第三話A マインルーレット -その3

「みっ……皆さん! 相談しましょう!」

 マインルーレットの第4ラウンドに入る直前、そう叫んだのは、ダッフルコートを着込んだおかっぱ頭の若い男だった。

 皆の注目は当然、ダッフルコート男へと集まる。今まさに赤いルーレット盤に手を掛けようとしていたチューズが水を差された格好になり、不満げに口を尖らせた。

「ええ~っ、またタイムですの?」

「ご、ごめんなさい。でも、大きい勝負だから、少しだけ考える時間が欲しくて……」

 おどおどしつつも、意見を言うダッフル男。

 チューズはぷいと目を背けると、

「悪いですけど、そういうの面倒くさくてイヤですわ。皆様が相談している間でも、わたくしの一存でルーレットが回せるのを忘れているのではなくて?」

「そ、そんな……!」

「……ええやんか、チューズちゃん。少しくらい休憩挟んでも」

 そこで助け舟を出したのは美桜である。

 チューズの視線は美桜のほうへと向き直った。

「聞こえなかったんですの? その間に、ルーレットを回してしまいますわよ?」

「ええよ。その代わり、私ら全員棄権するから」

「えッ!」

 驚愕に目を見開いたのは他の客たちである。

 チューズは訝しむように美桜を睨む。

「……それ、どういう意味ですの?」

「言葉通りの意味やんか。休憩がないなら、客は全員ここでリタイヤや。せっかく私らのために開いてくれたカジノやけど、大して盛り上がらんでお開きになりそうやなあ」

 ケレン味たっぷりに語る美桜の態度に、チューズもその真意を察したらしい。

 しばらく複雑な表情を浮かべていたチューズだったが、やがてルーレット盤から手を離した。

「分かりましたわ。少し相談タイムを設けましょう。ここで終わってはカジノ的にも面白くないですし、VIPの皆様に嫌われたくありません」

 そして、ちらりとチューズの視線は天井を泳ぐ。監視カメラが設置されているあたりを。


 ディーラーの許可が出たことを良いことに、ルーレットテーブルから離れて壁際に集まった五人の客たちは、そこで始めて、はあっ、という大きなため息を吐き出した。

「……助かったよ、お嬢さん。良い機転だった。全員棄権と言い出したときには焦ったがね」

「あ、あはは。これも計算のうちよ、計算……」

 ヒゲの紳士の賛辞に乾いた声で笑いながら、美桜は額に浮いた汗を腕で拭った。

(確信のないハッタリが効いて、本当に良かった……)

 チューズは面倒事を嫌うタイプだが、同時にネズミをいたぶり殺す猫のような嗜虐趣味だ。

 客に簡単に諦められては興醒めだし、カジノ側の「できるだけ客から金を搾り取る」という目的にも合致しない。

 そういう意味では、客同士が結託してマインルーレットに挑むという構図は、少なからずシルバー・アープのお眼鏡に適う展開らしかった。

「しかし、やっぱり……タイムを渋るってコトは、イカサマしてやがるってこったろ」

 ひそひそと声を潜めて言うハンチング男。

 七三分けの細長い男が双眸を細めて頷いた。

「そうね、三回連続でマインを踏むなんて有り得ないわ。単なる豪運では説明がつかない」

「いや、まだ決め付けるのは早いで。確率的には有り得るのやし……」

 ノーマンデーの豪運を目の当たりにしている美桜が言うが、それこそ根拠のない推論に過ぎない。

 目の前の事実に当てられている七三分けは、厳しい視線で美桜を睨みつけた。

「そんな甘いことを言っていると足元掬われるわよ。ここは一致団結してあの娘に挑まないと、第8ラウンドまでに全員が一網打尽にされかねないわ」

「で、でも、マインルーレットは僕たちがBETするより先に回していますよね。あの子には僕たちがどのポケットに賭けるかを予想する術はないように思えるんですが……」

 七三分けの隣に立ったダッフルコートが意見を挟むと、それに答えたのはヒゲの紳士だった。

「決まっている。ルーレットに仕掛けがあるんだ。鉄の蓋で閉じた後、何らかの装置を使って玉の位置をずらしているに違いない。あの蓋はそれを客に見せないためのものだろう」

「うーん……そんな機械が動くような音、したやろか? チューズもそんな装置をいじっているようなそぶりは見せていないと思うけど」

「あの娘以外の誰かが操作しているのではないか? 彼女も言っていたじゃないか、わたくし何もしていない、と」

 ……気付いていたのか。

 ヒゲの紳士の慧眼に多少なりとも驚いた美桜は、ここでもう一歩を踏み出してみる。

「いや、もう一つ方法があるで。チューズは百発百中でボールを決まったポケットに落とせるんやから、あらかじめ客の選択するポケットを知っていれば対応可能や」

「それこそ有り得ないこったろ」

 今度はハンチング帽の男が反論した。

「カジノの黒い噂で、ディーラーと客が組んで儲けるって話は聞いたことあるけどよ。それは通常のルーレット――この場合だとウィナールーレットを当てるときの話ってこったろ。ディーラーと客が組んで、マインを当てて何の得がある? 損失以外に思いつかねえぜ」

 それは、確かにその通りだ。

 客の中にホテル側の人間がいるとしても、チューズに教えられるのは、せいぜい「この相談で何を話したか」程度のこと。チューズと組んでカジノから配当金をせしめたいのなら、さっさと第1ラウンドでウィナーを当てれば良かったし、他の客をマインに蹴落とす方法は、客の側からは存在しないように思える。

 となると、やはりルーレットに未知の装置が取り付けられている説が有効なのか?

「つまり、このタブレットもイカサマの材料というわけだ。ここに入力した私たちのBET情報がルーレットの操作者に漏れ、その情報を元にルーレットが操作されている。……ふん、このVIPカジノでそんな企てを仕掛けるとは、天下のワイアットパレスも落ちぶれたものよ」

 確定事項のようにヒゲの紳士が鼻息を荒げ、チューズのほうを睨み付けた。

 他の三人も紳士の言い分になるほどと頷いているようだが……美桜にはなぜか納得できない。

(そんな、触ればすぐバレるような仕掛けなんて、本当にあるんやろか?)

 相手はまかりなりにも億万長者のカジノオーナー、ウィリーバー・シルバー・アープなのだ。

 ワイアットパレスの名を冠したカジノである以上、設備は公正なものであるはずだ。そうでなければ、どこのカジノにも存在するスロットマシンなんて軒並みイカサマされていると判断されかねない。

 カジノにとって、少なくとも設備は公正であることが信頼の証となり、金を注ぎ込んでくれる顧客へと繋がり、事業は成り立っていくものなのだ。

 だから、簡単にばれる嘘ほど怖いものはない。そう考えるほうが自然だと思われるが――。

「相談は終わりましたの? よろしければ、第4ラウンド始めますわよ」

 視線に気付いたチューズが気丈を装って言うと、ハンチング帽がずかずかと彼女の元へと近づいて、赤いルーレットの縁を乱暴に掴んだ。

「あっ、ちょっと、何をしますの?」

「ネタは上がってるってこったよ。さあ、大人しくルーレットの秘密を見せてもらおうか」

 ハンチング帽はルーレットに覆い被さるように身を乗り出し、むき出しのポケットの中を手探りで調べていく。

 ポケットに一通り触れると、次は筐体を持ち上げて視線はルーレットの底へ。

 荒っぽい検分を繰り返すハンチング帽に、チューズは苛立った声を上げた。

「……それで? 手品の種は見つかったんですの?」

 チューズの言葉には答えず、ハンチング帽が青い顔をしてこちらに向き直る。

「な、……ないぞ」

「なんだと?」

 眉を寄せるヒゲの紳士。

 ハンチング帽は帽子を片手で押さえながら、もう一度筐体を見た。

「こいつは、普通のルーレット台だ。バネが飛び出る仕掛けも、ひっくり返るスリットもない。そもそも一本のチーク木材から彫り出した一品モノじゃあねえか。機械のキの字すら使われていないこのルーレット台で、一体どうやったらイカサマなんかできるんだってこったよ!」

「馬鹿を言うな、ちゃんと調べていないだけだ。私が直接見れば――」

 ヒゲの紳士がルーレットに近寄ろうとしたところで、行く手を数人の黒服に塞がれた。

「狼藉はそこまでですわ。第4ラウンド、始めさせていただきます」

 そのチューズの一言によって、ハンチングはもう一人の黒服に腕を掴まれ、強引にカジノテーブルノ向こうへと追いやられる。

 黒服の有無を言わせない誘導によって所定の位置へと戻らされた美桜たち五人は、チューズの冷たい視線に晒されることになった。

「言っておきますが――たとえお客様であっても、カジノの機材に許可なく触れることは重大なルール違反ですわ。仮にもVIPの皆様が、知らないということはありませんよね?」

 悔しげに目を細めるヒゲの紳士に、苦虫を噛み潰したような表情のハンチング帽。

 チューズは問答無用で赤いルーレットに手を掛けると、ノブを捻ってカラカラとホイールを回転させた。

「ゲーム開始時にご注意申し上げなかった事柄ですから、今回に限っては不問といたしますが……これより先、わたくしの許可なく機材に触れた場合は即刻アウト。マインを踏んだときと同様のペナルティを課すことを申し付けます。よろしいですね?」

 チューズの言うルールは、VIP以前にカジノで遊ぶための基本的な免責事項だ。

 これを承服できない客は客ではない。全員が頷かざるを得なかった。

「そしてもう一つ。断言いたしますが、マインもウィナーも、皆様のあずかり知らないところでのボールの操作は行っておりません。蓋を開けたときの結果がすべてでございますわ」

「う、嘘でしょ? だったら、マインの三回連続は完全に運だったとでも言うの?」

 七三分けの言葉に、チューズは胸を張って答えた。

「わたくしはノーチューズデーですから。

 白いボールが投じられ、赤のルーレットに蓋が被せられる。

 続いて青のホイールが回転をはじめ、流れるような所作で白いボールがルーレットに吸い込まれると、チューズはこちらを上目遣いにじろりと睨んだ。

「さあ、第4ラウンドの幕は上がりました。皆様はいかがされますか。棄権されます? それとも、7200万ドルを欲してBETしますか? 根拠のない疑いに今までの投資をすべて無に帰す覚悟があるというのなら、どうぞ棄権してくださいまし」

 タブレットから、チーンという開始音。五人の参加者は、互いの顔を見合わせて逡巡した。

 これから試されるのは個々の覚悟だ。

 イカサマがないと判明してしまった以上、もう美桜が使ったハッタリは何の効力も持たない。

 これまでのラウンドが、本当にすべて運で決まっているのだとしたら――。

 タイムリミットが差し迫る以上、今までの投資を投げ出すという選択肢は残っていなかった。


「時間切れ。それでは、抽選ですわ」

 チューズが不敵に笑う。

 カジノテーブルに光が灯り、浮かび上がったのは2、6、7、16、19の五箇所――五人の参加者は、誰もがこの舞台から降りるという選択を選べなかったらしかった。

 かくして、青いルーレットのポケットは選定される。

「今回のウィナーは【1】ですわ。そして――」

 ゆっくりと引き上げられる、円形の鉄蓋。

 その中で収まっていた白いボールの位置に驚愕したのは、七三分けの男だった。

「マインは【6】……オネエ様みたいなお兄様、残念でした」

「うッ……うッそでしょおおお!」

 目を剥いて絶叫した七三分けは、無常にも黒服に両脇を抱え上げられ、強制的に部屋の外へと連れ出される。七三分けの甲高い絶叫が、いつまでも遊戯室にこだましていた。

「さて、あっという間に残り半分となりましたね、お兄様方?」

 チューズの嬉々とした声に、びくりと震える四名。

 チューズはルーレット盤から拾い上げた小さなボールを指の間で弄びながら、ぺろりと可憐な舌で口端を舐めずり、仮面の奥に光る潤んだ瞳でこちらを覗き見た。

「この調子では、最終ラウンドまで持たないかしら。皆様、もっとチューズと遊んでいただけないと寂しいですわ。この楽しい時間がもっと長く続くように……ね?」

 その小悪魔よりも蠱惑的な微笑に、四人は、ぞっ、という寒気に襲われた。

 例えるならば、それは獲物を見て嗤う蛇だ。

 ヒゲの紳士、ダッフルコートの男、ハンチング帽の男と、そして美桜は――自分たちが底の見えない毒沼へと足を取られ、蛇に食い殺されるという幻想に恐怖していた。

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俺たちに月曜日(あす)はない!-Goddess of victory smiles to No Manday!- 宮海 @MIYAMIX

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