季節外れのリンゴ
※
「そこの眼鏡をかけた吸血鬼の人。教会でお祈りしていきませんか? もしくは、リンゴいりませんか?」
普段だったら、絶対に足を止めないであろう呼び込みだった。ここ一年のアルジェントでは国民の貧民化も深刻で、金をくれ、食べ物を寄越せなどと色々と声をかけられたのだ。全部無視してきたけど。
それなのに、今日はなぜ足を止めてしまったのか。ジェズアルド本人にもわからない。
「……それ、もしかして僕に言ってます?」
「ええ、もちろん」
何がもちろんなのか。提案された二択もよくわからないし。なんて訝しんでいると、相手の方から歩み寄ってきた。
無宗教の考えが根強いアルジェントでは珍しく、聖職者の装い。黒いカソックを着込む若い男で、かなり整った見目をしている。
「あなたは、神父さん……ですよね? 吸血鬼に対して神へ祈れだなんて、あまり酔狂なことは言わない方がいいですよ。たまたま僕の機嫌が悪くなかったからいいものを、下手したらあなた、殺されていましたよ」
「いいえ、それは違います。神は人間と人外を区別などせず、全ての命を平等に愛してくださるのです! それに、神への信仰を広めるのが私の役目です。そのためならば、命など惜しみません」
深い緑色の瞳をキラキラさせながら、神父は言った。
ううむ、この人。若いくせに今時珍しいくらいに神という存在に毒されている。神はそんなに立派なものじゃないのだが。
「はあ、ご立派でいいと思います。でも、今は人と待ち合わせしているので」
「そうですか、残念です。では、代わりにリンゴはどうですか?」
残念そうに神父が肩を落とすも、代わりにどうかと持っていた籠からリンゴを一つ取り出した。
真っ赤に熟れたリンゴは瑞々しく新鮮なようだが、一体どうしてお祈りの代わりがリンゴなのか。
「……最近の神父はリンゴを売っているんですか?」
「いえいえ。私の教会の庭にリンゴの木が一本あるんですけど、老木のせいかここ数年はほとんど実をつけなかったんですよ。それが今朝、ふと見上げてみると、一つだけ実がなっていたんです。秋にはまだ早いのに、不思議だと思いませんか?」
それが、このリンゴです。と自慢げに神父が話す。その話が本当ならば、確かに不思議な話ではあるが。
「それなら、ご自分で食べたらどうです? 信心深いあなたへ贈られた、神からのご褒美かもしれませんよ」
「いいえ、残念ながら違います。神は言っています。このリンゴはあなたへ渡すように、と」
「うわっ、ちょっと!?」
半ば強引に押し付けられてしまった。慌てて返そうとするも、既に神父はジェズアルドから距離を取り、にこにこと満足そうに笑っていた。
「次にお会い出来た時には、ぜひ神へお祈りを。あなたに神のご加護がありますように」
そう言い残すと、神父はさっさと立ち去ってしまった。追いかけることは簡単だし、無理矢理籠の中にリンゴを戻すことも出来る。
でも、ジェズアルドは静かに見送ることにした。今までの自分だったら、リンゴなんて絶対に受け取ったりしなかったのだが。
「……まあ、いいか。リンゴはあの人の好物ですしね」
適当な理由で、強引に自分を納得させて。リンゴを左手で弄びながら、ジェズアルドは再び待ち合わせ場所へと向かった。
※
結論を言うと、カインと交わした隷属の契約は大して意味を成さなかった。
「僕は午前十時にここに来るように、と言ったのですが。二十分も遅れるとは……まあ、あなたにしては頑張った方だと評価すべきですかね?」
「うぐ……一応時間には気を配っていたんだが、グール探しをしていたらいつの間に過ぎてしまっていた」
すまない、と心底申し訳なさそうに謝るカイン。彼はあれから生き残っているグールが居ないかを見て回るのが日課になっていた。
グールがもたらした甚大な被害に多少の責任を感じているらしいが、カインは一つのことに集中すると他のことが頭から抜け落ちてしまうタイプなので手に負えない。
しかし本来であれば、隷属は主人に反抗することは絶対に不可能なのだ。主人であるジェズアルドが十時に来いといえば、カインのだらしない性格など関係なく絶対に時間を護る筈。
だが、ジェズアルドとカインの場合は違う。カインは真祖であり、階級だけで見ればジェズアルドよりも格上なのだ。
だからこの一週間、色々と試してみたが、どうやらこの契約は口約束程度の効力しかないらしい。今のところは大人しく従っているが、おそらくカインがその気になればこの契約は簡単に反故に出来るだろう。
別に構わないが。カインから目を逸らし、窓の外を眺める。
そういえば、ここでテュランと別れた時に言われたんだったか。
「まあ、いいです。あなたに約束を忘れられることには慣れてますから」
「アベル……」
しょんぼりと、カインが項垂れる。その姿があまりにも昔の兄のままで、思わず毒気が抜けてしまう。
本当は主従関係を利用して、もっとあれこれ憂さ晴らししようと思っていたのだが。結局は彼の大好物まで用意してしまうのだから、我ながら呆れてしまう。
「そういえば、ここに来る途中で妙な神父に捕まってしまいましてね。あなたにあげます。毒入りでも責任持ちませんので」
「おや、リンゴじゃないか。よくアルジェントで見つけたな」
投げ渡したリンゴを軽々受け取って、カインが嬉しそうに笑った。そういえば、アーサーは彼が笑った顔を見たことがない、なんて言っていたけれど。
……リンゴ一つでこんなに笑うのに、どういう生活を送っていたんだか。
「アベル、ナイフを貸してくれ」
「は? 持ってないですよ。あの時粉々になったじゃないですか」
さも当然のようにナイフを要求してくるカインにため息が出る。
というか、たとえナイフを持っていたとしても、もう二度と彼には貸したくない。
「僕は結構なので、食べたいならあなたが全部食べていいですよ――」
「む……ああ、そうだ。私にはこれがあった」
「え?」
ぼんやり眺めている内に、目の前で真っ二つになるリンゴ。
リンゴよりも紅い大鎌を器用に操るカインに呆然としていたら、半分にされたリンゴを半ば強引に手渡された。
「……その大鎌、不器用なあなたにしては随分器用に操りますね」
「ふふん、凄いだろう? たくさん練習したからな」
得意げに言っておきながら、カインは自慢の大鎌を放って半分になったリンゴに齧り付いた。
不器用とか器用とか、そういう以前の問題だと思うのだが。練習でどうにかなる問題なのか。
「へえ。それなら、今後はあなたのことを甘やかさずに色々させてみましょうかね」
「い、色々って」
「色々は色々です。そうそう、僕って今までに数えきれないくらいあなたに間違われてきたんですよ。まあ背格好は同じくらいですし、その野暮ったい髪と服装をどうにかすれば、僕の身代わりになりそうですね」
ナイスアイデアですね! 僕の提案は聞こえないふりして、カインはむしゃむしゃとリンゴを食べ続ける。
僕も自分の分を齧ってみる。なんだかとても懐かしい味がした。
なんにせよ時間はたっぷりあるのだ。どんなに不器用でも、千年くらいかければそれなりになるだろう。
「そ、そういえば、ダンピールの二人は今朝出国してしまったそうだぞ」
わざとらしく手をうって、カインが話題を変えた。
「ああ、そうらしいですね」
「会わなくてよかったのか?」
「会おうと思えば、いつでも会えますし……彼らはもう、自分達で行き先を決められます。その先に破滅が待っていない限り、僕は彼らを信じて見守ることに決めました」
二人が向かった方角を眺める。リヴェルのことは今でも付きっきりで護りたい気持ちはあるし、絶対に傷ついてほしくない。
そして、いずれ来るであろう、僕を置いて行ってしまう日を想像するだけで胸が張り裂けそうだ。
でも、同時に思う。
「僕は、リヴェルくんに生きて欲しい」
神の元に還るその日まで、精一杯生きて欲しい。僕が願うのは、ただそれだけだ。
「……アーサー様のお父上も、同じことを言っていたな。ふむ、父親というものは皆、子供に対しておなじことを考えるのか」
「は? 違います。リヴェルくんに血を一滴あげただけです。父親なんかじゃありません、変なこと言わないでください」
「ふふ、顔が赤いぞアベル……待て、髪を引っ張るな。痛い痛い! 悪かった、私が悪かった!」
カインの髪をぐいぐい引っ張る。どうしてやろうか、この駄兄を。それを考えるだけでも、しばらくは忙しくなりそうだ。
そして今日も、平和な一日が始まった――
Rivele 風嵐むげん @m_kazarashi
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