第三話B 一対一クラップス- その2

「さて……俺が先攻だな」

 狭苦しい廊下の片隅で始まった一対一クラップスの第1シーズン。

 サイコロの出目で先攻の権利を手に入れたクレイトンが、ダンボールの上に置かれた薄汚れた灰皿に向き直った。

 ガラス製の灰皿は、近くにあった備品が詰め込まれたダンボールの中から発掘したものだ。灰皿の中には赤いサイコロが六個入っており、それぞれが適当な面を向いて佇んでいる。

 クラップスは、振る人間が複数のサイコロの中から好きな二個を選べるのが一般的だ。

 とは言っても、同じ材質、同じ見た目のサイコロなので、選ぶこと自体にあまり意味はない。「自分がサイコロを選んだ」という行為自体がイカサマをしていないというフェアプレイ精神の具現であり、どのサイコロを使ったとしても、出目の確率は均等に六分の一に違いなかった。

 クレイトンは灰皿の中に指を差し入れ、その中から二つを摘み取る。

「いくぜ」

 拳の中でかき混ぜながら、床を睨む。本来ならカジノテーブルの上に振るべきだが、ここにはそんな上等なテーブルは存在しない。

「それッ――!」

 先攻のトス。

 クレイトンは二つのサイコロを勢い良く放り投げ、床に軽い音を響かせた。

 廊下の床は緑色のリノリウムだ。コンクリートよりは柔らかいが、サイコロが沈み込むほどではない。

 サイコロは緑の床を二、三度と跳ねて、やがてノーマンデーの足元で静止した。

 先に静止した一つめのサイコロがこちらに向けた目の数は6だ。

 そして、もうひとつのサイコロが見せたナンバーは――。

「……1だ。つまり合計は【7】で【ナチュラル】か! ははは、こりゃ幸先が良いな!」

 クレイトンが豪快に笑う。

 ノーマンデーは、ひとつ、小さなため息を吐き出した。

「まだチップ一枚だぜ。こんなところで運を使ってしまうなんて、逆に運の無い男だ」

「はは、それはどうかな。俺の運のキャパシティはまだまだこんなものじゃないさ」

 ノーマンデーは足元のサイコロを拾って、先ほどから明滅を繰り返す調子の悪い蛍光灯に透かして見る。

 サイコロは赤に染色されたアクリル製で、濁ってはいるが、中に何かが入っている様子はなさそうだ。

 クレイトンは腰に手を当ててノーマンデーを睨んだ。

「なんだ、イカサマでも確認しているのか? そんなものあるはずないだろう」

「いや、どこかに幸運の女神サマでも隠れていないかと思ってね」

 飄々と返して、二つのサイコロを灰皿に戻す。第1シーズンは先攻でナチュラルが出てしまった以上、後攻に振る権利は発生しない。

 クレイトンはダンボールの端にサインペンで、勝利数を示す「W」の文字を一つ書いた。

「それっぽいことを言っても無駄だぞ、ノーマンデー。この世は所詮、弱肉強食。ギャンブルだって同じさ。運が強いほうが勝ち、運が弱いほうが負ける……。それだけだ」

「それなら俺に敵う奴は――いや、やめとこう。実力は結果で語るものだよな」

 ノーマンデーは灰皿の中に手を入れ、六つの中から二つのサイコロを拾い上げた。

 第2シーズン開始である。

 先攻と後攻が入れ替わり、今度はノーマンデーの先攻だ。

「さてと。俺の女神はどこにいるかな」

 ノーマンデーはサイコロを弄ばず、手の平から優しく零すように床に転がす。

 両者の投げ入れ方は違っても、立った状態から床に落とせば、落ちた後の跳ね方にそれほどの差は見られない。

 二つのサイコロは床を跳ね、コンクリートの壁にぶつかって静止した。

「5と3で、出目は【8】か。ふむ……女神サマのご機嫌はあまりよろしくないらしい」

 ノーマンデーが呟く。

 クレイトンはそのサイコロを拾い上げ、灰皿の中に戻しながらニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべた。

「確かに、貴様にとっては良いとは言えない【ポイント】ではあるな」

 二つのサイコロを振って出る合計数には、それぞれ出現確率がある。

 【クラップス】という役である【2】と【12】は、それぞれ「1+1」または「6+6」しか組み合わせが存在しないので、このゲームでは最も出にくい数だ。

 逆に【ナチュラル】である【7】は「1+6」「2+5」「3+4」「4+3」「5+2」「6+1」と六通りあり、クラップスでは最も出やすい数となっている。つまり【7】に近づけば近づくほど出目の出現確率は高まり、【2】または【12】に近づくほど出目の確率は低くなるのだ。

 ノーマンデーが先ほど出した【8】は「2+6」「3+5」「4+4」「5+3」「2+6」と、【7】に次ぐ出現確率を誇る出やすい目。後攻にとっては勝ちやすい【ポイント】と言える。

「そうは言っても、あんたが勝てる出目はポイントである【8】のほか、ナチュラルの【7】と、クラップスの【8】【12】だけだ。この四つが出る確率は、合計しても約三十六パーセント。六割強はこちらの勝ちになるはずだぜ?」

 ノーマンデーがそう言うと、クレイトンは灰皿に指を突っ込みながら鼻息を荒げた。

「知らないのか? 野球で三割バッターといえば、打てて当然の連中のことさ」

 後攻であるクレイトンが、二つのサイコロを宙に浮かせる。

 二つのサイコロは床を跳ね、何度か回転して、最終的に2と6を表示した。

「うっしゃあっ!」

 ぐっ、と拳を握り締めてガッツポーズ。これでクレイトンの二連勝である。

「くくく……悪いな、また勝ってしまったよ」

「いいさ。まだ勝負は始まったばかりだ、これからいくらでも逆転できる」

 まだまだ余裕のノーマンデーだったが、その顔色がこれから少しずつ変化していくことに、彼自身もまだこの時点では気付いていなかったのかもしれない。


 第3シーズン。先攻はクレイトン。

 クレイトンが振ったサイコロの出目は、5+6の【11】だった。続いて後攻のノーマンデーが振った目が3+2の【5】だったことから、このシーズンもクレイトンが獲ることになる。


 そして、第4シーズン。

 先攻のノーマンデーが振った目は2+1の【3】だ。そして、後攻のクレイトンが放り投げた二つのサイコロが示したその目は――、

「1と……2だ! うはっ、また勝っちまったぜ! 幸運の女神は俺のほうに来ているな!」

 これで、クレイトンの四連勝。

 さすがのノーマンデーも、薄ら笑いを浮かべておくだけの余裕はなくなっていた。

「……ちょっと、おかしくないか?」

「あぁん?」

 サイコロを拾い上げたクレイトンが、怪訝な顔をしてノーマンデーを睨む。

 ノーマンデーはペンキ缶が満載されたダンボールに腰を下ろしており、眉をハの字にしたまま口元に手を当てて、考え込むような仕草を見せた。

「先攻側が勝てるのは確率的に仕方がないとしても、今の第4シーズンの結果は、本当に幸運の女神がいないと出ない確率だぜ。そりゃ疑いたくもなるってものさ」

 出目の合計が【3】となる確率は、計算上だと五・六パーセント程度。先攻も後攻も【3】を出す確率で言えば、実に〇・三パーセントというキノの当選にも匹敵する倍率である。

 クレイトンは腕を組み、威嚇するような視線でノーマンデーを見下ろした。

「〇・三パーセントであろうとも、出るときは出る。それがギャンブルってやつだろう。今は俺のほうに流れが来ている――その事実が、俺に幸運をもたらしているだけだと思うがな」

「幸運の女神サマなら、俺の傍からは離れないはずなんだ。なんと言っても、俺の名前はノーマンデーだからな。俺の幸運が通用しないとするならば、それはトリック以外の何物でもない」

 傲岸不遜とはこのことか。クレイトンは呆れたように唇を歪めた。

「面白いジョークだが、先ほどサイコロを検めたのは他ならぬ貴様だろう。光に翳してみてどうだった? 中に何か見えたか? それとも二つのサイコロに違いでもあったか?」

「……いや」

 ノーマンデーは首を振る。クレイトンは頷いて、腰に自らの手を当てた。

「いいか、このサイコロはアクリル製で、中に何かを仕込んでも透けて見えるようなシロモノだ。表面はそれなりに硬いせいか、爪などで印代わりの傷を付けることも不可能だし、何よりも投げ方で出目が変わるほど特殊なカタチをしているわけでもない。何よりも公平なのは、俺とお前は同じサイコロを使っているという点だろう」

 そう言ってクレイトンは、手の中のサイコロを指先で摘んで振る真似をする。

「投げ方で出る目が決まるのなら、お前でも出目をコントロールできるはずだ。だが、ここまで四戦してきてどうだ? 同じ出目が続いたことなんて一度もない。投げ方だって特殊な方法を用いたことはなかったはずだ。それは、お前が一番理解しているのではないか?」

 確かに、それは間違いない。少なくともノーマンデーは、今までに振ったサイコロの投げ方は、手の平から零すという方法しか用いてこなかった。それで出目が違うのだから、投げ方でコントロールするという論拠が見当違いである証左と言えるだろう。

「もしも俺をイカサマ野郎と糾弾したいのならば、それなりの証拠を用意して貰いたいね。口先だけでペテン呼ばわりをするというのは、紳士の振る舞いとして相応しくない」

 紳士、という二文字を出されて、言葉に窮するのはノーマンデーの方だったか。

 いちいちもっともな解釈を盾にされて、ノーマンデーはふう、と息を吐き出した。

「……いや、その通りだ。あんたが余りにも強いんで、つい泣き言を吐いてしまったらしい」

「いいさ。運が向いていないときは、そういうこともある」

 すっかりポーカー25当時の紳士的振る舞いを思い出してしまったクレイトンが、キザったらしく金髪を掻き上げて、余裕の笑みを零して見せた。

 しかし――、

(バカがッ! 何をしおらしく引っ込んでるんだよッ! 相手にこんなに勝ち連発させといて、イカサマ使ってないなんてお花畑を頭に咲かせてるんじゃねえよッ!)

 その胸の中では、意地汚い台詞をノーマンデーに向かって浴びせ続けていた。

(倍賭けを提案されたときは驚いたが、何も恐れることはなかった! 俺の術中にハマるだけハマりやがって、とんだペテン師じゃねえか。……いいか、俺は貴様を絶対に許さねえ。俺をコケにした奴は、二度と歯向かえなくなるまで叩き潰すのが俺のスタイルだ。十戦全部叩きのめして、50万ドルどころか1億ドル以上を徹底的に搾り取ってやる!)

 意地汚い男ほど、怒らせたら恐ろしいものはない。

 そんな敵方の心中を知っているのか、ノーマンデーは腕を組み、ひたすら過去四戦の勝敗ルーチンの研究に頭を回転させているのだった。

 現在の配当チップは、クレイトンがプラス15枚で、ノーマンデーはマイナス15枚。

 もしもクレイトンの思惑が十戦全部で成功すれば、最終的な配当は1023枚。アメリカドルならば1億230万ドルで、日本円換算すると122億円という莫大な額となる。

 クレイトンの巧妙な罠を見破らない限り、ノーマンデーに明日は無い。

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