この日、見崎は会社を辞めた
湖城マコト
アンドロイド回収業者
高級住宅街の一角に建つ大きな屋敷の前に「
「それではこちらの書類にサインをお願いします」
ツナギ姿の若い男性――
見崎は不具合を起こしたアンドロイドの回収、処分を専門に行っている会社の社員で、この屋敷に住む婦人の依頼で使用人型アンドロイドの回収のためにやってきていた。
「書類上の手続きはこれにて完了です。それで、回収してほしいアンドロイドというのは?」
「あれです。A37早く来なさい」
婦人に命じれ、A37と呼ばれた女性型のアンドロイドが姿を現した。
外見的には20代前半くらいに見える栗色のショートボブが特徴的な女性。体つきはやや細身で、働く際の制服なのだろうか? 黒いメイド服を着用している。
「さあ、早くこの役立たずを連れて行ってください。もう一秒だってこの屋敷に置いておきたくないの」
「まあまあ落ち着いてください奥様」
一応回収に際してアンドロイドに対しても色々と確認する作業がある。婦人が何と言おうとも、仕事の手順は飛ばせない。
「回収業者の者です。あなたの型番は?」
見崎は少しだけ屈み、自分よりも20センチ程背の低いアンドロイドに目線を合わせて質問する。
「A37です」
しっかりとした受け答えだった。外見的には損傷は見られないし、どのような不具合が生じたのか分からない。
「これからあなたを回収します。所有者である奥様から承諾は得ていますが、よろしいですね?」
「はい。奥様がそう望まれるのでしたら、私はそれに従います」
一応の確認作業は完了した。書類にサインも頂いているし、後はアンドロイドを回収し会社に戻るだけだが、
「奥様。ちなみに不具合というのは?」
「社長さんから話を聞いてないの? 余計な詮索はしないでさっさと回収なさい」
婦人と社長は20年来の友人らしく、今回の仕事も予約無しに急遽差し込まれたものだった。本来は社長直々に屋敷に伺う予定だったそうだが、どうしても外せない用事があり、社長は予定の空いていた見崎へと仕事を回した。
『お前はただ回収さえしてくればいい』
見崎は社長に今回の仕事を任された時のことを思い出す。
普段から忙しない印象の社長がいつにも増してキョロキョロとしていたので、何かひっかかりは覚えていたが、不具合について詳しく語ろうとしない婦人の様子を見て疑念はさらに強まった。
「そうですね。私の仕事は回収ですし、余計なことは聞かないでおきましょう」
「利口な社員さんね。そうだちょっと待ってて」
含みのある笑みを見せると、婦人は一度屋敷内へと消え、封筒のような物を持って戻って来た。
「急にお仕事を頼んでしまったから、これはせめてものお詫びよ」
見崎は無理やり封筒を握らせられる。厚みから察するに、10枚くらいは入っていそうだ。
「しかし、こういうものは……」
「今晩は何か美味しい物でも食べて」
「分かりましたよ」
一度深く息を吐くと、見崎は満更でも無さそうに封筒を懐へとしまった。
「本当に物分りが良くて助かるわ」
婦人の言葉には反応せず、見崎は黙々と回収対象のA37をバンの助手席へと乗せて、自身は運転席へと乗り込んだ。
「それでは私は社の方へと戻ります」
「今日は本当にありがとう。社長の上野くんにもよろしくね」
「はい。では、またのご利用をお待ちしております」
形式的に深く頭を下げると、見崎は車を発進させ屋敷を後にした。
「それで、お前は何をやらかしたんだ?」
信号待ちをしながら、見崎は助手席に座るA37へと尋ねる。
仕事柄アンドロイドの不具合については人並み以上に詳しいが、A37には不具合らしい不具合は存在していない。
そもそも業者に回収を依頼する程の不具合とは、身体が修復の見込みが無い程に欠損した場合や、人工知能に致命的なエラーが発生し一切の行動が不能、あるいは人間に危害を加える可能性があると判断された場合などに限られる。
A37に不具合が生じたというのは婦人のついた明らかな嘘だ。婦人は何の問題も無く稼働しているアンドロイドを意図して回収させて廃棄。社長もそれを容認し協力しているという図式が成り立つ。
「……それを言って何になりますか?」
見崎とは視線を合わせず、A37は窓の外の景色を眺めている。
「多少なりとも関与しちまったんだ。理由くらい知りたい」
「物好きな方ですね。こういうことには深入りしない方がいいと思いますよ」
「いいから教えろよ。お前はどうせ数時間後には炉に落とされる。秘密を話した後のことを気にする必要は無いだろう」
「品の無い言い方ですね」
「がさつなのが俺の取り柄でね」
「そういうのは普通は欠点と言うのでは?」
「がさつなくらいがちょうどこともあるんだよ。こういう仕事をしていると特にな」
あまりにも堂々とした見崎の物言いがA37の興味を惹いたようで、これまでずっと外を眺めていた彼女の視線が見崎の方へと向いた。
「信号、青に変わりましたよ」
「お、おう」
信号が青になってから少し経っていたらしい、A37に指摘されるとほぼ同時に後ろの車にクラクションを鳴らされた。
見崎が慌てて車を発進させると、
「いいでしょう。どうして奥様が私を回収に出したのかお教えします」
「そうこなくっちゃ」
ようやくその気になってくれたA37を横目に見て、見崎も微かに笑う。
「私が回収に出された理由を一言で表すならば、悪事を隠すための生贄といったところでしょう」
「生贄ね。何か罪でも着せられたってことか?」
「それを説明するためには、まずは前提となる情報をお伝えせねばなりませんね。奥様とお宅の社長さん、不倫関係にありますよ」
「あらまー」
20年来の友人とは聞いていたが、男女の関係にあったとは流石の見崎も想像していなかった。互いに配偶者がいるので、いわゆるダブル不倫ということになる。
「社長と婦人が不倫をしているとして、お前が処分される話へとどう繋がる?」
「旦那様についてはどの程度知っておられますか?」
「貿易会社の社長で、骨董品の収集家だろう」
あの屋敷の主は地元でも一二を争う富豪だ。この程度の情報は地元人なら誰でも知っている。
「その旦那様の自慢のコレクションを、奥様と社長さんは一か月前から秘密裏に売り捌き、多額のお金を懐に収めています」
「不倫相手と一緒に旦那のコレクションを売り捌くとは、あの奥さんも肝が据わってらっしゃる」
婦人はきつい印象を与えるつり目が特徴的だが、情報を聞いた今となっては内面が外面にまで溢れてしまったのではと思えなくもない。
「しかし、仮にも社長夫人だろ。わざわざ旦那のコレクションになんか手を出さなくても、浮気相手と遊ぶ金くらいはあったんじゃないのか」
「それがそういうわけでもなく、旦那様は奥様がハメを外し過ぎないように制限をかけており、奥様が自由に使えるお金は少なかったようです」
「制限とは言うが、それなりの額だろうに」
納得出来たような出来ないような。金持ちの金銭事情はよく分からなんというのが見崎の率直な感想だ。
「ですが、旦那様のコレクションを売り捌くなんて大それた真似が、そう長く続くはずもありません。ここ数日、旦那様はコレクションの数が合わないことを不審に思い始めていました」
「まあ、ばれない方がおかしいよな」
むしろよく一カ月も気づかれなかったものだと、見崎はそっちに方に驚いていた。
「これには奥様も相当焦ったようです。旦那様に真実が知れれば身の破滅ですから」
「浮気に加えて大切なコレクションにまで手をつけてたとなればな」
離婚どころか、旦那の財力を考えれば社会的に抹殺されてもおかしくはないかもしれない。
「窮地を脱するべく奥様と社長さんが考え出したのは、生贄を用意することでした」
「それがお前さんだと」
A37はコクリと首を縦に振る。
「奥様のシナリオでは、私がコレクションルームの清掃中に誤作動を起こしコレクションを破壊した――となる予定のようです」
「そう上手く行くもんかね? 旦那さんだって馬鹿じゃないだろう」
「……こう言っては失礼ですが、馬鹿です」
「はい?」
思わぬ返答に見崎は頓狂な声を上げて聞き返してしまった。
「旦那様は奥様に非情に甘いのです。コレクションが減った件を気にしてはいますが、それが奥様の犯行だとは微塵も考えてはいません。奥様が私を犯人だと言えば旦那様をそれを信じることでしょう」
「……馬鹿だな」
「はい、馬鹿です」
話しを聞けば聞くほど、A37の未来は摘んでいると思わざるえなかった。
「とにかく、奥様は全ての罪を私に擦り付け、浮気相手である社長さんが経営する会社で私を処分してもらうことで真実を闇に葬ろうとした。それが私が回収される理由です」
「何というか災難だったな」
「……まあこういうこともありますよ」
気まずい空気が流れると同時に、見崎の運転する車は赤信号で再び止まった。
「私は深入りしない方がいいと忠告しましたよ。気まずい雰囲気になられても迷惑です」
「そうだな。まったくもってその通りだ」
そうこうしている間に車は「上野コレクト」社屋に到着してしまった。
屋敷から会社までは3キロ程しか離れていないので、到着するまであっという間だった。
「到着ですか」
静かにそう言うとA37はシートベルトを外し、窓越しに煙の立ちこむ工場のような一角を覗き込む。それこそがアンドロイドを処分するための炉がある施設であり、彼女にしてみればいわば処刑場である。
「さてと」
見崎はロックを外し車から降り立った。それに続き助手席のA37も車から降り立つが、
「お前はちょっとだけここで待っていろ。俺はちょっと事務所に行ってくる」
「私も一緒に行きますよ。その方が手間が省けるでしょう?」
「いいやお前はここで待ってろ。直ぐに戻るから」
釈然としない様子ながらもA37は頷き、社屋には入らず車両の直ぐそばで見崎の帰りを待つことにした。
それから五分程で見崎は車両へと戻って来た。
「待たせたな」
社屋内から戻って来た見崎は、制服でもある社名の入ったツナギ姿から私服であるアロハ柄の半袖シャツにデニムというラフな出で立ちへと変わっていた。
「いったい何をしていたんですか?」
まだ仕事中であるにも関わらず私服に着替えて来た見崎の姿を見て、A37は首を傾げる。
「ついてこい」
「はい?」
見崎は質問には答えず、A37の手を引いた。
「これはどういう? 私はこれから炉に落とされるのでは」
「予定変更だ。とにかくついてこい」
半ば強引にA37の手を引いてやってきたのは、従業員用の駐車場だった。
「このバイクは?」
「俺の愛車だ」
「つまり、どういうことですか?」
「お前を逃がしてやるよ。後ろに乗れ」
A37にヘルメットを手渡し、見崎はバイトの後部座席を示す。
「そんなことをしたら、あなたの会社での立場が悪くなってしまいますよ。私を回収することは社長直々の命令なのでしょう?」
「ああ、そのことなら気にするな。会社なら今し方辞めて来たから」
「はい?」
「話しは後だ。とりあえずこの場を離れよう」
この日、見崎は会社は辞めた。
30分程バイクを走らせた見崎は、隣の市の海浜公園の駐車場にバイクを停車させた。会社からはそれなりに距離を取ったし、そろそろ落ち着いて話をしてもよさそうだ。
「いいかげん事情を聞かせてはいただけませんか?」
バイクから降りるなり、A37は腰に手を当て見崎に詰め寄った。見崎のおかげで命拾いしたのは間違いないが、未だに事情を聞かされぬままなので置いてけぼりな感は否めない。
「お前が処分されるのはおかしいと思ってさ。理由はそれだけ」
「助けていただいたことは素直に嬉しいですが、だからって会社まで辞めてくる必要は……」
「正常なアンドロイドを処分しようなんて考えてる社長の元で、これ以上働けるかよ」
「見崎さん……」
軽い言葉の目立つ見崎だが、この時ばかりは強い意志を感じさせるはっきりとした口調で自らの考えを述べた。見崎が本気だということをA37が理解するには十分すぎる説得力だ。
「意外かもしれないけどさ。俺って、それなりにプライドを持ってアンドロイド回収の仕事をしてたんだよ。不具合を起こしたアンドロイドの回収ってのはそれなりに辛い仕事だ。だけど誰がやらなきゃいけない。誰がやらなきゃいけないなら、俺がやってやろうってさ」
アンドロイド回収業者が回収するのは、再起不能な程に損壊したり、人工知能の異常で人に危害を加えてしまう恐れのある個体だけ。安全性の問題から回収やむなしと判断された場合に限って回収業務を行うことになる。
寿命を迎えたアンドロイドを涙ながらに送り出す家族の姿を目にしたこともあれば、暴走し持ち主に危害を加えたアンドロイドを体を張って回収したこともあった。
人の姿をしたアンドロイドを回収し処分する仕事には当然抵抗があった。それでも必要な仕事だからと割り切り、見崎はがさつな振りをして、今日まで業務に勤しんできた。
だがA37の件はどうだろうか? 彼女は何の異常が無いにも関わらず、持ち主が犯した罪を隠すための生贄として差し出され、あろうことか務めていた会社のトップがそれに加担していた。
プライドを持ってこの仕事をしてきた見崎にとって、それは許しがたいことだ。もしかしたら見崎の聞き知らぬところで、社長はこれまでにも異常の無いアンドロイドの処分を請け負ってきたのかもしれない。
「アンドロイドの回収し処分する仕事が絶対に必要だ。だけど、俺達が扱っているのは固有の人格を持った命だ。間違いはあってはいけない」
「私のような?」
「そうだ。お前が処分されるは絶対に間違いだ。俺はそう断言する」
あんな会社にはもう一秒だって居たくはない。
A37が廃棄されるのも見過ごせない。
見崎が導き出した結論は、会社を辞め、なおかつA37のことも逃がしてやるという道であった。
「……嬉しい」
表情を悟られたくないのだろう。A37は俯いたまま声を震わせた。
「こんなに優しい人に会ったのは、生まれて初めてです」
「優しくなんかねえよ。信念というか何というか。とにかく、社長たちのやろうとしたことは許せないだけだ」
優しいなんて言われた経験が少なく、見崎は気恥ずかしさのあまり目線を逸らして明後日の方向を見やる。
「……でも、私が予定通りに処分されていないと分かれば、社長さんたちが黙っていないのでは?」
「それは大丈夫だろ。社長たちのやろうとしたことは法に触れるから、お前の存在を公にすることは出来ないし、お前の姿が街から消えればとりあえずは満足するんじゃないか?」
婦人と社長からすれば、罪を擦り付けたA37という存在が消えてくれさえすればいいのだ。一生顔さえ会わせなければ、それで問題は無いはずだ。
「これからの人生を、私はどう歩いて行けばいいのでしょうか?」
「ゆっくり考えればいいさ。俺も協力してやるから」
いつの間にか夕日が沈みかけ、海を茜色に染め上げていた。
「そういえば、お前に名前はあるのか? 毎回お前って呼ぶのも違和感があるし」
「固有の名前はありません。奥様も旦那様も、私のことはメイドと呼ぶだけでしたし」
「流石にそれはいかんな。名前は必要だ」
「でしたら見崎さんがつけてくださいよ。あなたは私の第二の人生を開いてくれた親みたいなものですから」
「妻も恋人もいないまま親になるとは思わなかったな……しかし名前をつけるにしても――」
腕組みをして見崎は必死に考え込む。30秒程経過したところで見崎は腕組みを解いた。
「アミナ」
「アミナですか?」
「ああ、A37の語呂合わせなんだが、どうかな?」
単純すぎて流石に嫌かなと思い見崎は不安気に頭をかいた。
「可愛い響きです。最高ですよ、アミナ」
思ったよりも好印象だったようで、A37改めアミナは、初めて手に入れた自分だけの名前を何度も復唱した。
「それじゃあアミナで決まりだな。俺のことも好きに呼んでくれて構わない」
「では……お父さんで」
思わぬ発言に、見崎は思わず吹き出してしまった。
「何でそうなる!」
外見的には見崎とアミナの年齢は大差ない。そんな彼女に「お父さん」と呼ばれて困惑しないはずがない。
「名づけ親ですしお父さんと呼ぶのも有りかなと思ったのですが、変ですかね?」
「ああ、違和感バリバリだから出来れば違う呼び名で頼む」
「では、見崎さんで」
「ああ、それがいい。正直落ち着く」
見崎呼びで正式に決まり、お父さん騒動は無事に? 収束を迎えた。
「見崎さん。これからどうされますか?」
「そうだな。とりあえず飯でも食いに行くか」
ニヤリと笑うと、見崎は懐から屋敷を出る際に婦人から口止め料として受け取った封筒を取り出した。
「ちゃっかり持ってきたんですね」
「俺とお前の退職金ってことでいいんじゃないか。10万くらい入っていると思うし、高級店ってのもありだな」
「いいですね」
アンドロイドも普通の人間のように飲食をすることが出来る。人間のように食べ物から栄養素を取る必要は無いが、味覚は存在し嗜好品として食を楽しめる。美味しい物を食べるという提案はアミナにとっても魅力的なのだ。
「さてと、お札の枚数はと――」
見崎が封筒を開けて中から10枚の札を取り出すと。
「……全部千円札ですね。トータル一万円です」
「あのおばさんケチくさ!」
見崎は思わず叫んでしまった。口止め料にしては安すぎる。
高級店に行くという話は夢だったということにしておこう。
「……予想とは違ったけど、とりあえずどこかで飯にするか」
「そうですね」
見崎はバイクにまたがり、後部にアミナを乗せる。
これからどうするべきなのか、どこへ向かうべきなのか、現時点では何も決まっていない。
けれども焦る必要は無い。考える時間は幾らでもある。
何よりもまずは腹ごしらえだ。小難しいことは満腹になってから考えればいい。
「ファミレスか食堂でいいか?」
「はい。見崎さんにお任せします」
沈みかけの夕日をバックに、見崎は飲食店街の方へと向かってバイクを発進させた。
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