何者でもない私
潮崎みよ
わたしはだぁれ?
「ねえねえ、女子って何歳までが女子なの?」
あたしはソファで寝そべりながら、キッチンで夕飯の支度をしているママに聞いてみた。
「何よ急に」
「だってさあ。この人たち、どう見ても大人なのに、女子なんて言ってるんだもん」
テレビでは地元のスイーツバイキングを特集していて、リポーターがママくらいの年の女の人たちにインタビューしていた。小っちゃいテーブルいっぱいにケーキがてんこもりのお皿を乗せて、女の人たちは「女子会中でーす」と笑っていた。
「いくつになっても女は『女の子』でいたいのよ。それより! もうお菓子食べるのやめなさいよ、ごはんもうすぐなんだからね」
「へいへーい」
あたしは食べかけのポテチの袋を折りたたんで、ソファから降りた。
女の子でいたいって言うその口で、小六の女の子に向かって説教するママは、あたしの目から見てとっくに賞味期限切れに見える。
私はあと何年で、女子じゃなくなるんだろう。大人と子供のさかい目って、どこなんだろう。ある日突然、今は苦いだけのビールが美味しく感じたり、煙たいだけのタバコが吸いたくなったりするのかな。
あたしは自分の部屋に戻って、ランドセルの奥に小さく折りたたまれた紙を取り出した。提出期限は明日なのに、さっぱり埋まっていない作文用紙。卒業文集に載せるという、『将来の夢』があたしを悩ませる。
今とは違う何かになるあたし。全然、想像つかない。あたしはまだまだ鬼ごっこが好きだし、男子はうるさくて乱暴で大っ嫌いなのに。
あーもう。とりあえず何か書かなきゃ。『お嫁さん』とかでいいよね。何かお気楽な気がするし、理由は? なんて面倒くさいこと聞かれなさそうだし。
結局、苦労して書いた作文が日の目を見ることはなかった。
次の日あたしは、今までのあたしじゃなくなったから。
■ ■ ■
次の日の登校中に、あたしは誘拐された。
発見されたのは二か月後。卒業式を一週間後に控えた、さむいさむい日だった。
アイツはあたしが保護されたことを知ると、家には帰らず冬の川に飛び込んで、そのまま死んでしまった。
警察は監禁されていた間に起きたことを話すように言ってきたけれど、あたしは絶対に答えなかった。犯人が死んでしまったため、あたしが言わなければ事件は何も解決しない。
いつもならむくれて話さなくなるあたしを両親は叱るのに、この時ばかりは味方になってくれた。これ以上追及しないで下さいと、無理やり聴取を終わらせたみたい。
二人とも小っちゃい子を相手するみたいに優しいのに、あたしが触ろうとすると体をビクッとさせて怯える。変なの。あたしは犯人じゃないのに。
結局、卒業式には出られなかった。式どころか一度も学校に行けないまま、あたしの小学校生活は勝手に終わってた。
町中が大騒ぎになっていて、夜逃げするみたいに一家で遠い親戚を頼って引っ越しをした。みんなにお別れも言えないのは寂しかったけど、ニュースであたしのことを語っている友達たちはどこか嬉しそうで、きっと心配なんてこれっぽっちもしてないんだろうなと思ったらどうでもよくなった。
あたしはいつの間にか、あたしでない者に変えられていた。
あたし自身は何も変わってないつもりでも、周りはそうは見てくれない。
たった二か月いなかっただけなのに。
あたしがあたしでないとしたら、一体何になってしまったというのだろう。
■ ■ ■
あれから十五年の歳月が過ぎた。
今日、私は結婚する。
あの日、とりあえず何か埋めなきゃと『お嫁さん』と書いた私の夢が叶おうとしている。本気でそんなことを願ったことは一度もないのに。
引っ越し後の生活は概ね順調だった。両親は発見された時のことを考えて実名と写真公開をしなかったため、私の存在を知る者はいなかった。ネットでは近しい人物が私の情報を晒していたようだけれど、髪を切って母の姓に変えるだけで案外気づかないものだ。
親戚は小学校の卒業間近でタイミングがよかったと言ったが、そもそもこんな事件に遭った時点でタイミングも何もないだろうと、思わず笑ってしまった。
結局、私は真相を誰にも打ち明けなかった。
大人たちは好奇の目で私を見た。既に彼らの頭の中では勝手に私の人物像が出来上がっていて、「大変だったね」とか「つらかったね」なんて物知り顔で語りかけてくる。可哀想だと涙し、汚らわしいと侮蔑する。そこで何があったかなんて知りもしないくせに。当時の私は幼いながらに、真実に意味などないと悟ってしまった。
これから結婚する相手は、私の過去を知らない。教える予定もない。
果たして真実を知らない彼は、本当の私を見ているのだろうか。
そこにいるのは彼が作り上げた私で、式を直前に迎えたこの瞬間にこんなことを考えているとは露ほども思っていないはずなのに。
私を知る者はアイツしかいない。
アイツだけが理解者であり、そして同時に私を私でない生き物に変えてしまった張本人なのだ。
でも、たった一人の理解者は、あのさむいさむい日に死んでしまった。
私を知る者は、もう誰もいない。
ウェディングドレスを纏い、私は立ち上がった。
この扉を開けると、また私は別の何かに変わるだろう。
私はこれからも、誰かが作り上げた私を演じていくのだ。
命を終える瞬間まで。
何者でもない私 潮崎みよ @noichi5
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