げてやろう。早い方がよかろう。

妹:相変わらず脈絡のない行動ですね。それで、その行動にどんな得があるというのですか。

メ:得などない。ただ、この兄の都合のゆえ。

妹:それなら、嫌です。今、結婚によって生じる損と得を紙に書きだしてみたのです。結果として、彼とは結婚しない方が、総じて得が多いということが分かりました。

メ:(婿に向かって)いや、君はそれでいいのか。

婿:僕の歌で目覚める朝よりも、二人で星の声を聴く夜よりも、一人で仕事をし読書をする時間をよしとされてしまっては、僕が彼女を幸せにすることはできません。

メ:いやいや、ソクラテスも言っていただろう。「良妻を持てば幸福になれるし、悪妻を持てば哲学者になれる」と。悪くても哲学者だ。こんなにいい取引はあるまい。

婿:僕は何があっても詩人です、お兄さん。

妹:結婚しないと言っているのに、「お兄さん」呼ばわりはやめて。(メロスに向き直る)それと、兄さん、私の都合は完全無視ですか。その上、実の妹を捕まえて「悪妻」だなんて。非常識です。あなたのような人は、どこか私の知らないところで死んでしまえばいいわ。

メ:ああ、妹にまで死ねと言われ、私にはもう生きている価値がないのか。今すぐ市に戻れば、時間に余裕があるが、もはや帰る気力も湧かぬ。すまない、セリヌンティウス。恨むなら妹を恨んでくれ。(寝転ぶ)

(舞台袖から山賊が乱入)

山:待て――じゃなかった。何をしておる。

メ:寝ておる。

山:我々はお前を待ち伏せしていた山賊だ。待てど暮らせどお前が来ぬので、こうして村まで出張ってきたが、話に聞いた婚礼の儀も行われた様子がない。メロス、お前どういうつもりだ。

メ:さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。

山:だから、待ち伏せしてたのに来ないから、こうやって村まで出向いたんじゃないか。

妹:どういうことです、兄さん。

メ:王を殺しに入って、捕まったんだ。それで、お前の結婚式に出たら戻る、という約束で、今ここにいる。

妹:それで何の得が……。

婿:ああ、君にお兄さんの十分の一でも、無分別が備わっていれば。

妹:「お兄さん」はやめてって言ってるでしょ。

山:とても結婚にはたどり着けそうにないな。

メ:気の毒だが正義のためだ。

山:この文脈だと、この男が結婚できないのが「正義のため」という話になるが……。

婿:お兄さんまでもが、僕を妹さんの夫として認めてくれないのか! 「俺は、善と幸福とへの改宗を、救いを予見してはいた。俺はこの幻が描けるか。地獄の風は讃歌なぞご免だと言う。神の手になった、麗しい、数限りないものの群れ、求道の妙なる調べ、力と平和と高貴な大望の数々、ああ、俺が何を知ろう」(ランボオ「地獄の夜」『地獄の季節』(小林秀雄 訳 岩波文庫))

山:こんな時代に詩人とは、実に野蛮な。

婿:何を言うか。詩を書かずして、どうして人間が人間でいつづけることができるというのだ。

山:文明が、文明であるがゆえに暴力をまき散らしているこの時代を見れば、人間の営みはすべて野蛮へと回帰することになる。高尚と低俗の間に区別はない。それでもあなたは、野蛮と向き合って言葉を紡ぐ覚悟がおありか。

婿:「疲れた果てはのたれ死(じに)だ。いよいよ墓場か、この身は蛆虫どもにくれてやる。ああ、思ってもやりきれない。悪魔め、貴様も道化者だ。いろいろな妖刀で、この俺が盪(とろか)したいとは。よし、俺は要求する、戟(げき)叉(さ)の一撃、火の雫、いいとも、結構だ」

メ:難しい話をしてないで、こっちに来て飲もうじゃないか。命はやれんが、いくらでも付き合ってやる。結婚式がなくて飲めなかったものでな。

山:いや、そうはいかぬ、命をもらう。その命は王に差し出したもの。きちんと王に支払ってもらうぞ。

メ:ああ、なるほど。お前はセリヌンティウスの差し金か。信用がないな。

山:そのセリフ、意味が分かって言っているのか。

メ:私が行くかどうかは私自身の問題だが、セリヌンティウスが私を信じるかどうかはセリヌンティウスの問題だ。少なくとも私自身は、セリヌンティウスを疑ったりはしなかったぞ。

山:貴様、頭がおかしくなったのか。早く出発しろ。持ち物全部を置いていけ。一瞬の時間も惜しい。

メ:気の毒だが正義のためだ。

山:何が正義のためだ。セリヌンティウス様の死は正義ではない。お前の不義によって引き起こされるものだ。

メ:何を言う。死は一瞬だが、親友の死は私を一生苦しめる。何の努力もせずに王に殺されるセリヌンティウスこそ、私に対する不正義だと思うが。

セ:そうだな。確かに生き抜くための努力は必要だ。

メ:セリヌンティウス!(ぎょっとするが、すぐに落ち着きを装って) わが友! よくぞ無事で。(抱擁を求める)

セ:(メロスを避けつつ)お前の嘘ははなから分かっていた。この状況で妹さんが結婚するはずがないんだよ。

妹:ああ、セリヌンティウス様。

メ:いつの間にお前ら……。

王:ああ、セリヌンティウス様。

メ:王まで……。

セ:人間の判断など、所詮は不合理なものだ。例えば、私は建材の装飾を得意とする石工だが、商品を買い付けに来た役人がどうやって値段を判断すると思う。

メ:相場というものがあるだろう。あるいは、これまで購入した商品との比較か。

セ:違うのだよ。例えば、そこに放り出されている石材、見たところ五百といったところだが、これを倍の千で売ることもできる。

メ:馬鹿なことを言う。そんなことができるのだとすれば、お前はただの詐欺師だ。

セ:私を人質に差し出して、自分一人生き延びようとした人間の言葉とは思えんな。

王:そんなことより、どうやってその石材を倍の金額で売るというのだ。

セ:簡単なことです。(紙に文字を書きつける仕草)これを貼るだけです。

王:「タイムセール 本日夕暮れまで三割引」だと……。

セ:あるいは、これでもいいでしょう。(紙に文字を書きつける仕草)

妹:「現品限り 再入荷未定」……ああ、文字まで美しいわ。

メ:そんなことで、千もの大金、出すはずがなかろう。

セ:そうですか……。それなら仕方ない。あなたにはいつも世話になっている。今後ともご贔屓に、との意味を込めて、特別に八百に負けましょう!

メ:よし、買った! うははは、得な買い物をしてしまったなあ。(石材をさすりさすりする)……はっ!

セ:分かったようだな。

妹:万歳、セリヌンティウス様万歳。

山:万歳、セリヌンティウス様万歳。

王:万歳、セリヌンティウス様万歳。

セ:メロス、君はもはや丸裸だ。早くそのマントを着るがいい。シラクスで磔のための柱が待っている。墓石には私が直々に墓碑銘を刻んでやろう。

メ:せめて、妹の結婚式に……。

妹:私に兄はおりません。

王:式のことが心配なら、わしが代わりに出ておいてやろう。

セ:それなら私は、メロス、お前の葬式に出てやろう。

(メロス、山賊に連れられて退場)


(幕)


〈参考文献〉

太宰治「走れメロス」

高橋昌一郎『哲学ディベート――〈倫理〉を〈論理〉する』(NHKブックス)

高橋昌一郎『理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性』(講談社現代新書)

高橋昌一郎『知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性』(講談社現代新書)

高橋昌一郎『感性の限界――不合理性・不自由性・不条理性』(講談社現代新書)

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