犯人はヤス

久佐馬野景

第1話

 大富豪として名を馳せた安田やすだやすし氏の邸宅に、十人の客が招かれた。

 安田氏は極度の人間嫌いとして有名で、山奥に一部で高名な建築家に建てさせた館に一人で暮らしている。

 そこから招待が来たとあって、招かれた客達はある者は興奮し、ある者は困惑していた。安田氏とのコネクションんを築ける機会を得たとして目を光らせる者、噂に聞く安田氏の行動とはとても思えないと首を傾げる者。

 安元やすもと孝志たかしは何故自分が招かれたのか、全く理解出来ていない者だった。

 安元は都内に探偵事務所を開いている。仕事の上でもプライベートでも安田氏と繋がりは全くないし、招待される言われがまるでないのだ。

 とは言え安田氏の高名は当然聞き及んでいたので、断るのも失礼だろうとこの館にやってきた。

 広大な駐車場には安元の車を含めて十台の車が止まっている。夕食に招待するとのことだったので五時を少し過ぎたこの時間に着いたが、どうやら悠長に構えすぎていたようだ。他の客はもう揃っているらしい。

 夕暮れにぬらりと聳え立つ黒塗りの館を見上げる。四角い箱のような外観に、煙を上げる煙突が一つ、角のように生えている。一人で暮らすにはあまりに巨大なそれは、物寂しさよりも、持ち主の闇を体現しているかのようだった。

「あ! アンゲン君!」

 エントランスに入ると、安元の顔を見て一人の女性が駆け寄ってきた。

東野ひがしのさん」

「もう、また本名で呼ぶ。夜須やす惠美えみさんでいいって」

 東野恵美――芸名及び旧姓夜須恵美はテレビドラマで活躍する女優だ。

 以前安元は内密に恵美からの依頼を受けている。結婚相手の不倫調査というありふれた内容だったが、その時の仕事から気に入られたのか、恵美は安元を親しげに呼ぶようになっていた。

 その恵美の紹介で様々な方面から仕事が入るようになり、安元としても感謝している。しかしどうやら立場的に若輩者の安元より恵美の方が上という認識らしく、探偵としては形無しではある。

「東野さんも安田氏に?」

 安元が依頼人を本名でしか呼ばないのは恵美も承知しているので、これ以上の訂正はしない。

「そうなの。昔一社提供のドラマで主演張ったことがあったでしょ? その時のスポンサーが安田さんの息のかかったとこだったみたいで。気に入られちゃったのかな?」

「直接お会いになったことは?」

「ないわよー。安田さんって人間嫌いで有名じゃない。何? アンゲン君早くも探偵モード?」

「いえ、僕は全く安田氏と関わり合いがないもので、妙だな、と」

「皆さま、今夜はようこそおいでくださいました」

 エントランスから広がるホールが来場者の待機スペースとなっていたが、その奥のドアから一人の女性が姿を現した。黒のドレスを纏ったその女性は、どうやら今回のホスト側の人間のようだ。

「わたくし、安田靖の娘である安田美智子みちこと申します。主人はまもなく登壇いたします。暫しのご歓談を――」

 一礼して、即座に彼女の周りに集まる目をぎらつかせた男達と如才なく会話する。

 そのまま三十分程、空白の時間は続いた。

「ちょっと遅すぎない?」

 恵美が安元の耳元で呟く。その通りだと感じた安元が頷くと、美智子の許に使用人らしき男が駆け寄った。

「いない?」

 美智子の上擦った声が響く。周囲の目に気付き、慌てて落ち着いたトーンに戻すが、既に全員が聞き耳を立てていた。

「はい。靖様のお部屋に伺ったのですが、鍵が開いておりまして。失礼ながら中を見たのですが、お姿が見えず……」

「わたくしも行きます。もう一度確認しましょう」

「失礼。ご一緒しても?」

 安元は美智子の隣に立ち、静かに申し出る。

「あなたは……?」

「安元孝志です。探偵をやっています」

 世間のイメージと実際の仕事内容は乖離しているが、相手を説得する場合にこれが意外な効果を発揮する。

「わかりました。皆さんはこちらでお待ちください」

 奥のドアを開け、広い廊下から二階に通じる階段を上がる。

 二階の一番奥に、分厚いドアが開け放たれていた。防音になっているのだろう。

 ドアの横には、胸の高さ辺りに小窓のようなものがついていた。

「あれは?」

「食器の受け取り口です。靖様はお部屋から殆どお出になりませんので」

 まるで独房だな――安元は口の中でひとりごちる。

 部屋の中――というよりはこれはもう館の一区画に作られたアパートかマンションの一部屋だった。

 入ってすぐはリビング兼ダイニングで、一人用のテーブルと椅子が置かれている。

 壁には大型のテレビが置かれ、食器の受け取り口には冷めた食事が置きっぱなしになっている。

 隣の部屋には様々な美術品が置かれ、あまり人が生活している痕跡はない。どうやら美術品置き場となっているらしい。

 寝室、洗面所、風呂、トイレと見回り、どこにも安田氏の姿がないことを確認する。

「あまり考えたくはありませんが、こうも堂々と書かれていると……」

 安元はリビングのテレビの反対側の壁にある、頑丈な扉を見た。

 でかでかと「焼却炉」と書かれており、扉の隣には三つのボタン。「開」、「閉」、「燃やす」と書かれたわかりやすさをこれでもかと押し出したものだ。

 そこで安元は館に着いた時のことを思い出す。

「今日、焼却炉は使いましたか?」

「いえ、我々は何も」

 安元は無言で「開」のボタンを押し、焼却炉の扉を開けた。

「ああ、ここは言わばダストシュートなんですね」

 二階にあるこの部屋から、恐らく一階にある焼却炉へゴミを落とすための扉らしい。二階からでも焼却出来るようにボタンを備え付けてあるのだろう。

「この大きさなら――」

 人ひとりなら簡単に落ちてしまう大きさを持っている。美術品の包装の段ボールなどをそのまま焼却炉に放り込めるように大きく設けたのだと使用人が説明した。確かに彫像など、人の大きさ程もある美術品が置かれていた。

「焼却灰の回収口は?」

「外です」

 部屋を出て階段を下り、裏口から外に出た。

 使用人が鍵を使って焼却炉の出口を開け、安元が火掻き棒で中を検める。

「当たってしまったか――」

 火掻き棒に引っ張り出されたのは、焼け焦げた人間の手だった。

 美智子が真っ青になりながらもぎゅっと唇を結んでそれを見ていた。

「皆さまにこのことを……」

「そうですね。話した方がいいでしょう」

 ホールに戻ると美智子が手短に現状を伝えた。

「それと、これは殺人事件である可能性があります」

 美智子の後に前に出た安元は、焼却炉へのダストシュートの途中に引っかかっていた一つのメモを取り出した。

『犯人はヤス』

 そう書かれていいることを伝えた瞬間、その場の全員が蒼褪めた。

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