隷属の契約

 だから。カインが大鎌を下ろして、ジェズアルドを……自分の弟を真っ直ぐに見た。


「悪かった、アベル。許して欲しいとは言わない。あの時の言葉が嘘だったとは言わない。言い訳なんかしない。私は自分の罪を償うつもりだ。堕天使の好きにはさせない。お前は神の元に――」

「はあ。咄嗟にしては、よく考えられたデタラメです」


 投げやり気味に手を叩きながら、ジェズアルドが溜め息を吐いた。まるで退屈な演劇でも見せられたかのような反応だ。


「大方、この場をどうにか切り抜けて、隙を見て僕にトドメをさす気なんでしょう? 浅はかですね、カイン」

「アベル、私は」

「その名前を呼ばないでください。特にあなたに呼ばれるのは虫唾が走ります」


 目を背けるジェズアルドに、カインが何とか言葉を捻り出そうとしている。カインに気の利いた嘘なんか吐けないことはわかっているだろうに、ジェズアルドは頑なに認めない。

 膠着状態の中、空気を破ったのは、やはりリヴェルだった。

 

「コラ、ジェズ! お前のお兄ちゃんがこんだけ謝ってるのに、ちゃんと話を聞いてあげないとダメだろ!!」


 まるで幼子を相手にするかのような叱り方だ。孤児院の子供達と過ごしていたせいだろうか。

 つかつかと距離を詰めるリヴェルに、ジェズアルドが後退る。


「り、リヴェルくん……きみにはわからないでしょうが、兄弟であっても仲が悪い場合もあるんですよ」

「知ってるし、それくらい! でも、ジェズとカインは違うだろ。大体オマエが目を逸らす時は、自分の嘘を見破られそうになった時だからな!」

「そんな、ことは……ないですよ、多分」


 明らかに狼狽えるジェズアルド。どうやら図星らしい。

 助け舟を出すなら今か。アーサーが三人の方に歩み寄り、懐に隠していた一枚の紙を取り出してジェズアルドに押し付けた。


「ジェズアルド、これをお前にやる」

「今度は何ですか……いや、本当に何ですかこのボロい紙は。メモ用紙、にしては細長いですね。って、このなよなよとした字は」

「あ、そ……それは!」


 カインがひっ、と大鎌を放り投げて慌てた。やはり、ちゃんと覚えていたか。


「ジェズアルド。それは短冊と言って、七夕というイベントで神に願い事をする為に書くものだ。俺が子供の頃にカインに書かせたら、唯一の願い事がそれだったんだ」

「七夕? そういえば、どこかの島国にそんなイベントがあるらしいですね。知り合いから聞いたことがあります」

「アーサー様! なぜ私の短冊がここにあるんですか! ちゃんと捨てた筈なのに」

「約束しただろう、カイン。神がお前の願いを叶えないのなら、俺が叶えてやるって」


 今にも泣き出しそうなカインに、笑いが堪えられない。やっと、実行出来た。

 カインが諦めた、もう一つの願い。


「……『弟と仲直りしたい』、ですか」

「う、あ……そうだ、用事を思い出しましたので私はこれで」


 わざわざ読み上げるジェズアルド。羞恥が限界に達したのか、カインが逃げ出そうと踵を返した。

 だが、頼れる三人の仲間が壁のように行く手を阻んだ。


「止まれ。こんな面白そうな状況を放り出してどこへ行く気だ?」

「カイン。本当に仲直りしたいなら、逃げずに向き合わないと」

「アンタのこと最初は怖かったけど、こんなに愉快な人だとは意外っすねぇ」

「う、うぅ……」


 自分よりもずっと短い時間しか生きていない人間達に、完全に言い包められたカイン。

 そして、ジェズアルドが溜め息を吐いて、


「カイン、話はまだ終わっていませんよ。人の話は最後まで聞く、そうでしょう?」

「……はい」


 すごすごと戻るカイン。どっちが兄だ、と呆れてしまう。だが、どこまでも自然だとも思う。

 もはや、ここに居るのは因縁の復讐相手ではなく、喧嘩を拗らせまくった兄弟であって。


「わかりました。この短冊に書いてあることは信じましょう。そもそも、あなたが僕に嘘で誤魔化せたことなんて一度もないですしね」

「アベル……!」

「――でも、だからと言って許せるわけがないでしょうがっ!」

「ゴフッ!?」


 弟の美しい蹴りが、兄の腹部を直撃した。お手本のような回し蹴りである。


「はあああ!? ということはあなた、知ってたんですか!? 僕が堕天使さんと交わした取り引きを! なぜ! 教えなさい!」

「い、痛い痛い……堕天使が私の元に来て、丁寧に説明して行ったから」

「最悪です! あの腹黒悪趣味傲慢堕天使! それじゃあ僕の今までの苦労は何だったんですか! 完全に道化じゃないですか、茶番じゃないですかキイイイイィ!!」


 ゲシゲシとカインを蹴り続けるジェズアルド。ルシアのことをずっと口が悪いと嘆いていたが、自分も大概ではないだろうか。


「ふん。それにしても、僕と仲直りしたいですか。普通なら、あんな殺し方をした相手と和解するなんて考えもしないでしょうが……まあ、僕達は普通じゃないですし。いいでしょう。カイン、あなたがそれを望むなら」

「ほ、本当か?」

「でも、ただ仲直りするだけじゃ面白くないですよねぇ? 僕はあなたに命を奪われた。だから、僕もあなたの大事なものを奪います」

「え?」

「『跪きなさい』」


 がくりと、目に見えない手に押さえつけられるように膝を折るカイン。

 カインの前に立つジェズアルドが、不敵に笑いながら自分の指を噛み破る。

 そして何を思ったのか、自分の血に濡れた指をカインの口に突っ込んだ。

 

「むぐっ!? はへふ、はひほ、うえっ!」

「ちょっと、もう少し色っぽい声出してくださいよ。せっかく僕の『隷属』にしてあげるんですから」


 隷属の契約。本来は力の弱い、もしくは悪食の進んだ吸血鬼が延命の為に上位の吸血鬼と奴隷の契約を交わすもの。しかしアーサーが知っている契約は、快楽と欲望に塗れた淫靡な行為だった筈。

 ……間違っても、こんな好き嫌いの激しい子供に無理矢理食べさせるような芸当ではなかったような。


「わー、何だよルシア。見ーえーなーいー!」

「見なくていい。リヴェには色々な意味で教育に悪い」


 いつの間にか、ルシアがリヴェルの目を両手で塞いでいた。

 確かに、教育には悪いだろうな。


「ゲホゲホ、ゲホ!」

「これでよし。契約は成立です。というわけでカイン、今日からあなたは僕の奴隷ですからね」


 いつの間にか終わっていた。傍から見ても、カインに変化は見られない。いや、そもそも真祖が隷属になることなんてあり得るのか。

 アーサーにはわからない……でも、


「奴隷なんですから、僕の指示にないことはしちゃ駄目ですよ。これからは僕の目が届く場所で大人しくしていてくださいね」

「目が届くところ……ということは、私はお前の傍に居てもいいのか?」

「む? まあ、そういうことですね」

「そうか……ふふっ、そうか」

「……はあ。あなたのその気の抜ける笑顔、昔から全然変わってないですね」


 カインが笑ってくれたから、これでいいのだろう。


「……あ、あのさあ。お姉ちゃん、ヒーロー」

「うん?」

「どうしたの、リヴェル」

「これ……ごめん、折っちゃった」


 リヴェルがアーサー達の元に寄ってくるなり、おずおずとそれを差し出してきた。

 刀身の真ん中から折れた、テュランの大剣を。


「こ、これは……むしろ、どうやって折ったんだ」

「えっと、ジェズの手からナイフを叩き落とそうとしたら、ナイフと一緒に……ごめんなさい」

「ううん、いいのよリヴェル。ありがとう……」


 リヴェルの手から、テュランの大剣を受け取るサヤ。彼女はそれを大事そうに持つと、労るようにそっと撫でた。


「全部、終わったよ……トラちゃん……」


 終わった。サヤの言葉が、アーサーの胸にも染み渡る。そうだ、終わったのだ。長い戦いが、悲しい復讐劇が。

 見上げる空には、満点の星空が広がっている。思わず泣いてしまいそうなくらいに美しい夜空に、アーサーはしばし何も考えられなかった。



 

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