第3話






 無機質な、何の面白味のない白い壁。


 整然と並べられた、パレットの上に積まれた樹脂の箱。


 高い天井から吊り下げられている電灯。


 狭い通路を縦横無尽に走るオレンジ色のフォークリフト。


 作業着を着て帽子を被った男は、1畳ほどの限られたスペースの中で動き回りながら作業を行っている。



 男の前にはベルトコンベアーが敷いてあり、次々と男のもとに銀色に輝く鉄の部品が運ばれてくる。男は、目の前に運ばれて来た部品を加工する。その作業は、絶え間ない連続性を伴っており、決して途切れる事はない。


 男は、慣れた手つきで作業をこなす。そこには、なんの個性も必要とされない。ただ、決められた通りに作業をこなす。男は分かっている。それが、大きな組織の中で働く、ということ。



 しかし、次の瞬間、今まで休むことがなかった手が動きを止める。ベルトコンベアーに乗って、1つの奇妙な物体が、部品と部品の間に流れてきた。それは、半透明の、大きな虹色の翅を持った、何かだった。男は手に持っていた工具を投げ捨て、それを大事そうに両手で拾い上げる。目の前が、強い光を浴びたように真っ白になっていく。








 闇の中に、ちらちらと細い光が覗く。



 裕二はゆっくりと瞼を上げた。


 光の正体は、小さい窓から漏れてくる日の光だった。



 軽いうめき声を上げて、身体をよじらせる。背中に感じる、畳の感触。


 そうだ、ここはじいちゃんばあちゃん家――ではない。




 裕二は、勢いよく上半身を起こした。


 そこは、薄暗い4畳半の小さな部屋だった。


 そっと立ち上がり、小さい布で覆われている窓の前に立った。


 恐る恐る布を捲る。



 窓のすぐ下は崖になっており、森がある。


 しかし、そこにあるのは昨晩見たような深い森ではなく、眼下に広がるのは大きく開けた緑豊かな田園風景と、田園地帯の中にある小さな村。その平地を挟んで向こうの山には、右側に鮮やかな朱色の五重塔があり、反対の左側には大きな黒い日本のお城が建っている。立派な天守閣だ。



 じいちゃんばあちゃんの地元に似ているが――違う。



 やっぱり、昨日のは夢じゃなかったのか。


 短パンのポケットから、スマホを取り出す。時間は00:00のままで動かず、圏外になっている。



「はぁ……」


 裕二がため息をついて頭を抱えていると、入り口の襖がガラッと横にずれた。


 振り向くと、そこには赤い浴衣に身を包んだ、まほらが立っていた。日の光に照らせれて、白い顔が際立って美しく見える。



「起きた」



 抑揚のない声でそう言った。



「あぁ、おはよう……夢じゃ、なかったんだな」


「夢とは、少し違う」



 そう言うと、まほらは身体を右に傾けて、左手をこちらに伸ばしておいでおいでのジェスチャーをした。


 ついて来い、ってことだよな。


 裕二は土間に脱いであったクロックスを履いて、小屋の外に出た。



 強い日差しと共に、突然視界が明るくなり、眩暈を覚える。思わず額に手の平をかざして光を遮る。



「大丈夫」



 疑問符を付けずに尋ねるまほら。


 うん、大丈夫。と答えた。



「村へ行く」


「村?」


「村長さんに挨拶に行く。そうしないと、魔物に食われてしまう」


「ま、魔物がいるのか」



 裕二は少し腰が引けた。


 魔物って……



 まほらはすたすたと歩き始めた。裕二は後頭部を右手でガサガサとかきながら後に続いた。




 突き抜けるような青空に浮かぶ、その奥にラピュタを隠していそうな入道雲。


 空はリアル世界と同じなんだな、と思ったら、雲のまわりを大きな長細いものが漂っている。


 もしかして、ドラゴン? 


 やはり、ここは異世界に間違いないみたいだ。




 まほらと裕二は、昨日来た道を逆に進んで村に下っていく。崖とは反対の石垣には、まだ提灯がぶら下げてある。火は灯されていない。


 そして、下に続く石造りの階段。


 俺は、ここを通って異世界に来ちゃったんだよな。


 いつかの村上春樹の小説みたいに、ここを逆に下れば元いた世界に帰れたりして――そんな事を考えながら階段を降りていくと、無事に階段を下りきり、田んぼのあぜ道に降り立った。



 やっぱりそんなに簡単に帰れたりしないか。




 まほらは無言でずんずんと田んぼ道を進んで行く。頭にのせた髪飾りが、きらりと揺れている。


 日差しは強く、完全に夏のそれであったが、不思議と心地の良い暑さだった。普段汗っかきな裕二だが、この時はまったく汗をかいていなかった。



 暫く歩くと、高めの生垣で囲まれた村に着いた。一見すると、田舎にある金持ちの家、という雰囲気だが、中に入ると景色は一変した。


 中央にまっすぐに伸びる、舗装がされていない道を挟んで、両サイドに木造の2階建ての長細い建物が雑多な雰囲気で奥まで並んでいる。


 村に入ってすぐの建物には、レトロなデザインの看板が軒先に取り付けられている。どうやら、何かのお店のようだ。


 その店頭には、色とりどりの果物のようなものが並べられている。向かい側の店舗には、赤い暖簾の奥に、横に伸びるカウンターが見える。カウンターの中から立ち上る湯気の香りが、風に乗ってやってきて胃袋を刺激する。何やら美味しそうな匂いだ。そして、その建物の隅におかれた、ずんぐりとした円柱型の真っ赤な郵便ポスト。


 この景色はまるで――



「昭和村かよ」



 そんな感想を抱き、1歩村に足を踏み入れると、別の空間に移動してしまったような感覚にとらわれた。



 いや、おかしい。



 山の上の小屋から見下ろした村と、実際足を踏み入れてみたこの村とでは、明らかに大きさが違う。空間の規模が違う。まるで、RPGでフィールドから街の中に入った時のようだ。



 まぁ、異世界だからそんなこともあるか――



 その事実を普通に受け入れてしまうあたり、裕二の異世界に対する思考は柔軟だった。



 なにか懐かしい雰囲気がする、そんな街並みを眺めていると、不意に、目の前に少年が立っていた。まほらと同い年くらいの、短髪で強気な瞳を持った少年だ。少年は、着古された紺色の甚平を着ている。


 少年は真っ直ぐな瞳でじっと裕二の顔を見つめ、そして視線をまほらに移した。



「久しぶりだな」



 そう一言、呟くように言うと村の中に走って消えた。


 久しぶり?


 俺はお前みたいな生意気そうな小僧は所見だぞ。

 

 あ、まほらに言ったのか。



「友達?」



 裕二がまほらを見下ろして尋ねる。



「そんなところ」



 まほらはまるで少年のことを気にせずに、また歩き出した。


 裕二は、しきりに首を左右に振りながら歩く。村の雰囲気は、完全に昭和感全開だった。今どき、こんな街並みは存在しない。懐古趣味がある裕二にとっては、少し嬉しくなる景色だった。



「おはようございます」



 反対側から歩いてきた人に不意に挨拶をされ、反射的に返事を返そうとした裕二だが、言葉が喉のあたりで詰まって胃に逆流してしまった。


 裕二に挨拶をしてきた村人であろうその人物は、裕二と同じように服を着て直立2足歩行をしているが、顔は、明らかに人間ではなかった。左右で離れ気味の、少し飛び出た大きくて丸い瞳。固そうに角ばった輪郭。マスクのような口。半袖のシャツから伸びる、やたら細い茶色い腕。


 それは、紛れもない、蝉だった。


 蝉。


 でっかい蝉が、2足歩行して、服を着て、流暢な日本語で挨拶してきたのである。



 蝉人間は、裕二の驚きを察しているかのように、優しく微笑んで「今日も暑いですね」なんて言いながらすれ違っていった。



「か、彼は……?」



 裕二は口をパックリと開けたアホ面でまほらに訊ねた。



「あの人はこの村の住む田代さん。いい人」


「ひ、人? 人間なのか? 仮面ライダー的な?」


「人間、ではない。蝉さんだ」


「は、はぁ……」



 裕二が異世界に来て3人目に出会ったのは、蝉人間の田代さんだった。


 まほら曰く、いい人らしい。



 この後も、カブトムシ人間や、鳥人間と遭遇し、その度に裕二は残念なブサイクフェイスを盛大に晒した。


 その度に、まほらは抑揚を欠いた話し方で、一風変わった村人達を裕二に紹介」してくれた。

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