第3話

「明確な動機を持つ人が見つかりました」

 安元はその一言ですっかり待ちくたびれていた全員をはっとさせた。

「我々は完全に騙されていました。ですが、この質問を済ませれば、全てが解決します。いいですか、安田氏を焼却炉に落とした方は手を挙げてください」

 それは犯人に自白を迫っているだけではないか――皆が呆れ返る中、安元は至って冷静に続ける。

「我々は全身全霊を以てその方を守る――そう誓いましょう」

「何を言っている! 殺人犯を守ってどうするんだ!」

「その方は殺人を犯していない。そうでしょう? 保木さん」

 保木はそう言われると、おずおずと手を挙げた。息を呑み、保木の隣に立つ数人が思わず飛び退く。

「あなたが犯したのは死体損壊――ですが、それはこの場の全員で口裏を合わせてなかったことにします」

「おい! ふざけるのもいい加減にしろ! 殺してないとしても、犯罪者の肩を持てだと? そんなことはごめんだね!」

「では、順番に進めていきましょう。保木さんは早くにこの館に着いた。それは恐らく、会食が始まる前に、安田氏に直接話したいことがあったからでしょう。保木さんは枝野さんの目を盗み、安田氏の部屋に入った。そして保木さんは、安田氏の死体を発見したのです」

「死体だと?」

「ええ。安田氏は死んでいた。そして保木さんは、このメモを見てしまったのです」

 安元は『犯人はヤス』と書かれたメモをひらひらと振る。

「保木さんは大いに慌てました。何故なら自分が犯人だと言われているようなものですからね。そこで保木さんは安田氏の部屋の特異な造りに目を奪われてしまいます。簡単に人を放り込め、焼却出来てしまう施設がすぐそこに、ご丁寧に設置されている。パニックになっていた保木さんはそこに安田氏の死体を放り込み、焼却ボタンを押しました。死体に加えて自分が犯人だと疑われかねないダイイングメッセージがあれば、冷静な判断力は著しく失われます。そこにどうぞとばかりの焼却炉があれば、保木さんの行動はごく自然な流れだと言えるでしょう」

「――その通りだ」

 保木はうなだれながら呟く。

「今になって思えば、そのメモだけを燃やしておけばよかった――だが、確かに焼却炉に放り込んだと思っていたそのメモが残っていたとはな……」

「いいえ、それは違います」

 安元は大きく溜め息を吐き、曰く全てが解決した事件の真相へと踏み込まんとする。

「保木さんが見つけたメモは、間違いなく焼却されています。このメモは、あらかじめ焼却炉の入口近くに仕込まれていたのです」

 安元はそこで漸く手に持った本を見せる。

「これは『はなのなは』という小説です。安田氏の部屋にありました。言うまでもなく、夜須恵美さん主演のドラマ、『はなのなは』の原作です。安田氏の部屋に小説は多くありませんでしたが、この作者の作品は全て揃えられていました。つまり安田氏は、『はなのなは』及びその作者のファンであったということでしょう」

 本を開き、該当のページを探り当てる。

「『はなのなは』の主人公の描写はこうです。身長180センチを超える女性とは思えない長身で、氷のように冷たいが同時に美しい容姿。髪は長く、腰まで届く黒髪」

 そこで安元は恵美を見る。

「これは全く東野さんに当てはまりません」

 確かに、と皆が頷く。

「東野さんの身長160センチ前後、髪もベリーショートで、それをウリにしている。ドラマの期間に髪を伸ばしたりは――」

「し、してないけど」

「と、原作とは全く異なる容姿で主人公を演じることになりました」

「おい、それが一体――」

「この場の皆さんは安田氏に借金をしており、全く返済の意思を見せなかった。東野さんは安田氏がファンだった原作のイメージをぶち壊した。まだ何か、安田氏から恨みを買うようなことをした覚えのある方はどうぞ」

「ちょっと、それってまさか――」

「そうです。明確な動機を持つ人物がいるんです。安田靖氏というね」

 安元は落ち着いた声で、そう告げた。

「よくよく考えてみれば、今夜の会食自体がおかしいんです。揃いも揃って『ヤス』の付く人間ばかりが集められている。これを仕組めるのは誰か? 招待客を選別した、ホストの安田氏だけです」

 ばれないように小さく溜め息を吐き、安元は続ける。

「安田氏は『犯人はヤス』と書かれたメモを部屋と焼却炉の入口に仕込み、電話線を切断して、恐らくは服毒自殺したのでしょう。その死体を最初に発見した人物が、自分が犯人だと明示されていると思うように」

「なんのために!」

「死体損壊の罪を第一発見者に負わせるため――これは二の次でしょうね。全員が揃ったところで、一体誰が犯人なのかと疑心暗鬼に陥らせるためでしょう。何故なら、安田氏はこの場の全員に恨みがあった訳ですから」

 全員を恐慌状態に陥れ、眠れぬ夜をたっぷりと味わってもらう。実に悪趣味な復讐だ。

「僕はそれに拍車をかけるために呼ばれたんだと思います。『ヤス』の付く探偵という役割でね。ひょっとしたら以前に安田氏の関係者を不幸にしているのかもしれませんが、それは確かめる術のないことです」

「何故、私が焼却炉に安田氏の死体を放り込んだとわかったんだ?」

 保木が半分興味本位のように訊ねる。

「他の『ヤス』がいない時点で安田氏の部屋に向かう時間があったからです。他の来客が集まれば、自ずと『ヤス』が自分だけでないことがわかります。このメモを見つけても、すぐに行動に移すには他の来客を知らない時間帯でなければなりません。その条件を満たすのは保木さんだけです」

「本当に、私を庇ってくれるのか……?」

「勿論です。皆さん、我々は言わば全員が被害者なのです。安田氏に嵌められ、危うく全員が容疑者として警察のご厄介になるところだったんです。誰が安田氏の死体を損壊してもおかしくなかった。保木さんと我々は共犯者ということで、どうか口裏を合わせてはいただけませんか」

 全員が無言で首肯した。

「あのメモは実にフェアでした」

 安元はそこで小さく笑った。

「本当に、『犯人はヤス』だったんですから」



 道路が復旧され、殆どの来客が帰った館に、安元は残っていた。

「ありがとう安元君。報酬は後日きちんと振り込んでおくよ」

「枝野さんにもお忘れなく。『ヤス』が付く名前で安田氏から恨みを買っていそうな方を選んでいただいたんですから」

 安元は本屋で揃えた『はなのなは』と関連書籍を安田氏の本棚に並べた時に溢れた本を鞄に詰め込んでいた。

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犯人はヤス 久佐馬野景 @nokagekusaba

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