エピローグ

 九つの月のはじめの日。

 この日、女神クロ―リスのお伽噺が語られるクロ―リス領の愛娘リリィと、トランダフィルの王子のお伽噺が語られるトランダフィル領の長男ウーゴの結婚式が行われる――その昼前。

 部屋でウィミィや他の侍女から衣装の着替えを手伝ってもらっているところに、リリィの従兄のアカシアがやってきた。その隣に困り顔で寄り添っているのは、彼の妻のフレア・アマランサスだ。

 蜂蜜のように甘ったるい瞳が、ウーゴを睨みつけるように見ている。

「ちょっといいかい?」

「……ああ」

 もしかしてまたあの話か? 一昨日、ウーゴはアカシアから問い詰められたことを思い出し、まだそれを掘り返されるのかと、辟易しつつついて行く。

 部屋を出て、リリィの部屋のある方向の突き当り。バルコニーとなっているところの影。

 周囲に誰もいないのを確認すると、アカシアはゆっくりと腰を折った。

「ごめん」

 いきなりの謝罪に、不意打ちを食らったウーゴは戸惑う。

 ため息をつき、フレアが言葉を続けた。

「この男ったら、あなたとリリィちゃんに迷惑をかけたみたいじゃない。あなたがリリィちゃんに婚約の時に上げたプレゼントを、この男ったら盗んだと言っていたわ」

「え?」

 青薔薇のケースの盗人が、まさか従兄であるアカシアだとは思ってもみなかったので、ウーゴは余計に戸惑った。

 犯人がアカシアだったとしても、いったい何のために盗んだのだろうか。

「この男は過保護すぎるのよ。女の子も十八になったら立派な大人なんだから、自分の意思で相手の男を見定めることぐらいできるわ。それなのに、この男ったら、本当に情けない。リリィちゃんとあなたが本当の愛を確かめられるようにとかお題目を上げて、実際はただ二人の仲を引き裂きたいとか考えていただけなのだから。いつまでたっても妹離れできないお子ちゃまなのよね。そんなことしなくても、あなたはちゃんとリリィちゃんのことを見ているってのにね」

 フレアの瞳が、ウーゴの蒼い瞳と合う。

 にっこりと微笑み、フレアは言った。

「だってあなた、とても澄んだ蒼い瞳をしているんですもの。あなたなら、リリィちゃんを幸せにできるわ」

 ウーゴから視線を逸らし、フレアは隣にいるアカシアの背中を叩く。

「ほら、次はリリィちゃんに謝りに行くわよ。て、なんでそんなみっともない顔をしているの。もとはといえば、あんたが仕出かしたことなのだから、後始末ぐらいちゃんとしなさい」

 二人の背中がリリィの部屋の中に入って行くのを見届けると、ウーゴは再び自分の部屋に戻った。

 少し、すっきりとした気分になっていた。



    ◇◆◇



 クローリスの屋敷の一階。

 パーティー会場となっているホールに、大勢の人々が集まっていた。

 他の町の華族から、華族に連なる家庭の者。それから、リリィの学生時代の友人など。

 ウーゴには、結婚式に呼べる友人はいなかったため、彼に連なる参加者は父のアルド・トランダフィルだけだ。母は弟の面倒を見るために、トランダフィルに残っているという。

 弟が産まれた瞬間ウーゴに愛想をつかした母に、ウーゴは思うところがあるものの、彼は特に気にしないようにしていた。元々ウーゴは、トランダフィルの血を受け継いでいないのだ。弟が産まれたのであれば、彼が次期領主になるべきだろう。

 アルドと短い挨拶を交わすと、会場が賑やかになり、一瞬で静まった

 髪と同じ黒のタキシードを着たウーゴは、入り口に顔を向ける。


 白い、それこそお伽噺で語られるような女神フローラに似た美貌の少女――リリィ・クロ―リスがいた。


 純白のベールに、純白のドレス、それから髪の毛も瞳も純白ときたものだから、誰もが息を飲むのも頷ける。

 実際、ウーゴも息を飲んだ。

(五年前を思い出す)

 懐かしい思いがした。

 アルドに背中を押されて、我に返ったウーゴは、おどおどとした足取りでリリィのもとに向かう。

 途中、自分の足取りが余りにも無様だということに気づき、ウーゴは背筋を伸ばしきびきびと歩きだした。

 リリィの白い瞳がウーゴを捉える。

 蒼い瞳を細め、ウーゴは微笑んだ。


 神父が近寄ってくると、向かい合う二人の横に立った。


「それでは、まずは花嫁は、花婿の宝物を」

 リリィがはっと気づき、お伽噺で語られる通りに、男性から貰った宝物を返すために、首から下げていた青薔薇のケースをゆっくりとチェーンごととる。

 この青薔薇のケースは、ウーゴがクローリスにやってくる前に、母のジェシカから貰ったものだ。母は、大切なものなのだ、と言っていた。

 婚約の時に、男性は女性に自分の大切なものを上げなければならない。それがお伽噺を大切にする華族にとって重要なことで、ウーゴは自分の「大切なもの」は何かと考えたが思い浮かばなかった。だから、ウーゴは、ジェシカから貰った「青薔薇のケース」を渡すことにした。

 青薔薇の花言葉に、奇跡という言葉があるから。

 それで、何かが変わるかもしれないと、きっとそう思ったのだろう。

 リリィから受け取った青薔薇のケースを、静かに懐に入れる。

(確かに変わったな)

 ウーゴは、リリィの白い瞳を見つめた。

(これ以上、偽りで自分を塗り固めないで済んだ)

 神父が言う。


「花嫁は、花婿を愛することを誓いますか?」

「はい、誓います」

「花婿は、花嫁を愛することを誓いますか?」

「はい、誓います」


 はっきりと、二人は口にした。

 幸せそうなリリィの顔を見て、ウーゴは、やっと気づいた。

(愛している)


 神父に促されるまま、ウーゴはリリの顔を覆うベールを上げて、ほんのりとさくら色に染まった唇に惹きこまれるように、唇を重ねた。


 周りから、喚声と共に、拍手の音が響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

ハナショウブを忘れずに 槙村まき @maki-shimotuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ