エピローグ

旅立ち


 あれから飛ぶように時間が経った。一夜にして激変したアルジェントでは、一週間経った今も混乱状態が続いている。


 まず、カサーラス大統領が死亡した。現場の状況から、グールに襲われたものと報道された。国民達は懸命に戦ったリーダーを讃え、その死を悲しんだ。

 水素爆弾については特に報道されなかったが、シダレの情報網によると解体作業が進められているらしい。あの金属の魚は、このまま表舞台に出ることはないだろう。

 

 次にグールだが、そのほとんどが灰と化した。新たにグールと化す者も確認されることはなくなった。

 廃棄区域では僅かに活動を続ける個体も見つかっているが、そのどれもが弱体化しており、もはや脅威とは呼べない。

 ただ、関係者の間ではカイン以外の真祖が居るのではないかと調査が続いている。詳細は不明だが、気にする程のものではないだろう。


 よって先日、アルジェント国内における吸血鬼症候群の終息宣言が発表され、出入国制限も解除となった。人々は穏やかな平穏を取り戻したが、誰もが決断を迫られていた。


 軍事帝国アルジェントは、人口が十分の一にまで減少。国の主要施設の大半が壊滅状態で、復旧は困難。更に大統領まで死亡という状況下で、国としての機能回復は望めない。


 実質、アルジェントは滅亡したと言っていいだろう。現に入国人数よりも、出国人数の方が上回っているらしい。

 最悪の展開は免れたものの、アルジェントはこのまま緩やかに滅びていく。それなりの覚悟をしてやってきたのに、思うような結果にはならなかった。


「はあー……完敗だよ、テュラン」


 明るくなり始めた空の下。車の上でゴロゴロしながら、リヴェルは独り言を呟いた。

 負けた。完敗だ。別に勝つつもりはなかったけど、なんていうか、格の違いを見せつけられたように思えて仕方がない。


「……そこが気に入ったのならロープで括ってやろうか?」

「そ、それはイヤだ、まだ寒いもん!」


 ルシアの呆れ声に、慌てて車から降りるリヴェル。本当に括られるのは困るので、後部座席に荷物を積み込むのを手伝うことにした。


「……リヴェ、本当にいいのか?」

「何が?」

「このままアルジェントを出て。皆に別れの挨拶はしなくていいのか?」

「あー……うん、いいよ。だって、なんかお別れって気まずいじゃん」


 リヴェルは苦笑しながら髪を掻いた。少し迷ったが、アーサー達には何も言わずに出て行くことに決めた。

 リヴェルの姿を見ると、テュランを思い出し恐怖する者が居る。せっかく皆が前を向けるようになったのだから、下手に不安にさせてはいけないと思ったのだ。

 ……なんて、ご立派な考えではなく。


「お姉ちゃんは、ずっとここに居ていいって言ってくれてたんだけど。それだと、ダメだと思うんだよね」


 ルシアはまだしも、リヴェルは人外であることを誤魔化せない。このままアルジェントに居れば、少なくとも人外であることに差別されることはもうないだろう。差別に割く体力がないからだ。

 でも、それは甘えだ。このままここに居たら、弱いオレはきっと甘えてしまう。


「テュランは多分、外の世界をもっと見たかったと思うんだ。だから、代わりにオレが見る。テュランの分まで、オレが世界を旅するんだ」


 決めたのだ。テュランが行けなかったところまで到達してみせると。だから、リヴェル達は旅を続けるのだ。

 何が変わるか、変えられるのかはわからない。でも、人間と人外の差別を無くす為に、第二のテュランを生み出さない為に、やれるだけのことはやってみせる。


「もっともーっと、テュランにいい夢を見せてやるんだ!」

「ふ、そうか。お前がそう言うなら、俺も一緒に行くさ」

「うん、行こうぜルシア!」


 荷物を全て積み込み終わったのを確認すると、ルシアとリヴェルがそれぞれ運転席と助手席に乗り込んだ。

 エンジンがかかり、少々荒っぽく車が走り出す。ここからならば、太陽が頭上を明るく照らす頃には国境まで行けるだろう。


「……なんか、こういう形の出国って初めてだな。静かっていうか、何ていうか」

「確かに。俺達が国を出るのはいつも、追い出されるか逃げ出すかのどちらかだからな」


 灰色の街中を車は進む。いつもなら、出国の時は怖かったり不安だったりするのだが。


「……寂しいなぁ」


 今は、寂しいという思いが一番強い。思えば、生まれて初めて出来た仲間達なのだ。

 アーサーにサヤ、シダレ。ユーゴやルルを始めとした孤児院の皆。ルシアやジェズアルド以外に、こんなに大切だと思える人達に出会えると思わなかった。

 嬉しい。でも、だからこそ別れが辛い。


 でも……今引き返せば、まだ間に合うかな――


『あーあー。そこの黒い暴走車、止まりなさいっす!』

「へ!?」


 突如、早朝の街に不釣り合いなけたたましいサイレンが鳴り響いた。そして、リヴェル達に停車を求める声も一方的に飛んできた。

 ……聞き覚えがある声と口調だけど。まさかな。


「失礼な、これのどこが暴走だ。俺の反射神経と危機回避能力を舐めるな」

「ルシア、今……何キロ出してんだ?」

『止まれー! 止まりなさーい! 止ま……ちょ、全然止まんないっすよ旦那! どうしましょう!?』

『ふむ、ここは思い切って追突するか。ダンピールに交通事故程度で死ぬような繊細さはないから、大丈夫だろう』


 なんかスピーカー越しにとんでもなく物騒な会話が聞こえる!


『私に任せて、こういうのは得意だから』

『そうだな、任せる。援護は引き受けた』

「なに!? なになに!」

「飛ばすぞ、捕まってろリヴェ」


 一体何が始まるんだ!? リヴェルの理解は置いてきぼりのまま、ルシアがアクセルを踏み込む。速度がぐんぐんと上がり、メーターが振り切れるのではないかと思った、その時だ。

 音もなく、サヤがボンネットに飛び乗ったのは。


「ガソリンエンジン程度の馬力で、この私を振り切れると思ったのかしら?」

「うわっ!?」

「ぎゃああぁ!!」


 艷やかな黒髪を靡かせながら、ウインクする彼女はとても素敵ではあったのだが。流石にフロントガラスを独り占めされては、リヴェル達に成す術がなかった。



「それで、仲良しダンピール兄弟。何か俺達に言うことはないか?」

「……悪かった」

「ごめんなさい……」


 車を止められて車外へ引きずり出されるなり、その場で正座させられてしまったルシアとリヴェル。目の前にはアーサーとサヤとシダレの三人。


「あ、ジェズアルドさんとカインさんは探したんすけど、見つからなかったので不在っす」

「別にあいつらに用事は無い」


 というわけで、ジェズアルドとカインは居なかった。あの二人はまた会えるだろうから、別にいいや。


「水臭いっすよリヴェルさん、ルシアさん! 出国するなら、何で言ってくれなかったんすか!」

「それは、その……」


 どうしよう、皆が追い掛けてきてくれるなんて考えもしなかったから、何て言えばいいのかわからない。

 正直に話すべき? いや、先にお礼を言うべきか。ああでもない、こうでもないとリヴェルがもごもごしていると、しびれを切らしたアーサーが溜め息を吐いた。


「まあ、いいさ。お前達がいずれ出て行くことは予想出来ていた」

「え、そうなの?」

「ああ。だが、この国を救ってくれた恩人にせめてお礼をしようと思ってな。なあ、サヤ」

「ええ、アーサー。まずはルシア、あなたにはこれを」


 そう言って、サヤがルシアに手渡したのは一丁の大型リボルバーだった。

 見覚えがある拳銃に、あっと思わず声が出た。


「その銃……もしかして、テュランの?」

「ええ。大統領に保管されていたのをこっそり、ね」

「ルシアはそういう大きくて派手な見てくれの銃火器が好きそうだからな。金庫で腐らせておくのは、勿体無いだろう?」

「……ふっ、わかった。ありがたく貰っていく」


 受け取ったリボルバーをそっと撫でながら、ルシアが嬉しそうに笑う。大剣程ではないが、このリボルバーもテュランが気に入っていた愛用品だ。

 ルシアなら、必ず大事にするよ。無意識に誰かに言い聞かせるように呟くと、唐突にリヴェルに何か固くて大きなものが押し付けられた。


「お前にはこれだ。剣や銃なんかよりも、お前にはこっちの方が似合っている」

「ぶべ! な、なんだこれ……」


 しかも、顔面に。おかげで頬がちょっと凹んだ。

 でも、それが何かはすぐにわかった。


「え……ええ!? こ、これ、孤児院にあったギターじゃん! い、いいの?」

「ええ。孤児院にあっても、誰も弾けないもの」

「皆もお前に持っていて欲しいって言ってたからな。大事にしてやってくれ――」

「おーい、リヴェルおにいちゃーん!」


 アーサーの声を遮るように、誰かがリヴェルを呼んだ。「なんだ、結局皆来たのか」とアーサーとサヤが顔を見合わせて笑った。

 リヴェルとルシアが思わず立ち上がると、あっという間に駆け寄ってくる子供達に囲まれてしまう。


「元気でなリヴェル! リヴェルは有名に歌手なるんだろ、応援してるからな?」

「か、歌手!? いつの間にそんな話になったんだ?」

「ルシアお兄ちゃん、おれたちもっと鍛えて強くなるからな! 人間も人外も関係なく、大切な人を護れるようになる!」

「ふふ、期待しているぞ」


 無邪気な子供達からは元気を貰ったリヴェルとルシア。

 二人にはもう、迷いはない。


「うう、これでお別れなんて寂しいっす……でも、おれっち達だって負けないっすよ! お二人に負けないよう、必死に生きてみますので! お元気で!」


 溢れる涙を拭いながら、シダレ。 


「ありがとう、リヴェル。あなたのおかげで私だけじゃなく、トラちゃんも救われたわ。またいつか、必ず会いましょう」


 目を細めて、優しい微笑みで見送るサヤ。


「再会する日まで、元気で」


 そう言って、手を差し出してくるアーサー。その手を取り、力強く握り締める。

 大切な人達を護る覚悟が出来た、リヴェルがあこがれるヒーローの手だった。


「ありがとう、皆! またな!」


 大きく手を振り、大切な仲間達に見送られて。リヴェルとルシアは新たな旅に出る。

 残された者も、新たな道を切り開く。それぞれ目指す場所は異なるが、どれも決して楽な道のりではない。

 それでも、彼らは臆することなく前へ進む。託された思いを背負い、いつか再会するその日まで。


 透き通るような青空と、眩い太陽が、彼らの行き先を静かに見守っていた――

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