【短編】ウサギとカメの恋物語

ボンゴレ☆ビガンゴ

ウサギとカメの恋物語

「もう少しで森を抜けるわ。蒼矢そうや急いでよ!」


 ぴょんぴょんと森の中を翔ぶように駆ける少女は兎人族の沙耶さや。青色のショートカットに紅い瞳。かつて大陸を席巻していた人間という種族とほぼ変わらない見た目だが、白く短い体毛に包まれた可愛らしい両耳だけが遥か彼女たちの兎人族の証だ。


「ちょ、ちょっと待ってよ、沙耶」


「なによ!」


 呼び止められ、沙耶は足を止めた。

 まだあどけなさの残る幼い顔は湧き上がる苛立ちを隠さない。

 沙耶が振り向いて、そのみずみずしい頬を膨らませ睨みつける先に、一人の少年がゼエゼエと息を荒くしている。


「沙耶は足が速すぎるよぉ、亀人族の僕じゃ全然ついていけないって」


 不甲斐ない声を出す少年は亀人族の蒼矢だ。遥か昔に甲羅を退化させた亀人族の方が見た目に関しては兎人族よりも人間に酷似している。

 そんな蒼矢は本来ならば沙耶より頭二個分ほど身長が高いのだが、今は両膝に手をついて肩で息をしているため沙耶が彼を見下ろす形になっていた。


 亀人族は兎人族の様に速くは走れない。兎人族とは進化の歴史も違うし、そもそも根っこから考え方が違うのだ。


 亀人族は『理屈っぽくて石橋を叩いて叩いて壊して分析してから新しい橋を架ける』と言われるほど慎重な種族だ。

 自分たち兎人族とは全然違う。それなのに見た目に大きな差が無いため、沙耶は蒼矢が亀人族だということをつい忘れてしまう時がある。

 沙耶は蒼矢に駆け寄り、その翠色みどりいろの瞳を見上げる。


「ごめんね……。つい、いつもの調子で走っちゃった」


「いや、こちらこそごめん。走るの遅くて」


 なんとか体勢を立て直す蒼矢が申し訳なさそうに頭を下げる。


「ううん。蒼矢のペースに合わせる。追っ手のことを考えたら不安になっちゃって……」


「大丈夫。僕の計算が正しければ、追いつかれるより先にジョンガラベッチ村にたどり着けるはずだよ」


 蒼矢はいつものゆったりとした口調だ。沙耶はいつだって彼のこの安心感のある声のおかげで冷静になれた。


「不思議ね。蒼矢の落ちついた声を聞くとすぐに安心できちゃう。そうね、どちらにしても見つかる時は見つかるんだもんね。気楽にいきましょ」


 気持ちの切り替えが早い沙耶はもう笑顔で蒼矢の腕に絡みついた。

 柔らかい彼女の感覚を腕に感じながら蒼矢は苦笑いを浮かべる。


「とは言っても、そんなに呑気にもしていられないんだけどな。僕は沙耶の言葉を聞くとなんとなく楽観的になってしまうよ」


「ん? それ褒めてるんだよね? 」


「褒めてるよ」


苦笑いしながら答える。


「えへへ。ならオッケーよ、いきましょ!」


 にっこり笑う沙耶。蒼矢はそんな彼女の笑顔を見て、二人の決断は間違っていなかったと確信した。


 

  ◇



 兎人族と亀人族は昔から相容れぬ存在として対立していた。

 好奇心旺盛で考えるよりも行動が先に出る兎人族と、思慮深く保守的な亀人族。

 性格の違いからも馬が合うとは思えない。


 隣接する二つの部族だったが、交流は年に一度の祭りだけだった。

 それは二つの種族がプライドをかけて戦う場でもあった。


 今年も夏の草が生い茂り、蒸れた山草の甘い匂いが立ち込める中、その祭りは行われた。

 祭りのメインイベントは駆けっこである。

 はるか昔の御伽話より、脈々と受け継がれる伝統の『兎と亀の駆けっこ』は時代を越えて受け継がれてきた。遥か昔に人類が滅び、様々な動物たちが気の遠くなるほどの年月をかけて今の姿に進化した今もそうだ。


 亀人族の蒼矢と兎人族の沙耶の二人はそれぞれの代表としてかけっこ勝負をした。

 結果は同着。

 史上初の出来事だった。


 レース途中で膝を痛めた沙耶。

 亀人族は蒼矢の勝利を確信し大いに湧いた。しかし、あろうことか蒼矢は沙耶に手を差し伸べ、肩を貸し、ゴールまで共に歩いたのだ。


 互いの種族の矜持を懸けた対決で、このような行為が行われたのは初めてだった。

 それまでは、互いが互いに自分たちこそ相手より優れた人族だという思いを胸に戦ってきたからだ。

 この駆けっこは単なるお遊びではない。秋の収穫を占う大切な伝統行事でもあるのだ。だから勝つためにはなんだってする。

 それが今までの駆けっこであったし、それが互いの諍いの種でもあった。


 だが、蒼矢は違った。進化の元をたどれば別種族かもしれないが、同じ言語を喋り、同じ感覚を持ち、同じ大陸に住んでいる。ならば互いに偏見で嫌い合うより、話し合い理解しあうべきなのだ、とそう思っていた。


 かけっこの中盤で、相手選手の沙耶が足を痛めたのを見た蒼矢は彼女を見捨ててゴールする気にはなれなかった。



   ◇



「——あの時は僕が沙耶のために肩を貸して歩いたってのに、今夜は逆だなぁ」


「仕方ないでしょ、蒼矢はあんまり速く走れないんだから、こうして私が肩を貸して歩いた方がまだ早いわ」


 沙耶が答える。森の中は薄暗く樹々が月を隠し光は届かない。


 二人は北を目指していた。

 大陸の西は兎人族。東は亀人族。その二つの種族を隔てるように流れるジョンガラベッチ川。

 その上流に進み湖を越えれば、数多くの獣人達がその種族の垣根を越えて平和に暮らしているという村がある。

 そこにたどり着き、穏やかに静かに暮らしたい。それが二人の望みだった。


 だが、それは互いに掟を破ることであった。

 村から出る事は重罪だ。それも犬猿の仲である他種族の者と二人で村を出るなど、許されるものではない。


 だから二人は闇夜に紛れて脱村したのだった。


 追っ手はもう直ぐ近くにいるはずだ。


 自分のせいで中々歩みが進まない。蒼矢は歯がゆい思いで沙耶の横顔を覗く。

 沙耶が焦っているのも蒼矢にはわかった。


 もし二人が捕まったのなら、厳しい掟の罰が待ち受けているだろう。二度と二人が会うことは出来なくなるかもしれない。

 だが、だからこそ二人は村を出ることを決めたのだ。


 沙耶は自分より知的でいつものんびりと暖かい眼差しで自分を包んでくれる蒼矢に惹かれた。

 蒼矢は泣いたり笑ったり忙しなく感情を露わにしてぶつかってきてくれる沙耶に惹かれた。

 互いに相手は自分にないものや、自分の駄目なところを補ってくれる存在なのだった。


 既に数時間は歩いている。

 森は深く追っ手がいるのかどうかもわからない。

 慎重に進んでいく二人の前に、ようやく湖が姿を表した。


「やった! ようやくたどり着いたね。この湖の対岸が目的地なのよね?」


 湖の対岸にぽつんぽつんと灯りが見える。

 蒼矢がほっと胸を撫で下ろした時だった。


「見つけだぞ!」


 背後から声。

 慌てて振り向くと、兎人族と亀人族が合わせて十数人。そしてその人ごみをかき分けて、兎人族の長と亀人族の長が現れた。


兎号とごう様!? なぜ亀人族と一緒に!?」


 沙耶が驚きの声を上げる。白髮の老婆が兎人族の長老の兎号だ。その隣にまだ若い亀人族の長、重亀じゅうきが立っている。両種族が一堂に会するなど祭りの時をのぞけばまず無い。


「蒼矢よ。考え直せ。村を出ても良いことなど何も無いぞ」


 重亀が歩み出る。


「なぜですか! 私は沙耶と共に過ごしたいだけです。それが村の掟に反することだというのなら、村を出るしか無いでしょう」


 蒼矢が沙耶を背後に庇いながら声を上げる。


「私たちは二人で暮らしていこうと決意したのです。亀人族にも兎人族にも迷惑などかけません! ただ二人で静かに暮らしたいだけなのです」


 白髪の兎号が厳しい眼差しで沙耶を見る。


「沙耶、あなたも同じ気持ちなのですか?」


「……はい。掟を破ること、申し訳なく思っています。でも、私たちは決めたんです!」


 諭すように兎号は語りかける。


「沙耶、私たちは何も掟の為だけに言っているわけではないのですよ。あなた達のことを思えばこそ引き止めているのです。亀人族は1000年は生きる。それにひきかえ私たち兎人族の寿命は長くて100年。亀人族にとって100年などあっという間でしょう。あなたが死んだ後、その若者は一人で残り900年もの時を過ごすことになるのですよ。あなたのわがままで若い青年の一生を台無しにするかもしれないのですよ」


「そ、それは……」



 伏し目がちになる沙耶の肩を蒼矢がぐっと抱き寄せる。


「関係ありません! 兎号さま! 僕は沙耶と共に生きたい。たとえ死が二人を分かつとも、最後の時まで共に過ごしたいのです」


「——だが、一度村を出たら、二度と戻れんぞ」


 今度は亀人族長の重亀が眉間に皺を寄せて言う。


「湖の向こうでは二人で暮らせるかもしれん。確かに様々な種族も仲良く暮らしているのは俺とて知っている。だが、様々な種族がいるということは様々な病原菌が存在するということだ。我ら亀人族は長寿で更に病気に対する免疫力も高い。だが、兎人族は我らほど強くはない。ずっとこの大地で暮らしてきたからこそ、健康に生きているが、他の地に行けば病原菌に感染するリスクは高くなる。村を出ればすぐに病気になるかもしれん。もし病気になったとしても一度村を出た者は感染のリスクがある限り、村に戻ることは許されん。蒼矢よ。お前は兎人族を診ることができる医者がいるかもわからん場所へ、その娘を連れ出そうとしているんだぞ」


「それは……」


 今度は蒼矢は言葉に詰まる。

 そんな蒼矢の後ろから沙耶が身を乗り出す。


「私は、それでも彼と暮らしたい。掟に従ってもう会えなくなるくらいなら、一日でも二日でも彼と一緒に過ごしたい。その結果、命が尽きることになったとしても」


「ですから、さっきも言ったでしょう? 沙耶。あなたが死んでしまっても、彼は村には戻れないのです。残りの長い人生をたった一人で暮らすことになるのですよ。それでも本当に村を出るというのですか? 冷静になりなさい。何もわざわざ一時の恋愛感情で長い人生を棒に振ることはありません。今日はお互い村へ帰り、一度頭を冷やして考えたらどうですか」


 亀人族の長老の言葉に今度は沙耶が言葉をつまらせる。


「——関係ない。関係ないよ! 僕は沙耶と生きたい。沙耶と過ごす時間が少なくたって、その後の人生を孤独に過ごすことになったとしても、僕は沙耶と生きたいんだ」


「会わなければ思いなど忘れられる。それに一年に一度は祭りで会えるではないですか。それで我慢なさい」


「嫌だ。僕はそんなの嫌だ! 好きな人と一緒に暮らしたい。その結果たとえ孤独になったとしても! 沙耶、行こう!」


「うん!!」


沙耶は大きくうなずく。蒼矢は沙耶の手を掴み駈け出した。


「二度と村には戻れんぞ! いいのだな!」


 背後から亀人族の長老が叫ぶ。二人は何も答えない。

 闇に消えていく若い二人を長老たちはじっと見つめているだけだった。



「……青いな。すまぬ、兎号。引き止められんかった」


「重亀さん、仕方ありません。あれが若さなのかもしれません」


 諦観の漂う笑みを浮かべ兎号は答える。


「ふふ、私達もあんな若さがあれば良かったんですけどね」


「ふん。バカモンが。立場を考えろ。……古い話を出しおって」


「あら、私にとっては古い話ですけど、あなたにとっては最近のことじゃないの? 私はお婆ちゃんになっちゃったけど、貴方は昔と全然変わらないわ」


「……知らん。皆の者、帰るぞ」


 プイッとそっぽを向いた重亀がお供を連れ引き上げていく。


「……沙耶。あなたの若さはちょっぴり羨ましいわ」


 残された兎人族の中、ぽつりと呟いた兎号の声は森のざわめきにかき消された。


  

  ◇



「ちょっと、蒼矢! かっこよく駆け出したくせに全然遅いんだけど!」


「いやぁ、やっぱり走るの苦手だったぁ」


「もう! 追っ手が来ないから良かったけど、追われてたら捕まってたわよ」


「ごめんごめん」


「でも、嬉しかった」


 紅い瞳を更に真っ赤にして沙耶が言う。


「うん。沙耶、これからはずっと一緒だ」


 蒼矢は沙耶の小さな手を握りしめた。


「蒼矢。ありがとう、私を連れ出してくれて」


 小さなその手はぎゅっと力強く握り返してきた。


 いつの間にか満月は湖に浮かんでいた。


 ゆらゆらと揺れる満月のその向こうに、新しい生活が待っている。

 いつまで続くかわからない。でも、ずっと二人で生きていこう。


 蒼矢は揺れる満月に誓った。




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