エルフの射程

前編

 とある森林の奥深く、ほんの少し拓けた場所に、弓矢を携えた女性が一人佇んでいた。

 透き通るような黄金色の長髪に見え隠れするその耳は、長く、大きい。女性はエルフであった。

 女性はおもむろに弓を構え、矢にを込め、放った。

 放たれた矢は、込められた魔力の効果のためなのか、するすると木々の間を抜けて進んでいく。


「お姉ちゃん、調子どう?」

 女性が声に振り返ると、三つ編みの少女が木の後ろからひょこっと飛び出してきた。少女もまたエルフであった。

「ミィエン、いたのか」

「気がついてたくせに」

「まあね」

 姉はわざとらしく耳をぴょこぴょこと動かした。エルフの姉妹は顔を見合わせ、ほほ笑み合った。

「お姉ちゃんさ、王都の弓術大会なんて興味ないって言ってたけど」

 ミィエンが意地悪げな表情で姉を見つめる。

「本当は出たくて練習してるんでしょ」

「……違う」

 姉は妹の言葉を否定したが、その恥ずかしそうな声音や赤面した表情からすれば、妹の言うことが図星であることは明らかであった。

おさのところには一緒にお願いに行ってあげるからさ、出たいなら素直になりなよ」

「……それはそれとして」

 姉は気恥ずかしさに耐え切れず、無理やり話題を変えた。

「うさぎを仕留めたはずだから、一緒に取りに行こう」

「え〜〜〜。結構歩くでしょ」

 ミィエンはうんざりした様子を見せながらも、歩き出した姉の後を追っていく。


 肩を並べて森を行く姉妹のはるか先に、が刺さった野うさぎが横たわっていた。



 同日夜。姉妹は、エルフの集落の最奥に位置する家を訪れていた。

 森のエルフを束ねる長の家である。

「シルェラ、用件を言え」

「王都の弓術大会に出場したい……です。自分の実力を確かめたい」

「森を出る許可がほしいということだな」

 森で弓の練習をしていた女性—シルェラは、気が強い方ではあったが、それでも長の威厳に萎縮してしまっていた。

 シルェラは40歳であるが、長命なエルフの中では若輩者に過ぎない。一方、長は300歳を超え、集落の中でも最も長い時を生きてきた賢人である。長のしわがれた声に、窪んだ眼窩に、シルェラはどうしたって逆らえない威光を感じていた。

「王都の話など誰に聞いた?」

「いや、それは……」

「言えないか。どうせ調達担当の誰かだろうよ」

 図星であった。エルフは正体を隠して人間と取引する事がある。森では手に入らない鉄などの資源を得るためだ。弓術大会の話は先日その取引を行った友人が仕入れた話だった。

「お姉ちゃんの弓をこんな森の中で腐らせておくのはもったいないよ」

 縮こまった姉をミィエンが援護しようとするが、逆効果であった。

とは何だ……!我らの神聖なる護り神に対して」

 若者の非常識な発言に、長は憤慨した。しかし、ミィエンはそれでも引き下がらない。

「ごめんなさい……。でもお姉ちゃんに腕試しさせてあげてよ」

 長は目を閉じ、しばらく思案する様子を見せると、断言した。

「認めん」

 無言でうなだれた姉妹を見据え、長が続ける。

「お前ほどの弓取りが腕を見せつければ、必ず目立つ」

「目立ったら駄目なの?」

 素朴な疑問をぶつけるミィエンを、長は睨みつける。

「当たり前だ。王軍は、シルェラがエルフである事、ひいてはこの森に我らが住んでいる事まで突き止めるかもしれない」

「戦にエルフの弓術を利用するため、ですね」

 シルェラの言葉に長は深く頷く。

「そうだ。もちろん手を貸すつもりなどないが、神聖な森が人間に踏み荒らされるのは避けねばならん」

 長の憂慮について、姉妹は納得せざるを得なかった—が、若い妹は食い下がった。

「じゃあ、見に行くだけ!大会を見るだけならいいでしょ?お姉ちゃんも、見さえすれば自分の実力がはっきりするだろうし」

 妹の言葉にシルェラもこくこくと頷く。

 長は逡巡し、仕方なさそうにため息をついた。

「いいだろう。ただし、私もついていく」

 姉妹は顔を見合わせ、手を合わせて喜んだ。



 翌々日。

 三人は一日かけて、森から北へ30kmほど離れた王都に辿り着いた。

 三人とも、大きな耳を隠すために頭に布を巻いている。

「うわあ、王都って大きいね」

 大きな門をくぐると、ミィエンは見慣れない景色に興奮し、きょろきょろと辺りを見渡し始めた。

「石の道!石の家!」

「私も初めて来た」

 シルェラも森では見られない建物や道に興奮を隠せない様子であった。

「さあ、もう暗いし早く宿を探そう」

 長は何度か王都に来たことがあるため、さして興味なさそうだった。ただ、かなり良い宿を取ったあたり、長も久しぶりのに心を弾ませていたのかもしれない。


 翌朝、弓術大会が行われる広場に三人が向かうと、すでに多くの街人で賑わっていた。

「今日はアルフレドが出るらしい」

「本当に?」

「ああ。兵士の友人から聞いた」

「それで女たちがこんなに来てるのか」

 三人の近くで何やら噂している街人の間に、ミィエンが割って入っていった。

「アルフレドってすごいの?」

「嬢ちゃん、アルフレドを知らないのか」

「歴代最強と謳われている弓兵だよ」

「あいつの腕前にはエルフの弓術だって敵わないだろうな」

 街人が代わる代わる説明する。エルフの名前を聞いて、ミィエンはさらに尋ねた。

「エルフの弓を見たことあるの?」

「まさか。人間の前には決して姿を現さない奴らだ」

「酒場で吟遊詩人が歌ってるのを聴いただけさ」

「ふうん。なるほどねぇ。おじさん、ありがとね」

 ミィエンが謝辞を述べると、街人の一人が苦笑した。

「おじさん?!まだ23だよ」

「あ……」

 ミィエンは人間の女の子なら10歳前後の見た目だが—。

「さあ、席を探そう。

 シルェラがわざとらしく大きな声で妹を呼び寄せた。

「そっちだって40のおばさんのくせに」


 広場の中央には的が設置されており、それを囲う形で木組みの観客席が置かれていた。射場は的から約1km離れた地点、広場に通じる道の上に設えられている。もちろん、矢に魔力を込めなければ的には届かない位置である。

 シルェラたちは的の西方の席が空いているのを見つけた。そこからはかろうじて射場に立つ選手の様子も見えた。


 大会が始まってからしばらくは、の弓使いが続いた。そもそも的まで矢が届かない者がほとんどだった。当てられた者も、正鵠とは程遠い位置を射ている。ミィエンもあくびを堪えきれなかった。

「次は、アルフレド氏!弓兵隊総隊長のアルフレド氏の登場です!」

 観客が騒つく。司会の一際張った声に、退屈そうだった妹も身を乗り出した。

「お、いよいよだね。あんまり期待できないかもだけど」

「うん……でも」

 シルェラも神妙な面持ちになる。

 控え室となっている広場脇の建物からアルフレドが現れると、広場は歓声に包まれた。特に、いままで大会に興味のなさそうだった女性らが声を張っていた。

 兵士らしからぬ美麗な相貌と如何にも兵士らしい壮健な肉体とを併せ持つアルフレドが女性に人気を博すのは当然であった。美しいエルフの男たちに囲まれて育ってきたミィエンでさえも「あれは森でも通じるかもねえ」などと嘆息を漏らしている。

 アルフレドは観客に笑顔で応えつつ射場に向かっていたが、いざ射場に立つとその顔から笑顔は消え、明らかに集中状態に入った。それに合わせて、広場も静まり返る。

 アルフレドが弓を構え、矢に魔力を込める。

「なんと力強い」

 それまで黙って観戦していた長がつぶやく。遠目からでもはっきり視認できるほど大きなエネルギーが矢を覆っていた。

 アルフレドが矢を放つ。

 風や空気抵抗でずれる軌道を、魔力の遠隔操作で微調整されながら矢は進んでいく。

「なるほどね」

 シルェラは不敵な笑みを浮かべた。

 矢は、それが当たり前かのごとく、的の中央に刺さった。



 弓術大会はアルフレドの優勝に終わり、的と的に刺さったアルフレドの矢は、歴史に残る偉業としてそのまま広場に保存されることになった。

「この時間なら何とか夜までに森に着くだろう」

 長が陽を見て姉妹を促す。三人は早々と広場を後にした。

「アルフレドだけは凄いんじゃない?勝てそう?」

 道中、姉の感想を尋ねようとするミィエンであったが、シルェラは辺りを見回すのに夢中で何も聞こえていない様子だった。

「まだ街の景色、見慣れないの?」

「え?ああ、そうだね。せっかくだからと思って」

「おのぼりさん丸出し〜」

 ミィエンのからかいも気に留めず、シルェラは王都を出るまできょろきょろと落ち着かない様子であった。



 王都から帰った夜、シルェラは家族を起こさないよう、そっと家を抜け出した。その背には矢筒と弓袋が掛かっている。

 シルェラはいつもの拓けた場所に向かった。



 ミィエンは姉が家を抜け出したことに気がついた。

 「きっとだな」と、姉の後を追うため家を出ると、ミィエンは姉が向かったであろう方向に巨大な魔力の光を認めた。アルフレドが放った光の数十倍は大きい。

「お姉ちゃん……?」

 光はやがて収束していき、北に向かって急発進した。

「あっち、って……まさか」



 王都の酒場は弓術大会の話で持ちきりであった。

「そろそろ帰らないと嫁さんに叱られちまう」

「俺もだ」

 二人の酔客がよろよろと立ち上がり、他の酔っ払いの冷やかしを受けながら酒場を出て行った。

「帰りにもう一回を見に行かねえか」

「おう、そうだな」

 二人は広場に寄ってから帰宅することにした。


 それから少しして、先ほど出て行った二人が再び酒場に戻ってきた。

「なんだ、忘れモンかあ?」

 酔っ払いがにやにやしながら二人に尋ねる。しかし、二人の様子は尋常ではなかった。

「違う!大変だ!みんな来てくれ!」

 そう言うと、二人はまた外へ飛び出した。他の者も物々しい様子に異変を察知して後を追う。

「何だ、こりゃあ……」

「ひでえ事しやがる」

 広場に辿り着いた酔っ払いたち—否、目の前の光景に酔いは既に醒めていた—が目にしたのは、矢筈に他の矢が刺さって、ひび割れたアルフレドの矢であった。すなわち、二本の矢が地面と平行に、一直線に並んでいた。


 自警団の調査にもかかわらず、このの犯人が見つかる事はなかった。

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VERSUS 城多 迫 @shirotasemaru

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