腐れ探偵 最後の推理 ――消えた石崎くん
水草めだか
第1話
【出題編】
6年1組の教室の黒板の上に掛けられた時計の針は、8時9分を指していた。
――おかしい。何かがおかしい。大切な、そう大切なことを忘れている気がする。それに、いつもより教室がうるさい。これは、もしかして事件の前触れだろうか?
廊下側の一番後ろの席に座る、マッシュルーム頭の眼鏡男子・山村は、そう考え込んでいた。
「あの、山村くん」
ふと気がつくと、山村の席の横にはボブヘアーの女子、矢島が立っていた。
「何?」
「朝のプリントの件だけど」
「そうか……。そうだったのか。違和感の正体はプリントだ! プリントが無いんだ」
山村はそう叫び、両手を叩いた。そして、叩いた右手をスライドさせて、塩田の顔に人差し指を突きつけた。
そう、いつもならこの時間にやっているはずの、朝のプリントがないのだ。
6年1組では、担任の田中先生が教室に来る15分前、つまり毎朝8時00分からプリント問題を解くことになっている。プリントとはいえ、5分もあれば終わる簡単なもので、提出は不要、採点は自己採点。やらなくても担任の田中先生から怒られることはない。
これは、来年から始まる中学生生活に備えて、時間を有効に使うという目的のために、6年になってから始まった朝の習慣だった。
プリントは職員室の田中先生の机の上に置かれてあり、日直の男子がそのプリントを取りにいく決まりになっていた。
「まったく、誰だ? 今日の日直は」
山村は椅子に座ったまま、黒板の右下側に書かれてあるはずの日直の名前を確認しようとしたが、前の席に座る子の頭部が邪魔で見えなかった。
しょうがないので、体を左に傾けて見ようとしたその時、矢島が口を開いた。
「私と山村くんだけど」
「なっにィイ」
思わず立ち上がった山村の視界に入ったものは、黒板の右下。そこには確かに『日直 山村 矢島』と書かれていた。
「くっ! 僕としたことが!」
山村は教室を飛び出て、廊下を走り、階段を駆け下りた。
遠い、遠い。職員室までが遠い。3階にある6年1組から、職員室のある1階までなんと遠いことだろう。
「すいません。忘れてました」
「次から気をつけてね」
山村は職員室に入り、6年1組担任の田中先生からプリントを受け取り、廊下に出た。
そして階段を登ろうとした時、廊下の向うに見知った背中を見た。
坊主頭のずんぐりとした男子。遠目にはハゲのゴリラのように見える。
ゴリラは、その容姿とは裏腹に、怯えた小動物のように、しきりに周囲を気にしているようにみえた。
そしてゴリラは、児童が掃除以外では入ることを禁止されている場所へと消えた。
!?
「ふーん。そういうことか……」
山村は誰に聞かせるということもなく、一人呟いた。
山村が教室に戻ると、時刻は8時13分になっていた。
もうプリントを解く時間はないが、それでも配らなければならない。
さささと配り、さささと席に座った。
それから2分後、8時15分になって、今年教員生活30年目を迎える田中花江が、いつものように教室に入り、いつものように教壇の前に立った。
「はーい、静かにしてね。……じゃあ出席を取ります」
長年に渡る教員生活の中で大声を出し続けたせいか、すっかりしわがれてしまった不快な声で、そう言った。
「青木康介くん」
「はい」
「秋山昇太くん」
「はい」
田中先生は、出席簿に書かれた児童の名を順に読み上げ、返事のする方へと視線をやる。
そして児童の姿を確認すると、出席簿に『○』と記入した。
「石崎武くん」
田中先生はその名を呼んで数秒待ったが、石崎からの返事はなかった。
「石崎くん?」
そう言うと同時に田中先生は顔を上げ、本来なら石崎が座っているはずの窓側の一番後ろを確認したが、そこには誰の姿もなかった。
田中先生は首を傾げた。
「変ねえ。保護者から休みの連絡は来てないけど」
教室がざわめき、児童たちは好き勝手に喋り始める。
「さっきまでいたよね」
「気分悪くなって保健室行ったんじゃない?」
「まさか。あのハゲゴリラが?」
「はい、みんな黙っ――」
田中先生がそう言いかけた時、山村が手を上げた。
「ミステリは全て解けました。そしてトゥルースはいつも一つです」
「何言ってるのかわからないけど、知っていることがあるなら教えて」
「いいでしょう」
山村は、眼鏡のブリッジを右手中指で押し上げ、ゆっくりと立ち上がった。
「真相を説明する前に……。皆さん、黒板を見てください。今日の日直は誰でしょう」
黒板の右下には、『日直 山村 矢島』と書かれてあった。
「そうっ! 日直は、僕と矢島さんです。日直が学校に来て最初にすることといえば……。そうっ! 職員室からプリントを取ってくることです」
それがどうしたと言わんばかりのクラスメート達の顔を見廻し、山村は咳払いをした。
「恥ずかしながら、僕は自分が日直であるということを忘れておりましてね。だいぶ遅れて、1階にある職員室までプリントを取りに行きました。あれは8時10分を少し過ぎた頃だったでしょうか。……職員室を出た後、職員用トイレに入っていく石崎君の後ろ姿を見ました」
【作者からの挑戦状】
謎を解く手がかりは全て提示された。
君は石崎失踪事件の裏に隠された真相を見抜くことが出来ただろうか?
わかった貴方も、わからなかった貴方も、解決編へと進もう!
【解決編】
山村は再び咳払いをした。
「皆さんご存知のように、児童が職員用トイレを使うことは禁止されています。使うと怒られます。だから普通は使いません」
周囲がざわめく。どうやら勘の良い児童は気づき始めたようだ。
山村は得意気に頷き、続ける。
「しかし、石崎君は職員用トイレを使ったのです。それも、そろそろ朝の会が始まろうかという、時間的な余裕がない状況でです。なぜ彼は、3階から1階の職員用トイレまでわざわざ行ったのでしょう? ……そうっ! 人目を避けたかったからです! ではなぜ、人目を避けたかったかというと――」
「もういいわ。わかった、ありがとう。山村くん」
田中先生は右手を顔の高さまであげて、饒舌に喋る山村を制止しようとした。
しかし、山村は首を横に振った。
「僕に真相を話すように依頼をしたのは、他でもない田中先生、貴方ですよ?」
「その依頼は取り消すわ。もうやめてちょうだい」
「それはできません。どんな残酷な結果になろうとも、真実を暴き出す。それが探偵の宿命ですから」
「あのね、あなた、いい加減に――」
「つまり、石崎君は! ウンコをしに行ったのですっ!」
山村は得意げな表情で、両手を広げてそう言った。
田中は深い溜息をついて、両手で頭を抱えた。
「以上、証明コンプリートです。ご静聴ありがとうございました」
山村は右手を胸に当て、恭しく礼をした。
溜息に包まれた教室に、一人の男子の声が響き渡る。
「山村ぁ、てめえ」
「む!」
山村は声の方を向いた。
山村のすぐ右、教室の後ろ側のドアには、顔を紅潮させて、指の骨をパキパキと鳴らすハゲゴリラの石崎がいた。
焦って拭きそこねたのだろうか、石崎からはかすかに糞の臭いがした。
【エピローグ】
一時間目の授業は、国語から学級会へと変更された。
学級委員長である女子・二宮が、白いチョークを黒板に走らせる。
『山村 被害者の会』と書かれた黒板を背に、学級副委員長の男子・大下が口を開く。
「えーっと、じゃあ、山村くんに嫌な目にあわされたことがある人、挙手して発言してください」
すると、「はいっ」「はいっ」「はいっ」と、一斉に手が上がった。
「じゃあ俺からな! さっき、俺は小便しにいっただけなのに、ウンコしてるって言いふらされた! 俺、小便してたんだぞ! 本当だぞ!」
「図書室で『緋色の研究』を読んでいたら、真相をばらされた」
「僕なんて好きな子をばらされた」
「『超探偵ロナン』の黒幕がクリスティ博士だとか、実はミツピコもクスリで小さくなってるとか、毎週聞かされます」
「俺の家に遊びに来た時、本のカバーを全部外された。『中身入れ換えトリックでエロ本隠してるんでしょ』とか言ってたなあ」
「雑誌のクロスワードパズルを解いていたら、『初歩的な暗号だよ』って言って、ボールペンで答えを書き込まれました」
「私の友達が巾着を持ってトイレ行こうとしたんですけど、中身が何かしつこく聞かれてました」
「えーっ、サイテーっ!」
山村の顔は青くなったかと思うと、赤くなった。そして赤くなったかと思うと、また青くなった。そのうち紫になるのではないかと思われたが、途中で顔を伏せたため、それは確認できなかった。
その日の彼は、一日中顔を伏せていた。
休み時間も、給食時間も、昼休みも、誰も彼の相手をする者はいなかった。
彼が再び顔を上げたのは、下校時間をとうにすぎた午後4時30分になってからだった。教室には誰も残っていなかった。
彼は夕日を背に、肩を落としてとぼとぼと帰路についた。
それから、彼が推理をすることは、二度となかった。
FIN
腐れ探偵 最後の推理 ――消えた石崎くん 水草めだか @mizukusamedaka
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