最終話:The end. The end you wish for, the end you don't wish for.

 親友が殺すのならば、抵抗しない。

 親友が願うのならば、自身の死すら許容する。

 ウルドは怨嗟も憎悪も喜びもなく――表情を変えることなく死んだ。

 イクスは、ただ一人の親友を殺した。

 吸血鬼ユベルに――死んでもらうために。

 濃霧は晴れる。奇跡の時間は終わる。


 メイゼンは満身創痍になりながらも辛うじて生きていた。

 霧を払ったユベルの視線が、倒れているウルドにいく。鈍器で全身を砕かれたような衝撃。


「う、うるど……!?」


 ユベルの心が刹那に揺れて、魔術が無数の刃となってクロシェの右腕を吹き飛ばした。クロシェが激痛に叫び、片膝をつく。


「ウルド!? ウルド! ウルド? なぜ、どうして……いや、違うこんな、こんな未来は、俺は! 俺は! ウルド!」


 ユベルはこれは現実ではない。幻だと思い込もうとして失敗する。

 ユベルの視界には、倒れたウルドと、ユベルが上半身を真っ二つにして殺したクロシェが映る。瞼を閉じても開けても、血を流して死んでいるウルドが消えない。

 ウルドは簡単に殺されるほどに弱くない。不意を衝かれた。ウルドが現れたことに動揺して、ユベルは思考が乱れて隙を生み出してしまった。

 何故、虫のような存在をウルドが来る前に潰しておけなかったのか。

 後悔だけが胸に宿る。

 苦しくて、慟哭する。青い瞳から、涙が静かに零れ落ちる。

 ユベルにとって生きている理由が消え去った。

 クロシェを殺さなければよかった。もっと苦しめてから殺せばよかった。生きていることを後悔させたかった。

 でも、そこまでウルドがいない現実を過ごすこともしたくない。

 ユベルの心は散り散りに乱れる。

 吸血鬼に仲間がいなかった。人間を信じて幾度も裏切られた。その中でウルドと出会った。絶対に裏切ることのない、感情を持たない人。


「あ、はっ……はぁ」


 ユベルはどうすればいいのかわからなかった。

 吸血鬼を全て殺したいと思う気持ちすら、もはや残っていない。

 一瞬で消えた。吸血鬼を滅ぼすために審判という組織を作り、人間と手を組んだ。長い年月をかけてきた。拠り所だった。その心すら、欠片も残っていない。

 吸血鬼として強すぎたユベルには仲間がいなかった。同族はいるのに、この世界にいるのは自分一人だけだった。ならばいっそのこと弱い吸血鬼なんて滅べばいいと思った。その結末。終着点が訪れた。


「あぁ……もう、どうでもいい。ウルドがいない世界なんて、不要だ」


 生きている必要はない。

 類まれなる再生能力を持ち、吸血鬼として最強の男を殺せるのは――自分自身。

 ずっと知っていた。

 もっと早くに死ねば良かった。そうすれば、ウルドの死を見ることもなかったのに。ウルドは嘆く。

 闇の刃が無数に現れて、ユベルを幾重にも貫く。

 ユベルにはもう何も必要なかった。零れたものは戻らない。人間は脆くて儚い。

 何度、血に塗れようとも再生を繰り返す吸血鬼ユベルとは違う。再生せずに死んでいく。

 ユベルは死ぬまで自分を殺し続けて――自害した。

 その凄惨なる死にざまをみたは、イクスに向けていった。



 言葉でイクスに致命的なひびを――与えた。

 クロシェは激痛に耐える。痛いのは嫌いだ。

 血が、大量に滴る。冷や汗が全身から流れて、止まらない。痛みが鮮烈で気絶すら許してくれない。腕は失ったが生きていることを喜ぶべきだとは思うが、痛みがその喜びすら上書きする。


「はぁ……はぁ……何とか、なったか」


 クロシェの横にフェアがやってきて凭れ掛かるように顔をよせる。


「クロシェ。血が、勿体ない。それは私が食べるものだ」

「冗談やめろ。この腕の切り口に舌を這わせられたら泣き叫ぶわ」


 痛みで顔を引きつらせながらクロシェは答える。


「残念だ。でも、悪運が強いな」

「はは、フェアの幻術が良かっただけだ。いくらユベルが吸血鬼として強すぎたって――大事な人が死んだら、幻がつけ込む隙はある」


 ユベルが殺したと見えていたクロシェは、フェアが生み出した幻だった。

 けれど、クロシェ本人も見えないように魔術で偽装されていたが、現実として存在している。ユベルが放った無数の刃は本体にも届き、片腕を切り落とした。


「……フェア。魔術で傷口を焼け。その程度の魔術はまだ使えるだろ?」

「使えるが、それこそ痛いだろ」

「めっっちゃいやだけど。物凄く嫌だけど、このままにしておくわけにもいかないだろう。死ぬのは嫌だよ」

「わかった」


 フェアがクロシェに近づいて、首元のマフラーをはぎ取り、露になった首筋に牙を立てる。


「――!?」


 途端、痛みを上書きするような鮮烈な快感と共に、鼻に焼けこげる匂い。傷口をフェアの青い炎が燃やしていた。

 強烈な痛みで身体が反射的に暴れるのをフェアの力が抑え込みながら、血をすすられる。

 痛みと快楽が同時にクロシェは声を上げることすら忘れてもだえる。

 フェアの牙が首筋から抜けるとクロシェは脱力する。それをフェアの両手が支えた。


「どうだ? クロシェ」

「癖になりそう」


 クロシェは汗と恍惚の中、答えた。

 メイゼンも満身創痍で剣を支えにして漸く膝を付けているに過ぎない。フェアは魔術をほぼ使い切ったし、片腕を失ったクロシェは明確な足手まといになる。

 後は――ノエと、菫、リリィが終わらせるのを傍観するより他ない。フェアは視線を彼らへ向けた。



 イクスは身体が震える。誘惑に駆られて唯一の親友を殺してしまった。

 クロシェの掌で踊らされた。ウルドは抵抗しなかった。親友が殺すなら抵抗しないと嘗ていっていた言葉通り、ウルドは無抵抗だった。生々しく肉を突き刺した感触が残る。

 親友を、殺してしまった。ユベルは死んだ。

 イクスでは殺せない吸血鬼が、この世から消えた。後に残ったのは、殺せる吸血鬼だけなのに、嬉しくなかった。

 殺したい吸血鬼を殺しても、喜べなかった。親友を殺してしまった事実だけが、辛かった。

 どうすればいいのかが、もうわからない。

 吸血鬼を殺したら、この手で殺したら気持ちがはれるだろうか。喜べるだろうか。そのはずだ、とイクスの視線がリリィへ向く。ばらばらになった髪の毛を揺らしながら、口内にたまった血をリリィは地面へ吐き出す。

 殺意に満ちた瞳が、イクスに安定をもたらせてくれた。

 もっと、憎悪を向けてくれ。そうすれば、この胸の苦しさから解放される。恨みを切望する。

 リリィが魔術で身体能力を強化して襲ってくる。

 菫の銃弾を刀で弾き飛ばす。はじかれた銃弾が菫の肩を貫通する。菫が苦悶に顔を歪める。

 リリィはイクスの刀に足を切り裂かれながらも、その体に爪を突き刺す。

 双方の血飛沫が視界を赤に染め、イクスは笑いながら刀を振るう。吐き気がこみあげてくる。

 リリィの身体が切り裂かれる。派手に血が流れる。


「無駄ですよ」

「は? 知るか」


 リリィはそれでも怯まずに、イクスに噛みつく。手を失っても、足が切り裂かれてもリリィの殺意は失われない。

 イクスも笑いながら吸血鬼を殺す。

 服は赤く染まり、くすんだ白髪はもはや赤に染まっている。菫が近づいてきて銃弾を放つ。イクスの身体を撃ち抜いたが、致命傷は外した。


「はは。菫、馬鹿ですねぇ。ここにきて、心臓を狙えないなんて……狙撃手失格ですよ?」

「馬鹿はてめぇだ」

「そうですか? いえ、そうかもしれませんね。でも、貴方では俺には勝てない」


 菫の身体に刀を突き立てた。派手に血が流れる。赤はイクスの心を和ませてくれる色だった。白は赤が映えるから好きな色だった。

 そのはず――だった。

 殺した吸血鬼と、死にかけの人間。イクスの瞳に映るのは敵。


「そう。敵は殺さないと、いけないんです。敵を殺せば……俺は……


 全て殺せば、親友を殺したことすら帳消しになるような気がする。

 菫にとどめを刺そうとしたイクスの間に、ノエが両手を広げて割って入った。


「イクス!」

「ノエ……」


 川辺で倒れていた子供。

 無邪気で無垢で純粋で、人の死に傷つく子供。自分を慕ってくれた吸血鬼。傷つけても、許してくれた存在。吸血鬼でなければよかったのにとイクスが心底思った子。


「どいてください、ノエ」

「どかない」


 歩いていた力が抜けて、イクスは膝をつく。身体は動くのに。踏み出す力がなかった。

 ノエが懸命に菫を庇っている。力でノエを振り払うことも殺すことも容易だ。そして菫を殺すことも。

 とても、簡単にできる。

 ふと、嘗て殺した吸血鬼を思い出す。『君は哀れだね』千鶴はそういった。


「ノエ……疲れました」

「イクス?」


 千鶴の言葉は正しい。そしてもうどこにも引き返せる道はない。

 ノエの今にも泣きそうな瞳が映る。

 やはりその顔は何処からどう見ても十五歳には見えなかった。もっと幼い。ただの子供だ。


「ノエ。殺してくれませんか?」

「な、なんでだ」

「さぁ。どうしてでしょう。わかりません。ただ、今そう思った。俺は多分、死なないと終わらないから」


 イクスがノエに触れたくて手を伸ばす。まだ距離がある。緩慢な動作で膝を動かす。頭を撫でたかった。


「吸血鬼を殺したい。親友を殺してでも吸血鬼を殺したかった。でも、親友まで殺してしまった俺はもう、どうにもできない。苦しい。俺は、間違えたんですかね」


 クロシェの甘言に惑わされた結末だ。

 傍にいる人が誰もいなくなった。愛しい恋人も、ただ一人の親友も、この手でイクスは殺した。殺したかった吸血鬼は自害していなくなってしまった。

 生きるための、熱情をイクスは自分の手で壊した。

 ノエの友達も殺した。菫の親友も殺した。リリィの親友も殺した。

 クロシェの『ありがとう、イクス』は救いを壊す言葉だ。呪いが浸透した。


「ノエ……」

「……わかったぞ。イクスが、望むなら。オレはそうするんだ。だってイクスに会えてオレは良かったから。イクスが望むように、オレはする」


 ノエは震える手でナイフを握りしめた。イクスが辛いというのならば、ノエは辛くても終わらせようと思った。

 ノエが一歩近づく。イクスは嬉しくて微笑んだ。吸血鬼が誰よりも嫌いなのに、吸血鬼に終わらされることを望むなんてと思うと、馬鹿馬鹿しくて心が少しだけ晴れた。

 イクスの手がノエに触れそうになった瞬間、イクスの身体は後ろへ倒れた。


「ふざけるな。都合よく、ノエに、殺しなんか、させてたまるか!」


 イクスのこめかみに銃を放ったのは菫だ。地面にへばり着きながら、息も絶え絶えになりながら菫は吐き捨てた。


「菫! ケガした身体で無理に動いたら駄目だぞ」


 ノエが菫に近づいて、弱った身体を抱きしめる。


「ノエに、人殺しなんてさせないさ」


 ――本当は。

 ――綺麗な終わりになんてさせたくなかった。

 ――綺麗な終わりなんて迎えさせたくなかった。

 でも、それ以上に、イクスを殺すことをノエにさせたくなかった。

 菫はただその一心で、消えかける意識を繋ぎとめて、最後の引き金をひいた。


「ケガはないか? ノエ」

「菫がたくさん庇ってくれたから、オレは平気だ。菫は、無茶、ばっかするんだな」

「当たり前だ。俺が何年復讐のために生きてきたと思っているんだ」

「うん」

「終わったよ、ノエ。俺やリリィの復讐も、ノエの目的も」

「うん……終わった。全部、終わった。見届けたぞ」


 ノエは、動かないリリィを見て笑おうとして失敗した。


「大丈夫だ、ノエ。もうユベルはいない。吸血鬼を滅ぼす男は、何処にもいない。お前たち吸血鬼を、滅ぼそうとするやつは……まぁ、いるけど。脅威は去ったよ」

「そうだな……」


 菫は身体を起き上がらせようとして、力が入らなくて失敗した。ノエの頭を撫でたかった。


「全部、終わった。後は幸せが待っているよ」

「うん」

「だから、笑ってノエ」

「うんっ」


 菫の意識は薄れゆく。血を流しすぎた。イクスに切られたのは紛れもなく致命傷だった。


「菫。死んだら嫌だぞ! みんなで帰るんだ! 嫌だぞ!」

「そうだな……帰ろう。アイリーンが、まって……いる、も、んな」

「すみれ!」


 ノエが叫んだが、瞼を閉じた菫は静かに息を引き取った。



 全てが終わった――。

 その結末を見届けたクロシェが、メイゼンに声をかける。後始末まで、きちんとしなければ終わりではない。


「メイゼン。俺をウルド殺しの犯人にしろ。イクスやユベルはいい。けれどウルドが死んだ事実だけは国が許さない」

「イクスが殺したんだ。わざわざ事実を捻じ曲げる必要はないだろう」

「君、本当に貴族か?」


 クロシェは呆れる。


「イクスが殺して、イクスが死んでいる。そんな罪も罰も与えられない存在に、王族やユーツヴェルたちが満足するわけないだろう。俺たち全員が罰せられる。ウルド殺しの加担者としてな」

「……それは」

「だから、メイゼンはそれを止めようとした”英雄”になれ。筋書きはアイリーンにでも考えてもらえばいい。あいつはそういうの得意だ」

「だが、俺は国にとって犯罪者だ、今更俺の言う言葉をきくとも思えない」

「大丈夫だ。それは琴紗が企んだ冤罪だ。そして琴紗と決着をつけて外部に情報流出を防いだ英雄になれる。琴紗が他国のスパイであることは審判たちも知っていることだし、俺が琴紗の素性を調べろと命令してある。証拠が出ないように隠滅をいくら図っていたとしても、琴紗本人の身体からは証拠が出てくる」

「……手回しがいいな」

「俺とフェアはこのまま国を出る」

「フェアはそれでいいのか」

「クロシェの血が飲めなくなるのは嫌だからな」

「……どうやって国を出るつもりだ」

「ユベルがいない今なら出られるだろ。実質的に国を鎖国させて、かつ吸血鬼だけを招いていたのは、ユベルの魔術があったからだ。今ならば、どうとでもできる。貴族ランゲーツの名前が使えるうちにな」

「最初からこうするつもりの筋書きだったのか?」


 メイゼンの鋭い視線に、クロシェは肩を竦めようとして激痛がはしった。


「いいや。根回しや下準備はしていたよ。どう転がるかはわからないが、どう転がっても問題ないように。作戦というのはそういうものだ」

「菫たちには内緒にしていたんだろ?」

「そういう工作が向かないやつに教えるのは得策じゃない。俺とアイリーンとフェアでやった。そして、引継ぎ先はメイゼンだ」

「わかった」

「メイゼン、事実を公表する前に、俺のランゲーツ家の使用人たちは被害が及ばないように工夫は凝らしてほしい。巻き込むわけにはいかないからな」

「道楽貴族に情か?」

「いいや。今まで俺を楽しませてくれたお礼だよ。フェアだけは俺の猫だから、関係ないけど」

「……例え、全てがうまくいったとして、クロシェ。国を出てどうするんだ。外のことなんて何も知らないだろう」

「知らないから、わくわくするんだろ」

「ぶれないな」

「誉め言葉として受け取っておこう。さて、ユーツヴェルたちの追手が来る前に逃げるか」

「怪我が回復するまでは、やっぱ待てないか」

「無理だろ。脱出できなくなる。感染症にでもかかって死んだら、その時はその時さ。恐怖が強いからって、快楽を享受できなければ意味はない」

「わかった。じゃあ悪いが全てを押し付ける。その代り、お前の使用人たちは俺がちゃんと世話をする。ノエも、アイリーンも。関わった人たちは全て任せろ」

「うん。それでよろしく。俺は重荷を背負うのには向かないが、君は向いている。ノエも、ちゃんと送り届けろよ。望む場所へ」


 静かに泣いているノエをクロシェは一瞥する。クロシェもフェアも、言葉をかけるつもりはない。


「あたりまえだ。アイリーンも、ノエも。全部俺が責任を持つ」

「流石、モルス街の希望の英雄。期待しているよ。さて、行くよ、フェア。歩けるだろう?」

「歩きたくはないが、魔術で移動する力も残っていないから、仕方ないな」


 クロシェとフェアはそうして外へと旅立っていった。彼らのその後を知る術はもうない。

 メイゼンは泣きじゃくるノエを抱きかかえて、アイリーンが待つ場所へと戻った。



 ボロボロのメイゼンと、真っ赤に目を泣きはらしたノエが戻ってきたのを見てアイリーンは全てを悟ったが、泣きたい感情を抑え込んでノエを抱きしめた。


「おかえり、ノエ君。メイゼン。帰ってきてくれて、僕は嬉しい」

「うん。ただいま」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

欠落フォリア しや @Siya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ