第三章 愛情の探索⑦
ウィミィは、ウーゴが朝食をとっている間に掃除を済ませるべく部屋を訪れていた。
部屋の扉は開いたままにしておき、まずは窓を開けて部屋の中を換気する。次に埃を落とすべくハタキを手に取った。
ポンポンと、上の方から埃を下に落とそうとして、ふと手を止める。
(音?)
一昨日と同じように隣の部屋から、カタン、と小さな音が聞こえてきた気がした。
小さな音だ。聞き間違いかもしれない。そう思いながらも、侮ることなくウィミィはウーゴの部屋を出ると、隣の部屋――リリィの部屋扉の前に立つ。
そっとノブを握り、ゆっくりと開いた。
「……何をしていらっしゃるんですか?」
蜂蜜のような甘ったるい瞳と、ウィミィのさくら色の瞳が合った。
「……ちょっと、部屋の掃除?」
「アカシア様が?」
これでも一応主であるウーゴの婚約者の従兄であるのだからと、静々とウィミィは敬う態度を忘れることなく尋ねる。
窓から後ろ足で木をつたい窓から出ようとした体制のまま、アカシアは困ったように微笑んでいた。明らかに不法侵入のような姿勢だ。言い逃れができないのだろうと思ったのだろう。アカシアは、「よいしょっ」と声を出しながら部屋の中に入ってくる。
「ちょっと、窓の掃除をしてて、さ」
「……そうですか」
「とても疑っているような目をしているけど、一応信じてくれたのかな? 君は確か、ウーゴ君の侍女だったっけ?」
「はい」
「名前を教えてもらってもいい?」
「ウィミィと申します」
「響きが良くて、可愛い名前だね」
「……そうですか」
褒められるのにあまり慣れていないウィミィは、静かにそう返した。嬉しくないといえば嘘になる。何だか温かい気持ちが湧き上がり、彼女は軽く瞬きをした。
けれど相手は、たとえクローリスに連なる家の者であったとしても、不法侵入もどきなのだ。身構えることもしないが、ウィミィは心を許すこともしなかった。
静々と、静かにアカシアを見上げる。
困ったように、アカシアは頬を掻いた。
そして、ぽんぽんとウィミィの頭に手を置く。
「見なかったことにしてくれ」
「……アカシア様は、悪いことをしていたわけではないのですか?」
「う、うーん。どうなんだろう。ちょっと、意地を張りすぎていたかな。リリィは、おれにとって大切な妹なんだ。だから彼女は傷つくことなく純粋であって欲しいと、そう願望を抱いていただけらしい。――でも、違ったんだね」
「傷つかないで、成長しない人はいませんからね」
思わず言葉が漏れた。
明るい笑みで、アカシアはもう一度ウィミィの頭の上に手を置く。
「そうだね。リリィも成長しようとしているんだよね。ウーゴ君だって、きっと……」
言葉を止めたアカシアを見上げながら、静々とウィミィは彼の言葉を待つ。
アカシアは、切なそうな眼差しで、遠くを見ていた。
「自分が思っていないだけで、愛情って結構近くにあると思わない?」
唐突なその問いに、ウィミィはわけがわからず小首を傾げる。
「おれの場合は――」
そのすぐ後、華族クローリスの屋敷に、アカシアの妻――フレア・アマランサスが訪れ、ちょっとしたひと悶着が起きたのだが、それはまた別の話。
◇◆◇
「ねえねえセタリア。ボク一ヶ月休暇って言ったよな? それなのにどうして、仕事が舞い込んでくるんだ! おかげでいまから仲間を集めて仕事決行しないと間に合わないから、ハイドランジアと遊ぶ時間がなくなっちゃったよ!」
いきり立った、赤い髪を後ろでひとつに結んだまだ齢十四歳の少年が、身長が高く立木のように佇む男の服の裾を掴む。
長い黒髪を後ろでひとつに結んだ男は、深い緑色を湛えた眼差しで、困ったように少年を見下ろした。
「それはオレも寂しいですね。ハイドランジアとは是非、遊びたいと思っていましたから。……ですが、我々は国から闇に生きる権利を授かった組織。たとえそれがどんな仕事であろうとも、成し遂げなければなりません。それにあなたは、この組織のボスになることを誓ったのですから、これから何があろうと逃げることは許されません」
やんわりと、有無を言わさない物言いに、少年は悔しさとともに唇を噛み締める。
それから、ふふんと笑い声のようなものを上げると、ニヤリと口元に笑みを浮かべた。
「そうだよね、そうだよね。セタリアは、ボクが父さんから見捨てられていたのにも関わらず、ボクの力を信じて内緒で稽古をつけてくれたんだから。ボクがこうして、父さんの代わりにボスになれたのだって、セタリアの口添えのおかげだし。セタリアが言うことは、絶対だよね」
「あなたは、この組織のボスになるのに相応しい器を持っております。それは誇ってもいいことです」
「ボクは、絶対にボスであり続けるんだ。そのためなら、なんだってするって決めているんだからな。今更揺らがないよ」
これは決めたことなのだからと。
「ハイドランジア。今回は遊んであげられなかったけど、待ってろよ。暇を見つけたら、こんどこそ遊んであげるからさ」
◇◆◇
「え? みつかった?」
聞き間違いじゃないかと、ウーゴはもう一度リリィに尋ねた。
「そうなのです。朝食の後部屋に戻ったら、棚の上に置いてありました。確かに朝までなかったはずなのに、まるで狐に化かされたみたいです」
「そう、か。それはよかったな」
この後、ウーゴは町に行ってガーベラを探しだして問い詰めるつもりだった。リリィが青薔薇のケースを失くしたと言ったとき、クローリスの館に侵入してモノを盗みだせるものといえば、暗殺組織のボスだと言っていたあの少年と組織のナンバー2のセタリア以外いないと思ったからだ。たとえウーゴ自身がどうなろうが、絶対に取り返してやると彼は心に決めていたのに。もう、リリィの悲しい顔なんて見たくないから、彼女を守るためなら、なんだってやってやると思っていたのに。
それなのに、あっさりと青薔薇のケースが出てきたことを知り、ウーゴは思わずたじろいだ。
(ガーベラが返しにきたのか? なんのために? それともはじめから犯人が違ったのかもな)
疑問に思いながらも、リリィの華やかな笑顔が見られるだけで、気分が和らぐ思いがする。
ふと視線を感じたので振り返ると、階段のところからアカシアがこちらを眺めていることに気づいた。その後ろに、見慣れない女性がいる。
肩ほどで切りそろえられた紫色の髪の、ちょうどアカシアと同じ年頃の女性だ。困ったような顔で隣にいるアカシアを見ていた彼女は、ウーゴの視線に気づき顔を上げると、にっこりと微笑んだ。優しく温厚そうに見える。
アカシアは既婚者だと聞いていた。だとすると、隣にいる女性はアカシアの妻――フレア・アマランサスだろう。アマランサスの町は、愛に溢れる慈愛の町とも云われており、結婚した男女が新婚旅行で必ず訪れる街だとも云われている。この町を訪れた男女は、一生離婚することなく添い遂げるという。それは、花が枯れることなく芽吹くというアマランサスのお伽噺が物語っているからだろう。
「お兄様?」
リリィもアカシアに気づき、そちらに顔を向ける。
「どうしたのですか? お話しでしたら、こちらで」
「……リリィは、本当にウーゴのこと愛しているんだよね」
近づいてきたアカシアがリリィにそう問いかける。フレアが「しつこい」と呟いた。
「はい。もちろん、愛しています」
「ウーゴ君は? ウーゴ君は、本当にリリィのこと、愛しているのかい?」
蜂蜜のように甘ったるい瞳が見定めるかのようにウーゴに向く。
その瞳を蒼く輝く瞳で見返して、ウーゴは考えるよりも先に口を開いていた。
「愛しています」
口に出してから気づき、口を抑えそうになるが、ここで躊躇いを見せたらこの男はまたウーゴに爪寄ってくるだろう。彼はウーゴが、ウーゴではないと疑っている。実際ウーゴは五年前になくなり、ハイドランジアと呼ばれていた暗殺者がウーゴの身代わりとなっているので、その疑惑は正解なのだろうが――それでも、ウーゴはウーゴだ。例え本物ではなかったとしても、本当の彼を知っている人間が、隣にいるリリィだけだとしても、彼はウーゴ・トランダフィルとして生きて行く。
「そうか。わかったよ。おれは何も言わない。……けどね、ウーゴ君。リリィを裏切ったら、おれはお前を許さないよ」
瞳は逸らされる。アカシアは踵を返すと歩き去って行った。
「結婚式は明後日よね。少し早いけど、幸せになってね」
素敵な笑顔でフレアは言葉を残すと、アカシアを追って行った。
仲の良さそうな二人の後姿から目を逸らして横を向くと、ぎょっとウーゴは目を見開く。
リンゴのように真っ赤な顔をしたリリィが、こちらを見上げていた。
「あ、あの。いまの言葉、ほんとう、ですよね」
「あ、ああ。ほんとう、だ」
自分で口にして、今更ながら羞恥心が湧き上がってくる。けどリリィは、今朝といい、いまといい、同じ言葉を口にしていたのだ。彼女の羞恥心も、ウーゴと同じでうなぎ昇りなのは間違いない。
それに。
ウーゴは顔を真っ赤にしたリリィから、視線を離せなかった。
正直、愛というのはよくわかっていない。恋愛になればなおさらだ。
けれど例えリリィとの婚約が、親から決められたものだったとしても。
ウーゴは――いや、エルートは、彼を受け入れてくれた彼女の傍にいたいと、守りたいと、そう思っている。
本人が無自覚なだけで、そこには必ず『愛』があるのだと信じて。
リリィの誕生日からちょうど一か月後の、九つの月のはじめはもう明後日だ。
その日、ウーゴ・トランダフィルは、リリィ・クローリスと結婚することになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。