第三話A マインルーレット -その2
カラララ、と小気味良いホイールの音が遊戯室に響く。
先に回されたのは向かって右手、赤のルーレット。
チューズは八人の客が固唾を呑んで見守る中、マインルーレットの第1ラウンドを開始させた。
「まずはマインからボールを投じますわ」
誰に断るでもなくそう言ってから、白いボールをルーレットの縁に沿って弾く。
ボールは遠心力に従って一定の速度で金色の小路を周回するが、その慣性が途切れる前に先ほどノーマンデーの所在を訊いた黒服が近づいてきて、ルーレットの上に金属製の銀盤を被せてしまった。
「ちょっと、おい! なにすんだ、ルーレットの結果が見えねえぞ」
などと騒ぎ出したのはモヒカン男だ。
チューズは楽しそうに眼を細めた。
「先にマインが分かってしまったらゲームにならないでしょう? これは後のお楽しみですわ」
そしてチューズの指先は、本命である青のルーレットへ向かう。
ルーレットの中央部に屹立する回転ノブを捻ると、青いルーレットもまた赤と同様の乾いた音を奏でた。
「では、これよりウィナーへボールを投じます。皆様、わたくしがボールを投じたら、一分以内にBETしてくださいましね」
周囲の皆の喉が鳴る音が聞こえるようだ。美桜もそれは同様だった。
一戦あたり百万ドル。一・二億円の、最初のラウンド。
「……それっ」
まるで幼い娘のような、十三歳のディーラーの声に合わせて。
カラララ、と。
白いボールが、軽快な音を立ててルーレットの小路を滑り始めた。
途端に、手元のタブレットがチーンッ、という電子的な鈴の音を鳴らし、液晶画面の左端に【残り60秒】というタイムカウントを出現させる。元から映っていたベットエリアの表示の下にも、【エリアをタッチしてBETしてください】と英語で注釈が表示された。
――タッチひとつで一・二億円か。こんな大博打が、こんなに簡単に始まってしまうなんて。
馬鹿らしいと思う反面、胃がぎゅっと縮こまる感覚がする。
美桜は震える指先を伸ばし、11という数字の書かれたポケットをタッチした。
【そのポケットは他のプレイヤーが選択中です。別のポケットを選択してください】
「のおっ?」
表示された想定外のメッセージに、美桜は思わず顔を上げてしまう。
周囲では、数メートルほど距離を開けてそれぞれに立つ客たちが、互いの顔色を窺うようにせわしなく視線を動かしている。誰だって他人の選択は気になるものだ。特に今回は初めてのラウンド、他人がどのような戦略でこのゲームに挑んでいるのか探りたくなるのも当然だった。
とはいえ、まずは一分以内にBETしなければ話にもならない。
気付けば、残り時間は十秒を切っている。美桜は急いで隣のポケットである12を押した。
【このポケットにBETします。よろしいですか?】
(確認画面うざっ! そんなのよろしいに決まってるやん!)
心の中で呟きながら、次いで表示された「YES」「NO」のうち「YES」を選択する。
12番のポケットエリアが選択色の黄色に染まり、そして――。
「皆様、
玲瓏のような美しいチューズの声に誘われて、八人の客が青いルーレットへと群がった。
「11来い、11ッ!」
「頼む、頼むぞ……!」
モヒカン男とヒゲの紳士が、熱に浮かされたように囁いている。その他の客は無言だ。
私と被ったのはモヒカン男か、と美桜は一瞬思うが、そんな余裕はものの数秒で跡形もなく吹き飛ぶ。
ルーレットの中のボールが、急に速度を失って傾いたのだ。
「落ちるッ!」
遠心力を失い、金色の小路を外れる白いボール。
ホイールの回転方向に逆らって坂を転がり落ちたボールは、何度かポケットの縁に弾かれて、カンカンと踊るように飛び跳ねる。
そうして、最終的に落ち着いたのは――8のポケットの中だった。
「ああ、ああああ~っ」
がっくりと脱力するモヒカン男。チューズがホイールの回転を止め、8を指差した。
「今回のウィナーは【8】です。皆様の選択は……」
チューズが言うと、カジノテーブルに描かれたBETエリアが光り出す。
光が灯ったのは1、4、7、10、11、12、16、20の八箇所だ。どうやら緑色のテーブルマットの下に照明が設置されているようで、八人がBETしたエリアを一度に表示しているらしかった。
「今回、【8】を選択された方はいらっしゃらなかったようですわ」
会場中からため息が漏れ、事実、美桜も肩の力が抜けてカジノテーブルに寄りかかった。
しかし、ゲームの本懐はこれで終わりというわけではない。
「それでは、マインの蓋をオープンいたします」
不意打ち気味の通知に、八人の視線は赤いルーレットへ。
黒服が重厚な鉄蓋を持ち上げると、そこに収まっていたボールの位置は、11のポケットの中だった。
「――へっ?」
モヒカン男の間の抜けた声。チューズはそんな声など聞こえなかったかのように、宣言した。
「今回のマインは【11】です。11を選ばれたトサカ頭のお兄様――直撃ですわ」
刹那、モヒカン男のタブレットから鳴り響くブービー音。
モヒカン男はタブレットを取り落とし、それを拾おうとして、その腕を二人の黒服に取り押さえられた。
「な――なんだよッ! 急にどうしたッ?」
「マインを踏んだお客様は一千万ドルのペナルティ。そして即刻この場からご退場ですわ」
チューズが言うが早いか、モヒカン男は屈強な黒服たちに取り囲まれ、ずるずると遊戯室の扉へと引き摺られていく。モヒカン男が口角泡を飛ばして喚き散らした。
「待てッ! 待てよ! たった一回外しただけじゃねえか! 何でこんな――!」
抵抗も虚しく、モヒカンの姿は扉の奥に消える。
あとは静寂。何も残らなかった。
「皆様、ゲームの流れはざっと理解できましたか?」
チューズが微笑みながら言う。まるで、今の騒ぎなど最初から存在しなかったかのように。
「1ラウンド三分程度のお手軽なゲームです。普通のルーレットよりルールが多少複雑ですが、BETの方法が少ない分だけシンプルに賭けられるのが魅力ですわね」
そう言いながら、彼女の手は再び赤いルーレットへ。
「では、さっそく二回戦を始めましょうか。マインを回転させていきますわよ」
「……ま、待てッ! 早すぎるぞ!」
金髪サムライが慌てて手を伸ばす。チューズは不服そうに頬を膨らませた。
「なんですの、サムライのお兄様。テンポが速いのがこのゲームの魅力ですのに……」
文句を言うチューズだが、サムライ男の発言には誰しもが助かったと感じたに違いない。
――あっという間に、一人が減ったのだ。
その事実に打ち震えたのがサムライ男だけでないのは、周囲を見れば一目瞭然だった。
「そうは言っても、これは一回百万ドル、下手を打てば一千万ドルを失うハイリスクゲームだ。1ラウンドごとに降りる者がいないかどうか、確かめるのがディーラーの役目であろう?」
至極もっともな意見を言うサムライ男。それに対して、幼いディーラーの反応は、
「えいっ」
可愛らしい声とともに、赤いルーレットを回すことだった。
「なッ……!」
絶句するサムライ男。ルーレットが回ったということは、問答無用で第2ラウンドが始まったことを意味する。
チューズは上目遣いでサムライ男を嘲った。
「降りたければBETしなければ良いんです。それだけでゲームからは棄権できますわ。それに、サムライのお兄様はルーレットの基本的な流れをご存知ないんですの? ルーレットってのは、ディーラーが勝手にゲームを始めてしまうものなんですわ……よっと」
白いボールが、無慈悲な速度でもって赤いルーレットの縁を走り出す。
すぐに鉄の蓋が閉じられ、そしてチューズの細い腕は、隣に佇む青いルーレット盤へ。
心の準備が整う前に青いホイールが唸りを上げて回転し、そして、
「勝負ってのは、いつだって無慈悲なものですわ」
チューズの指先がボールを弾き、二度目のベルの音が遊戯室に響き渡った。
「う、ううッ……!」
誰ともなく漏れる戸惑いの声。六十秒のタイムカウントは、あっという間に五十秒にまで磨り減ってしまう。美桜はタブレットを抱え直して、画面に表示された番号を見回した。
選べるポケットの数は18個。
前回抽選された8番と11番のポケットは暗く光が失われており、数字の上には【N】の文字が上書きされている。
前回美桜が最初に選んだ数は11だった。先にモヒカン男が選択していなかったら、扉の外に引きずられていたのは美桜自身だったかもしれない。
一回一・二億円の大博打だが、それ以上に恐ろしいのは、一度で12億も取られ、しかも一度踏んだらもう二度と取り戻せないというマインルーレットの存在だった。
確かに、最後まで残れば残るほど86億円へ近づくのかもしれない。しかしそれは、たった一度踏むだけで破滅してしまう地雷原を、何度も進まなければ到達できない修羅の道だ。
(そう、だから――
つまり、これはウィナールーレットを当てるゲームではない。
地雷を踏まないように耐えて、耐えて……当選確率が上がるまで耐え忍ぶ忍耐のゲーム。
地雷原を踏み越えていく、文字通りのサバイバルゲームなのだった。
「さあ、残り十秒。そろそろ時間切れですわよ?」
妙に溌剌とした愛らしいチューズの声すら鬱陶しい、そんな空気の中で。
タブレットの中のカウントダウンは、〇秒を指し示した。
「では、第2ラウンドの抽選ですわ。皆様、正面のウィナーにご注目ください」
チューズの声が響き、美桜は眉をしかめながら目を凝らす。
美桜が今回選んだ番号は2。何の根拠も持たない、自身の勘だけで選んだ運命の数字だ。
果たして、青いルーレットの中の白いボールは、思う存分ポケットの間で飛び跳ねて。
最終的に収まったポケットは、10と書かれた溝の中だった。
「皆様が選んだ番号は、2、3、9、13、17、18、20……残念ながら、今回も勝利者は出ませんでしたわね」
はああ、という息に支配される場の空気。
だが、チューズの審判はもう一つ残っていた。
「そして、マインルーレットの番号は……残念、【3】を選んだ方ですわ」
「さ、3番、だ、と……?」
ダッフルコート男の前に立っていたサムライ男が顔を上げる。
間髪入れずに近づいていく二人の黒服たち。両脇を抱えられたサムライ男は僅かな抵抗と大きな驚愕を顔に貼り付けて、やがてがっくりとうな垂れたまま扉の向こうへと連れ去られてしまった。
「あらあら、これで残るは六名ですか。いきなり寂しくなっちゃいましたわね」
チューズが目元に張り付いた仮面を押さえながら、にっこりと微笑む。
これで、二回連続の退場者。
脅威の地雷率に、明らかに部屋中の空気が凍り付いていた。
「さあってと、ノってきましたわ。さくさく行きますわよ」
チューズが鼻歌でも歌い出しそうな軽やかさで赤のルーレットへと向かう。
数分前に抵抗が無駄だと思い知らされたせいか、今回は誰も異論を挟まない。
斯くして、三度目のラウンドが始まったのだが――。
「はい、今回のウィナーは【17】、そしてマインは【5】です。濃緑色のスーツを着たお兄様、残念ですが、ここでお別れですわ」
その三分後に響いたチューズの台詞は、残った客たちに大きな影を落とした。
「ば、馬鹿なッ! 三戦連続なんてあるかよッ!」
断末魔に似た叫び声を上げながら、黒服に連れられていく緑スーツ。
扉の向こうへ消えていく後ろ姿を見送りながら、美桜は己の身に迫りつつある驚愕の事実に顔を青くした。
「み……緑スーツの言うとおりや。三戦連続なんて、確率的にあるわけあらへん」
美桜はカジノテーブルに視線を落とす。
八名の客が三戦連続でマインを踏む確率は、計算上では六パーセント以下だ。宝くじに当たる確率よりはまだ高いとはいえ、この空気の中でマインだけを踏ませ続けるというのは異常である。
あっという間に三人もの客が減ったことに、ハンチング帽の男が震える声で言った。
「こ、こんなの有り得るわけねえ! イカサマってこったろ!」
「まあっ、それは心外ですわ。わたくしは何もしていませんのに」
チューズが不敵な笑みで答える。その反応に、美桜はある一つの可能性を直感する。
(今、わたくしはって言ったな。それって、自分以外は別だって意味ちゃうの?)
そこで美桜は、スカイウォークを渡る前にノーマンデーに訊いていた情報を思い出す。
――あのポーカー25の会場にいたクレイトンは、ホテル側の回し者だった可能性が高い。
もしも、その推論が事実であったとするならば。
(このゲームでもまた、ホテル側の回し者がいるんちゃうか?)
それも、場合によっては客の中に。
美桜は改めて周囲を見回す。
客は美桜を含めて残り五名。立派な髭を生やした中年の紳士に、若くて眼鏡をかけたダッフルコートの男。七三分とチョビ髭が特徴的なタキシードに、ハンチングを被った中年男だ。
もちろん、周囲に控える六名の黒服が関与していないとも言い切れない。
地雷原を何の情報も持たず、裸で渡っているのはこの五名かと思っていたのだが――。
(これは、雲行きが怪しいで……)
美桜はちらつく陰謀の影に、背筋が冷たくなっていくことを実感していた。
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