第19話

 夏の始めとはいえ、空と海の境界を流れる風は既に喉を焼くように熱く、晴れ渡った中天の空には眩い太陽が燦々と輝いている。

 その中を、一隻の小型船が細長い廃棄光の筋を空に描きながら飛行していた。

 晴れ渡る青一色の世界の中で、ぽつんと点を落とした黒塗りの小型船の側面にはエクスペリメントと言う名が彫りこまれている。

「……随分と上手くなったじゃない」

「うるせぇよ」

 後から投げつけられる揶揄にむすっと頬を膨らませ、クローセルは徐々に船の速度を落としてゆく。

 一年ほど前、ここで起きたことの全てが夢であったかと思わせるほどに波は穏やかで、風は静かだった。

「このあたりだね」

「ああ……」

 船を停止させてクローセルは操舵席から立ち上がると、じっと海面を見つめているベルデの横に立った。

 戦艦ヴィーグリーズが沈んだ海。

 その痕跡はなくても、それはなかったことでは決してない。

 今もなお鮮明に痛みを与えてくる記憶に苦笑をこぼして、クローセルはポケットからペンダントを取り出した。

「本当にいいの? あの子の、形見でしょ」

「いいんだよ」

 船の縁に足をかけ、身を乗り出すように腕を伸ばす。

「形がなくたって、俺はリエルを忘れない。

それに、これは俺が持っていちゃだめなんだ」

 きっぱりとそう言って、躊躇することなくペンダントを手放した。

 くるくると、踊るように弧を描き、小さな水音をたてて海に飲まれてゆく。

 海底に眠る幾人もの同胞の下へ、半身をもつあの男の下へとペンダントは沈んでゆくだろう。

「どんなに時が経ったって思い出は色あせない、俺はそう思うよ」

「……賛成、してあげるよ」

 ぎこちなく微笑んでみせたベルデは、積み込んだ大きな木箱の蓋を開けた。

「うわ、凄いな」

 その中に詰め込まれていたのは、たくさんの花。

 白い、結晶花の束だ。

「摘み取るのは大変だった。あの島じゃ、肩身の狭い立場だからさ」

 当然だから仕方ないとベルデはそう言って、掴みきれるだけ掴み取った花束を勢いよく海へと放った。

「そりゃ、大変だったな」

 緩やかな放物線を描いて、花束は青一色の海面を彩る。

「でも、それも最後。

 サリーシャ……私の船の修理が終わったんだ」

 緩やかな風が彼女の長い髪を遊ぶ。それをいさめるように片手で押さえて、ベルデはうっすらと輝く水平線をじっと見据えた。

「これからどうするのかは、自分自身で決める」

 光の中の世界は、とても恐ろしいことを彼女は知っている。だからこそ、多くのものを見るのだ。選ぶのは、その後からでもおそくはない。

「憎むのか……それとも許すのかは、自分自身で選択したいんだ」

 最後の一本を放り投げ、ベルデはそっと瞳を閉じる。

「世界は、お前が思っているほどに酷いもんじゃない。いや、そう感じられるように、俺は生きるよ。 ……なあ、リエル」

 見上げる空はどこまでも広く、絶えず流れる風によって様々な変化を繰り返してゆく。

 それはどこまでも続く自由、本来人々の心の中にあるはずのもの。

 

 それは、閉塞する世界を変えてゆく力だ。

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帆船空族の少年と水晶の少女 南河 十喜子 @shidousyouko

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