第2話

 まるで誰かが最初から見計らったかのような状況となっていた。

 館内の電話線が何者かによって切断され、加えてこの一帯は携帯電話も圏外。

 車で山を下りようとしたが、途中の一本道が土砂崩れによって通行出来ないと判明し、引き返す羽目になった。

「皆さんもうお気付きとは思いますが、このダイイングメッセージは、なんの意味も持ちません」

 悄然とホールにたむろする客の前に立ち、安元は『犯人はヤス』と書かれたメモを持ちながら落ち着いた様子で口を開いた。

「何故なら、この場にいる全員が、安田氏の言う『ヤス』である可能性があるからです」

「ちょっと待ってよ」

「なんでしょう田中たなかさん」

 田中粧裕さゆは安元に明かしていない名前で答えられてたじろぐ。

「失礼。どうにも聞き耳を立てずにはいられない性分でして、安田氏の死体を発見するまでの間にこの場の方々の名前は全て把握していました。それで、何か?」

「あたしの名前には、どこにも『ヤス』なんて文字は入ってないんだけど」

「確かに田中さんは一見『ヤス』とは関係ないように思えます。しかし、『粧裕』をローマ字にして並び替えると、SAYU――YASU――ヤスになります」

「こじつけもいいとこじゃない!」

「これは予想ですが、田中さんはどこか――例えばインターネットなどで、通称を『ヤス』にしているのではなでしょうか」

 粧裕がうっと言葉を詰まらせる。

「た、確かに、ツイッターのアカウントには『ヤス』って入ってるだけど……」

「では全員分の確認をしましょう。まず、僕は安元といいます。言うまでもなく、『ヤス』が入っています」

「でも、アンゲン君の通称はアンゲン君でしょう?」

 恵美が恐る恐るといった様子で言う。

「それは東野さんからだけですよ。それに、『ヤスモト』と書こうとして、途中で力尽きた可能性もあります。自分だけ特別扱いは出来ませんからね。では次は東野さん」

 恵美はびくりと身体を震わせる。

「皆さんご存知の通り、東野さんの芸名は夜須恵美です。そのものずばり、『ヤス』になりますし、東野さんの場合は本名よりも芸名の方が有名です」

「そんなあ……」

「皆さん平等に、です。次は保木やすきひろしさん、岡安おかやす郁子いくこさん、子安こやす丈弘たけひろさんの三人は、苗字に『ヤス』が入っています。鈴木すずき寿紀やすのりさん、加藤かとう康弘やすひろさんのお二人は、名前に『ヤス』が」

 順番に名前を呼ばれていった『ヤス』達が一様に苦い顔をする。

「次に須屋すや仁志ひとしさんですが、『須屋』を反対から読むと『ヤス』になります」

「ちょっと無理があるんじゃないか?」

 須屋の言を無視し、続ける。

谷守たにもり勝也かつやさんは、『谷守』を音読みにすると『ヤス』になります」

「おいおい――」

「最後に山田やまだ末治すえじさんは、苗字と名前の最初の一字を取ると、『ヤス』に」

 全員の顔を見渡し、安元は小さく溜め息を吐く。

「それに安田美智子さんも当然『ヤス』です」

「わ、わたくしもですか……?」

 狼狽える美智子に安元は弱々しく笑いかける。

「あの――」

 使用人がおずおずと前に出る。

「私、枝野えだの隆康たかやすと申しまして――」

「なんてことだ。使用人さん――枝野さんも『ヤス』に含まれますね。これで文字通り、この場の全員がダイイングメッセージの指し示す人物となった訳です」

「馬鹿げてる――」

「その通りです。実に馬鹿げている。それを少しでも解きほぐそうとしましょう。安田氏の死体はまだ灰にはなっていませんでした。しかし殆ど原型は留めていなかった。犯人が安田氏を殺し、焼却炉に投げ込んでからある程度の時間が経っていたことになります。この館に最初に着いた方は?」

「わ、私だ」

 保木博が手を挙げた。すっかり怯えた様子で、しきりに周囲を見回している。

「何時頃でしょう?」

「三時少し前だったはずだ」

 ホールには入って正面に大きな壁掛け時計がある。まるで来場した時間を来客に植え付けるかのように。

「美智子さん、枝野さん、これを証明出来ますか?」

「いえ……わたくしは指定の時間まで部屋で待機するように言い渡されていたので……あ、でも保木様は三時半より前には確実にこちらにお着きになっているはずです」

「ほう、それは何故?」

「わたくしも、言わば来客の一人なのです。この家には父一人だけで暮らしておりまして、枝野さんも通いでいらっしゃっています。私が皆さまをおもてなしするようにと連絡を受けて、今日の三時半にこちらに着いたんです」

「なるほど。その時既に保木さんの車があったと」

「はい。枝野さんは近くの町から自転車でいらっしゃるので、お客様だろうと」

「ちなみに美智子さんの車は?」

「わたくしは運転手に送り届けてもらいまして、運転手には明日迎えに来るようにと言って帰ってもらいました。今夜は泊まる予定でしたので」

 安元は頷くと、枝野に目を向けた。

「私も、証明は出来かねます。私は昼前にこちらに着き、靖様の昼食をお出しし、館内の掃除をして、ホールにお飲み物の用意をして自室で待機していました。お客様は出迎えないようにと靖様から言われておりましたので」

「では、保木さんの次にこちらに着いた方は?」

 岡安郁子がおずおずと手を挙げた。迷惑そうに顔を顰め、すぐにでもここから帰りたいとでも言いたげだ。

「三時五十分くらいです」

 その後、四時前後に子安丈弘、四時十分に鈴木寿紀と加藤康弘が駐車場で同じになって同時に、その五分後に須屋仁志が田中粧裕と同時に、四時半に谷守勝也、四時四十分に山田末治、四時五十分に夜須恵美、五時過ぎに安元孝志という順番だった。

「最も怪しいのは、この中の最初と最後に訪れた客――つまり保木さんと僕ということになりますね」

 保木はホールに一人だけだった時間が大いにある。アリバイを証明出来る人間もいない。自由に動くことが出来、安田氏殺害のチャンスは一番多かったことになる。安元は淡々とそう説明すると、自嘲気味に笑う。

「同様に、僕にもアリバイがありません。例えば車を近くの森の中に隠し、徒歩でこの館を訪れて安田氏を殺害した後で車に戻り、あたかも一番最後に訪れたかのように登場すればいい訳です」

「まさか探偵が犯人だったなんて言い出すんじゃないだろうな」

「僕は犯人ではありません――客観的な証明が出来ないので、言い逃れに聞こえるでしょうが。ただ――」

 安元はそこで少し邪悪な目付きになる。

「この手はここにいる全員が使えることになります。僕より時間的制約は増えますが、皆さん可能です」

 全員が青い顔になったところで安元は一息吐く。

「なのでアリバイについては今は保留としておきます。安田氏の殺害方法ですが、凶器は焼却炉に捨てて死体と一緒に燃やせばいいのですから、結構なパターンが考えられます。部屋に汚損が認められなかったことから、撲殺の可能性が一番高いでしょう。殺害まで至らなくとも、意識を失わせることが出来れば焼殺出来るのですから」

 その辺りは警察がやってくればはっきりするだろう。安元が行っているのはあくまで確認作業に過ぎない。

「次に、動機のあるなしをお聞きしたいのですが――素直に自分には安田氏を殺害する動機があると言い出す方はいないでしょうね」

 安元は笑って、一冊のノートを取り出した。

「これは僕が安田氏の部屋を調べた際に見つけたものです。実に興味深いことが書かれています。これを元に動機の詮索をさせてもらいます」

 安元はノートを全員に見えるように広げる。

「話は割合簡単です。手短にいきましょう。東野さんと僕以外の全員は、安田氏に借金があった。額は保木さんの事業レベルの膨大なものから、田中さんの奨学金のようなものまで大小様々ですが、借金は借金です。しかもこれは安田氏のポケットマネーから出たもので、正式な約款はないと書かれています。安田氏が亡くなれば、有耶無耶になっていた可能性が高い」

 恵美以外の客が一様に蒼褪める。

「そんな! 借金のために殺人まで――」

 安元はその声を無視する。

「東野さん、あなたが主演した、一社提供のドラマ――本当にそれが安田氏との唯一の繋がりですか?」

 恵美が目を剥いて安元を睨む。

「なに、アンゲン君、そこまで私を疑うの?」

「確認です。東野さんに動機が本当にないのか。それだけを教えてください」

「ないわよ。『はなのなは』に出ただけ。それで安田さんがファンになったんじゃないの?」

 安元ははっと顔を上げる。

「東野さん、あなたが主演したドラマのタイトルは『はなのなは』なんですか?」

「そうよ。知らなかったの? ちゃんとチェックしてよー」

 安元は恵美の言葉がまるで聞こえないように俯きながら思考を巡らし、がばと顔を上げると奥の廊下に突き進んだ。

「すみません。三――いや、二時間待ってください。安田氏の部屋で調べたいことがあるんです」

 それから二時間後、安元は一冊の本を持ち、真相を語るべく全員の前に現れた。

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