5月14日―近藤―

 再びの沈黙。

 何か話題を振らなければ、せめて少しでも明るいのを……などと近藤があれこれ考えていると、やはり先に口を開いたのは向こうだった。

「……近藤先生は、」

 突然呼ばれ、こくり、と思わず緊張に喉を鳴らした。真っ直ぐな視線が、近藤に注がれる。

 言おうか言うまいか、そんな迷いは既に消え、決して揺るがない決意をした後のように思えた。

 そして、母親はまっすぐにこう尋ねてきた。

「近藤先生は、一患者であった娘のことを、どうしてここまで気にかけてくれるのでしょう」

 確かに、一人の患者が亡くなったからといって、四十九日に出席できなかっただのなんだの言及するのはおかしい。いつもなら、施設側から連名で香典を送るくらいで、近藤だってわざわざこんなことはしない。

 それは当然の疑問だったが、近藤はその問いかけに少し、打ち明けることをためらった。

 けれど、結花によく似た母親の眼差しが、自然と口を開かせる。


 近藤には、過去に交通事故で命を落とした、幼い娘がいた。

 まだ小学校にも上がらないうちに亡くなった娘が、成長したらきっとこんな風だっただろうと、その未来予想図を結花に重ねたことが何度もある。

 娘が昔使っていた机――結花が亡くなって間もなく、処分してしまった――を、窓際に置くための台として結花にあげたのも、おそらくそのためだ。無意識に、彼女を成長した自分の娘だと錯覚していたのかもしれない。

 だからこそ……失礼なことだったかもしれないが、近藤は結花に対して特別な想いを抱いていた。


「勝手かもしれません。でも、僕は無意識に、結花さんを自分の娘のように、大切に思っていました」

「いいえ、勝手だなんて……嬉しい限りですわ。あの子には、訳あって父親がいませんの。ですから、近藤先生がお父さんだったら、って日記に書いていたみたいですしね」

「そう、ですね……嬉しかったです」

 頬をほころばせると、母親は優しい笑みを浮かべて、こくりと一つうなずいてみせる。

 その姿が一瞬だけ、生前の結花と重なった気がして、どきりとした。


「……あぁ、そうだ」

 ふと、再び何かを思い出したように母親が口にする。せっかくですから、と立ち上がる様子が、何だかうきうきしているように見えた。

「近藤先生に、見せたいものがあるのです」


 持って来たのは、結花の病室に置いてあった植木鉢。

 あの日咲いた花はもう枯れてしまっているが、その周りにぽつぽつと、新しい芽が出ているのが分かる。

 夏に弱いため日本では一年草として扱われる勿忘草だが、もともとは毎年花を咲かせる多年草だ。枯れた花から、ぽろぽろと種が落ちたのだろう。癖で水をやっているうちに、芽が出てきたのだという。

「何だか、あの日に戻ったようで嬉しいんです」

 いつでも、あの子がわたしたちを見守ってくれているような気がして。

 いつまでも、忘れないでと言ってくれている気がして。

 そう言って目に涙を浮かべる結花の母親に、近藤は微笑みを返す。

「勿忘草は、暑い場所が苦手なんです。ですから……本当は、秋に種を撒く方がいいんですが……夏場に育てる時は、できるだけ涼しい場所へ置いてくださいね」

「ふふ……結花がいつも言っていた通り、それから日記にも書いていた通り、近藤先生は本当に植物にお詳しいのね。また、分からないことがあったら聞きに伺ってもいいかしら」

「もちろんです」


『わたしを忘れないで』

 それは勿忘草の花言葉。

 そして日記で、メールで、結花が何度も繰り返していた言葉。

 思えば結花は、自分たちにそれを伝えるために、勿忘草を育てることを決めたのかもしれない。

 そしてそれはきっと、現実のものとなる――……。


 さまざまな形で、岡崎結花という存在は確かに、誰しもの心に刻み込まれ……そして、残された者たち同士の繋がりを作っている。

 それを実感できただけでも、よかった。


 岡崎家を後にした近藤の足取りは、どこか軽い。

 今日はいい天気だ。久しぶりに、娘に会いに行くのも悪くない。


 生温い風に乗せてふわりと、懐かしい声が聞こえた気がした。

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観察日記―ミオソティス― @shion1327

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