川に浮かぶ月の向こう側へ

★2503年 3月12日夜 ヒューパ帰途道中 ゲネス


 ガラガラガッガラガッガラ


 ゲネス達は馬車に揺られ、月に照らされた夜の街道をひた走る。


 俺たちより先行して帰った姫様の後を追いかけ、夜通し馬車での移動だ。

 以前なら、夜の街道には魔獣や山賊が出るのが当たり前だった、だが俺達や男爵様達の徹底した魔獣討伐の成果のお陰で、夜の街道でも馬車は進むことが出来る。

 先日は、巨大な火炎熊の一撃で死にかけたが、ポーションと姫様が変えてくれた救護方法とのお陰で助かったようだ。

 多少、ポーション酔いの頭痛は酷いが、死なずに済みそうでホッとしている。


 先頭車の荷物の上に座り、隊列の様子を見ながら風に当たっている。

 ちらりと隣りに座るホリー先生の横顔を見る。

 彼女のいい匂いが、夜風に乗って届いてくる。

 昨日の先生の俺への態度を見れば、彼女が俺に多少なりの気を持ってくれているのは分かる。これでもホラの貧民街の裏稼業では顔役をやってた、女に不自由しなかったからな。

 そんな先生なのに、俺が気を向けようとすると、身を硬く閉じて避けようとする、何かに耐えているような物が顔の奥に見えていて、俺も肝心のあと一歩を踏み出せないまま、馬車に揺られてヒューパの城へと帰っていた。


「あ、あの……」

「何ですか、先生」


 一度話しかけたホリー先生の口の奥に何かがつっかえて、次の言葉が出てこないようだ。

 俺は、彼女の口がもう一度開くのを待つことにする。


「私、ゲネスさんの気持ちに答える資格がないのです」

「資格なんかどうだっていいですよ、先生、去年までの俺をご存知ですか? 裏稼業の汚れ仕事をやってました。資格を言うならこの手の方が無いんですよ。そんなもんとっくにクルツァ川に投げ捨ててます」


 馬車は走り続けている、車輪のたてる音は大きく2人の間の会話は、他には聞こえないだろうから、俺も自分の事を彼女に話す。


「ち、違うんです、本当に私には無いのです……私は裏切り者です」


 えっ……裏切り者?

 さすがに聞き捨てる事ができない言葉だ。


「……裏切り者とは?」


「多分私は、今度の件に関係しています……去年の砂糖完成パーティーの夜、私の過去を知る元ホラの城にいた騎士が現れ『お前の秘密をバラすぞ』と言われました。それから姫様の周辺の情報を渡していました。姫様を危険にさらす訳にはいかなかったので、姫様の行動予定のような事は分からないと拒み続けましたが、砂糖の作り方の一部は教えてしまったのです」


 俺は彼女の目の奥のゆらぎを見逃すまいと、瞬きもせず見つめていたが、どうやらホリー先生は嘘をついてはいないようだ。

 裏稼業の時代、何人も嘘をついて窮地から逃げようとする男も女も見てきた。

 どいつも最後の時になると、必死で嘘を付いて自分の罪を軽くしようと足掻くが、彼女にはそれがない。


「先生が裏切る理由が分からんよ、なんでだ? 過去の秘密とはなんだ?」


 自分でも少し声がキツくなっているのが分かって、余計イラつく。


「私の本当の名前は、ルラメイと言います。そして……父はホラ男爵イエルク」

「はい?」


 ……えっ、ええええ、ちょっとまってくれ、流石に俺もその展開は予想外だ。

 何だそれ?


「母は、ホラの城で働いていた時、まだ若かった父のお手つきで私が身籠りました。母の妊娠が分かって本妻の手で闇に葬られる寸前、父によって助け出され、ホラの城の外に隠されたのです。その後、母は、他の男と再婚をして弟が生まれましたが、母と義父が川の氾濫で死ぬとすぐ、私だけがホラの城から迎えが来て召し上げられました、貴族である娘としてではなく文官として教育を受けて働いていたのです。庶子であったのでしょうがありません」


 ……庶子、正式ではない婚姻外で生まれた子供の事だ。セト教の教義で庶子は許されてはいない。

 庶民なら庶子の扱いがゆるいが、貴族となるとその存在を隠すのは当然だろう。

 ただ、庶子とは云え、自分の娘を不憫に思って教育を受けさせようとしたのだろうか?


「3年前、私の事を知った本妻によって、私は幽閉されて殺されかけましたが、ホラ男爵の手で助け出されました。その時初めて血がつながっている事を知らされたのです。もうホラには居られなくなり、ヒューパの地に流れ着いて文法と数学の教師をしてくらしていたのです」

「なるほど、では、父親を倒した姫様への復讐のために裏切ったのではないのか?」

「いいえ、違います、確かに命を助けてもらった恩は感じますが、父親と言ってもピンとこないのです。今助けてくれている弟や、私の育てていた孤児達の面倒を見てくれている姫様への恩義の方が大きいのです」


 姫様への恩義? 何を言ってるんだ、逆じゃないか、恩義があるのならば何故?


「姫様への恩義? なら、なぜ姫様に相談をしなかった? なぜ敵に情報を渡した? 姫様なら助けてくださったはずだ、あの方なら……あの方は、我々の常識から遠く外れた方だ、何か考えてくださっただろう。近くで見ていたんだろ、何を見ていたんだ」


 また少し語気が荒くなる。

 知ってしまったからには、もう俺の手で彼女を救う事はできない、このまま黙って見過ごせない……


「この血です、庶子ですがホラ男爵の血を引いている私が生きていては、ホラを占領したヒューパにとっては、邪魔になるだろうと言われました。弟や孤児達も一緒に始末されるだろうと……」

「バカなっ、俺は、俺は見たんだ、ホラを占領しに姫様が来た日、丘の上で姫様が家畜と呼ばれたチュニカ達少女を助けるために何をやったのか……その後も周りの常識に押しつぶされそうになりながら、必死で足掻いて俺たちを手放さなかった、あの方は、貴族の物差しとは別の存在だ」

「ですが」

「もういい、城に帰ってから姫様の前で申し開きをしろ」


 最悪だ、何もかもが灰色に見える。


 街道と沿って流れるクルツァ川に、灰色の月が反射して浮かんでいる。

 もし今俺の体調が万全なら、彼女を連れてこの月の川を渡って遠くに逃げただろうか……いや無理だろう、俺は、あの日あの時から姫様の見せた夢とやらに魅入られている。隣で震えている女を救ってやれない無力さに言葉も出ない。

 遠く地の先まで流れるクルツァ川が見えている。あの先でカーブするその向こう側まで、その先までま連れ去ってしまえば、違った未来が有るのかも知れない……でも俺にはそれができないんだ。

 隣の彼女も黙ってクルツァ川を眺めている。



 ガラガラガッガラガッガラ



「んあ、あ、姉者、ここはどこじゃ」

「ふあ、い、妹者、なんとしたこと」

「ぐっ、頭が痛い」

「うっ、頭が熱い」

「妹者、身体が縛られて動かない」

「妹者、身体が縛られて動けない」

「姉者、大変じゃ、秘宝具が無い」

「妹者、大変じゃ、魔術具が無い」

「なんと」

「なんと」


 先頭車の中で起きているのは、ゲネスとホリー先生だけのはずだったのに、野太いおっさんの声が2人分響いた。

 俺たちを襲撃してきた幻術使いと野獣使い、外見上ではハーフエルフらしい2人組だ。

 あの時、こいつらが死んだとは、誰も言ってない。


 はっ、この糞ったれな空気を引き裂いてくれた双子のオッサンに感謝だな。


「うるせえ、お前たちは姫様にぶん殴られて捕まったんだ、大人しくヒューパまで寝てろ」


「は、離せ、こう見えても貴族の血を引く者ぞ」

「ほ、解け、こう見えても貴族の血が流る者ぞ」


「良いから黙ってろ、俺はお前たちに個人的に恨みがあるんだ、姫様からは暴れたら殺してもいいと言われてる、このまま殺してやろうか」


 芋虫のように転がった双子が、お互いの顔を見合わせてた。


「姉者、田舎者は野蛮じゃ」

「妹者、野蛮人は凶悪じゃ」


「俺は黙っていろと言ったはずだ」


 ……

 ……


 俺は、結局眠りそこねて朝を迎える。

 朝日が高く登る頃、俺達はヒューパ城へと到着した。



 ★2503年 3月13日朝 ヒューパ城 ティア


 私は朝起きてすぐ、朝早くから執務室で働くアルマ大蔵大臣のところへ行き、ある考えを説明して理解してもらう事にした。


 実際にアルマ大蔵大臣に話しをすると、滅茶苦茶反対されたが、一応は話しを通した形にする。

 この後、アルマ大蔵大臣と一緒の執務室へお父さんもやってきて、メイプルさんから尋問をした話しを聞かされる。


「ティア、尋問の結果だが、今度の襲撃にホリー先生も関わっていると言っているが、辻褄が合わない事が多すぎるし、ティアが捕らえた襲撃者を連れて帰ってきてから判断をする事になる」

「分かりました、今日の朝午前中には到着すると思います」

「うむ、襲撃事件はそれで良いだろう、ただし、砂糖の技術流出に関しては、メイプルが資料を盗み見て知った情報だけでは足らず、ホリー先生からの情報が流れたのはどうやら本当らしい。この始末をお前はどう付ける」


 ああ、確かに私の部屋に置いた資料だけで、あの砂糖作りをするのは無理がある

 ホリー先生が関わってなければ、この短期間に作れてないだろう。


「はい、私にお任せ頂けるのなら考えがあります……をですね……そしてですね……に売ってしまい……で、ついでに……も売ってしまって……を壊してですね……えへへへへ」


 私は、昨日からずっと頭の先に煙が吹き出そうなぐらい考えた案をお父さんに話す。

 最後には、思わず悪い笑顔になってしまった。


「は、はああああああ、お前何を考えているんだ、そんな事をすれば、お前がとんでもない損をするではないか」

「あ、目先の損は良いんですよ、私の方は将来的に得になるつもりですし、相手にやられっぱなしじゃ腹が立つでしょ、ここはお父さんの名声も稼げて一石二鳥ですよ。どうですか? 私の考えに乗りませんか?」

「グヌヌヌ、分かった、乗ろう」

「それじゃ、ホリー先生の方も私に一任ってことで」


 私は、執務室で頭を抱えてるアルマ大蔵大臣とお父さんを置いて、外に出ると皆の帰りを待っていた。



★2503年 4月 ピタゴラ帝国 皇帝カール15世


 ヒューパでの襲撃事件から一ヶ月後。神聖ピタゴラ帝国カール15世の元に、ヒューパからの使者がやってきた。


「皇帝陛下、ヒューパより使者と荷物が届いております」


 例の黒の魔剣か、ヌライツ商会からの報告では、どうやら失敗したらしいな。


「……ふむ、読み上げよ」

「はっ、偉大なるピタゴラ帝国皇帝陛下、ペルツァー伯爵家令嬢を名乗るモグワイ・ギズモ姉妹の両名によって我がヒューパへの襲撃事件が起きましたが、恐れ多い事に皇帝陛下の命によってこの事件は行われたと申しておりまする。我々としましては帝国に連なる貴族の血筋の者を罰するつもりはございませんし、帝国への反意はございませんので、この両名をいかが致しましょうか?

 追伸、両名の使っていた魔術具を手に入れましたが、私共では使いきれませんので帝国へ返却をいたしたいです」


 ……モグワイとギズモの両名は口を割ったのか、それにしてもあの幻術を破るとは大したものだ。

 ……ならば、魔術具が帰ってきただけでも良しとするか。


「我が帝国のペルツァー伯爵家にモグワイ・ギズモ姉妹などという者など聞いたことも無い、伯爵は丁度今この都にいるのですぐに確認させよう。伯爵家と関係がなければ、そちらで皮を剥ぐなり火で炙るなり好きにせよ」

「かしこまりました、では帰りに書状を頂いて帰りまする」

「うむ、魔術具だが、我が帝国内で数年前盗難にあった物かもしれぬので見せよ」

「かしこまりました、こちらに」


 商人が差し出してきた箱の蓋を開けると、秘宝であった幻術の冠と、魔獣を呼び寄せる笛の杖が……

 バラバラに壊されて入っていた。


「……これは、何としたことだ、壊されておるではないか。確かに我が帝国の秘宝であった魔術具だがこれでは使えん」

「はい、皇帝陛下、どうやら襲撃事件の際、モグワイ・ギズモの両名によって誤って壊されたようでございます」

「なんと、その泥棒の両名が壊したと申すのか、益々許せんな、伯爵家の家人であろうと関係はない、そちらで自由に処分されたい」

「かしこまりました。それでは帰ってヒューパ男爵に伝えまする」


 商人が部屋を出て行く。

 その後姿と、蓋の空いた箱の中身を見て怒りが止まらなくなっていた。

 作戦が失敗したのはすでに聞いていたが、少々強引に魔術具だけでも取り戻そうとした矢先に、先手を打ってきよったか。

 クソッ、分かった上で魔術具を壊して戻してきよったな、小賢しい真似を。


「陛下、ご報告が」


 宰相が進み出る。


「何だ、言ってみよ」

「例の砂糖の技術が、色々な国や我が国の領主達にも売り買いされておりまする。すでに苦労して手に入れた砂糖の市場価格が暴落を始めております。他の領主達は独立した存在ですので、これを止める事は能いません」

「なっ……どういうことだ? ヒューパは折角の砂糖利権を手放したというのか。なぜだ? 少なくとも我々と上手く分け合って続ければ、長く儲けが出たであろう。どうして損だと分かっている事をやるのだ?」

「私にも全く分かりません、さらにヒューパは他の技術も流出させております。どうやら探らせていた情報の中にあった出産が安全に行えるようにする鉗子カンシなる物も広めようとしておるようです」

「……分からん、ヒューパのやることは分からん、儲けが出る技術をこうも簡単に出し広めるなどとは……」


 皇帝は打ちひしがれて、玉座から立ち上がる事ができなかった。



 ★2503年 3月15日 ヒューパ城 ティア


「さて、それじゃ久しぶりの社交界に行きますかね」

「ティア、大人しくしておけよ、問題は起こすなよ」

「はーい」


 色々と問題は山積のままですが、エウレカ公国の社交界へと私達一行は旅立った。

 社交界に行った先でも、砂糖技術や出産を安全に行うための技術も販売するつもりだ。

 本当は、アンパンを作ってその技術も売りたかったが、お菓子系の開発を手伝ってくれていたメイプルさんは、牢獄の中にいるのでもう無理だね。

 ま、他の娘達と一緒に開発すればいいかな。

 アンコはヒヨコ豆から作ってみてたし、パン生地の発酵のための酵母もワインを作る時にやってたので、上手く作れたり失敗したりだけど、その内上手く作れるように技術もできてくるだろう。

 砂糖技術なんて、さっさと大安売りしてしまっちゃおう。


 私が、自分の持つ技術を大安売りするのには、理由がある。

 砂糖やこれから作るアンパン等は、安く大量生産ができれば、中世の栄養状態が悪くて平均寿命の短い世界に変化が起きるだろう。

 つまり、死ななくていい人が生き延びるチャンスがほんの少し増えるって事。

 それに砂糖製造技術には、まだまだ改良の余地があるし、工業技術がついてきた。

 今のヒューパでなら遠心分離機とか作って、白糖の生産ももできるようになるだろうしね。

 もっと高く売れる砂糖を作る自信があるから、大安売りして新しい市場を開拓するんだ。

 以前のベック少年のように、砂糖の存在すら知らなかった人達に市場が広がる。

 夢が広がるねえ。


 出産の技術も似たような事だ、少しでも安全に出産ができるようになれば、人口が確実に増加する。

 私の技術は、出産時だけのことじゃなく、衛生観念も変化させるはずだ。

 普段から石鹸で手を洗う、たったこの1つだけで感染症が激減する。

 衛生管理には、それほどの効果がある。

 感染症が減れば、小さな子供が死ぬ数を減らせる。

 子供の死ぬ数が減れば、人口はもっと増加する。

 人口が増えれば、ヒューパで作った製品を輸出するための市場も純粋に広がる。


 ウフフフ、改革ってのはこういう事よね。


 今頃牢屋の中でグダグダやってるあの女装の双子、あいつら帝国の皇帝を挑発して煽ってやったから、見捨てられただろう。

 皇帝もまさか秘宝をバッキバキに壊されて返されると思わないだろうしね。後でアルマさんに皇帝がどんな顔してたか聞かなくちゃ。ウフフフフフ。

 それが済んだら、双子へ自分達が見捨てられた証拠を見せ、心をへし折って、私の家来に引き込んであげなくちゃね。


 ホリー先生の事情は聞かせてもらったが、裏切りの元になった砂糖技術は、これで誰でも知る技術になるので、私にとって何一つ問題じゃない。

 裏切り? 脅されてやったんでしょ。

 それにホラ男爵の血が残っていても問題ないわ、昨日、うちティアの昼食会で、ゲネスのやつとの結婚を私が許してあげた。

 お父さん達驚いてたな。ウフフフフフ。

 これで、正式に私の家来との婚姻で、ホラの正統な血筋が私の配下になった事になる。

 問題ないない。

 むしろ、遠縁の親戚筋が何か言ってきても、こっちに血筋を引っ張り込んでるから文句を言わさない口実ができた。だてにホラを実効支配してるわけじゃない。


 後はもう、私が許すって言えばそれでOKなのよね、貴族って便利。



 さて、社交界に出かけますか、楽しみだなあ。






★作者より


 と言うわけで、本作カクヨムでの連続更新はここまでです。

明日から、スピンオフで作った、ベック君が20年後、30歳を過ぎたオッサンドワーフが活躍する物語、ベック戦記改め、『ドワーフ戦記』をアップします。

 最初の予定では、ドワーフ戦記が未来になる予定でしたが、ティアがプロットを拒否して勝手に走り出したので、世界線を超えた別の物語になりました。

 ドワーフ戦記は最後まで書いてますので、すぐ終わるとは思いますが、スピンオフとして、別の未来もあったんだなって読んでくれたら幸いです。


 それから

 あのキャラは殺したように見せかけて、実は殺してなかったのですよ。

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幼女は科学の力で世界を復活させる(旧題:復活の女王 アリス&テレス @aliceandtelos

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