第4話





 壁のような建物が建ち並ぶ商店街を抜けると、艶々した緑が鮮やかな田園地帯に出た。


 その田んぼの真ん中に、1つの建物がある。



「ここ」



 そう言って、まほらは田園地帯の中央にある大きな茅葺屋根の屋敷の前で立ち止まった。


 屋敷の玄関の前には、大きな桶が置いてあり、その桶の中にはたっぷりと冷たそうな水が湛えられ、真っ赤なトマトが浮かんだり沈んだりしている。



「おはようございます」



 まはらは、仲の良い祖父母の家に上がるみたいに、気兼ねなく屋敷の中に入って行った。そして裕二も恐る恐る後について入る。


 この屋敷の主は、一体何の動物の姿をして現れるのだろうか。とりあえず、これ以上心臓に悪いのはごめんだ。



 薄暗い畳の部屋の中央に、囲炉裏がある。


 その囲炉裏の向こうに、1人の老人が座っていた。痩せた頬に伸びた眉毛、丸まった背中で老人だと分かる。しかし、そこに座っているのは人間の老人ではなく、犬の老人だった。いや、老犬と言うべきなのか? 先の蝉人間と同様、顔など見た目は動物なのだが、身体は人間のような造りになっている。犬人間だ。



「おや、お客さんかい」



 犬人間は、お爺さんのような声で喋った。その声には、長い年月を生き抜いてきた風格のようなものが感じられる、か細いが重みのある声だった。



「あ、はい……はじめまして。千曲裕二と申します」



 どうして良いか分からず、ちぐはぐな自己紹介をしてしまう。犬人間は、長い眉毛の下から鋭い眼球を覗かせて裕二の顔を見た。



「わしはタロウじゃ。よろしくな、裕ちゃん」



 タロウ? 裕ちゃん?


 裕二は、頭が混乱して言葉が出なかった。



「まぁ、座りなさい。まほらも、お菓子食べるかい?」


「はい」



 まほらは言われた通りに囲炉裏の傍にちょこんと座った。裕二も、ぎこちない動作で畳に正座する。



「裕ちゃんや、足を崩しなさい」



 タロウは優しく言う。



「は、はい」



 裕二は、どこか脚を痛めているかのようにぎこちなく姿勢を変えた。すると、今度は白地に朝顔の模様がある着物を着た猫人間の(おそらくはお婆さんが)、お盆に乗せた和菓子とお茶をもって来てくれた。



「どうぞ」



 猫人間のお婆さんは、柔らかい声と笑顔で裕二とまほらの前にお茶と和菓子を差し出した。



「ありがとうございます」



 裕二はクイッと頭を下げた。お婆さんは優しく微笑むと、また奥の部屋に消えていった。


 優しく微笑んだが、明らかに猫である。



「まぁ、お茶でも飲んでゆっくりしていきなさい」


「あ、ありがとうございます」



 オレンジ色の花柄がついた透明なガラスのコップに、お茶らしき液体が並々と注がれていた。


 中には氷も入れられており、すこしコップの表面に水滴がつき、とても美味しそうだった。



「いただきます」



 とても香ばしく、さらっとした舌触りのお茶だった。初めて味わうような、それでいて何か懐かしい感じがする。


 まほらは、両手で大事そうにコップを持って口に運んだ。


 続いて、お菓子を手に取る。


 鮮やかな水色をした羊羹だ。



「おいしい」



 思わず言葉が出る。


 それほどに甘美な味わいだった。口に含んだ瞬間に、爽やかな甘みで身体が満たされた。



「それはよかった」



 タロウは嬉しそう微笑んだ。



「タロウ爺、裕二を村人にして」



 俺が村人に?


 っていうかこの少女、年上の俺をいきなり呼び捨て!?



「うむ。覚悟は出来てるのかの、裕ちゃん」



 再び、タロウは鋭い目つきになった。


 村人? 覚悟? 


 村人になったら帰れなくなる、とかそんなことになったりしないのか。裕二は混乱し、まほらの方を見た。


 まほらは、なにも言わずに頷いた。


 裕二は、運命をこの少女に託すしかなかった。



「はい、覚悟はあります」


 沈黙。



 どうしよう、拒否されて元いた世界に強制送還、ってことにならないかな……


 黙って見つめ合う、裕二とタロウ爺。


 屋敷の外から、ひぐらしの鳴き声と共に、涼しい風が吹き込んできた。



「よかろう。これを飲みなさい」



 そう言うと、タロウは囲炉裏の中に突っ込んであった灰かき棒を持ち、釣り竿で当たりがあった時のように軽くグイッと引き上げると、囲炉裏の灰の中から小さな赤い玉のようなものが飛び出し、それは空中で弧を描くと、そのままポカンとしている裕二の口の中にホールインワンした。



「あ……あがが、うぐっ!」



 裕二は赤い玉を飲み込んでしまった。


 苦しそうに喉を抑える。



「ほほほ、大丈夫だて。果実じゃ」


「は、はひ……」



 裕二は顔を青くさせてお茶を一飲みした。


 その光景を見て、まほらはクスッと笑った。


 初めて見るまほらの笑顔に、裕二はせき込みながらも、落ち着きを取り戻した。



「こ、これは?」


「仲間のしるしじゃ。ようこそ、イトの村へ、裕ちゃん」


「は、はぁ」



 タロウは、二カっと微笑んだ。









 タロウの屋敷を出ると、まほらは商店街の方とは反対側に歩き出した。


 裕二は、黙ってその後に続く。




 屋敷の裏には畑があり、トウモロコシが立派に実っている。


 裕二は、となりのトトロでメイがトウモロコシを抱えているシーンを思い出した。



「トウモロコシ、美味そうだな」



 独り言のように言うと、まほらが立ち止まった。



「うん、どうした?」



 まほらは、トウモロコシ畑の方を指さす。



「食べる」



 そう言うと、まほらは足早にトウモロコシ畑の角を曲がって姿を消した。



「ちょ、どこにいくんだよ」



 裕二が走ってトウモロコシ畑を曲がると、そこには体育祭で使うような白いテントが張ってあり、その下で収穫したトウモロコシが並べられていた。


 トウモロコシが並べられている台の横には、網が乗せられた七輪が置かれている。その奥で、うちわで扇ぎながらパイプ椅子に座っているのは、バッタ人間だった。


 バッタなのに、腰が曲がっており、頭には手ぬぐいを巻いている。



「おばあちゃん、こんにちは」



 おばあちゃんなのか? 


 タロウのように哺乳類ならまだ分かる気がするが、昆虫の場合年齢の判別は難しい。



「こんにちは。とうもろこし食べるかい?」


「うん」


「あんたたちなら、焼いた方が美味しかろう」



 そう言って、バッタのおばあちゃんは網の上にトウモロコシを2つ乗せた。


 トウモロコシの上にタレを塗ると、醤油タレの良い香りがした。口の中に、唾液が溢れだす。



「あいよ、熱いから気を付けてね」



 トウモロコシの皮にのせて、手渡してくれた。



「ありがとうございます、あちち」


「まぁ、気を付けてね」


「はい。あ、お代はいくらですか?」


「お代?」


「はい、トウモロコシのお代です……お金」


「お金ってなんだい?」


「裕二、大丈夫。あっちの木陰で食べよう」


「あ、うん」



 裕二はトウモロコシを危なっかしく持ちながら木陰に向かった。


 バッタのおばあちゃんはニコニコ笑っていた。





 少し歩くと、透き通る綺麗な水が流れる小川があり、その傍に大きな木が優しく揺れていた。


 まほらは木陰になっている木の下まで行くと、木に背を向けてそのまま座った。


 そして、裕二に向かって小さな手を伸ばすと、指先を折り曲げ、おいでの動作をした。



「お、おう」



 裕二も、同じようにして、まほらのとなりに座った。



「食べよ」



 まほらは裕二の方を見て言った。



「うん」



 そして、今度は焼きトウモロコシの方に視線を移す。



「いただきます」



 可愛らしい声でそう言うまほら。


 続いて、裕二も言う。



「いただきます」



 まほらが小さな口でトウモロコシにかぶりつくのを見て、裕二もトウモロコシをかじる。



「うまい……!」



 一粒一粒が口の中で弾け、自然な甘みが口の中を満たす。そして主張し過ぎない醤油タレも良いアクセントになり、トウモロコシの粒と絡み合う。



「こんな美味いトウモロコシ、食べた事ないよ」



 子供のようにトウモロコシにかぶりつく裕二。


 まほらはちょこんと両端を持って綺麗に食べている。


 裕二は、あっという間に平らげてしまった。



「はぁ、美味かった」



 ゆっくりと丁寧に食べるまほらは、まだ食べ終わっていなかった。


 裕二は、まほらを焦らせてはいけないと、そっとトウモロコシの芯を隣りに置き、空を見上げた。


 異世界の空は、太陽が2つあるということもなく、裕二の知っている夏の空だった。


 今は、かろうじて竜のような変な生物も飛んでいない。




 ふと思い出し、裕二はポケットからスマホを取り出す。


 時刻は変わらず00:00を標している。



「それは何?」



 トウモロコシを食べ終えたまほらが、裕二のスマホを不思議そうに眺めている。


 スマホだけど……



「異世界には……スマホはないよな」


「すまほ?」


「うーんと、電話とコンピューターが合体したようなやつなんだけど」



 そんなこと言っても分からないか。


 第一、ここは異世界……



「それが、電話?」


「電話、知ってるのか?」



 裕二が本気で驚いたような素振りを見せると、まほらは頬を膨らませて少しムスッとした。



「それくらい知ってる」



 それを聞くと、裕二は少し得意気になった。


 俺の世界のハイテク技術を、この異世界の美少女に見せつけてやろう。



 ドヤ顔になった裕二だったが、しかし、ネットがないこの異世界では、裕二のスマホはただの鉄の板と化していた。



「むむむ……」



 苦し紛れに裕二は披露したのは、写真機能だった。


 写真のアプリを起動させ、目の前の田んぼの景色を撮影する。



「おぉ……」



 まほらは、その大きな瞳を輝かせて、田んぼのあぜ道が写ったスマホの画面をのぞき込む。



「更にこうすると……」



 裕二は、スマホのカメラをアウトカメラからインカメラに切り替えた。


 スマホの画面に、裕二とまほらの覗き込む顔が表示される。



「わたしの顔が、鏡見たいに映ってる……」



 裕二は何げなく、スマホを握っている手を、斜め上に伸ばして構えた。自撮りの要領である。


 スマホの画面には、少し上目遣いの裕二とまほらが映っている。


 まほらは、少しだけ裕二の方に顔を傾ける。


 裕二は、ボタンを押してシャッターを切る。


 スマホの液晶には、おっさんの領域に首までどっぷりと突っ込んでいる三十路間近の裕二と、まだ10代前半の浴衣を着た純真無垢な美少女が寄り添って写っている。


 恋人とも滅多に自撮りなどしないのに、こんな年端も行かない少女と……



 裕二は、色んな意味で自責の念に囚われた。



「現世の電話は、面白いな」



 まほらは、ツーショット自撮りの写真を見て微笑んでいる。


 その横顔を見て、裕二は年甲斐もなく、頬を赤く染めた。



 若い娘と一緒に写っているせいか、裕二もなんだか若く見えた。




「寄り道になっちゃった、ごめん」



 まほらは、背を丸めて言った。



「寄り道?」


「うん、裕二を悪い夢に連れて行かないといけないのに」


「悪い夢?」


 と祐二が尋ねる。



「そう、みんなはそう呼んでる」


「それは、どんなところなの?」



 裕二は、何か、禍々しい地獄のような場所を思い浮かべた。



「あの、黒いお城」




 そう言って、まほらは、白く小さな人差指を、トウモロコシ畑の遥か向こうに鎮座する、黒いお城に指さした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夏の日、邂逅 竜宮世奈 @ryugusena

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ