第4話






「なんで勝手にそんな約束をしたんだ!」

「お、落ち着けタイチ。いやな、まさか本当に蛇神様をやっつけて帰ってくるとは思わなかったんだ……」

「とにかく、オレは反対だ。あいつと戦ってでもユリは絶対に渡さんぞ」

「だが、どうする? あの蛇神様を殺したお方だ。下手に断ると、ワシらも皆殺しにされるやも……」

「だべ。決して怒らせるわけにゃあいかん。なんとかして穏便に帰ってもらわにゃ」

「しかしよぉ……ユリちゃんをよこせっつってんるべ、渡すしかねえべか?」

「いっそ、酒で酔わせて全員で襲い掛かるべ? いい考えだぞ!」

「オラはイヤだべ。殺されたくねぇ」

「……うーん」

 村長宅で囲炉裏を囲んでの村民会議。

 場は沈痛な空気で包まれていた。

 生贄の少女ユリの婚約者であるタイチ一人だけがカッカと頭に血を上らせて強固に反対姿勢を貫いており、それ以外の集まった村人達は罰が悪そうに、或いは頭を抱えた様子でうんうん唸っていた。

 会議は堂々巡りを続けるばかり。

 一方、議題の中心である修は表で村の娘達に酌をされながら、村の精一杯の酒と森の幸のごちそうや踊りや歌をほとんど強引に振舞われていた。

 まさか自分の暗殺計画を含めた話し合いがされているとも知らず、暢気に歓待を享受している。

 何しろ、修としては別に一生自分のために尽くせ、などと言うつもりはなかった。

 ただ家政婦やメイドみたいに住み込みで身の回りの世話さえしてもらえれば、たまには村に戻ってくれて良かったのだ。むしろそのつもりだった。

 いうなれば、派遣の家政婦さん。ちゃんと給料も現物で支払うし、休みは週に二日は取らせるつもりだった。修はそんな軽い気持ちで、村に戻って約束どおり少女を要求したらこの状況である。

 修が「生贄の女の子をうちに寄越してね」と言った時、この時代の村人達は「少女の命は俺のもの。一生俺の好きに使わせてもらう。さあ約束通り引き渡してもらおうか。約束を破ったら……分かるよな?」と受け取ったのである。

 特に婚約者のタイチは、第二の蛇神が現れたと言わんばかりだ。いきなりぽっと出の謎の男に美しく大事な婚約者を奪われるとあってはそう冷静にはいられないというのもあるが。

 何しろ渡したらどんな扱いを受けるか分からない。ひたすら馬車馬のように働かされて、ろくにご飯を与えられなかったりするかもしれない。実際、他の村でも見る光景だ。

 なお、ユリはタイチの腕の中で顛末を聞かされ、生贄の緊張と不安から解放されたと同時にどっと疲労が押し寄せたのか、気を失って眠り続けている。

「爺っさま、何かいい知恵はないべか……?」

「ふぅむ……そうさのぅ…………ん? 待てよ、もしかしたら……一つ案があるのじゃが」

「おお! さすがだな! で、それはどんな!?」

「それなんじゃが……」


 小さな少女アヤは今日も一人、村の外れで火を起こしていた。

 木の板と棒を使い、熱で焦げたカスに息を吹きかけている。

 火ができたら枯れ草などの燃料で火を大きくする。

 採取してきた葉っぱを煮ていると、村から太鼓や打楽器の音色が聞こえてきた。

「あれ、なんだろ。祭りの準備なんかしてなかったし、何かあったのかな? ……まぁ、あたしにはもう関係ないか……」

 重くなった口と手足でノロノロと今日のご飯を作る。

 遠くの村は明るい声と音色で満たされ、賑やかだ。

「そうだ、顔に巻いてる布、洗わなきゃ……」

 醜い顔を覆い隠している布、それを外そうと結び目に手をやろうとした時だった。

「……あれ、村から誰か出てきた。男の人たちだ。こっちに来る……?」

 息が詰まり、目の前が暗くなり、動悸が激しくなる。

 今すぐここから走って逃げ出す衝動に駆られるも、足は竦んで言う事を聞いてくれなかった。

「…………あぁ」

 アヤは一度だけ、喘ぐように小さく、小さく息を漏らした。

 が、男達が近づくにつれ、いつもと様子が違う事に気がついた。

 今まで自分に近づいてくる時は怖れや汚物を見るような目が入り混じっていたのが、今は不安と弱弱しさが色濃く出ている。

「どうしたんだろう……?」

 男達はアヤから少し離れた所で止まり、声をかけてきた。

「アヤ、いいかよく聞くんだ。お前はこれからあるお人の所に行くのだ」

「え?」

 まさに青天の霹靂。

 これまでずっと死の宣告に怯えていただけに、予想外すぎる話だった。

 目を丸くするアヤに、だが男達は余裕のない顔と声で事情の説明を始める。

 ふらりと男が現れ、蛇神様が殺された事。

 男が報酬としてユリの身柄を要求してきた事。

 そして……これから男に、ユリの代わりにアヤを差し出す提案をしようとしている事。

「あの、あの、その人、本当に人間なんですか? あの蛇神さまを退治なさるなんて……」

「分からん」

「そ、そんな……」

「或いは、鬼や物の怪が人に化けておるやもしれぬ」

「ひぃっ……い、イヤです。そんな、あたし、そんな所、行きたくないです。怖いです。頭から食べられちゃいます」

「アヤ! 言う事を聞くんだ。これはもう村で決定した事だ。言う事を聞かにゃあ……ふん縛って口を縫ってでも言う事を聞かせるぞ」

「……」

 あぁ、と。

 アヤの目から一滴、涙がこぼれた。

 これ以上もう、どうしようもない事を悟った少女は一度だけ力なく頷いた。

「よし、分かってくれたな。もうすぐあの人をここに連れてくる事になっちょる。いいな、愛想よくして必ず気に入られるんだぞ!」

「はい……」


 さて。渦中の修はといえば。

「……なんか歓待してくれるのはいいんだが、どうもさっきからあっちの家に人が集まってる気配がするな。うーん、もしかして………………蛇神を倒した私を村に引き止める話でもしているのかな?」

 どうやら少し酔いが回っているようだ。

 まあ味方になれば百人規模の村にとっては過剰なほど心強い存在ではあるため、その発想も間違いではない。ただ今回は巡り会わせが悪い方に転がったというだけで。

「あの……カワハラ様。ちょーっと、よろしいでしょうか。お話が……」

 声をかけて来たのは一人の村人の男だった。

「うん? なんだい?」

「その、ですね。事情がありまして、あちらの方まで一緒にお越し頂けないでしょうか」

「まあいいよ」

「いやぁ良かった。ではこちらに。案内しますだ」

 しきりに額に汗をかいている男に怯えの気配を感じ取り、内心首を傾げる修だったが、素直に男の背に続いた。

 特に危害を加えられる感じがなかったため、ホイホイ付いて行った先には村長やタイチを始めとした十人程度の村人達がいた。ユリはおらず、顔を布で隠した少年とも少女とも判別しがたいアヤが村人達から数歩離れた所にポツンと立っている。

「これは……?」

 呼ばれた見当が皆目つかず、ポロっと漏らしたその呟きは単なる疑問でしかなかった。

 だが、修に怯える村人達はそうは受け取らなかった。

 タイチとアヤを除く村人達がビクリと肩を震わせ、すかさず皆一斉に両膝と両手を地面に付けて頭を下げた。

「お、お願いがございますだ! どうかカワハラ様、ユリの代わりにあちらの娘っ子で勘弁してくれねえだか!」

 叫ぶと同時に、怒涛の勢いで懇願。

 村人達の必死すぎる声と行動に修はますますわけが分からなくなっていった。

「蛇神様を退治してくれた事には感謝しとる。だがユリは、ユリだけはあんたには絶対に渡せねえ! ユリを奴隷にされて黙って見ているなんざ絶対にできねえ!」

 断るとあらば一人、戦いも辞さない。

 単身蛇神に挑もうとしたタイチは、決死の形相で訴えかけた。

「あー……」

 そこでようやく修は事の状況が薄っすらと分かりかけてきた。

「それはですね多分ちょっとした誤解なんじゃ――」

 そこで修の目が一人の少女に吸い寄せられた。

 生気が無く、死んだような目をして佇む幼い少女に。

 村人達が少女の事をまったく気にかけている様子がない事に。

 一人、周囲の必死な覚悟から隔絶したまま沈黙する少女に。

 そして察した。

(……あぁ、そうか。この子はもう、この村には居場所がないのだな)

 どう見ても自ら望み、進んで修の元に行こうとしているようには見えない。

 そこにあるのは哀れな生贄だ。

 お前はいらないと、代役を押し付けられ、差し出された厄介者の供物だ。

「……」

 突然黙りこくった修に、村長は慌てて捲くし立てる。

「この娘アヤは働き者で、まだ大人にはなっていませんが炊事も洗濯も家事も立派にこなせますだ。必ずや、カワハラ様のお気に入るかと!」

「顔は? どうして布を? ケガでもしているのか?」

「そ、それは……取られない方がよろしいかと。悪い神が憑いておりますだ」

「ふむ……」

「で、ですがこうして顔を隠しておけば、他はちゃんとした娘っ子ですだ。どうか、どうか……」

「そうだな……」

 誤解を解くのは簡単だ。

 別段ユリの人生を丸ごともらうつもりなど無かった。

 だから代わりの少女とやらを差し出されてもいらないだけ。

 けれど。

 修はやるせない思いでアヤの前へとゆっくり歩み寄り、片膝をついて優しくその小さく震える手を取った。

「私と一緒に来るかい?」

「………………はい」

 近くで見たアヤは泣いていた。

 声を上げず、押し殺すように、村人たちに悟られないように隠れて泣いていた。

「そうかい。では、こちらへおいで」

 修が手を引くと、アヤは力の抜けた人形のように修の腕の中に納まった。

「では、そちらの提案通り、代わりにこの子を頂いていこう」

「お、おお! それは良かった。しっかり働くんだぞ、アヤ!」

 言外に、アヤが役立たずで「やっぱりユリを寄越せ」とまた村に来られては困る、という意図が透けて見えるような顔だった。

「では長居は無用。これにて失礼する。歓待、ご苦労だった」

「ははーっ!」

 アヤを抱き上げ、そのまま跳躍する。

 そして風遁で何度か風を蹴り、遥か上空まで上ってあっという間に小さくなる。

 そのまま風に乗って修とアヤは村人達の前から去っていった。

 それを見届けた村人達は、緊張の糸が切れたようにほっと息を吐き、地面に尻餅をつき、或いは諸手を上げて満足いく結果を喜んだ。

 修はそんな彼らを振り返らず、特に行き先もなく空を飛んで行く。

 腕の中には死んだように動かない少女が一人。

 古代の時代で今まで普通に暮らしてきた少女が空を飛んでいるというのに、一言も喋らず、まず一生見る事が無かったであろう遥か高みからの景色に心動かされる事もない。

 そんな少女を見て、修は優しく語りかけた。

「さて、君の名前を教えてくれるかい?」

 本当は一度、村長が名前を言っているのだが、修はあえてもう一度尋ねた。

「……アヤ、です」

 果たして返事はあった。

 その事に若干修は胸を撫で下ろした。

 余りにも反応が無かったので、今にもフラっと飛び降り自殺しかねない雰囲気だったのだ。

 答えが返ってきた事にわずかな手ごたえを感じつつ、会話を続ける。

「アヤちゃんだったね。怖くない?」

「はい……」

「上空はこんな風が強くて冷たいなんて驚いたろう。布一枚じゃさぞ凍えるだろう。ちょっと待っててね。今上着を取り出すから……よっ青宮筒、虎の毛皮を頼む」

 竹筒の宝貝から大きな黄金の毛皮が飛び出し、修はそれでアヤを包んだ。

 アヤはされるがままだった。

「あ、そうだ。その顔の布、取っていいよ」

「え……」

 初めて少女の声に感情の波が生まれた。

 それは怯え。

 この醜い顔が村人に追われた全ての原因なのだ。ここで顔を見られてまたこの新たな主の不興を買ってしまったら……

 そう一度思うと、アヤはつい毛皮に隠れるように顔を伏せて引っ込めてしまった。

「大丈夫。怖くないよ、決して悪いようにはしないから、見せて欲しいな」

「……」

 わずかな逡巡。

 そしてアヤは初めての主人の命令という事で、大人しく顔の布を解く。

「……なるほど。悪い神、ね」

 小さな小さな窪み、それが顔全体に無数に広がっていた。

「皆、この顔を見てすごく気味悪がってました。きっと不吉な災いを呼び寄せてしまいます。だから」

「いや、私の前なら隠す必要はないよ」

「こうして布で隠して……え?」

「とりあえず一度浄化しておこうか。少しじっとしてて、そう、そのまま動かないで……っ!」

 片手で印を切ると手の中から金色の炎が生まれた。炎は一瞬で急激に膨れ上がり、二人を飲み込んで幻のように消える。

 それは確かに炎のはずなのに、まったく熱いと感じる事はなかった。

 まるで白昼夢のようだった。

「い、今のは……?」

「浄化の炎って言ってね、君の体に付いていた悪いやつを一通り焼いたんだよ。これでもう安全だ。周囲の人に病気が広がる事もない」

「そう、なんですか?」

「うん。それと、君のその顔、治せるよ」

「…………え?」

仙丹せんたんっていう薬なら君の顔を元通りにできる。ただ、作るには環境から準備しないといけないから、早くても一年はかかってしまうが……」

「ほ、本当……ですか?」

「あれは万病の薬だからね。君と同じ症状の人に使ったこともある。確実に効果があるよ」

 ただし、非常に生産性が低く貴重な薬のため、基本的に王侯など一部の人にしか使われていない。

「治る……あたしの顔が…………」

 この村人に忌み嫌われた顔が治る。それは単純に嬉しかった。

「でも……」

 もう既に自分は村の皆に、家族に見捨てられたのだ。

 このふらりとやって来た得体の知れない男に、ユリの代わりに捧げられたのだ。

 今更治ったところでどうなるというのか。

 帰る所など、もうないのに。

「…………うぅ……うぇぇ……ん……ひっく、ひっく……ぇぇーーーん……」

 アヤは泣いた。

 初めて声を上げて泣いた。

 何度もしゃくりあげ、肩を震わせて泣いていた。

「よしよし、よく今まで我慢したね。怖かったね。辛かったね。助けて欲しかったよね」

 一人っきり。

 これからずっと、一人っきり。

 それはすごく、心細かった。

 寂しかった。

「今は気の済むまで泣くといい。そして泣き終わったら……顔を上げて前を向こう。そうすれば必ずこれから楽しい事が君を待っているから」

 修は優しくアヤの背を何度もさすった。

「アヤちゃん、大丈夫。まだ住む家も、日々の糧もない根無し草の私だけど、絶対に食べるのに困らせる暮らしにはさせないから。不安で不安でしょうがないだろうけど、私を信じて付いてきてくれないかな」

「……ひっぐ、えっぐ……」

「君さえよければ、私が君の新しい家族になろう」

「……え……?」

 未だ涙止まらぬ目で戸惑うように見上げてくるアヤ。

 そんな腕の中の少女を見下ろして、修は昔の事を思い出していた。

 遥か昔、この身一つで古代中国に放り出され、心優しき周の文王に拾われた時の事を。

 何も分からなかった自分を、どこの馬の骨とも知れぬ少年を自らの息子として暖かく迎え入れてくれたの仁王を。

 あの短くも懐かしい、優しい日々を。

 そして、自分が受けたその温もりを、同じようにこの少女に与えてあげたいと思った。

 当のアヤは戸惑い、よく分からないものを見る目で修を見つめていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「あの……お名前を教えてくれませんか?」

「ん? あぁ、そうだね。私の名は修。川原修だよ」

「カワハラオサム様…………」

「オサムでいいよ。ここから遥か西の大陸、乾元山の金光洞に居を構える太乙真人様の門徒、道士さ。これからよろしくね、アヤちゃん」

 風に乗ったまま二人は新しい土地を探して空を翔けていく。

 見下ろす地上はどこまでも広かった。






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古代島国で引きこもろう 白秋 @QAZ_wsx

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